好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:国内旅行 > 石川雲蝶の作品群を訪ねて新潟、そして只見線に・・・。


 お風呂が、男女入れ替わるので、早起きして入浴する。昨日までの好天が嘘のようなどんよりとした空で、小雨も降って来た。

 お風呂に入っているとはいえ、濡れるのは何となく嫌だから心理としては面白い。 

 朝食は、バイキング。窓から外を見ると本格的な雪降りになっていた。
ホテルから

 きょうは、移動移動が続きます。家に帰るのは、16時半くらいになるかな・・・。

 タクシーで、駅に向かい、磐越西線に乗りまずは郡山を目指す。
磐越西線に乗るのも、本当に久しぶりでした。
 車窓から見る雪景色は、本当に美しく1時間以上の乗車時間があっという間に過ぎてしまった。
見飽きる事が無い
雪が降る
雪景色

 郡山では、30分ちょっと時間があったので改札を出てみました。そして、マンホールを探す。

 次の乗車は、郡山から新白河までです。乗車時間は、40分ほど。もう車窓の風景には雪はない。
新白河でも、30分ほど時間があったので、改札を出てマンホールをさがす。

 11時59分、黒磯に向かって出発です。黒磯で、お昼のおにぎりでもと思っていたのだが、あいにく売店が閉まっており何も手に入らなかった。乗車する人々の数も、那須塩原に近づくにつれて少しづつ増えてきている。

 最後の乗り継ぎは、黒磯発12時22分、乗車時間5分で那須塩原に到着。ここでようやく新幹線なすのに乗ります。混雑具合は、心配していたほどではなくて、座れてほっとする。

 上野駅で、NさんOさんとお別れ、お世話になりました。そして東京駅で、もう1人の同行人のnさんともさよならだ。のぞみに乗り込み、何時ものようにさあビールを飲むぞ!と思ったのだが、何と車販ではビール販売を中止していたのだ!もちろんコロナの影響です。

 私の楽しみは、もろくも消え去ってしまったのでした・・・。

 でもこの列車乗り継ぎは、お金が無かった時代を思い出し楽しかったな。



  雪のある風情な只見線を期待していたのだが、雪が降りすぎたようだ(*^-^*)

 新潟県と言っても雪の量は、地区によって違いがあるが、相対的に福島県の方が少ない気がする。
もっとも福島県も東西に広がっているので、中通りや浜通り地区はまた違うのだが。

 かなり走ってようやく道の駅のみしま宿に到着した。只見川沿いに建っているので、すこし高い所に登ると橋梁を渡る列車がよく見えるという。
 乗車していると、走っている列車の様子は見ることができないので、これはこれで楽しみである。

 展望台は、3か所あり、だんだん高くなっていっている。一番低い展望台に到着。ちょっと低いなあと思っていたら、Nさんが、「私、高いところを見てきますので待っていてください」という。お言葉に甘えて待っていると、「行けると思います」との事。それではせっかくなのでいってみることにした。とは言っても、雪がある斜面を登って行くわけなので、油断はできない。鎖につかまりながら慎重に登って行く。

 展望台から見たところ。
只見線第一橋梁

 列車がやって来た。うまく撮れているかドキドキしたけれど・・・。
第一橋梁
只見線

 第2橋梁を渡る列車。
第2橋梁を走る

 ゆっくりと斜面を降りて無事帰還。車で会津川口駅へと向かいます。3時過ぎに到着した。ここで、お世話になったドライバーさんとお別れしました。

 会津川口駅。只見駅からここまでは、代行バスが走っています。いつになったら全線開通するのでしょうか?
会津川口駅

 ホームに入ります。
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これに乗ります
 15時29分、会津若松行き出発です。乗客は、ほとんどいない。
車窓から

 
会津中川駅

 
トンネル

 ダムです。
ダム
 雪の下は田んぼかな。
雪原を走る

 途中の駅に蒸気機関車が展示されていた。
蒸気機関車が

 だんだん薄暗くなってきて、町が見えて来た。
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 17時18分、会津若松に到着。こういう感じ風情があるなあ。
会津若松駅に

