好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:国内旅行 > 鹿児島から沖縄まで、薩南諸島縦断の旅


 夜じゅう、風が吹いて心配していたのだが、出かけるころには幾分弱まっていた。

 今日は、バスで今帰仁城まで向かう。昨日も案内してくれたガイドの1人が、今日も説明してくれるようです。

 今帰仁城は、桜の季節に10年くらい前に訪れたことが有るが、詳しい事は忘れてしまっている。

 今帰仁城は、琉球が中山に統一される前の、南部を南山が、中部を中山が、北部を北山が支配していた時代の、北山王の拠点で、中国との貿易も行っていたのだが、1416年、中山の尚巴志に滅ぼされ、北山としての歴史は閉じられた。
 中山は、北部地域の管理の為に監守を設置し、1422年以降、監守の居城として利用されて来た。
しかし、1609年、薩摩軍の琉球侵攻によって、炎上したとされている。以降は、拝所として精神的拠り所として多くの参拝者が訪れている。
 模型を見ます。
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 外郭を含めると7つの郭からなりたっていて、面積は、首里城とほぼ同規模である、城を囲む石垣は、地形を巧みに利用して美しい曲線を描いている。
 2000年、12月には、「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の1つとして、世界遺産に登録された。
 石は、他所から持ってきたものではなくてここにあるものが使用されている。
石垣
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 火の神様が祀ってある。
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ここの石を使っている
 茶店があります。
茶店
 サトウキビの汁を絞っている所。
サトウキビを絞る
 見ていたら、1本くださったので、それをかじりながら見学しました。甘いけど硬い。

 平郎門。本門で、昭和37年に修復されている。
城門
 くぐると、ヒカンザクラが並んでいる小路。左手にある郭が、大隅と呼ばれる馬を養い兵馬を訓練した場所である。
桜が咲く
 まっすぐ進まずに右手にそれると旧道がある。
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旧道
 とちゅうで、カメムシを見つけました。コガネムシみたいだ。
カメムシ
 庭の隅に、ウガーミと呼ばれる聖域の方を向いてあるのが、カラウカー。
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 一段高いところが、主郭の有った場所だ。
本丸礎石
 ここにも火の神様が祀られている。
火の神
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 扉を開けると、
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 この庭の裏手の傾斜地が志慶真門郭と呼ばれる郭で、城主に仕えた身近な人々が住んでいたと考えられている。発掘調査により、4つの建物が有ったとわかっているそうです。
志慶真門郭
 最後は、大隅を見下ろす感じに造られている郭で御内原と呼ばれている。城に仕えた女官の生活の場と伝えられていて、城内でも神聖な場所とされていた。北側には海が広がっている。
 大隅と海が見えます。
うえから
 ここには、御嶽が有り北山王攀安知は、崇めてきた神が戦いの時、守護してくれなかったとして切りつけた大刀が千代金丸です。自害しようとしたが切れず、下の川に投げ捨てたところ、後に下流域で伊平屋島の人に拾われて献上されたと伝えられている。現在刀は、国宝として那覇市の歴史博物館の所蔵となっています。
 その御嶽
御嶽
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 帰りに、今帰仁村歴史センターに立ち寄って、出土した陶磁器や、歴史と文化などを見学した。ここにも、東日本大震災の被災船が展示してありました。7年後に見つかったそうです。
被災漁船
 見たことの無い木。シダレハナマキ。
シダレハマナキ
 アダンの実が落ちていました。食べれば食べられるそうですが、美味しくないとの事。
熟したところ
 この後は、高速に乗り、那覇市内に向かう。途中、恩納村の道の駅でトイレ休憩したのだが、結構な人出で密なので恐ろしくなってしまい、何も買わずなにも見ないで、バスに戻って来た。
  途中、市内に入って県庁前で降りた人もいたが、無事13時過ぎに空港に到着、解散となりました。国内旅行では、ちょっと長い10日間でしたが無事たどり着けました。
 この後は、それぞれの場所のそれぞれで戻って行きます。



