好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東北6県 > 福島県相馬野馬追に行ってきました


 兜こそ脱いでいるものの、甲冑を身に着けなおかつ旗指物を掲げて、競馬をするのは慣れていないととてもできないことだと思う。

 プロのジョッキーでもない一般の方々が、大坪流という手綱さばきのもと、疾走していく姿はとてもかっこいい。

  第4コーナーのあたりから、スタートして、正面の審判席のあたりがゴールのようです。

甲冑競馬の始まり


  1走目、2走目と落馬が続きました。騎手が落馬しても馬はそのまま走り続け、無事ゴール。

  2走目はかなり激しくて、馬は一回転したものの、すくっと立ち上がり何事もなかったように歩いている。柔道の受け身みたいな感じなのだろうか?

  出発直後から、大きく膨れていたので危ないなあと思っていたのだが、
落馬がありました


  少し中断されたものの、再開。


レースは続行



 走り終わったのちには、審判席の前に向かい、順序を確認。勝者には、何かが渡されます。(遠くてわからなかった)
  勝ったものは、そのまま観客にアピールをしながら、坂道を登ってゆく。
審判席、順位を確認する



レースが終わるとここを駆け上がっていく


  女性の乗りても出走されたようですが遠くからでは見分けることができません。

  
第4コーナー


 口に何か加えていますよね。

口に何かを加えている



  そして1時から始まったのが神旗争奪戦。
明治4年、廃藩置県により中村藩が消滅、相馬家も藩主ではなくなり、相馬家主催の武家行事として継続してきた野馬追も、消滅の危機を迎えたが、翌5年には、太田神社の神事として再生し、1878年から正式に太田、中村、小高の三社合同祭礼として行われるようになり、江戸時代には見られなかった神輿の行列も始まった。

  また、1872年11月、野馬追原の放牧されていた野馬を農作業などに活用させるという明治政府の方針で、野馬追は実施困難になった。
  はじめのうちは、飼育馬を追うなど様々な競技が行われていたが、明治初期に生まれた新競技「神旗争奪戦」に統一された。

  雲雀ヶ原に広がった騎馬武者達は、打ち上げられた花火がさく裂し、中からゆっくりと舞い降りて来る、青と黄色の2本のご神旗を目指して駆け出す。
神旗争奪戦 (1)



神旗争奪戦 (2)


  うまく神旗を奪い取ったものは、それを掲げながら坂道を駆け上って本陣目指す。
旗を獲ったもの




 同じように、2時半ころまで、何度も花火は上がる。
旗めがけて集まってくる


  以前テレビで見たころと比べると馬の数が少なくなっている気がしたのはコロナの影響もあるのだろうか?

DSC08255


  母衣を身にまとった上位の武者が本陣を後にして降りて来る。
途中で、大将たちが加わります



 
旗指物


  神輿も降りてきました。
神輿も加わって


  2時近くなると、こちらの体が悲鳴を上げ始めた。暑い。9時半ころから炎天下にいるので、なんだかおかしな気分になって来て、だんだん我慢ができなくなってきたのだ。

  これ以上ここにいるのもつらいので、ゆっくりと退散することにした。

  シャトルバスの方向には、馬の待機所があったので立ち寄ってみました。
出番の終わった馬と少


  扇風機で風を送ってもらう馬。
扇風機を


  触ってもいいというので、お疲れさまでしたとお礼を言う。どのこもとても落ち着いていて、触らせてくれます。

  
ねぎらってもらう馬



 シャトルバスの乗り場は、混んでいましたが、早めに引き上げてきたおかげで、2台ほど見送ったくらいで無事乗車。
  自分たちのバスに戻って来て、後ろの席で着替えた。


  こんなに汗をかいたのは、初めてかも。本当に暑かった。花火大会は、一番熱い時間に会場に向かうけれど、時間が過ぎると日が沈むものね。


  でも長年の願いだった祭りを見ることができて良かったです。


 会場へは、シャトルバスでしか行けないので、途中の駐車場で大型バスを降りる。ここから乗り換えて会場近くまで向かいます。帰りもこのシャトルで帰ってこなければならないので、バスの行き先と降車場をしっかり覚えておかねば・・・。 

  シャトルバスを降りて10分ほど緩やかな坂道を登っていくと雲雀ヶ原祭場地に到着。自分達の指定席を確認して、大きな荷物はそこに置き、行列がやってくる県道まで向かった。

  この時点での会場はこんな感じ。
開催前の様子



  馬は地元だけでなく、よそからも借りて来るらしく、馬の搬送車が何台も並んでいた。馬も人も大変である。


  集結した騎馬隊は、午前9時半の法螺貝や太鼓が鳴りひびき、号砲が鳴る9時半、約3㎞先の雲雀ヶ原を目指して出発する。我々は、その会場の近くでやってくる騎馬隊を迎えるのだ。

  暑い中、じっと我慢のこで待ちます。どうしてこんな暑い時期にお祭りをするのだろうと、ぼやきたくなってしまう。

  行列には順番があり、まず、中ノ郷(原町地区)を先頭に小高郷(小高区)、標葉郷(浪江町、双葉町、大熊町)が続き、最後は北郷(鹿島区)、宇田郷(相馬市)と続く。

 先祖伝来の甲冑を身に着けた騎馬武者が、進んでいく様子はともかくかっこよかった。昔は、今より馬の数も多かったそうだが、だんだん減ってきているそうです。

  先頭の騎馬武者。口上を述べているところ。

口上を述べる


 甲冑を着て馬を操る人なんて初めて見るので、それだけでうれしい。それにしても馬って本当に賢い動物だなと思う。人馬一体なんて言葉があるくらいだから、騎乗の人の意思をちゃんと受け止めて行動できるのだろうなあ。
次々とやってきます


