好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 瀬戸内の島々


  目を覚まして外を見るとこんな天気。これは、きれいな景色は期待できないかも・・・。

雨のターミナル



 集合時間は、9時45分だったが、ちょっと早めに行って待合室の2階にある、アニメ「からかい上手の高木さん」とやらの展示物を見る。
  私は全く知らないのだが、町内にやたらとポスターが貼ってあって聖地巡礼とかあるので、のぞいてみたのだが、さっぱりわからなかった。

  
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  時間になり、12人程の客を乗せて出発。島内を5時間45分ほどかけて回ります。

  最初の観光は、銚子渓おさるの国。ここは寒霞渓と並ぶ景勝地らしいが、紅葉にもちょっと早く、曇っているので景色はいまいちでした。
  その中に500匹余りの野生の猿が生息していて、それらを餌付けしている施設のようだ。
さるは、2つの群れに分かれていてうまく共存しているという。

  
おさるの国


 6か月ほどの子ザルと母親。
6か月


 兄弟で、母親の毛づくろい。

兄弟で母の毛づくろい


 銚子の滝も紅葉にはちょっと早かった。

銚子の滝


  次は、有名な寒霞渓。でも真っ白でこんな感じ。下りのロープウェイは、オプションで乗ることもできたが、こんな様子では、きれいな景色は望めそうもないのでパス。

寒霞渓

  
真っ白



霞んでいる



  ここから島を南下して24の瞳の映画村に向かう。映画のオープンセットだったものが観光施設として運営されているようです。映画館やギャラリー、お土産屋さん、食事処やカフェなどもある。

  入り口のところはこんな感じでポスターが
ポスターの壁


  映画で使った岬の分教場のセット。
24の瞳分教場



  中に入れます。小さな椅子に座ってみました。
教室



 海に面しているので、自分だったら授業を聞かないで外ばかり見ているだろうなあと思った。
教室の外



 建物もよくできています。

街並み


看板


瓦屋根



 コスモスの花がきれいでした。花は悪天にも負けません。
コスモス畑


 映画館。無料で見られます。
映画館


 この群像の彫刻は、土庄港の近くにある平和の群像です。大石先生と12人の子供たち。

平和の群像




 同じ道を戻って、佃煮屋さんで下車。島は佃の発祥の地でもあるらしい。
佃煮発祥の碑




 そして最後は、道の駅小豆島オリーブ公園。ここは天気のいい日に来たならば、本当にきれいだろうなあという感じ。


 魔法のほうきに乗っての撮影は人気で、みな手に手にほうきをもってギリシャ風車の周りで撮影にに夢中。ほうきは、無料で借りられます。


 
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 魔女の宅急便のロケセット。

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 他にも、こんなドアも。
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オリーブ畑のどこでもドア


 日本におけるオリーブ栽培発祥の地としても知られていて、1908年アメリカから輸入された苗木が、三重県・鹿児島県・香川県で栽培されたのだが、成功したのは、小豆島のオリーブだけでした。

 現在約2000本のオリーブ畑に囲まれている公園です。
オリーブ畑


 オリーブの実は、熟すと真っ黒になる。
熟した実


 そしてこれが、オリーブ栽培の原木です。私はこれが見たかった。思ったより小さいなあという印象でした。
オリーブの原木


 港に戻ってきたころには雨もちょっと本格的になってきた。

  


 小豆島には、四国88か所霊場巡りと同じように、88か所霊場巡りがある。この西光寺は58番目の霊場である。 


小豆島88か所巡り西光寺



  中に入ると大きなイチョウとその向こうに多宝塔が見えた。

大イチョウと三重塔



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  3重の塔です。

三重塔



  11月だというのに、蚊が襲ってくる。どうなっているのだろう。


  目的のエンジェルロードは、もうすぐのようだ。干潮時に砂浜が現れて、島へ渡れるようになるという。そこを手をつないで歩くと将来結ばれるそうだ。

  私は、1人で来ているし、あまり関係がないようですが・・・・。


  それでも、きれいなものは見てみたい。

  展望台から見たところ。



展望台から見たエンジェルロード


 恋人の聖地とある。1人ですみませんねえ!