 今日の午前中は、自由行動で昼食後フェリーで沖縄の本部港へ向かう予定だ。 
 
 近くの市場でセリが行われるというので見学に向かう。
途中で出会ったトラックの犬。
荷台の犬
 8時からの開始ということなので少し時間がある。
漁港
 ソデイカの荷揚げ。ソデイカは冷凍した方が味が良くなるので、いったん冷凍してから出荷するそうだ。
大きいね。
イカの水揚げ
 今日のセリの魚がずらっと並んだ。品定めします。
ずらっと並んだ
下見
 この台の上にいるのがセリ人で、落としたい人は、札を渡す。
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 この高齢の女性もセリ落としました。手押し車に入れて運ぶようです。
落としたもの
 漁港の隣にある茶花ビーチ。
茶ばな海岸
 グラスボートに乗って、百合ヶ浜に向かう人達と電動自転車で島を1周するグループに別れた。私は、1周してみることにする。約23kmあるので、立ち寄りながらだと3時間以上は掛かるだろう。
 初めて乗った電動自転車は快適で、びっくりするほど力がある。
 きび酢を作っている工場。この日は休みでした。
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きびすの壺
 天気がいいので、海の色も映える。
綺麗すぎる
 船倉海岸
船倉海岸
 大金久海岸を少し過ぎたあたりで、グラスボート発見。皆はあれに乗っているのだろう。
グラスボート
 ウィンドサーフィンをやっている人がいた。
ウィンドサーフィン
 赤崎海岸。灯台が見えます。
赤崎海岸
 せっかくなので、小さな鍾乳洞の赤崎鍾乳洞にも寄ってみました。昨日訪ねた民俗村の近くだ。
赤崎鍾乳洞
 長い坂が続く南の海岸線、途中の昇龍橋展望台からの眺め。
昇龍橋展望所
 空港横を通って、12時少し過ぎに戻って来ました。自転車を返してお昼ごはんだ。目をつけておいたこの店に入りました。
ランチを食べた
 与論島は、ギリシャのミコノス島と姉妹都市提携をしているとかで、ギリシャ風の白い建物も見かけます。
 980円の上刺身定食を3人とも頼みました。出て来たのがこれ・・・。すごいお値打ちだと思いませんか。
980円の刺身定食
 赤貝にサザエ、エビ付きですよ。生ビールと一緒にいただきます。「うーん美味しい」

 14時30分、本部港に向けて出港です。到着したものの、迎えの車とうまく落ち合えなくて少々時間がかかってしまい、本土よりは日の入りが遅い沖縄でも、だんだん太陽が傾い
てきた。おまけに、2台の車に分乗だったので、連携もうまくいかず、為朝の洞窟に着いた頃は薄暗くなってきてしまった。
 源為朝伝説によると、伊豆大島に流刑になった為朝が、潮流に流されて沖縄にたどり着き、そこで大里按司の娘と結ばれ子供を授かるが、彼は一人で故郷に帰ってしまった。幼い舜天と母は為朝の帰りを待ち続けたという。現在も御嶽の場として信仰をあつめている。
為朝の洞窟
 続いて運天港にを見降ろす高台にやって来ました。遠くに古宇利橋が見えている。
古宇利大橋
 ここ運天港のある場所は、伝説によると為朝が流れ着いた場所だそうで、上陸記念碑が建っていた。先の喜界島の雁股の泉といい、為朝には豪快な伝説が残っているようです。
源為朝上陸記念碑
 今帰仁にあるホテルに向かいチェックイン。今回の旅では一番設備が整っていました。夕食はホテル内に有る居酒屋でいただきました。この旅も明日が最終日だ。楽しい事は早く過ぎてしまうわあ。
 
 お疲れさまでした!
 


