好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 三重県



 最近、注目を浴びるようになってきた斎王の都である斎宮。


 明和町には、その後が発掘され再現されています。


 古代から、天皇に代わって伊勢神宮のアマテラスオオミカミに仕えた斎王の都は、伊勢神宮領の入り口に位置し、都さながらの雅な暮らしを営んでいたといわれている。



 出土したものが展示されている博物館や、当時の暮らしを体験できる体験館、斎宮跡などがありますが、月曜定休なので、外観からしか見ることができなかったのが残念でした。


 古代から続いていた斎王の都でしたが、応仁の乱などにより都が荒れるといつしか、顧みられなくなり、500年以上もの長い間人々の記憶からも忘れ去られ、地元の方々によって、ひそかに言い伝えられてきたという。


 近くには、後醍醐天皇の孫で、斎王を務め、斎宮で亡くなっている、「隆子女王の墓」もありました。宮内庁が管理をしているということで、静かな雰囲気です。


 
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 墓の前には、歴史を感じさせる一般の方々の墓らしきものもあります。

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 斎宮跡には観光案内所もありますし、近鉄の駅もすぐそば。

 復元された建物。
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 こんな感じになっていたらしい。

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 10分の一サイズ。
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  体験館の建物。


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 菜の花やたんぽぽの咲いている中をゆっくり歩いて、斎王の森へとやってきた。
斎王の宮殿があったと言い伝えられていてシンボル的な森として地元の方々に守られてきたという。

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 コンビニで買ってきた朝ご飯をいただき、特急の出発までの時間を利用して、市内をちょっと歩いてみることにした。

 まずは、お城に行ってみよう。


 途中、レトロな建物がありました。現在も使われている感じ。
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 新宮城は、紀州藩新宮領統治の拠点となっており、水野重仲が初代領主となったが、明治の廃城例を受けて、建物はすべて取り壊された。

 城跡の形はこんな感じ。
丹鶴城ともいう


 
 まずは、本丸の跡まで登りましょう。
本丸部分へ


 こちらが、搦手。
搦手口


 市内が一望でき、熊野川もよくみえました。

 出丸。櫓。

櫓・出丸


 列車の鉄橋が見える。

線路が見える



 本丸を降りて、二の丸・三の丸と歩いていく。何も残っていなくて、石積みと石段を見て歩く。

三の丸から


  大手道は、三の丸から続いていました。
三の丸へ



大手道


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 城から降りて、右折して歩いていくと、速玉大社へ行けるので、朝の大社さんへお参りしてみよう。

 道には、昨日見てきた御船祭りのイラストがあった。
御船祭り


御船祭り。



 遠くに鳥居が見えている。

大社前の通り


 大社に到着。

御門


 参拝客はいなかったが、氏子さんだろうか、きれいに境内を掃除しておられました。

朝の速玉大社



 ご神木のナギの木。
ナギの木

 樹齢1000年。熊野権現の象徴として、古来から道中の安全を願い、持ち歩いてお参りをする事が習わしとされているそうです。


 もう少し時間があるので、再び引き返して、同じく世界遺産の阿須賀神社まで行ってみることにした。

 30分ほどで、到着。ちょっとわかりにくかった。

阿須賀神社


 ご神体は、背後の蓬莱山です。
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 ここの狛犬は、とてもチャーミングでした。
かわいい狛犬



 境内には、徐福もお祀りされている。
徐福の宮



 ホテルに戻る途中気になった建物が2つ。
1つが、旧チャップマン邸。

 西村伊作氏の設計でアメリカの宣教師チャップマン氏の居宅でした。

旧チャップマン邸



 もう1つが、旧西村家住宅。どちらも、9時から公開されているようでしたが、列車の時間の関係であきらめました。残念!