恋人の聖地



  渡ってみましょうか。

歩いてみる


  奥の方にも、小さな島が隠れていてそこにもいけそうなので、回り込んでみたのですが、ちょっと無理だった。少し潮が満ちてきていたのかもしれないな。

  まるでツリーのように、願い事を書いた絵馬がぶら下がっていました。

ツリーの飾りのようだ


 港まで戻って来て、チェックインし、改めて港に行ってみる。


 石の絵手紙がたくさんありました。

 
石の絵手紙 (1)


石の絵手紙 (2)



石の絵手紙 (3)


 こちらは、コシノジュンコ氏の作品らしい。フェリーターミナルにあります。

コシノジュンコ作品



 そして、太陽の贈り物という作品。
太陽の贈り物


 オリーブの葉っぱ一枚ごとに、願いが書かれていました。

願い事が書かれている



 もうすぐ、太陽も沈みます。

日が沈む


 夕食は、ホテルにある居酒屋でいただきましたが・・・・。うーん、いまいちでした。


 部屋から見た夜の港。今のところは、晴れているが明日の天気予報は雨ですって!
  
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 本来なら、今月は中東のレバノンへ旅に出るはずだった。
が、イスラエルのパレスチナ攻撃により、レバノンのヒズボラの動きも活発化になってきたためか、旅行が中止になってしまった。 

  とはいえ、そうは簡単に新しい海外の旅先は探せない。というので、有名なのにまだ訪れた事の無かった小豆島へ行ってみることにした。

  とはいえ、車の運転には自信がないし、レンタサイクルで回るには、広すぎるし、1人だとタクシーも高くつくし、ホテル代もばかにならないしなあということで、2日間。
  1日目は、土庄港の辺りをうろうろ、2日目は、観光バスで島内を回ることにした。

  家を9時ころに出て、新幹線・マリンライナーと乗り継いで高松まで行き、高速船で35分、13時35分には土庄港に到着できた。

  港のすぐそばのホテルに荷物を預け、地図をもらって、早速街歩きに出発。小豆島本島は、面積は、約153㎢、周囲約126㎞の我が国では19番目の大きさ。
 人口は、2万人位。土庄町と小豆島町の2つの町がある。近世幕府の直轄地となったのは、他の瀬戸内海の島々同様、水軍利用のためといわれている。

 産業としては、古代から塩が生産されてきたところから醤油・佃煮産業。そうめん・ゴマ油・オリーブ・石材など。町を回ってみるとわかるのだが、確かに石材屋さんが多いことがわかる。大阪城築城の際には島の石が使用された。

 島の形は、動物に例えられるが、では何かと問われると人それぞれにみえるらしい。

 
小豆島の形


 古い家の軒先に「迷路のまち」と看板。
迷路の町

 
 大阪城の築城の時に使った石の残席が結構あちこちに置いてある。
大阪城築城残石


 温室のフレームみたいなものが見えてきた。世界で一番狭い海峡の上にあるようだ。
海峡公園

 
  
  この土渕海峡は、小豆島本島と前島の間を流れる全長2.5㎞の海峡だ。ちゃんと船も通れる。平成8年、世界一狭い海峡としてギネスに認定されている。


土渕海峡、幅9 (3)



土渕海峡、幅9 (2)




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ひなびた雰囲気の迷路の町


 なんとも気になるので、行ってみます。

  レトロな建物だ。
迷路の町の店


  海賊の侵入や戦乱に備えて路地を迷路のように入り組ませたといわれている迷路の町。
そんな場所に、古民家や使われなくなった建物を利用して、妖怪美術館なるものが出現しました。
  小豆島には、遍路や交易によってさまざまな人々が集い語らうにぎやかな場所だったという。全国から人が集まることによって、どこからともなく生まれたのが妖怪にまつわる様々な話。

