好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 千葉県


 11月2日からのアラビア半島の旅の集合が夜だったので、早朝の飛行機で成田にやって来て、
千葉県市原市へ行って来ました。

 目的は、小湊鉄道に乗ること。

 成田線で千葉まで行き、内房線に乗り換え1時間半ちょっとで五井駅に到着。
市原という駅はないのだ。

 知識も何もないので、駅前の小さな観光案内所に向かいます。
暇を持て余していたのか、とても丁寧に対応してもらえてパンフレットを見ながら、行き先を決める。


 まずは、小湊鉄道に乗る。終点まで行くのは時間もかかるので、トロッコ列車の出発点になっている上総牛久まで向かい、そこから引き返し、国分寺の最寄り駅で下車。

 最寄り駅といっても歩いて、2㎞近く有った気がする。

 国分寺からさらに歩いて、全国でも最大級の規模を誇っていたという国分尼寺に向かい、その後はバスで駅まで戻ってくることにした。

 小湊鉄道の乗り場は、構内にあるので、改札口でそのことを話し入れてもらう。

 列車は、もうホームに入っているというので、さっそく行ってみる。
上総中野駅まで18の駅が有り、駅舎が登録有形文化財の指定を受けているものもたくさんある。

 全線乗ると片道1時間半ほどかかる。今からだと12時10分発のしかないので、写真をたくさん撮った。

 キハ205というのだそうだ。

 
イメージ 1


2両編成、ワンマンではない。
 内部は、面白い造りになっていて、真ん中あたりに仕切り柱みたいなものが飛び出ている。
 天井には、普通の家庭みたいなクーラーが取り付けてある。

 
イメージ 2

 
 

 沢山の電車が止まっていました。

イメージ 3

 
 
イメージ 4


 
イメージ 5


 上総牛久駅では、トロッコ列車が止まっていた。今日は貸し切りだそうです。 
 
 五井に引き返す電車は、20分ほど後なので、駅の外に出てみる。
うん何もない・・・。

 
イメージ 6


 結局ホームで、 トロッコ列車を見送ることにする。

 
イメージ 7


 展望車になっている。

 
イメージ 8


 トロッコ列車の3分後に、私も五井行きの電車に乗りこみ、上総村上で途中下車をした。
案内も何もないので、いただいたパンフレットとスマホが頼りだ。

 ようやくたどり着いた国分寺跡はこんな感じでした。
正式名称は、金光明四天王護国之寺という。
 
イメージ 9


 
イメージ 10


 ここはかなり当時は大きな国分寺だったそうで、7重の塔が有ったという。
もちろん今は何も残っていないが、礎石があった。

 少々盛り上がっています。高さ60mを超える超高層の建物だった。講堂・金堂等の遺構も見つかってます。

 
イメージ 11


 15世紀くらいまで存在は確認されているようです。

 奥に入ると薬師寺と将門の塔が有りました。

 
イメージ 12


 1372年の建立とある将門の塔。

イメージ 13


 ここからすぐの所に市役所が有り、背後の公園を抜けてしばらく歩くと国分尼寺跡に行ける。

 国分尼寺とは、聖武天皇により全国に建立された国立の寺院で、尼寺である。先ほど見てきた国分寺が僧寺にあたり、741年同時に建立の詔が発せられた。

 正式名称は、法華滅罪之寺という。

 発掘の結果、伽藍だけでなく寺を構成するいくつもの施設が見つかっていて、地域は南北372m、東西275m、面積約123000平方メートルで、規模の判っている尼寺の中でも最大級のものだった。

 伽藍だけでも、南北200m、東西170mの規模が有り、判明している建造物は、金堂・講堂・鐘楼・経楼・回廊・門などと、中門・東西の門・北門・工房などがあり、回廊の一部と、中門が復元されていました。

 隣接して展示館が有りどちらも無料で見学できます。

 展示館のジオラマを見ると全体像がつかめます。


イメージ 14

 

 回廊と中門

イメージ 15


 中に入ると

イメージ 16


 金堂跡は発掘されたが、建物は復元されてません。

イメージ 17


 想像もしていなかった大きさにびっくりし、ほとんどだれもいない贅沢を味わえた旅でした。

 帰りも千葉経由で成田に戻り、ラウンジで少し休み、ゆっくりと集合場所に向かうことができました。

 
 