  東京の文化学院の創設者の1人でもある西村伊作氏が、1914年に自分で設計し建てた家。
大正・昭和モダンを象徴する建築として重要文化財になっている。

旧西村家住宅




西村伊作氏設計



 ホテルに戻り、チェックアウト。
 新しい車両になった南紀で名古屋へ向かう。外国人の方々も結構乗っていて、ちょっとびっくり。古道は外国人に人気があるとは聞いていたけれど・・・。


 今回も楽しく歩くことができました。感謝。


  今回の峠越えでもらった木札。峠の名前が書いてあります。


もらった木札


  次々と地区の漕ぎ手達が集まって来て、準備を進めていくのを見ているだけでも楽しい。
それぞれに



  かっこいい法被を着ているのは、役員関係者のようです。

役員さん達



  全員が集まって、出発式みたいな感じ。

開会式みたいなもの


  船には、漕ぎ手の他に、烏帽子をかぶった人物と、後方で声をかける人物がいる。9艘の船にそれぞれ11人が乗り込み、約1.6㎞先の御船島に向かって進み、島を3周して順位を決める。

  
船を下ろします。



  練習します。
練習




前もって乗る船や船の位置はくじで決まっています。



 そうこうしているうちに、神輿渡御からご神体が戻ってこられたようです。

  
儀式の始まり


  これから、宮司さんらによって、神幸船に移されます。

神様が移られる



 この方は、一足先に御船山に渡るようですが、救命具の付け方がわからなくて苦戦。

救命具を付けるのにてこずる



 それを見守る諸戸船のこの赤い着物を着た方は、「ハリハリ踊り」をしながら神幸船を引っ張っていく役目を担っている。櫂を回して船のゆく手をはるかに見渡す格好をする。

諸戸船に乗る女性のような恰好をした人物が櫂を振り回して踊る (1)




  いよいよスタートです。我々も少し離れた位置で三反帆の上から見守ります。

いよいよスタートです



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 日が陰って来て、まぶしくなくなったのはいいが、暗転が過ぎて時々見えなくなってしまう。

  



 車や見物客が船に並行するように走っているのが見える。

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 御船島が見えてきました。ここから、右に旋回していく。
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 勝負が決まったころ、諸戸船と神幸船が到着。やはり島を3周します。

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 こちらの船は、雅楽を奏でているようです。
雅楽船


神幸船を引く


 そして、神幸船を河原に着け、そのまま神輿は御旅所に移動します。

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 われわれも、そのあとをついていく。御旅所では、神様を杉でできた仮のお社に神輿からお渡ししたのちに、真っ暗な中で神事が行われます。
  ここからは撮影禁止。厳かな雰囲気の中で進んでゆき、最後は、ご神体は、宮司さんとご一緒に大社へと戻られました。

  これで、祭りは無事終了。我々も暗い中を、速玉大社を目指して歩く。


  迎えのバスに乗り込み、ホテルへ向かう。夕食は、街の居酒屋です。

  これで今回の、旅は終わり。解散となります。明日は、それぞれが暮らす街へと帰るのだ。

  


 これが三反帆です。 
三反帆


  川船に使用する木材は、スギ・ヒノキ・ケヤキ・カシの4種類で、すべてを熊野川流域の森林から調達している。
  船体・床板などは、軽くて腐りにくく粘りがあるなどの理由で、スギが多く、船縁や船内の一部には、ヒノキとケヤキ、船底の補強にはカシといった具合に使い分けられているという。

  熊野川中下流域の新宮・本宮間は9里8丁と呼ばれ、平安・鎌倉期には、参詣道として川船が大いに利用された。
  その後も。土地の人々の渡しや生活用品の運搬に使用されたが、次第に陸上輸送へと移り変わり、昭和30年代には、その役割を終えた。

  写真の三反帆の川船は、全長8.6m、幅約1.6mで、5mの帆を3枚帆柱にあげ風をとらえて走る。


 では出発です。いったん河口まで走って行き、戻って神様が神幸船に乗られる場所に船を止め、速玉大社に向かいます。
 速玉大社で、神事などを見学した後は、再び川岸に戻って来て、早船競漕の準備の様子や神様の神輿への乗り継ぎなどを見た後、再び三反帆に乗って、早船と並走しながら上流へ向かうという予定になっている。