 与論島は、鹿児島県最南端の島で、沖縄本島の最北端・辺戸岬から23㎞に位置する、周囲23.3kmの隆起サンゴ礁の島だ。産業、食文化など琉球と奄美が混ざった独特の文化を持っている。ちなみにホテルのNHKを見ていたら、鹿児島の天気予報には、与論島は出て来ず、沖縄のNHKでやっていました。 
 人口は、5000人ほどだが、年間6,7万人の観光客が訪れる。
 島の形は、こんな感じです。ぐるりとサンゴ礁が取り囲んでいます。
与論島地図

 少し休み、島のほぼ中央に位置する舵引き丘に向かう。ここは、与論島誕生の地と言われており、昔、2人の神様が漁に出かけたところ、船の舵が浅瀬に引っかかったので降りてみるとサンゴ礁がむくむくと盛り上がり島となったという神話が残されている。
 
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大金久海岸は、約2㎞に渡り白い砂浜が続く島最大のビーチです。遠浅の海が沖合約2㎞まで続いていて、夏には大いににぎわう場所だ。百合ヶ浜の現れる時期には、此処から浜を眺めることができるそうです。
 
大金久海岸
 
 
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 この木は、モンパノキ。よく見ると小さな花が咲いています。
これなんだ?
 続いて民俗資料館にむかう。ここでは、芭蕉布織の体験もできるそうです。
与論民俗村
 沢山の壺が残されている。米やお酒を入れたものらしい。
沢山の壺
 沖縄と文化が似ていることを実感した民家。
昔の民家
 庇の下は竹が使われている。
庇の下
 風鈴ハイビスカス
風鈴ハイビスカス
 色があまり見かけない気がしたハイビスカス
ピンクのハイビスカス
 グランディフローラと思う。
グランディフローラ
 ニンニクカズラ。
ニンニクカズラ
 与論にもお城が有ったんですね。与論城跡とあります。
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 島の南端の標高94mの丘にある15世紀頃に築かれた琉球王朝時代のもので、石垣のみが残っている。600年前頃の与論島は、今帰仁に城を持つ北山王国に属していた。1405年、与論城の建設が始まったが、10年後、今帰仁を治めていた北山王の長男は中山王に攻め滅ぼされてしまった。今帰仁城が陥落すると与論島を治めていた三男オーシャンも自害に追い込まれてしまい、建築中だった城も未完成のままとなった。
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龍頭
 亡くなった三男オーシャンの墓。
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敷地内には、地主神社・金毘羅神社・土俵などもあります。
地主神社
 絶好のビューポイントでもある。
与論城から

 暗くなりかけてきたので急いでヨロン駅に向かう。「与論には、鉄道はなかったはずだが、計画でもあったのだろうか?」なんて想像していたが違っていました。
 1979年、国鉄の周遊券指定地に与論島が含まれるようになって10周年を記念し、鉄道の無い島のPRという意味も込めて、町が駅名標とモニュメントを作成した。
与論駅
 駅名標は、行き先が鹿児島と沖縄になっている。
 駅舎
駅舎
 砂浜も有り、夕日や星の観察に人気があるそうです。
砂浜
 私達も、少し粘ってみました。
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 この後はいったんホテルに戻り、夕食後、星を見るためにもう一度ここにやって来たのですが、月が明るすぎて残念でした。
 
 


 素晴らしい天気だったので、近くを散歩してみる。毎日海を見ているせいか、町を歩きたい。 
知名町役場の近くで・・・、南に来たなあと思う。
知名の役場の通り
 道路が、海に落ち込んでいくように見える。
朝の通り
 知名小学校の壁。
知名小学校
 昨日はごちそうさまでした。今日もよろしくお願いします。
マンホールカードをいただくために、観光協会に向かいます。名前と来島目的を紙に書いてからカードを貰う。お土産も買いました。
 
 今朝は、世之主に仕えた4天王の1人で、15世紀の島主だった、後蘭孫八の城跡に向かいました。平家の落人という伝説も有り、優れた築城家としても名高い。
 鬱蒼としたジャングルの様な所に有り石垣や自然石、巨木の醸し出す雰囲気は、パワースポットになっているそうです。
孫八の墓
外石垣
築山
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 なんだか謎めいた石垣。
石垣
 ジャングルの様だ。
ジャングル様になっている
 続いて、島の生き字引のような方がいらっしゃる和泊民俗資料館に向かいます。
 ユリをテーマの展示が充実しており、他には農具、民具、などの展示もされていました。
 