 明日は、家に戻る日で、元々は新白河で解散となっていたのだが、先日の福島の地震で那須塩原までしか新幹線が運行されていなかった。

 で、駅の窓口で、チケットの取り直しを済ませておくことに・・・。在来線を乗り継いで、那須塩原に向かいそこから新幹線で東京に向かうのだ。

 今日のお宿は、会津の奥座敷と言われる東山温泉だ。大昔、この温泉のどこかで泊まったことが有るのだが、車の中から見ていても全然思い出せなかった。

 きれいなホテルで、温泉も素敵で、空に飛び出したような露天風呂は、会津の街の灯りが見えてとてもすてきでした。カメラの持ち込みはできないので・・・。

 お風呂に通じる通路はこんな感じでした。
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 今朝も、雪国の冬とは思えない暖かさです。
魚野川を越えて六日町駅まで足を延ばしてみました。 
六日町駅
 近くには足湯も有りましたが、閉鎖中。
足湯
 今朝の魚野川。
朝の魚野川

 本来なら、今日はたくさんの雲蝶の作品がある永林寺も見学に入っていたのですが、住職が亡くなられたとの事でキャンセルになってしまっていた。
 その上、只見線の不通区間が増えてしまい、しかも代行バスが走らないとのことで、さらに予定が変更となった。

 まずは、龍谷寺と西福寺を見学したのち、タクシーで高速に乗り、一路福島県に向かいます。そして、道の駅尾瀬街道みしま宿で、只見線の橋梁を走る列車がよく見える展望台にのぼり、列車を眺め、再びタクシーで会津川口駅までもどり、只見線に乗車して合図若松まで向かうという。

 龍谷寺では、現地ガイドの男性が我々を待っていてくれました。

 龍谷寺は、往古、八海山信仰の修験道場六萬寺として栄えていたが、16世紀初めに曹洞宗に改めた。本堂は、江戸時代宝暦年間に建立されたもので、豪雪地帯における典型的な禅宗建築として著名です。 現在は茅葺屋根の上に、鉄板がかぶせられています。
龍谷寺
 
本堂内。ここの欄間が雲蝶と源太郎の作品です。
本堂欄間
 作品群は、撮影禁止ですのでパンフレットを見てください。
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 隣接する慈雲閣には、ハワイの日系移民の方々に寄進された11面観音像が有りました。
11面観音像
 続いて、少し移動して西福寺に到着。開山堂をはじめとして、寺内の様々な所で雲蝶の作品に出逢えます。
 室町後期の1534年に開山された。右手が本堂です。
西福寺本堂と開山堂
 曹洞宗の開祖道元禅師と開山様をおまつりするために、江戸末期の1857年に建立されたのが開山堂だ。現在は建物保護のために覆われている。
開山堂
 中には、雲蝶の代表作ともいえる見事な彫刻が壁や天井に施されていました。作品群が日光東照宮を連想させることから、越後日光と呼ばれるようになったとのこと。これらの彫刻は、道元禅師を題材にしたものが多い。色彩は、岩絵の具で施され、目はまだ珍しかったビードロがはめてあります。
 ここも撮影禁止なので、パンフレットを見てください。
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 この仁王像は、もともとこの場所では無くて山門(白門)に納められていたそうです。

 雲蝶の作品は、奥行きがあるので自分が作品の中に存在しているような気分になれる。

 本堂に戻り、襖絵や欄間、組子障子などの作品も堪能する。それにしても多彩な人物である。
書院障子
飾り障子

 そして、開山堂を外からじっくり眺めます。破風部分の彫刻。カラス天狗がみられる。
開山堂破風部分

目にはガラスが入れられていた
開山堂入り口部分

 こちらは鐘楼。
鐘楼
 
 元々仁王がいた山門。
白門かつて仁王がここに居た

 もう1つの山門(あかもん)のそばの石碑と地蔵も彼の作品です。
この石碑も雲蝶作
 支えているのは、牛でした。雪をどかすと角が・・・。
牛です

 こちらは地蔵
地蔵

 土台部分が雲蝶らしい。
土台部分雲蝶らしい

 ガイド氏と別れ、一路福島に向かいます。新潟県は長い県なので、中々福島県に入ることができない。途中のサービスエリアでお昼休憩をとる。


 
 