 最初は帆無し。
熊野川を遊覧していきます

  

  畳石。

畳石



  風が出てきたので、帆を上げてみました。


帆を上げて



  行く手にJRや国道の橋が見えている。

JRや国道に架かる橋


  亀島。亀には見えない気がする。

亀島



  御船祭りの諸戸船と神幸船がとまっています。


諸戸船と神幸船 (1)


  その下流には、早船競漕の船が陸に上がっているのがみえた。


早船競争に出る船たち


  これは新宮城の川港跡。洪水に備え、6mもの石垣が築かれている。また隣接して、見つかった建物は、備長炭を専売していた領主水野公の炭納小屋跡とかんがえられている。


新宮城の港の跡と炭納屋跡



  橋をくぐります。城山の下を列車のトンネルが貫いているのはここだけだ。列車は、トンネルを抜け橋を渡ると三重県に入る。

城山の中を紀勢線が通っている




  あ!列車だ。
列車が通った



 河口まで行って、Uターン。


下をくぐる



  先ほど、諸戸船の停泊していたところで下船。速玉大社へと向かいます。

  ここへお参りするのは、昨年の3月以来だ。


  神馬がいたので、一緒に写真などを撮らせてもらう。

神馬


  神馬の上に乗っているのは、「一ツ物人形」と呼ばれ、熊野権現の神霊の憑座とされていて、神馬渡御式では、この人形が行列の先頭を進む。

  
1ツ物人形、神馬渡御式では先頭を行く



  速玉大社本殿。


速玉大社




  神様を運ぶ神輿。

神様が乗る神輿


 神様を、神輿に移す行事が行われた。



  そして、巫女による舞の奉納が行われ、
巫女の舞の奉納を受ける (1)



  神様をのせた神輿は、町中に向かいます。


神輿は町の中を歩く



  鳥居をくぐったところで、先ほどの神馬と遭遇。人形はかなりそっくり返ってしまっていました。


ひとつ物人形が戻ってきました。



  さて、我々は、河原に向かい、早船競漕の漕ぎ手達の様子を見せてもらう。

  氏子地区9地区による競争で、神様の船より先に出発します。すでに乗る船や位置も決まっている。スタート位置で、ほぼ順位が決まってしまうとか・・・。


  あ、漕ぎ手の人達が集まってきました。

  
早船競争の漕ぎ手たちが集まってきました



  これから、準備をしてゆきます。


 部屋から見えた朝日。なんだか串刺しみたいになっている。 


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  このホテルの朝食もなかなかでした。梅干し美味しかったよ。

朝食




 8時。ホテルを後にして七里御浜迄向かいます。昔は浜街道を歩くのも命がけだったそうです。熊野は波が荒いので、波打ち際を歩くのは、とても危険を伴う。しかも浅瀬になっていなくて、急に深くなっているのだ。
  
  ただし砂浜ではなくて、砂利浜なので足が沈み込むという感覚はなく少し歩きやすい。

  
七里御浜は砂利浜です



  この浜では、夏になると花火大会が開催され多くの人々が訪れます。

  海の方向に口を開けているように見える巨岩は、獅子岩。隣の神仙洞とともに、熊野山中の大馬神社の狛犬とされている。

  阿吽の行の獅子岩
獅子岩


  こちらは吽形。

こちらが吽形



  ここから花の窟まで浜を少し歩く。


  自然崇拝の姿を今に伝える場所ということで、世界遺産に登録されています。

  花の窟

花の窟神社


  丸石。流紋岩の核の部分だそうです。野球監督だった王貞治氏や花巻時代の大谷選手もお参りして触ったという。ボールに似ているからでしょうか。


丸石



  目につくのが不思議な形をしたしめ縄。
綱をケイトウの花やセンスで飾る



  ご神体である高さ45mの巨岩から伸びています。先の方には、ケイトウの花やセンスが括り付けられている。

  
御綱かけ神事


  10月2日に新しく架け替えたばかりなのできれいです。

  この綱の先を参加者たちが持って歩いてゆき、国道わきの片隅に括り付ける。

端はここに



  祀られているのは、イザナミノミコト。
祭神は、イザナミノミコト



  ご神体の岩。
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  ここからはバスにて、移動。途中ウミガメを道の駅で見たりお土産を買ったりして、浜街道が終わる地点近くから再び浜を歩く。