  現代の小豆島でも全国から妖怪が集まってきているらしい・・・・。


  妖怪美術館1号館。
妖怪美術館1号館



  2号館。
妖怪美術館2号館



  3号館。
妖怪美術館3号館


  バーやお土産屋さんもある受付。ここで入場券を買います。私は、妖怪は好きではないのでパス。

妖怪美術館受付


  バー

妖怪美術館バー



  石を利用したこんなものも。

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石の絵手紙



  石垣がちょっといい路地。

ちょっと素敵な路地



  


 城からも駅からでもタクシーを利用するか、車なら中津万象園は、近いのだが交通機関を利用するには、JRの駅まで行って、讃岐塩屋駅で下車。そこから15分ほど歩くしか手段はない。 

  ものすごく暑いので、誘惑にかられそうになったが、そこは我慢して駅に向かう。

  途中通った商店街は、ちょっと寂しそうでしたが、こんな立派な家が残ってしました。


古民家




  工業地域の中を歩くこと15分ほど、目指す万象園はありましたが、楽しみにしていた絵画館は、展示替えの最中で閉鎖していてがっかり。

  陶器館だけを見て回りました。

陶器館


  現在のイラン・イラク地域を中心とした紀元前2500年くらいから13世紀頃までの彩文土器や陶器・ガラス器などが展示されている。

 
オリエンタルの陶器など (4)



オリエンタルの陶器など (1)


  

  中津万象園は、元禄元年(1688)京極2代目藩主高豊侯により、丸亀藩中津別館として築庭された。
  約15000坪の園内には、たくさんの松が植えられ、庭の中心には、京極家先祖の地である近江の琵琶湖をかたどった八景地を置いてある。
  近江八景になぞらえて、帆・雁・雪・雨・鐘・晴嵐・月・夕映えと名した8つの島を配し。その島々を橋で結んだ秋有識の大名庭園である。敷地内には、陶器館・絵画館の他にうちわミュージアムもあり、うちわの制作過程や展示などを行っている。


  
園内図


 回遊式なので池の周りをぐるっと回れます。

池泉回遊式大名庭園



  雨から雪へ


万象園



  晴嵐を臨む

近江八景をイメージ




 池の向こうに観潮楼の母屋の屋根が見えている。


池



 晴嵐の筆海亭。高くなっているので、腰を掛けて眺めを楽しめるようになっている。


筆海亭




  赤い橋の観月橋。


観月橋




  観潮楼は、江戸時代後期に建てられた茶室で、現存最古の煎茶席といわれているんですって。入母屋作り中2階の高床式で、名前の通り、ここからは潮の満ち引きが見えたという。


観潮楼、江戸時代




  この立派な松は、大傘松(千代の傘松)で、樹齢630年余と言われ、1本の松の枝が直径15mに渡って大きくひろがっている。


直径15m




樹齢600年



  伏見稲荷の鳥居を連想する百本鳥居。
百本鳥居




  水蓮の形をした飛び石が配置されていて水蓮橋と説明書きが・・・おしゃれだね。


水連橋





 再び列車にて、丸亀まで戻り、駅に隣接して建っている「猪熊弦一郎現代美術館」に向かう。設計したのは、谷口吉生氏である。彼の手がけた美術館は、どれもすっきりしていて、コンクリートが背景に溶け込んでいる感じが好きです。

猪熊源一郎現代美術館




 美術館側から見ると、


美術館から丸亀駅を見たところ


  常設展、猪熊弦一郎の作品だけを鑑賞しました。

  
展示室 (2)



  
常設展




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  この日は、金曜日だったせいか、新幹線は案外混んでいて、3人席の端っこしか取ることができませんでした。それも新大阪で埋まってしまった。

  ここのところ、なんだか四国へ渡る機会が多かったのですが、たぶんこれが最後の旅になる気がします。島はまだ訪れるかもしれませんが・・・・。


  



