好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:九州 > 九州の装飾古墳群と西都原古墳を訪ねて


 朝食を1階のコメダでいただき、荷物を預けて県立美術館まで歩いていってみました。地図通りに歩いたつもりだったのに、細い道を見落としたらしく、結構時間がかかってしまった。 

 企画展は、オードリー・ヘップバーンの写真展でしたが、そちらはパスして企画展だけを大急ぎで見て回った。空港に、12時には到着したかったので、時間がなかったのだ。
宮崎市立美術館
 正面は、こんな感じ。
入り口
 雨は止んだとはいえ、すっきりとはしていない。
オブジェ
DSC09668
 道路を挟んですぐの所に、宮崎神宮があるので行ってみました。バス停と時間を確認してから向かう。30分ほどしか時間がない。
参道
 お宮参りの人達で結構にぎわっていました。
宮崎神宮

 バスに乗り、荷物を受け取り、10分ほどかかって駅に到着。列車に乗り換えて15分ほどで空港に着いた。アクセスはとてもいい。

 チェックインして、ラウンジに入って座ったらメールがなった。ANAからだ。何と機材の調達が遅れていて出発時間が30分ほど遅れるという。もう少し早く連絡が入っていたら、美術館でゆっくりできたのに・・・。

 結局30分がもっと伸びて1時間ほどの遅れで離陸となった。中部は雨でした。荷物を受け取り、ホームに向かうと待ち時間がほとんどなく特急に乗れた。

 と、ここまでは良かったのだが、目的地まであと3分の1というあたりで、急ブレーキがかかった。アナウンスが入り、人身事故が発生したので信号が赤になりました、との事。
 この後は、少し動いては止まりを繰り返し、ついに止まってしまった。地理に明るくなれている人は、さっさと降りていくのだが、荷物を持っているし、他の交通機関があるのかわからない私は、じっと待っているしかない。今回は、本当に交通機関がついていない。フライトキャンセルは2回もあるし、飛行機も遅れて出発したばっかりに、人身事故にあってしまい電車は止まるし・・・・。

 すると向かいのホームに警察の人がやって来て、何やら写真を撮ったりし始めている。
事故処理
 どうやら事故はすぐそこの踏切で起こり、停車している電車がひいてしまったようです。乗っていた乗客は全員が降ろされ、別の電車に乗り換えて目的地まで向かうようだ。「帰りで良かったのかなあ」
  「振り替え輸送を行っています」とアナウンスが入り、ようやく知ってる駅の名前が出てきたが、どうやったらそこまでたどり着けるのかがわからない。乗務員の人に聞くと、30分くらいかかるのではという。荷物を持って30分はきついなあ・・・。行き方は窓口で聞いてくださいという。「後どのくらいかかりますかねえ。」と尋ねると、最低でも1時間以上はかかりますとの事。ならばと降りることにした。階段を登って反対側に行き、改札口に行くと長蛇の列になっている。これに並ぶのは時間がもったいないので、そのまま出札。
 タクシーにも列ができている。さて一体どこに向かったらいいのかなあと看板をみると、その向こうに見覚えのある市バスが止まっているではないか!「ともかくあれに乗ろう」運転手さんに、行き先を聞くと何と地下鉄の駅を通るというのはないか。「ラッキー。これに乗ろう」夕方のラッシュには早いが、私の様に地下鉄に乗る人で満員になってしまった。
 「ああよかった。帰れるわ」

 地下鉄で、30分ほどのり無事家に帰ることができた。電車の方は、結局2時間以上遅れての運転再開となったようです。

  


 博物館を出て、実際の古墳を見にゆきましたが、お目当ての111号古墳を探すも見つからず。 この古墳は、内部の様子がモニターカメラで見られるとの事でしたが、探してようやく見つけたものの、カメラは、壊れていて封鎖となっていた。残念!

 111号古墳の上から見たところ。
4号墓から見た景色
 

2基しかない方墳の1つ。101号古墳。
DSC09590
101号墳、方墳は2基

 前方後円墳の100号古墳。
DSC09592
 
100号墳
 お昼ごはんは、古墳に囲まれた「このはな館」で、いただきました。このころになると雨も少し小止みになって来た。
 ガイドさんがついてくれてたならば、迷うことはなかったのだが、申し込んだ時期にはコロナの影響で、案内が中止になっていたそうだ。実際には、我々が訪問した時には、予約制でガイドによる案内は再開されていたようです。