 これは骨壺
骨壺
 飢饉の時には、ソテツの実や幹の芯を食べたそうだ。ソテツの実は、こんな感じです。
ソテツの実
 ソテツは毒があるのでそのままでは食べることができない。幹の皮をはぎ、芯の部分を何度もさらしてた後に、細かく砕いて水につけ、そこに沈んだデンプンをまとめて団子状にまとめて粥などにして食べたという。実の部分は、味噌に加工したらしい。
 復元された昔の建物
博物館で
 庭に、カンゾウが咲いていた。今の時期でも咲くんですね。
カンゾウのなかま
 港に向かい、船に乗り込み、さっそくレストランに向かう。と言うのは、出航するまでの短い間しか営業しないからである。20分ほどで、いただきました。今日のお昼はうどん。
 出航、お世話になりました!スクリューがかき回す海の色はとてもきれいだ。
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 沖永良部島が見えなくなるまで、デッキに立っていました。
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 与論島まで2時間余り、海の色がどんどん濃くなっていく感じがする。
 到着した世論の港は、なにもなかった。
与論島に到着
トイレも無い!
トイレも建物も無い港
 迎えに来てくれた宿の車で一旦ホテルに向かいます。


 沖永良部島には遺跡も有ります。 世之主に関したものだ。世之主とは、琉球では、地域を治めていた豪族に対する呼び名で、後には、琉球国王の名称になった。「世之主」は、村々や島々を治め地域の発展に務め住民の生活を守った。
 今から、600年前、沖永良部島は琉球の領土で、北山・中山・南山の3つの勢力が競っていた時代だった。島は、北山王国の領地で二男の真松千代が治めていたと伝えられている。
 1416年に、琉球を統一した中山王国の遣わした和睦船を、伝令のミスにより攻めてきたものと勘違いした真松千代は、自ら命を絶ったと言われている。

 世之主神社と世之主城跡。世之主は、最初違う場所に住んでいたが、村人に移転を進められ、築城の名手である孫八に城を築かせたという。高台にあり、見通しが効き、かつては取り囲むように出城があり、難攻不落の城郭村落を形づくっていたという。
世の主神社鳥居
 今は神社が建っています。
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 ここを下って行ったところにあるのが、世之主の墓だ。世之主は、最初はウファチジと呼ばれる自害をした丘に葬られたが、数年後、遺骨をここに移し、妃・王子と共に安置されたという。
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世の主の墓
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 中に入ります。
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 扉を開けると、
中はこんな感じ
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 近くにあるもう一つの墓、謎の3号墓。まだ研究が進んでいません。
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謎の3号墓
 この後はガラッと変わって、断崖絶壁の田皆岬に向かった。柵も何もしていないので、突風が吹くと危険です。際からのぞき込むときは、膝をついて慎重に・・・・。
田皆岬
のぞき込む
 灯台が有りました。
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 最後は、NHKの大河ドラマの時に、見張り台のセットが有ったという浜に案内してくれました。せっかくなので、此処で夕日を見て行こうということになり、「ビールがあったら最高だねえ」という言葉に、ガイドさんが、「じゃあひとっ走り行ってきますよ」と答えてくれて、おまけに「じゃあ俺つまみ持ってくるわ」と言う人まで・・・。
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 右手の中央辺りに見えている岩の上で、ガイドさんが買ってきてくれたビールと島の蒲鉾、仲間の人が持って来てくれたおつまみをいただきながら、太陽が沈むのを待っている時間は最高でした!
 忘れられない思い出になりました。感謝!
西郷どんロケの浜で
 さあ、ホテルに戻ろう。
 