  浜街道の終わりは、鵜殿港近くの加持鼻王子権現跡だ。伊勢路にあった数少ない王子の1つですが、津波で2度流され、移転された。

  鵜殿港あたり。
浜街道の終わり



  浜から上がりさらに山側のほうに歩いていきます。ついたところは烏止野神社。うどのと読みます。この後見学する予定の御船祭りに関係の深い地区で、神幸船を引っ張る諸戸船に乗るのは、鵜殿の人々なのだ。


  烏止野神社。
烏止野神社


拝殿



 さらに歩いて、熊野川の河口付近までやってきました。

河口はすぐそこ



 この倉庫みたいな場所が、諸戸船が閉まってある場所です。このレールで川まで運ぶという。

レールで川まで運ぶ

  
 諸戸船というのは、こんな感じの船です。

諸戸船



  もう一か所、速玉大社に関係の深い神社をお参りします。

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由来



 社殿。
社殿


  さあ、いよいよ熊野川を船で下る体験をします。熊野川は、川の参詣道とも呼ばれているのだ。
現在、川船を作れる方はたった1人になってしまったという。少し前から、見習の男性が、修理の方法などを修行中だとか。

  船の乗り場まで行ったら、そこでお昼をいただき、いったん河口まで船に乗って下ります。


  事務所に到着して、目に入ったのが整然と並べられている道具の数々。
船大工さんの道具


  これは修理中の船でしょうか。

修理中の船


  現在御船祭りで使用する船はすべて、ここで作ったものだという。


 並行する道、大吹峠道に戻るため、大観猪垣道を使って平行移動します。 
合流したのち、下って行き、国道で再びバスに乗って、松本峠の登り口の近くまで向かうという。

  2番から登り、今オタオ山への案内板辺りにいるので、そこを緑の道を大吹峠まで向かうことになる。バスは、バス停大吹峠口辺りで待っていてくれる。
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平行移動



 イノシシになった気分で歩きましょう。
大観猪垣道




古い猪垣に沿って歩く





 途中、展望台があり、そこから素晴らしい景色が望めた。七里御浜の先まで見通せる。手前のこんもりしたお山に、鬼ガ城跡がある。
7里御浜の先まで見える


  2時過ぎ、松本峠を案内してくれるガイドさんとあう。今回初めての女性で、彼女は明日の新宮まで付き合ってくれます。

  彼女と一緒に松本峠の入り口まで移動。松本峠は、熊野市にあり、街からも比較的近いので人気の峠道です。そしてこの峠を越えれば新宮までは、もう峠はない。

  峠登り口。

松本峠登り口



人気の峠です


  
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  石畳の側面が見事な石垣で固められている。
美しいカーブ



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 途中から石畳は、明治時代のものに変わる。明治元年、木本と古泊の漁師が鮪の水揚げに関する騒動を起こし、代官所が、罰として漁師たちに築かせたものだという。
  石も薄く、形が整っている。


明治期の石畳と根っこ


  峠です。

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 峠には、お地蔵さまがおられます。足元の白い石は、神社の象徴で、神仏習合を現しているとか。

松本峠135m


  でもこの大きなお地蔵さまは、建てられたその日に、鉄砲で撃たれてしまい、穴が開いてしまったという。
立ったその日に鉄砲で傷つけられた



 さて、日が沈まないうちにここから鬼ガ城を目指します。鬼ガ城も古道の一部に認定されていて世界遺産なのだ。本来1周できるのだが、今日は波が荒くて、半分ほどしか進めません。