 旅の間、全国的に暖かい日が続いていた。 この辺りも例外ではなくて、寒いと思って持ってきたタイツもカイロもまったくいりませんでした。

 暖かさに誘われて、宿の前の道を散歩してみました。

 気温と道路の温度差があるのか、靄がでています。
朝の通り

 歩道はこんな感じ。
道路の歩道

 暖かくても足元の水が凍っていたりするので油断はできません。このお宅の入り口は3分の2がふさがっていました。
近くの建物の玄関

 9時ホテルを出発。三国街道の宿場町だった塩沢宿に向かう。素敵な通りを抜けてまずは、鈴木牧之の記念館に向かう。
 牧之は、塩沢村に生まれ文人として盛んに文芸を行う反面、家業の縮の仲買や質屋に精を出し、地域の飢饉救済などにも尽力し、鈴木家を地域屈指の地主の地位に押し上げた。
 彼は、越後の雪深い生活を伝えようと40年の歳月を費やし、1837年に山東京伝の協力のもと「北越雪譜」出版し、それは当時のベストセラーとなった。
 「北越雪譜」には、越後の雪、雪国の暮らしの様子、自然、生き物、祭りなどが挿絵ともに収録されていて、見たことも無い雪国の暮らしに当時の人々は大いに驚いたのではないだろうか。
 記念館は撮影禁止なので紹介できませんが、挿絵の1つ雪の結晶が、通りに展示してありました。
雪の結晶

 記念館を後にして、少し通りを歩く。雪山がはるかかなたに見えて清々しい。
塩沢、牧之通り
 現代の雁木
現代の雁木
 電線が無いのですっきりしている。建物も白黒に統一されていて良い。
白と黒が美しい
 カマキリのオブジェ。カマキリが産卵した位置でその冬の積雪の量を予測したのだそうです。
カマキリ
 銀行
銀行です
 例年なら大掛かりに雛祭りを行うのだそうだが、コロナなのでそれも中止。1軒のお家で、幾つかのお雛様が飾られていました。
コロナのおかげでこじんまりと
 ここにも、大作ではないですが雲蝶の作品がありました。酒屋の看板です。
酒屋の看板も
 お店の中に入らせてもらいます。
これも作品です
 当時はこんな感じの看板でした。
こんな具合に

 車に戻り、かつて上杉兼勝と直江兼次が学んだという庵寺「雲洞庵」に向かいます。本来の参道は閉鎖されています。
雲洞庵の参道

 今から1300年以上も前の事、旅の尼僧がこの地に庵を結んで住まわれ沢山の人々を救った。尼僧が亡くなった後、母の菩提を弔うために薬師如来を携えて訪れた藤原房前公は、尼僧院として雲洞庵を建立された。以来現在に至るまで女人成仏の寺として参拝信仰が盛んに行われ。日本一の庵寺と称されるようになった。
 本堂。1429年創建、1707年に再建された。縄文時代より続く日本海建築文化の到達点の一つと言われているという。
1707年再建日本海建築文化の到達点
 本尊
本堂
 欄間
本堂欄間

 広い寺を見ていると、足元からしんしんと冷えてくる。隙間風は入ってくるし、暖房もないからねえ。
 ちなみに藤原房前公とは、父は不比等、祖父は鎌足で、大化の改新の折に藤原姓を賜った。その時に荘園としてこの南魚沼地方が与えられたのだ。

 