 カンカン照りの中、犬吠埼まで歩きます。

 時々ひんやりとした風が吹いてくれるのがうれしい。

 暑くてたまらずカキ氷を食べたお土産屋さんも、駅舎も冷房設備がなかったのは、例年なら風が通り抜けて涼しいからだろう。

 高浜虚子の句碑が立っている辺りから、海岸線を望みながら歩いてゆく。

 遊歩道が有るので降りてみた。

 
イメージ 1


 チバニアンだけではなくて、どうやら千葉県は、地層学的にいろいろ貴重な所があるようで、犬吠埼も国の天然記念物に指定されていた。
 
 
イメージ 2


 
イメージ 3


イメージ 4


 塩ができていました。

イメージ 5


 
イメージ 6


 灯台が見えて来た。

イメージ 7


 
イメージ 8


 階段を登って、岬の上へ・・・・。暑い・・・。

 犬吠埼灯台。内部が見学できる灯台は案外少ない。

 
イメージ 9


 95段だったか階段を登っていく。こうなったらもうのぼるしかありません。

 初点灯が明治7年、1874年とあるから144年も海を照らし続けていることになる。

 
イメージ 10


 登ったところで、外周をぐるりと1週できるようになっている。ここは風が吹き抜けて涼しいわあ!

 しばらく休憩です。

 
イメージ 11


 
イメージ 12


 資料室が有り、巨大なレンズが展示してあった。

イメージ 13

 横から見たところ。

イメージ 14


 登録文化財に指定されている霧笛室も見学できます。今は使われていませんが、音を聞くことができます。低いうなるような音が響き渡る。

 
イメージ 15

 これが装置なのですが、理屈がわからない。
 
イメージ 16


 
イメージ 17


 このレンズは、最初に取り付けられていたものだという。

イメージ 18



イメージ 19


 灯台の前には、白いポストが設置されていた。

イメージ 20


 12時を回っているが、ご飯より冷たいものが欲しい!


 ホテルのシャトルバスで空港まで行き、スーツケースを送る。
身軽になって、7時57分の電車で成田へ向かい、成田線へ乗り換え銚子へ向かう。

 各駅停車なので1時間20分ほどかかる。前回佐原へ行くときにも利用した電車である。
佐原駅でほとんどの人が降りてしまった。

 銚子駅は、ターミナル駅で総武線と成田線が乗り入れているこじんまりとした駅でした。

 目的の銚子電鉄は、到着したホームの先に有り模型のような駅舎が立っていた。
切符は社内で購入する。

 
イメージ 1

 
 ホームの時計。

イメージ 2


 電車。2両編成です。一応クーラーはあるが、ほとんど効かない。

イメージ 3

 
 銚子電鉄は、千葉県最東端の銚子市を走る、全長6.4kmという小さな私鉄である。
過疎化による人口減少により、年々乗降客は減り続けいつ廃線になるかというところまで追い込まれてしまった。
 それに追い打ちをかけるように、平成18年、当時の社長の横領が発覚し、とうに打ち切られていた行政の補助金もなく、倒産の危機が目の前に迫っていた。

 線路や踏切の改修、車両の法定検査などに6000万以上の費用がかかり、社員の給料さえも全額払えず、通帳残高はわずか200万という、絶望的な状況になっていた。

 それを救ったのが、ぬれせんべいだったのだ。ネットで購入を呼び掛けたところ全国から注文が入り、お金が集まり奇跡が起こった。
 法定検査も改修も無事行うことができ、会社の存続が決まったのだ。