 展望台からは、大泊湾や七里御浜が望め、巡礼者は、浜街道の先にある熊野速玉大社に思いをはせたであろう。
大泊湾


 砂利浜は、25㎞も続くという。

七里御浜



 鬼ガ城跡までやってきました。
鬼が城跡


  このがけ下には、たくさんの桜が植わっていたのですが、今年の8月の台風で、かなりの木が根こそぎ倒れてしまっていた。この辺りの地形は、岩山なので、根っこを張れないのだ。



 千畳敷へ
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 海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩が作り出した奇形だそうです。
ここも世界遺産



 
波が荒くて半分しか通れなかった


 だんだん暗くなってきた。

日が落ちる



 沖に浮かぶ島は、坂上田村麻呂がここから矢を放って、鬼と恐れられていた海賊たが丸を成敗したという伝説の魔見ヶ島です。
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 盛りだくさんだった一日もこれでおしまい。ホテルに戻ります。旅も、明日がゴールとなる。
 
  


   雨は朝方まで降っていたが、ホテルを出発するころには、青空に変わった。

 目の前の電線で、トンビが羽を乾かしていました。


トンビの羽根乾かし



  今日最初に歩く道は、勾配はないものの、とても滑りやすい道だというので、昨日に引き続き麻縄を巻いての出発となりました。道も苔もまだまだ濡れているのだ。

  
今日も麻縄




  この石畳は、伊勢路の中では最も古い鎌倉時代の道。
1つ1つの石が大きくて、重そうだ。

鎌倉時代の石畳




 波田須の道案内標識。

波田須の道標


 さっと歩いて、海が見えるおたけ茶屋跡までやってきた。ここからは、海を見ながら下ってゆきます。古道とは関係ないけれど、この辺りは、徐福伝説で有名なので、徐福の宮にちょっと立ち寄りました。

  古代不老不死の薬を求めて中国からやってきた徐福は、高度な文明を里の人に伝えたといい、里人は、ずっと信仰を続けている。


徐福の宮


  これは徐福の墓。

徐福の墓



  祠の背後には大きなご神木がある。

ご神木



  お参りをした後は、しばらく紀勢線の線路を見ながら歩き、国道311号線に合流。そのまま少し歩き、大吹峠に向かった。

  大吹峠道標
大吹峠登り口



 この峠道は、里人の生活の様子の跡が残っている道で、江戸時代に築かれたという猪垣もみられる。
  
里の雰囲気がある



  
猪垣が続く



  峠は、205m、少し休んで下ってゆきます。待っていたバスに乗って、観音道の登り口のある大泊まで移動。

  観音道を歩きます。
観音堂登り口



 
観音道説明


  観音道は、大吹峠とほぼ平行した道で、観音信仰が盛んだったころは、大吹峠を通らずに、道の傍らに西国33か所の観音石像が立ち並ぶ、この観音道がよく使われたという。

  かつて、観音様の命日には、おはぎやお寿司などので店も出るほどのにぎわいだったと聞いた。


 入り口のところには、33か所石像の第5番から15番が並んで我々を送ってくれます。
第5番から15番が並んでいる



 石畳の苔道です。
ひたすら上る



 ふくろう岩と名付けられた大岩と観音様。

ふくろういわと石仏



 28番と読めます。
28番




 観音様は変身できるので、千手観音や十一面観音など石仏がみられる。

西国33番の観音様たち



  この石像は、西国33か所の結びの寺、谷汲山華厳寺の観音像だ。となりには、祠におさめられた自然石の馬頭観音。
華厳寺の観音像



自然石の馬頭観音



  もうひと頑張りで、ゴールの比音山清水寺後に到着です。
もう少し上る (1)



泊観音説明




  
   泊観音

泊観音地蔵



  千手観音像と岩を利用した祠。
千手観音と岩の祠



  我々も、ここでお参りし、お昼ご飯を頂きました。


  