  
 朝ご飯を食べた後に海の方に行ってみると、
徳之島町の朝日
 なかなかのものです。ついでに町をぶらっと歩いてみる。
徳之島町メインストリート
 フェリーに乗るため港に移動するのだが、荷物と一緒だと1台の車では無理で、2回に分けて向かうことになった。私は、後発になったのでしょっていたリュックを椅子の上に置いた。
 戻ってきた車に乗り込んで、港に到着。リュックを背負おうと思ったら、あら!ない!そうだあの椅子に置いたままだ。幸い、片道10分ほどなので戻ってもらい事なきを得た。リュックは、降ろさない方がいいですね。
 9時40分、離岸です。
徳之島港
 2時間40分ほどで、沖永良部島が見えて来た。喜界島と同じようにずいぶん平たい島に見える。
沖永良部が見えて来た
 そのまま、お昼ごはんのお店に向かいます。旦那さんが獲って来たさかなを、おかみさんが調理をして提供しており、いけすがお店の横にありました。
 刺身定食を頼んだのですが、メニューを見ていたら夜光貝の刺身、時価、とあるのが目についた。夜光貝は、螺鈿などの材料になるものだが食べたことはない。興味があるので、3人でシェアすることにしました。3000円しなかった気がします。鮑ほどの歯ごたえはないものの、コリコリと美味しかった。貝の殻は、ツアーの仲間のお一人が持って帰られましたが、磨くと値打ちが上がるとの事。頑張ってくださいね。
夜光貝の刺身

 沖永良部島は、島らっきょのような形をしている。キャッチフレーズは、「花と鍾乳洞の島」だそうです。季節になると、島固有のエラブユリが咲き誇るという。九州本島から552km、沖縄からは北へ60kmほど離れている。和泊町、知名町2つの町があり、それぞれの人口は、7096人、6671人である。
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 サンゴの島では珍しい赤土の土地で、それを生かして特産のジャガイモ栽培が盛んである。ハウスでの花卉栽培も盛んで何でもよく育つという。
 サンゴの島は水が不足になるので、此処でも喜界島や宮古島の様な地下ダムの構想があるそうです。
 まずは、西郷さんが流刑になったときに過ごした場所にむかう。
 NHKの大河ドラマのロケ地になったので、島の人達もエキストラとして参加したという。「鈴木さんは、いい人でしたよ」とドライバーさん。タクシーの運転手もやっているので、乗せたことがあるそうです。
 西郷隆盛は、薩摩藩主島津久光の怒りを買い、重罪人として沖永良部島に流刑となった。1年6カ月あまりを過ごしたこの地での過酷な生活の中で、子供達に読み書きをおしえたという。
 今は、南洲記念館となっていて、格子牢が当時の場所に復元されています。
西郷さんが蟄居されていた
 
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 国頭小学校の敷地内には、大きなガジュマルがある。第1回卒業生が記念として、1898年に植えたもので今年122歳ということになります。木陰で勉強や読書を行うのにもつかわれるそうだ。
日本一のガジュマル
 国頭小学校。二宮金次郎ではなくて、桶を頭に乗せた女性の銅像が建っていました。
国頭小学校
 島の北の方にあるフーチャ。断崖絶壁と浸食されてできた潮吹き洞窟を見ることができるが、風が足りないのか、潮を吹くまでにはなっていませんでした。
フーチャ
波が荒い
潮吹き洞窟
 ここでは、息継ぎの為に浮かんでくるアオウミガメの姿を観察できる。荒波にもまれながらふわふわと漂っている姿を見ると、彼らはこのようにして、大海も荒海も泳いで渡ってくのだろうなあとちょっと感動モノでした。実際には、この辺りのカメは、それほど遠くまではいかないそうですが・・・。浅いところや海中を泳ぐ姿はこれまでに何度か見ていたが、海と空のはざまのカメはとてもカッコ良かった。
浮かぶウミガメ
息継ぎ
 標高180mから、島の端を一望できる越山公園にやって来た。右が太平洋、左が東シナ海である。
島の端が見える
沖永良部島もしばらくは占領下にありました。
越山公園

 この日の午前中は、移動だけ。海上タクシーで、古仁屋に戻りそこからフェリーで約89㎞、2時間20分ほどかかる。大島海峡を横断する。
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 古仁屋港の海の駅。
海の駅
 10時少し前離岸です。
古仁屋港を後に
 穏やかな航行の中、徳之島の平土野港に入港した。
徳之島に
 迎えのバスに乗り、ウンブキ洞窟に向かう。