 この話は当時、テレビや新聞で紹介されたので、ご存知の方が多いと思う。

 
 車内で車掌さんから購入した一日乗車券。

 
イメージ 4


  まずは、終点の外川駅まで行ってみましょう。

 駅名は、本来の駅名の他にユニークな名前がついていました。

 例えば、笠上黒生(かさがみくろはえ)は、髪毛黒生に、本銚子(本銚子)は、上り調子、本調子といったぐあいだ。

イメージ 5

 
 終点の外川は、

イメージ 6


 外川駅の駅舎。レトロだ。

イメージ 7


 時刻表も古い。

イメージ 8


 今はもう使われていない列車が公開されていた。NHKの朝の連ドラの舞台になったことも有るようです。

イメージ 9


 帰りは、犬吠で降ります。ここから灯台までは、徒歩で10分もかからない。

 ホーム

イメージ 10


 駅舎は、一寸外国の雰囲気がする。

イメージ 11

 駅内には、売店が有り、ぬれせんべいを私も買いました。
 
イメージ 12


 改札口付近

イメージ 13


 駅の2階が、ギャラリーになっていてジオラマが有るというので150円の入場料を払い行ってみたが、冷房が黄がなく汗が噴き出て来て、長いができず。

 写真も、ピンボケばかりでした。

 
イメージ 14


 犬吠埼に行って、再び電車に乗り込む。銚子まで戻り、銚子の町を少しだけ歩いてみる。他の町よりは涼しいというものの、リュックを背負って歩くのはやはりきつい。

 町の中心の通りには、このマークが目立つ。

イメージ 15


 何だろうと思っていたら説明板が有りました。ちょうしと読むのだ。

イメージ 16


 初めて見た利根川の河口。

 
イメージ 17


 銚子港。

イメージ 18


 古いお店。ひしお屋とある。

イメージ 19


 JRの待合室に飾ってあった大漁旗。

イメージ 20


 総武線周りでも帰れるのだが、やはり大回りになる。
結局成田線周りで、空港へは5時に戻り、ラウンジへ一直線。冷たいビールを飲んでほっとした。

 名古屋はもっと暑くて、39度だったらしい。
 
 明日は犬吠埼を紹介します。
 


 もう少し散策を続ける。

 もとは書店だったお菓子屋さん。

 
イメージ 1


 お蕎麦屋さんと呉服店。右手の蕎麦屋さんは、明治33年の建築とある。

イメージ 2


 こちらはカフェになっていました。氷の季節なんですね。

イメージ 9


 NIPPONIAホテル。
 町全体をホテルとみなして、食事や宿泊を楽しむのがコンセプトらしいです。この暖簾が目印でしょうか。

イメージ 10

 

 酒蔵も2件ほどあり、見学もできるようになっていたが、こちらはパス。

この立派な黒い塀のお宅は、清宮秀堅のお宅で、現在も住んでおられるので外から眺めるだけ。

 
イメージ 3


 利根川の水運で発展した名残の与倉屋大土蔵、屋根が連なっている。壁を電線が伝っている。

イメージ 4


 ここからちょっと町を外れて歩いていくと、山車庫が有った。このような庫はあちこちに点在している。

イメージ 5


 階段がまっすぐ伸びている諏訪神社。数えてみると200は無かった。

 
イメージ 6


 登っても上には、本殿が有るだけで見晴らしも利かず、あっという間に下ってきてしまう。

 次の列車までの時間、両総用水の揚水場まで行ってみることにした。

 10分ほど歩く。

 
イメージ 7


 両総用水とは、利根川流域の水害と九十九里辺の干害を解決するために、故十枝雄三氏と故坂本斉一氏が政府に働きかけ、昭和18年に事業化、国が幹線用水路を、県が支線用水路を建設したものだ。

 全国でも、10指に入る大規模揚水なんですって!

 
イメージ 8


 思っていたより素晴らしかった佐原でした。 


 この日は、土曜日ということも有ったのか、成田からの列車は案外混んでいた。

 乗客のほとんどは、私と同じ佐原で下車したようだ。

 重要建造物群保存地区らしく、駅舎も落ち着いた感じだ。

 
イメージ 1


 駅前から周遊バスが出ており、1日フリー切符を500円で買う。

 小野川沿いだけを歩くのなら、バスは必要ないのだが、香取神宮まで行こうとすると少々距離が有るのだ。

 香取神宮は、1700年、徳川幕府により造営された。

 
イメージ 2


 表参道を行き、総門、楼門をくぐる。
緑が目にしみる。

 
イメージ 3


 楼門。17000年造営とある。

イメージ 4


 拝殿前には、茅の輪が置かれている。

イメージ 5


 本殿。黒漆を基調としている。

イメージ 6


 バスに乗って、町まで戻り山車会館で下車。
佐原の山車の特徴は、最上部に大人形と言われる飾り物が据えられていることだ。
 ユネスコの無形文化遺産に指定されているとの事。