  旗指物も様々なものがあり、それを見比べるのも楽しい。
様々な旗指物


 中にはとっても余裕のある馬もいて、止まっている間に道端の草を食べていました。
その辺の草を食べる馬




甲冑に旗指物は初めて見た


  南相馬市は、海に近いので福島市ほどには気温は上がらないものの、この日の最高気温予想は36度。傘をさすこともできず、帽子だけで炎天下にいるのは、見てる方も忍耐を強いられる。

  馬に乗らない人々もいます。
地区ごとに分かれています



  あれだけかっこよく馬に乗るためには、小さなころから馬に親しみ、練習するのだろうたぶん。

 馬の衣装を見ていて一段と豪華なものを身に着けている馬に乗っている武者は、たぶん偉いんだろうね。馬子もついているし。
偉い人の馬は馬子さんがついている


  
たぶん偉い人


  白い衣装を着て、御幣を背負った馬を引いている人も。神社関係の方だろうか?
御幣をしょった馬



  旗指物にも意味があるのだろうが・・・色づいたモミジ。
DSC08198



 母衣をかぶった騎馬武者。なんだかかっこよく見える。
母衣を背負った武士


 動物の姿が描かれている旗指物。何かしら?
面白い絵の旗指物



 傘をさしてもらって騎乗している方。烏帽子もかぶっておられるので、神主さんだろうか?
傘をさしてもらっている


  大勢の人にかつがれて、神輿もやってきた。
神輿



  後ろの武者のがかぶっているものは、動物の毛だろうか?手前の人物は甲冑ではなくて、陣笠に羽織姿だ。
動物の毛の被り物



甲冑ではなくて陣羽織の人も



 少年が乗っていて、拍手を送られていた。
少年も



  馬たちは、パドックに向かい休んだり水を飲んだりする。
パドックへ戻る


  先に進んできたのだろう。場内で、のんびりと過ごしている馬も。
草の上でのんびりと



  祭場内の真ん中に道があり、お行列はそこを進んでいく。
続々と入ってくる


  道を抜けると、急な坂道があり、そこを登っていくも騎馬武者もいた。
行列を終えた馬は高台に登っていく



結構な坂でした


  神輿も
神輿も登る


  途中で、この後、甲冑競馬に出る馬とすれ違い。
登る人降りる人


  もうひと踏ん張りです。
陣笠



 この後、12時過ぎには、甲冑競馬が始まるので、今のうちにお昼をいただきました。


 新幹線で福島駅に到着したのは、正午前。そのままバスにて、相馬市の東日本大震災の記録を残す伝承館へ向かった。

 夏の福島は、かなり暑くてびっくり。福島市は、最高気温38度だという。相馬の方は海沿いなので少しは気温が低いそうだが、これでは明日のお祭りは、どうなるのだろうと不安がよぎる。 

  伝承館のある辺りも、津波で持っていかれたが、現在は、きれいに整備がなされていた。

  
  整備された海水浴場
海水浴場 (1)


  背後に見えているあの橋を津波は越えてきたのだという。
津波は橋を越えた



  
震災後整備された


  堤防には、野馬追の描かれていた。
壁に描かれた野馬追 (2)




壁に描かれた野馬追 (1)



 建物内には当時の新聞や津波の被害があった範囲などが記されたものがあったり、当時のビデオが流されていた。


  亡くなった方々の名前が刻られていました。
海水浴場 (2)


  続いて、南相馬市に移動して、博物館に入場した。中には、野馬追の様子が描かれた絵図展が開催されていた。

  野馬追は、3日間にわたって開催され、我々が見るのは2日目の、行列と甲冑競馬、神旗争奪戦である。

  相馬家の祖と言われている「平小次郎将門」は、1000年以上も前に新しい軍事力として馬の活用を考え、下総の国小金ヶ原に野生の馬を放牧し、野馬を敵兵に見立て追い、とらえる軍事訓練として、またとらえた馬を神前に奉じ祭礼として行ったのが始まりといわれています。

  その後、相馬氏は、1323年に、現在の南相馬市に移り住んでからも、代々の相馬家当主が明治維新までこの行事を続けていった。

  現在の形になったのは、明治以降のことだという。


  
南相馬博物館


  神事に使われる道具など。
野馬追の行事で (1)


  ホテルは、福島市内なので、同じ道を引き返し夕食までは自由時間。少し散歩をしてみる。
古関裕而氏の故郷で、NHKの連ドラの舞台になったそうで、街のあちこちに、古関裕而氏関連のものが見られた。

  
東西自由通路で


  
DSC08149


古関裕而ストリートみたいな通り。
古関裕而通り


  メロディボックス。彼の作曲したものの中から好きな曲が聴けるようになっている。
古関裕而メロディーボックス


  福島市の、PRキャラクターのももりんとライバルのブラックももりん。
福島市マスコットキャラクター


 それにしても暑くて、添乗員さんから対策としてペットボトルを凍らせておくといいと聞いたので、コンビニで飲み物を買い、部屋の冷蔵庫で冷やす。

このページのトップヘ