 昼食後、「鬼の窟」と呼ばれる206号墳を見に行きました。2重の造りになっているちょっと変わった古墳です。遠くから見たところ。
206号墳
 6世紀末から7世紀初頭に造営されたもので、直径約36mで、2重周堀と高い外堤が廻る。西都原最後の首長墓だそうだ。
6世紀後半
鬼の窟
 石室に入ります。
石室
 上から見るとこんな形です。
上から見ると
 外堤の説明。
DSC09617
実際に上を歩いてみると結構な大きさだという事がわかる。

DSC09624
 正面から見たところ。
正面から見たところ
 そして最後は、13号墳を見に行く。3段になった前方後円墳で、埋葬場所が見学できるようになっていた。
4世紀後半13号墳
DSC09653
  博物館で見た三角縁神獣鏡は、此処から出土しました。
鏡と玉が死者の上にのせてあった

13号墳内部
 
DSC09639
 
DSC09645
 
 これにてすべての見学は終了となり、宮崎市内に向かう。私も本来なら、この日の夕方の便で戻るはずになっていたのだが、コロナの影響で、行きに続いて帰りのフライトも何とキャンセルになってしまい、急遽ホテルを予約して翌日に帰ることになってしまった。

 市内に入り、駅にて降ろしてもらう。ツアーの本体は、空港で解散です。知らないことだらけの古墳の話でしたが、とても興味深く楽しい旅となった。 

 最終日に来て、あいにくの雨模様。天気予報によれば、雨脚は午後の方が強くなるという。
移動距離が長いので、ホテルにお願いして早めの朝食をいただき、7時半には出発をした。

 途中、熊本地震で落ちてしまった阿蘇大橋がそのままの姿で残っているのがバスの中から見えた。そして、新しくできた新阿蘇大橋を渡る。
新阿蘇大橋
 
 西都原古墳群に到着したのは、11時近かった。まずは、考古博物館でざっと宮崎県の古墳の事を教えてもらう。そして、西都原古墳の出土品などを見学した。
西都原考古博物館
 出土品の多くは、本物は東博に行ってしまっているので、ここにあるのは複製品が多いそうだ。

 現在の西都原市西側の台地上、南北約4.2㎞、東西約2.6mの広範囲にわたって展開しており、南九州最大規模の古墳群である。前方後円墳31基、方墳2基、ホタテ貝形古墳1基、円墳285基の計319基が現存している。

 古墳群は、古墳時代前期の3世紀末から4世紀前半にかけて造営が開始され、古墳時代中期の5世紀前半頃には、日本でも最大規模の帆立形古墳と九州最大規模の前方後円墳が造築される。
 しかし、後期の6世紀に入ると大型の古墳は増築されなくなってしまったが、6世紀も後半になると再び首長墓クラスの前方後円墳や円墳が造られるようになったが、7世紀に入ると古墳時代は終わり新しい時代へと入って行く。

 170号墳出土品の舟型埴輪と子持家形埴輪。
170号墳出土
170号墓出土品子持家形埴輪
 鶏形埴輪
鶏型埴輪
 13号墳からの出土品の三角縁神獣鏡
13号墓出土
 密閉されているので、鉄製品なども状態の良いまま発見されるという。
DSC09559
出土品を研磨したもの
 鉄製短甲と兜
保存の良い短甲
兜
収蔵庫には、こういう形で展示されていました。
収蔵室
赤く塗られた人骨
赤く塗られた骸骨
 収蔵庫にあった人骨。頭に海苔の様にくっついているのは櫛だそうです。
櫛が残った骸骨
 つまりこういう事。
DSC09568
 びっくりしてしまいました。残るものなんですねえ。

 この後は、バスで古墳のそばまで移動して見学してゆきます。
 
 菜の花が綺麗でした。
菜の花
 

 


 玉名市の横穴を見せてもらう前に、オブサンとチブサンの両古墳を見てゆく。 
チブサンは、装飾の円文からチブサンと呼ばれるようになったとの説があるが、オブサンの方もお産から名前がついたようだ。
  形が、お産をする時の格好に似ているかららしい。私にはスフィンクスに見えるのだが・・・。
オブサン古墳
 石室に入れますが、何もない。
平面図
 石室をふさいでいたらしい石がありました。
オブサン古墳の石戸

 もう少し奥に進むと前方後円墳のチブサン古墳があった。

チブサン古墳

 
DSC09471

 この後は、玉名市に移動して、歴史博物館を見学した。館長さんが、案内してくれました。ちょっと変わった建物です。
玉名市歴史博物館
 古墳時代には、玉名産の石棺が近畿地方に運ばれたそうで、昔の船を再現して有明海から関門海峡を通り瀬戸内海を大阪まで運送する実験を行ったところ見事に運べたとの事。
 古代から中世にかけては製鉄や製陶が盛んで、同田貫の刀などが輸出された。