 石川雲蝶と同時代に活躍した彫刻家に小林源太郎と言う人物がいる。一緒に仕事をすることも多かったようだ。
 その彼の作品がある秋葉神社奥の院に到着。雪に囲まれていて近づくこともできない。遠巻きに眺めるだけで終わってしまったのは残念でした。彼は、雲蝶と違い作品に自分の名前を残すことはなかった。 
秋葉神社の作品は網の中
 牛若丸とカラス天狗の修行の場面らしい。
 他の堂も雪の中。
秋葉神社
 狛犬も綿帽子が重そうだ。
狛犬も綿帽子
 
 市内に向かい、お昼をいただきます。好きなものを頼んでいいと言われ、名物のへぎそばとマイタケのてんぷらをいただきましたが、少々量が多かったようで・・・・自分の意地汚さを反省。
 へぎそばは、山形のものとは違ってざるそばに近い。
名物へぎそばとマイタケのてんぷら
 
 そして、有名な小千谷縮などの織物の工房にむかった。コロナの影響で体験はなし。見られるかなと期待していた雪さらしも行われていないようだ。
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 この建物の向かいにあるのが、錦鯉の里だ。庭には頑丈な雪吊りが施されていた。豪雪地帯の雪吊りは、縄では間に合わないのだろうか。
豪雪地帯の雪囲い

 建物内に入ると目を引くのがこの「錦鯉のオーナー表」です。購入して、此処で飼育してもらうのだという。名前と鯉の写真入りのカードがずらっと並んでいた。自分の鯉は見分けがつくのだろうかと思ったが、写真を手にして同じ模様の鯉を探すのだという。
錦鯉のオーナー表

 冬の間、避難するプールにはたくさんの鯉が泳いでいた。餌を与えてみたくなったので購入する。何とプールに手を入れて直接与えてもいいというではないか。手の上に餌をのせると、吸い込むようにして食べてゆく。これが可愛いのだ!
屋内の池で過ごす
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 続いてオジヤ縮みの創始者である堀次郎将俊を祭ってある明石堂に向かう。道路の雪は無いのに、お堂の周りには雪が集められていて、せっかくの彫刻までたどり着けませんでした。雪が硬くないので無理をするとすぽっとはまってしまいそうなのだ。
明石堂

 そして最後は、池ケ原と言う何もないところにやって来ました。車の高さより高く雪の壁ができていて、迷路遊びができそうな感じだ。
車の高さほども
 こんなところに何が?と思っていたのだが、この壁を登ると
インスタ映え
しろのみ
 いやあ、綺麗でした。

 ホテルにチェックイン。早々と温泉に入り浴衣に着替えて夕食です。越後と言えば日本酒でしょう。
飲み比べがあったので頼んでみました。
日本酒飲み比べ
 美味しいねえ。


 直前になって、見学場所が変更になってしまったと連絡が入り、雲蝶の作品を多くみられるはずだった栄林寺に行けなくなってしまった。その代替えに、長岡の郊外にある栃尾地区の巣守神社と貴渡神社が新しく入れられたのでまずはそこに向かう。

 市街を抜けるといきなりこんな光景に・・・。
雪景色
 雪は除けられてはいるが・・・。
栃尾地区
 雪国の人は運転が上手でないとやっていけないなあと思ってしまう。
 
 到着した巣守神社もこんなことになっていました。よじ登ります。ところどころずぼっと足が入ってしまうが、割とうまく進める。
ここをよじ登ります
 神社はこんな感じです。
神社はこんなことになってます
 雲蝶作品鑑賞の旅第一弾はこれ。
雲蝶作品
 続いて、直ぐ近くにある貴渡(たかのり)神社へ移動します。
貴渡神社へ
 こちらはすっぽりと覆い堂に入っているので、じっくりと鑑賞することができた。
たかのり神社の建物
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 地区の織物の元祖をまつってあり、雲蝶30半ばの作品とある。堂を囲むように12支が彫られています。
 牛とウサギとネズミ。ウサギの目は赤が残っている。
12支 牛とウサギ
 竜の口にも鮮やかな赤がみられる。
口の中が赤く残っている
 言葉を交わしている男性2人。
DSC08521
 機織りの様子、糸を巻いている子供の姿も見られる。彫刻にしては、ものすごく遠近感がある。雲蝶は、洋画を習ったことが有るので、そういう技法を取り入れたのだろう。
機織りしている
 蚕棚と女性。女性の足元にいるのは猫かしら。
女性の足もとには猫
 女性の頭。簪まで丁寧に彫られている。
白い胡粉と赤と黒