 天気予報では、今日の午後から雨になるとのこと。

 こんなにきれいな朝焼けだったので、降るかも・・・。夕焼けは晴れ、朝焼けは雨って言いますもんね。 

  漁港に向かう道

朝の尾鷲の町



  漁港の横から海を見る。

朝焼けかなあ



  今日はなんと、7時15分出発です。雨が本格的に降る前に下山出来たらいいなということかな。


  八鬼山超えは、伊勢路ルートの中では最難関の峠超えである。距離も長く、標高差も大きい。西国一の難所といわれ、その昔、山賊や狼が出没して、巡礼者を苦しめた。

  天気が良ければ、絶景が望めるというが、今日は雨が降らないことを祈るのみです。


  ここから出発です。
八鬼山超え



 これは、巡礼供養碑といい、行倒れた巡礼者を地元の人々が手厚く葬ったものだという。とはいっても、お金の持ち合わせのない巡礼者は、こうはいきません。碑を建ててもらえたのは。それなりのお金を持って旅していた人達だという。

  巡礼者の身元が分かるものには、彼らの家族に知らせるなど、後始末もちゃんと行ってくれます。

行き倒れの人の供養





 この石仏は、清順上人供養碑です。
清順上人供養碑


 
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 八鬼山も急な石畳の道である。
登りが続きます



 道のわきには、石仏がいくつも置かれていて、町石と呼ばれている。たいがいは、長年の風雨で、輪郭があまりはっきりしなくなってしまっている。
町石


石仏の町石



  人があまり通らないせいか、苔がはがれていない。
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  巨岩がごろごろしているのも特徴で、流紋岩というらしい。表面がどんどんはがれていって、最終的には丸くなってしまう。

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  これも、巡礼者供養碑。
これも供養碑




 町石。蓮華座の部分はきれいに残っていました。

顔が削れている



 この町石は、目をつぶってベロを出しているように見える。
ベロを出している


 
  雨がぽつぽつとあたるようになってきた。そろそろ、合羽を着なくてはいけない感じになってきた。
天気が怪しくなってきた



 この石仏は、38丁という文字がみられる。
38丁と読める



 巨大な石、蓮華石。


巨岩がいっぱい





  大雨になれば、一気に水が駆け下ってくるのだろう。
八鬼山はなかなかです




 荒神堂までやってきました。西国33所第一番札所の前札所として、かつては多くの巡礼者が訪れたという。堂は、最近新しく建て替えられた。


荒神堂



  ここでいったん止んでいた雨は、本格的に降り始め、雨の中を歩くこととなってしまった。幸い、大振りにはなってはいない。

  なぜか、3石仏が固まっています。

3体重なって




  峠に到着。
647m、峠です



  お弁当を食べるために、少し下って桜の森広場まで向かう。ここには、あずま屋があるので、雨をしのげるのだが、いつもなら、志摩半島から那智山まで望めるという絶景は、分厚い靄と雲の中でした。

  そそくさと、お昼をいただき、ガイドさんの横笛の尾鷲節を聞かせてもらったのち、ゆっくりと降りていきます。

  苔道は、滑るので、麻縄を靴に巻き付ける。こうすると、滑り止めの効果抜群になるのだ。

  写真を撮る余裕もなく、ひたすら歩く。


  三木里海水浴場で、バスと合流。ガイド氏とはここでお別れです。


  我々は、バスにて熊野古道センターに向かった。総ヒノキの素晴らしい建物ですが、人気はあまりないらしい。

  ここで、伊勢路のハイライトをビデオで見せてもらう。
ヒノキの熊野古道センター



  そして、隣接する、夢古道尾鷲で、海洋深層水を使用しているというお風呂に入り、ホテルに戻ってきた。

  時間は、19時。部屋の中に濡れたものを広げ、エアコンを暖房にしてから食事に向かった。リュックも靴もすべて濡れてしまっている。

  帰ってくるまでには乾いているといいな。


  尾鷲のおいしい魚を食べさせてくれる居酒屋さん。昨日は、今季初めてのサンマに舌鼓。今日は、解禁になったばかりの伊勢海老でした。

  
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  本当に、伊勢の国は、お魚がおいしいです。

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