 ガイドの方と役所の方が、ナギノ横穴群まで案内してくれました。こんもりとした南北に長い丘陵の東側面にナギノ横穴群48基が、西側面に穴貫観音横穴5基が確認されている。
 ナギノ横穴群の中でも、特に保存状態の良い6号墓と8号墓の中に入らせてもらった。造営された時期は、遺物がなく特定は困難だが、石屋形の形状から6世紀の初めから終わりころまでと推測されているという。穴観音横穴も、2号墓の形態から6世紀の中頃ではないかという。
 
DSC09496
ナギノ横穴群
 8号墓
8号墓、赤の円が見える
 色鮮やかな赤の円文が残っている。
鮮やか
 石屋形には線刻がみられる。
8号墓石屋形の線刻
 達が浮き彫りになっている。
石屋形には刀の彫刻
 6号墓
6号墓
  石屋形がむき出しになってしまっている。崖が崩れあらわになってしまったのだそうです。
右側に刀の彫刻
 春の花を見ながら、畑や田んぼの小道を歩いて、石貫穴観音横穴に到着。この階段の上に有ります。
階段を登って
DSC09516
 コウモリが入らないように網が立てかけてある。
石貫穴観音横穴
 真ん中の2号墓には、千手観音と11面観音がある。現在でも近隣の人々の信仰の対象です。
2号穴
 瓦屋根の様なものがみられる。
瓦の様なものが彫られている
 11面観音
11面観音
千手観音
千手観音
 今日のお昼は、新幹線の新玉名駅で薬膳カレーです。金栗四三さんの銅像があった。 
新玉名駅
 せっかくなので阿蘇の景色も眺めて行きます。
俵山展望所。地震の時、被害の有った場所などの説明をガイドさんから聞きました。
俵山峠展望所
 この後は、ぐるりと外輪山を回って向こう側まで移動した。野焼きをしたので茶色になっている。
野焼きをした跡

 今日のホテルは、赤水にあるリゾートホテルです。その名の通り、温泉は鉄分を含んだ赤い色をしていました。
 明日はロングドライブで、一気に宮崎県に入り西都原古墳群の見学です。


 山鹿市は、温泉や山鹿灯籠で知られており、菊池川の水運で賑わっていた。 豊前街道が通っている惣門地区を散策しました。

 惣門、江戸時代には、此処に木戸番があり、町の治安を守っていた。
惣門。
 ここから北に向かって歩いていきます。
  
 酒屋さん。
山鹿市酒屋
 手すき和紙とノリだけで作られている山鹿灯籠。
山鹿灯籠
造り酒屋の煙突。
DSC09421
 せんべい屋さん。焼きの体験ができます。
せんべいや
 光専寺の門。
光専寺
 山鹿温泉のシンボルさくら湯。
さくら湯
 
特別の浴場を見せてもらました。天井には龍の絵が描かれている。
貴賓の湯天井
 お風呂はハートの形?
ハートに見える
  さらに進んでいくと、灯籠民芸館。
灯籠民芸館
  石門。
石門
  古民家を利用した店もたくさんあります。
山鹿の店

 八千代座。明治43年の建設の芝居小屋で、重要文化財建造物です。建設当時の収容人数は。階下,階上合わせて1274人だったが、現在は約650人となっている。
 
八千代座玄関

 中の見学は自由見学でした。特徴的な天井広告。
客席
 
八千代座舞台
 舞台にも上がれます。その下のならくには、回り舞台の仕掛けやスッポンがある。
奈落からすっぽんへ
 楽屋。玉三郎も勘九郎も海老蔵もここを使ったのだよね。
楽屋
 2階にも上ってみました。斜めになっているので歩きにくい。
2階から

 この後は宿に入り、お湯につかり、美味しいものを食べて、ビールを飲んで・・・。いいねえ。

 
 今回の旅に参加したきっかけとなったのは、何年か前に、この県立装飾古墳館のHPをみたことがあったからだ。「九州にはこんなにたくさんの装飾古墳があるのだ、いつか見に行きたいなあ」と思った。とはいえ、まだまだ海外に行きたいところがたくさんあり、後回しになっていた。ところがコロナで海外に行けなくなってしまい、国内旅行にシフトをチェンジせざるをえなくなってしまった。そんな時、旅行社のHPを見ていたら、このツアーがあった。コロナの中なので、本物の古墳内部は、公開中止になってしまっているのは残念だが、これらをすべて個人で回ることは面倒だし、これはチャンスだと思った。
 安藤忠雄氏の設計です。
熊本県立装飾古墳館