 朝八時半少し前にホテルに荷物を預けて、市役所に向かいマンホールカードをもらい、そのまま、丸亀城に向かった。 

  天守の開城が9時からなので、坂道を登って行けばちょうどいい時間になるだろう。

  大手二の門と天守。一の門と同時に寛文10年(1670)頃の京極氏の時に完成した。高麗門とも呼ぶ。


大手二の門と天守閣



  お濠


内堀




  二の門をくぐると桝形がある。


桝形




 入って目にとまるのが大きな石を使った石垣。切り込みハギといい、城の大事なところに築き、見せる石垣として用いられた。

城の大事なところに築く見せる石垣


 
  大手一の門、太鼓門とも呼ばれ楼上に太鼓を置き、藩士が太鼓を打ち、城下に刻を知らせていた。

大手一ノ門



 門をくぐったところにある石垣などは、打ち込みハギと呼ばれ、丸亀城の大部分がこの積み方である。布積みとも呼ばれる。石を割った跡がみられる。


打ち込みハギ、もしくは布積み


 ここから一気に標高66mの亀山を登っていきます。本丸、二の丸、三の丸、帯曲輪、山下曲輪があり、内堀内が史跡範囲になっている。

 ちょっとした坂で、暑い日だったので、汗が一気に噴き出してくる。


 そそり立つような三の丸の石垣。
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三の丸石垣北側



 扇の勾配と呼ばれている美しい曲線。

たかさ20m以上




  石垣の上、三の丸跡を歩いてみる。本丸、二の丸をめぐる平場になっていました。

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  二の丸長崎櫓跡。
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二の丸長崎櫓跡



 三の丸から見た天守と二の丸の石垣。

三の丸石垣の上から見た天守




 この先に三の丸井戸があるのですが、崩れていけなくなっていました。その石垣の崩れを修理しているところ。


石垣復旧工事



  元の坂道に戻ってさらに登ってゆきます。


二の丸へ




  二の丸には、現在も水が出ているという井戸が残っていた。本丸同様、隅櫓や渡櫓があった。

  そして、本丸。ようやく天守に会えた。


違う角度で




 3層3階の現存木造天守。高さ15m、唐破風や千鳥破風の意匠を凝らしている。四国では、最も古く万治3年(1660)に完成した、日本一小さな現存木造天守だそうです。

高さ約15m、3層3階建て





しゃちほこ



 私もこれで、やっと現存木造天守12城、すべて登城できました!!!!それを目的に回るという旅ではなかったので、結構長い時間がかかってしまいました。


  本丸からの眺め。讃岐富士です。

本丸から見た讃岐富士


  どこかの造船所なのでしょうけれど、船が浮いているように見えました。


宙に浮かんだ船のよう




 入場料は200円でした。
狭いので、柱が目立つ。
  
内部は太い柱だらけ




 3階部分。
3階



  下をのぞく。二の丸の、三の丸、大手一の門、お濠まで見えます。


二の丸、三の丸の石垣を望む




 帰りには、無料の資料館を見学してから、駅に向かう。

  
  丸亀藩の中津別館として築庭された中津万象園に行ってみようと思っています。



 四国と本州が、瀬戸大橋によって結ばれたのは、1988年のことで、岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。 

  鉄道道路併用橋としては、世界一の長さがあり、ギネスにも認定されている。


  橋梁部9368m、高架部を含めると13.1kmの長さがある。


  橋梁は、吊り橋、斜張橋、トラスト橋の3種類を併設しているそうだ。列車に乗っていると、違いはよく分からないが・・・。


  何度も、列車では通っているが、実は、下から見たことも、じっくり見たこともなかった。今回訪れた島々は、橋に割と近い島だったので、毎日じっくりと見ることができた。



 志々島から見た瀬戸大橋。

志々島から見た瀬戸大橋

  

 朝の散歩で、ホテル近くから見えた瀬戸大橋。

ホテルの近くから見た瀬戸大橋



 この日の午後、青空です。真鍋島からの帰り。

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 橋の向こうに黙々と煙のようなものが上っている。あれは何か?