 繭をすくっている女性のほほの丸みが美しい。
繭を煮ている
 雲蝶は、自分の名前を作品に必ず残していたという。職人ではなく芸術家という自負があったのだろうか。
必ず自分の名を入れます
 この後は、小千谷市に移動してお昼をいただきます。

 上越新幹線に乗るのは何年ぶりだろうか、思い出せないほど昔の事だ。

 然りの自由席にて東京に向かう。いつもの様に富士宮が近づくと、富士山が見えるかなあなんて思うのだが、今日は快晴なので見えない心配はなさそうだ。

 最近は積雪の量が年々少なくなっている気がする。
富士山
 緊急事態宣言下でも、東京からの旅行客は多く指定席を取っておいて良かったなと思う。トンネルを抜けるたびに景色はどんどん白くなってゆく。川端康成の雪国の書き出しを思い、文豪というものはやはりすごいなあと感心しする。
 
上越新幹線から
 越後湯沢で、大半の客が降りてしまった。そういえば今日は金曜日なのだ。土日にかけてスキーを楽しむのだろう。
 長岡に到着。駅前広場も通りも雪の壁ができていた。
 ホテルに荷物を預け、バスに乗って目的の博物館へと向かう。結構遠いし、雪のせいもあるのだろうが1時間近くかかった。 
 信濃川
信濃川
 博物館まで乗っていたのは、私1人だけでした。
 雪に埋もれている。
県立歴史博物館
 とけるのはいつになるのだろうか。
雪に埋もれる
 目的は、火焔土器なのだが、まずは企画展示から見てゆく。

 新潟県出身の山本五十六のパスポート
山本五十六のパスポート
 願いを書いて奉納した小絵馬。どういう願いだったのか?
奉納された小絵馬
 ちょっと軟弱な誓い。
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 そして、常設展の建物に移動。建物も大きいが展示もうまくてとても見やすい。
展示室
 黒曜石
黒曜石
 新潟と言えば豪雪地帯なので、こんなものも実物大で再現してありました。
 旧高田市の雁木だ。昭和30年代初頭の町の様子です。
雁木ン通り
 荒物・雑貨や、駄菓子屋さん、履物屋さんなども再現してある。
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 2階では、雪下ろしが行われている。屋根から降ろされた雪で道路が埋まってしまっている。
昔の雪下ろし
 で、下にトンネルを掘って対面と行き来をしていました。
雪の下のトンネル
 今の街は、雪の壁はできているが、道路に雪は無く難なく車を運転することができるのだから、何だか不思議な気がしてしまう。
 続いて米作りのコーナーにやって来た。これは、水を抜いて田んぼにする工事らしい。新潟と言う名前の通り、沼地が多くて深田になってしまい、米作りにはずいぶん苦労をしたそうだ。そういう時に使った道具などが紹介されていた。
水抜き工事
 やっと縄文コーナーに到着。当時の様子がジオラマになっていました。
縄文の暮らし
縄文の暮らし海辺
 土器はこういう感じでつかわれていたんだ。
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 いたずら書きがある土器の欠片
土器にかかれたいたずらが

 そして、火焔土器。
火焔土器

 背後には、沢山の火焔型土器などが並んでいる。
火焔型土器

 人もいないので、ゆっくり回れてものすごく楽しかった。

 帰りもバスに乗り、長岡駅にむかい、今夜の夕食と明日の朝食を買ってホテルに向かう。

 途中で、長岡城の二の丸跡を回って来ました。
長岡城址

ここも雪が深くて、奥には行けません。

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