安藤忠雄設計
  トイレも、
安藤忠雄設計のトイレ
 装飾古墳室は、地下に有りこのアプローチを使って降りてゆく。黄泉の国への入り口です。
DSC09377
 九州にある386基の装飾古墳のうち、熊本県には195基の装飾古墳があり、全国の約30%を占めている。さらに、そのうちの117基が、この菊池川流域で見つかっているそうです。
 
 装飾古墳は、大別すると4種類に別れる。①浮き彫りによるもの。石人山古墳の石棺の様に直線や曲線を合わせた模様などが浮き彫りにされている。鉄のちょうなや刀子などが使われたと思われる。
 ②墓室の内部に浮彫をしてから色を塗り分けたもの。円文、靫、対角線文などが彫られ、赤や白で塗り分けられている。
 ③内部の石室に直接船や馬三角連続模様が顔料で描かれたもの。動物の毛で作られた筆が使われたと思われる。
 ④岩壁に彫りこまれたお墓の入り口部分や、左右の壁に模様や人物、武器、武具などが彫られている。一部にはベンガラで塗られているものもある。

 ①鴨籠(かもご)古墳石棺。5世紀。直弧文が浮き彫りになっている。赤のベンガラが残っている。
鴨籠古墳石棺、5世紀
 ①小田良古墳。5世紀。円墳。靫、円文、盾などが浮き彫りになっている。
5世紀小田良古墳
 ②千金甲1号古墳。5世紀。円墳。模様を浮き彫りにした跡彩色されている。赤、黄、緑が使われているらしい。
千金甲1号古墳、5世紀

③インパクトのあるチブサン古墳。見学可能だが、コロナで中止になっている。6世紀。前方後円墳。人物、円文、三角文などが彩色されている。赤、白、黒が用いられている。
チブサン古墳
 チブサンの名前の由来となったのは、正面の同心円文が女性の乳房の様に見えたからだという説もあり、江戸時代には、母乳の出が良くなるようにとこの古墳に甘酒を備えたと言われている。
  右手の壁に描かれた両手を広げ、王冠をかぶった人物が描かれており、この古墳の主と考えられている。朝鮮半島南部の王冠とも共通する形なので、交流があったことがうかがえる。
チブサン古墳6世紀
 
 ③大坊古墳。6世紀。前方後円墳。連続三角文や円文などの彩色。赤、黒、灰色が使われている。 
大坊古墳、三角文、円文

 ③弁慶ヶ穴古墳。6世紀。円墳。同心円文、船や馬などが彩色されている。赤、白、灰色。
弁慶ヶ穴古墳
 わかりづらいが、ゴンドラの形をした船が描かれており、その上に馬、棺が描かれている。これは、死後の世界、「黄泉の国」へ向かう船で、のせてある棺の中には、魂と思われる赤い点が置かれていて、魂を運ぶ鳥が間の上に乗っている。当時の人の死後の世界観が表れている。
2つの船6世紀
棺が乗った船と馬が乗った船
 
 ③永安寺東古墳。7世紀。円墳。三角文、円文、船などの彩色。
永安寺東古墳7世紀

 古墳館の背後には、大小の円墳や横穴墓、前方後円墳などがあり、古墳館から一望できます。
古墳館と岩原古墳群
 中でも特に大きいものが、岩原双子塚古墳である。上に乗ることもできました。
前方後円墳
 低くなっている部分が、周溝(壕)になっています。墳長107m、高さ9m、後円部直径57mの大きさがある。
DSC09399
 今日のお宿は、山鹿温泉なので、そちらに向かう。 

 今から約1500年前、巨大な前方後円墳をこの八女地方に築いたのは、古代九州の大豪族「筑紫野君磐井」だった。「古事記」や「日本書記」には、大和王権に背き、九州の豪族と共に「磐井の乱」を率いた反乱者として記されているが、この歴史交流館は、郷土の英雄として「磐井」をとらえています。
DSC09258
死者を祀る世界でも、独特の文化が花開いた。埴輪を並べるのが一般的ではあるが、筑紫野一族の古墳には、代わりに石の彫刻が並べられた。磐井の乱後ヤマトから来た兵たちは、怒りゆえか恐れゆえか石人達をたたき壊してしまう。石人達が地上から消えた後、古墳内部では、装飾壁画が描かれるようになる。
 