 徳之島は、鹿児島県ですが、距離的には沖縄の方が近い。徳之島町、伊仙町、天城町の3町で構成されている。奄美群島は、東洋のガラパゴスと称されるほど多種多様な固有の生物が生息している。
 面積は、奄美群島の中では奄美大島に次いで大きく248㎢。人口は、約22600人だが、出生率は高く、小宝島としても有名です。長寿の島、闘牛の島としても知られている。
 闘牛の牛は、殺されることなく、飼われるという事で、大事にされているんだなとほっとした。

 まっすぐな道路は、戦時中は滑走路だったとか・・・。この島も特攻の島だったのだ。洞窟のそばに特攻花が咲いていました。
特攻花
 
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ウンブキ洞窟
 出口は、発見されていないとの説もあり、長さは1km以上あり、国内最大級とみられる。

 この後、空港に向かいお昼ごはんをいただきました。

 車窓から、古い形をした闘牛場がちらっと見えた。闘牛見たかった!
闘牛場
 
 蚊の高橋尚子さんは、この島でトレーニングをして記録を出し、シドニーでの金メダルにつながったそうだ。それを記念して碑が立っていました。
尚子ロード
 むしろ瀬に到着。酸性の台地で、貝殻は見られない。島の水質は南北で違い、北では軟水、南では硬水。ユーラシア大陸とつながっていたともいわれ、火山はないのに花崗岩を見ることができる珍しい土地だ。ここむしろ瀬は、花崗岩の奇岩がみられる景勝地である。
 
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 女性の顔
 
女性の顔
 ローソク岩、てっぺんに登ってみました。
ローソク岩
 犬の門蓋と書いていんのじょうふたと読みます。
大飢饉で増えた犬が人畜に被害を及ぼしたので、野犬狩りを行い、この地から犬を処分したという言い伝えがあるが、最近は沖縄の言葉で海(いん)という言葉からきているのではとも言われている。
 
上から見ると
 降りて行くと、
いんのジョウ蓋
 抜けるとハートの形のくぼみがある。
ハート
 下をのぞき込むと、荒々しい波が打ち付けている。
荒々しい
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 岩にへばりつくようにして咲いている。
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 この黄色の花は、海岸の近くでよくみられる。
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 キノコ岩と呼ばれる奇岩。ガイドさんは、ブロッコリーにしか見えないそうだ。
キノコ岩
 ここからぐんと南下してゆきます。


 特産のサトウキビだが、ザラメにした後、本土の工場に送られてほとんどが白糖の原料になるという。 
 島には、小学校22校、中学校12校、高校2校あり、人口比にしては多い気がするが、教育に熱心な土地柄なのかな。

 犬田布岬に到着です。この近くに戦艦大和の記念碑がありました。
犬田布岬
 大和記念碑、この塔の高さは大和の一番高いところと同じにしてあるそうです。
大和記念碑
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 実際に攻撃されて沈没した海域は、此処からかなり離れた場所だそうです。

 移動して、犬田布集落に向かいます。ここにも樹齢が300年を超えるガジュマルが有りました。今回おとずれたいくつかの島の
巨木は、何故か樹齢が300年なんですよね。
トンネルの様
 この巨大ガジュマルが生えている場所は、大地主さんのお庭だそうで平家の一族にあたり今もこの集落で暮らしておられるそうだ。

近くにある本宅のそばを通ってバスに向かいます。
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 この変わった形の木は、タイワンマツ。
タイワンマツ
 名前がわからなかった花、仏塔に似ている。
仏塔の花
 観光の最後は、伊仙町民俗資料館でした。旧農業高校の校舎をそのまま利用していた。
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 島の自然、民具、歴史などの展示がしてあります。死者を運んだという輿。
葬式に使う
 弥生時代の人骨。女性だそうです。
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 沢山の焼き物。
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 アマミノクロウサギの剥製。
アマミノクロウサギ
 ホテルの夕食は、居酒屋さんで島唄を聴きながらいただきました。
唄を聴かせてくれた生徒さん達。
うまくなかった
 足元に置いてあるバナナは、島バナナで翌朝デザートで美味しくいただきました。
 この日の島名物は、玉子焼きおにぎりです。
玉子焼きおにぎり

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