 東海地方も、山車の盛んな地域なのだが、関東もあちこちで山車祭りが行われているようだ。

 祭りは年に2回、秋と夏に行われる。
この鯉も飾り物の1つだ。
 
イメージ 7


 
イメージ 8


 ここからは歩いて回ります。小野川沿いに江戸後期から明治にかけての建物が残っていて、そよぐ柳とともに情緒が感じられる。
 
 これは、旧三菱銀行の建物です。

イメージ 9


 明治25年頃の建築の中村屋乾物店さん。

イメージ 10


 植田屋荒物店さん。空き家になっておらず、現役なのがいいよね。

イメージ 11


 白壁が美しい旧油惣。

イメージ 12


暖簾をくぐって、時代劇の主人公が現れそうだ。

イメージ 13


 小野川、利根川との境に水門が有る。

 
イメージ 14


 観光船も有る。

イメージ 15


 川沿いには、様々なオブジェがいくつも並んでいて、楽しませてくれる。ちょっと不気味なウサギ。

イメージ 16


 タイルがモダン。江戸紫というのかしら・・・。

イメージ 17


 柳が、水面に届きそうだ。

イメージ 18


 忠敬橋のたもとにあるのは、中村屋商店。ホテルとして使われているようです。

イメージ 19


 満席で入れなかったけれど、レストランへの小道。

イメージ 20


 佐原は、伊能忠敬が婿入りしたところで、その旧宅が残っており、店舗・炊事場・書院・土蔵が国の史跡に指定されている。
 通りに面した部分が店舗だ。佐原は、利根川水運の中継地として大いに栄えたようです。

 
イメージ 21


 書院など

イメージ 22


 ここで一休み。


 南極ツアーの集合時間まで、5時間ほどあったので、今回もその空いた時間を利用して、成田山へ行って来ました。

 成田山へは、以前にやはり空き時間を利用して行ったことが有るのだが、今回は10年以上経っての再訪となった。

 まだ1月の内だったので、沢山の人がお参りに訪ねておられた。


 参道も、綺麗になり、ずいぶん雰囲気が違うなあと思ったが、お寺が近づくにつれて鰻屋さんの立ち並ぶ以前と変わらぬ風景が残っていた。


 
イメージ 1


 綺麗になった通りには、コンクリート製の干支が並んでいるのだが、中でも目についたのがこのウサギ。どなたかが大きな耳が冷たくないようにとつけてあげたんだろうか・・・・。


イメージ 2


 懐かしい感じの参道。

イメージ 3


 沢山の人々が集まってきていました。

 山門をくぐると、縁起物の飾りを売るお店が出ていた。

 
イメージ 4


 本堂。本尊は、不動明王だ。楽しい旅になるようにお祈りをした。


イメージ 5


 脇にあるのが三重塔。1712年創建の重要文化財の建物だ。

イメージ 6


 前回は奥の院まで行けなかったので、今回は足を延ばしてみました。

 やはり、重要文化財の額堂。

 
イメージ 7


 
イメージ 8


 近くにあるのが、1701年創建の光明堂で、大日如来・不動明王・愛染明王が安置されている。建物の背後には、奥の院の洞窟が有り、毎年祇園会に開帳されるらしい。

 
イメージ 9


 さらに進んでくと、平和の大塔がある。1階には様々な寺に関係した品物が展示されていて、興味深かった。
さらに階段を進むと、本尊などが安置されている場所にいける。

 
イメージ 10


 本堂に向かって左手にあるのが本来の本堂だった釈迦堂で、建物周りが見事な木彫で囲まれている。それらを鑑賞しながらぐるっと一周する。

 
イメージ 11


 五百羅漢
 
イメージ 12


 
イメージ 13


  釈迦堂の前には、1対のお大きな灯籠が有る。

イメージ 14


 近くには、出世稲荷も有るので、帰りはそちらの道を通って駅に向かう。

 時計を見ると、ちょうどいい時間になったので空港まで戻ります。


 大手門跡

イメージ 1


 自然の地形を生かした丘の上に造られており、空堀、土塁、水堀が残っている。

イメージ 2


 空堀跡

イメージ 3


 本丸は土塁に囲まれていて、その奥まった一段高いところに天守があった。

 一ノ門

イメージ 4


 
イメージ 5



イメージ 6


 これは、銅櫓というらしい。江戸城から移築し、太田道灌が作ったという説も・・・。

イメージ 7


イメージ 8


 佐倉には、関東地方では最大級の武家屋敷群が残っているというので、そちらにも行ってみることにする。

 ひよどり坂と名付けられた小路を通って行く。

イメージ 9


 屋敷は、道路に面する部分を正面として、門を設け、土塁と生け垣を築ずき、その奥に玄関や庭を設けた。


イメージ 10


 武家屋敷は、材料規模と共に最小限で造られているという。これは、造作が藩によって行われたためらしい。
規模は、大中小屋敷に別れており、職務や俸禄に見合った住宅に住んでおり、身分の変化によって転居することが多くみられたという。