 磐井は、大陸との交流を持っていた。当時の交通は、海路で、船を作り操ることができる物が強者であった。磐井は、筑後川、有明海を通じて大海を渡り、半島と往来をしやがて朝鮮半島を統一した新羅との独自のルートを持っていたようだ。
DSC09295
DSC09294
 当時は、未だ統一国家ではなく、有力豪族が各地を治めていた。ヤマトと地方豪族は対等でありながらも緩やかな上下関係にあり、新羅と敵対していた百済を助けるために、朝鮮半島への進出を目指すヤマトからは、人・船・食料などを提供させられ、不満が溜まっていった。そして、財力を持つ磐井は、527年ついに「豊の国」「火の国」と力を合わせ、立ち上がったのだ。しかし翌528年には、鎮圧され急速にヤマトによる国家統一が進んで行く。「磐井の乱」は、歴史の中、古代史上最大の事件であるといわれている。
 埴輪はよく目にするが、石の彫刻は初めて見る物が多く、ユニークで力強く引き込まれてしまった。
 武装石人
武装石人
  石の馬
馬型
  
DSC09267
ゆき
 壁画にも書かれていた靫
石靫
  石刀
DSC09272
DSC09274

石衣笠
相撲取りもいたようです。
DSC09277
  褌をして
褌をした力士
  男性
男性の石人
女性
女性の石人
  正座する石人
星座した石人
  埴輪も有りましたが、入れ墨をしている。
DSC09292
  建物の裏手には、前方後円墳の岩戸山古墳がありますので行ってみました。正方形の1辺が、43mある広場は、別区といい、全国でもここだけにしかない珍しものだという。
岩戸山古墳と別区
DSC09304
 レプリカが並んでいます。
DSC09302
  登ったり、周囲を回ることもできます。大神宮がありました。
大神宮
 ずらりと並んだ石仏 
石仏達
 ここから登れます。
古墳に登れる
 この後は山鹿市に向かい、お昼をいただいた後、熊本県立装飾古墳館に向かいます。 


 久留米のホテルの近くには、ちょっと昔の建物が残っていて、今も活用されています。 
久留米市内
古い建物
 バスは、久留米を離れ八女茶で有名な、八女地方にむかう。
 目指す弘化谷古墳と石人山古墳は、八女丘陵の西端に有り、谷を隔てて造られており、両古墳とも、「国指定史跡八女古墳群」の主要な古墳である。
位置関係
 石人山古墳は、前方後円墳で5世紀前半に造られ、「石棺系」では九州最古のものだ。
  弘化谷古墳は、大型円墳で6世紀中頃のものだが、残念ながら一部が欠けてしまっていた。
  
  まずは広川古墳公園資料館で、古墳の石室のレプリカで描かれた模様を見たり、出土品などを見学した。
  石屋形の内部に壁画が描かれている。石材は、石室も石屋形も緑泥片岩である。色は緑と赤だが、緑は片岩の地色の可能性があるという。赤のベンガラは濃淡での書き分けが行われているようだ。実際は、このように鮮やかには見えないそうです。
弘化谷古墳
DSC09229
 双脚輪状文の他にも、同心円文、連続三角文、靫なども描かれている。

 
DSC09231
 人工的な穴には見えませんでした。
杯状穴
 甕棺にはこのように人が入っていたようです。
DSC09232
 この後は、資料館の方の案内で石人山古墳に向かいます。標高35m前後の丘陵の一部を利用して造られており、墳長約120m。裾を幅1.2mほどの周濠が取り巻いていてて、全長が353mあるそうです。後円部には、石室がありその中に家形石棺が納められている。またこの古墳の名前の由来ともなった一体の武装石人が石棺を守るように立っている。
 石人はこの中に居た。江戸時代に描かれた石人を見ると今よりもっと模様がはっきりしているので人々が信仰の対象として、撫でているうちにどんどんすり減ってしまったようだ。
この中に石人がいる
石人
 石棺の入っている石室はこの奥にありました。
この中に石室がある
石人山古墳石棺
IMG_20210323_162002
 下の写真は、資料を使わせてもらいました。1石で造られた屋根の部分と4枚の板石が組み合わされている。石材は、加工しやすい阿蘇溶結凝灰岩。模様は、上段5区画に2重の円、下段の模様は直弧文と言うそうですが、連続して描かれている。前方の棒状縄掛け突起部分にも模様がみられる。円文、直弧文は、鎮魂的な意味を持っているらしいです。暗いのですが、距離は近くて模様もよく見えました。

 そのまま、ツバキ咲く小道を歩いて、弘化谷古墳に向かった。昭和45年、果樹園の造成中に偶然発見された古墳で、高さ7m、直径39mあるが、中は盗掘されていたそうです。古墳の上に登ることもできます。
弘化谷古墳 (2)

 この後は、元々の予定にはなかったのだが、資料館の人に勧められ、電話までかけていただいたので、やはり八女古墳群の1つである岩戸山古墳に向かうことになった。

このページのトップヘ