イメージ 11

 
 廃藩置県以降、武家屋敷は、そのまま軍人屋敷として転用された。

 3件ほどが公開されているので、入ってみました。

 屋敷裏には、菜園や井戸があり、境には、境界木が植えられ、背後の斜面は竹やぶになっている。

イメージ 12


 大屋敷と思われる旧河原家住宅。

イメージ 13


イメージ 14


 続いて、中屋敷規模の旧但馬家。

イメージ 15



イメージ 16

 
 
イメージ 17


イメージ 18


 武居家住宅は、幕末に居住していた田島伝左衛門は90石扶持でした。

イメージ 19


 帰りは、京成ではなくてJRで成田に向かいます。


 西アフリカ諸国へのツアーの集合時間まで、かなり時間があったので、電車で佐倉へ行って来ました。

 佐倉からは、川村記念美術館に行けるのだが、そちらはもう何年か前に行ったことが有るので、今回は市内を歩いてみることにした。

 でも天気の回復は遅く、なかなか雨が上がらず・・・・。

 駅前の、観光案内所でもらった地図を片手に雨の中30分ほど歩いて、ようやく最初の目的地である「佐倉順天堂記念館」に到着した。

 名前でもわかるように東京の「順天堂病院」は、ここの創設者の2代目が開いたものだ。

 
イメージ 1



イメージ 2


 この日は、ボランティアの方がいらして、たった1人の為だけに館内を案内説明してくれました。

 創設者の佐藤泰然は、天然痘の予防に努め、いち早く安全な牛痘法を導入している。

 膀胱穿刺、帝王切開、卵巣水腫回復、乳がん摘出など、この時代の最高水準の外科手術が行われたとある。全国的に華岡流の麻酔手術が主流になっていたが、泰然は、これに疑問を持ちあえて無麻酔で手術を行っていたという。

 壁に掲げられた手術の絵には、何人もの男性が患者の体をおさえつけている様子が描かれていた。

 手術道具は、まるで大工さんの道具の様で武骨で、こんな器具で繊細な手術を行っていたことに感心してしまう。

 講義は、原書を用いて行われ、完全な辞書もない時代、大変な労力が必要だったと思う。

 面白かったのは、治療費が事細かく記されていたことだ。病名や入院の長さ、傷の長さで治療費が代わり、また手術で亡くなった場合のことなどもちゃんと了承が得られていたようだ。

 現在でも、通りを挟んで順天堂病院があります。

 雨もずいぶん小止みになってきたが、寒い。

 蘭学通りと名前の付いた通りを歩いていくと、有力商家だった三谷家住宅がある。佐倉の伝統的な商家の造りらしい。

 

イメージ 3


 さらに進んでいくと、佐倉藩最後の殿様だった堀田正倫のすまいがその庭とともに公開されていた。

イメージ 5


 明治23年の竣工、木造平屋建て、一部2階建ての5棟で構成されている。現存する明治期の旧大名の邸宅として。国の重要文化財に指定されている。

 旧堀田邸の主屋は、玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・台所棟・湯殿から成り立っているが、台所棟は解体され、書斎棟と居間棟の2階部分は非公開になっている。

 玄関は現在3か所、トイレは部屋の床の間の後ろごとにあり、壁土や釘隠しは、場所ごとに使い分けられている。

 藩主だった、正倫は、明治4年廃藩置県により東京に出向き、華族となったが、明治20年に移住が許されると旧領地の佐倉に戻り、農業・教育の振興に尽くした。敷地内に、農業試験場や鶏舎、果樹園などを設け、その面積は3万坪ほどあったというが、現在は庭園をふくめ3分の1ほど。

 玄関、蟇股と破風造りになっている。

 
イメージ 4


 玄関棟の廊下、内側には畳廊下がある。廊下のさきは、湯殿に通じている。

イメージ 6


 廊下と向き合うようにあるのが座敷棟で、客が滞在する部屋になっている。

イメージ 7


 唐紙も豪華です。

イメージ 8


座敷から庭を見ると、

イメージ 9


 続いて居間棟。女中さんたちの詰所や寝室が有る。

イメージ 10


 建具は更紗などの布が用いられています。

イメージ 11


 居間の前の庭、左手に斜めの廊下が伸びていて、書斎棟に続く。

イメージ 12



イメージ 13


 ようやく雨も止んだのだが、寒くてたまらない。通りのお蕎麦屋さんに飛び込み、カレー南蛮をいただきました。
 私の印象では、やたらと蕎麦屋さんが多い気がした。

 市立美術館は、旧川崎銀行の建物を利用している。

 
イメージ 14


 雨も止んだし、100名城の佐倉城址にも行ってみようかな・・・。

 
 

このページのトップヘ