何の煙だろうか


 この日は、わりに、朝からすっきりとした青空でした。でも暑い!

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  朝は、水蒸気のせいか、ぼんやりしていることが多い気がする。

朝の瀬戸大橋



  

  本島の港から見た瀬戸大橋。かなり近い。

本島から見た瀬戸大橋


 予定より、少し早く帰りの船に乗り込んだので、船頭さんが、瀬戸大橋の下をくぐってくれるというではないか。うれしいよう。

 
本島からの帰りの瀬戸大橋 (3)


本島からの帰りの瀬戸大橋 (2)


 だんだん近づいていきます。

瀬戸大橋



 橋の上の車が見える。荷台に乗用車を乗せているようだ。

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 列車通らないかなあ。

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 でかい。

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 ループ橋が見える。

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 くぐります。
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  真下に来た。

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  船首を返して戻ります。


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 実は、列車が1回だけ通ったのですが、うまく撮れなかった。残念!


 
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  これにて、丸亀港まで戻ります。船長さん、ありがとうございました。楽しかったです。


 ホテルの展望風呂は、朝の6時から開いています。で、行ってみました。
早いせいか、だれもいません。


 
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 今日は、チャーター船ではなくて、定期船を使って島に渡る。
定期船は、須田港という港から出ているので、バスにて向かいました。


 バスを使ったので、島内の案内はガイドさんがやってくれました。


 須田港も古くからの港のようです。
須田港周辺



須田港の灯篭



  船に揺られること15分くらいで、粟島港に到着。
粟島は、3つの島が潮流により、スクリューのようにくっついて1つの島になったという。人口は、156人程。小中学校はありません。

和えあ島地図






島から見た港



 港からでもとっても目立っている建物が、日本で最初にできた海員養成学校だった建物です。現在は、海洋記念館になっていますが、耐震の問題で中には入れなくなっているとのこと。
海洋記念館遠望 (1)




  島で唯一のお店、竹内商店。
唯一の商店 (1)



  そして名前がなんとも素敵な漂流郵便局。
約50年前の郵便局を使ったアートプロジェクトで、第2回瀬戸内芸術祭を機に誕生しました。誰かに届けたい思いを書いて、ここに送ることができます。


漂流郵便局




 あまり見ることのない茗荷の花が咲いていました。


茗荷の花




  若手芸術家たちが、滞在して制作をする場所、芸術村。もともとは中学校でした。

芸術村





 そして港から見えていた、海洋記念館に到着。


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 明治30年に誕生し、ここから多くの外洋船員が旅立ちました。昭和62年に廃校となった。建物は、大正9年の建築です。


国立粟島海員学校跡




  この真ん中の建物の左右に、教室があったそうですが、現在は左側部分だけが残っています。


この建物の両側に教室があったのだが (1)



 教室。

教室



 艦鍾


鐘



  粟島が今回の訪れる最後の島なので、本土に戻り、お昼をいただきました。そして観音寺市に向かい、当初の予定では、天空の鳥居まで行くことになっていたのだが、先日の大雨で道路が崩れ復旧のめどが立たないとのことで、時間の関係もあり、急遽砂絵の寛永通宝を見に行くことになった。

  観音寺から坂道を上ること10分くらいで、展望台に着いた。木々が伸びていて全体を見ることはできず。

 この銭形を見たものは、お金に不自由しないとか・・。だと嬉しいのですが・・・。
寛永10年、藩主生駒高俊を歓迎するために、一夜にして作られたそうです。

 東西122m、南北90m、周囲345m。


砂絵の寛永通宝



 四国88か所巡りの69番札所である観音寺にちょっと立ち寄りました。


 室町時代の建築物である本堂は、国の重要文化財に指定されています。

観音寺本堂

  

  大師堂
大師堂




  境内には大楠もありました。

大クス




 金剛力士像が鎮座している山門。


山門



 バスは、ここから高松空港に向かうのだが、私は離団して丸亀に戻りもう一泊します。
取り敢えず、観音寺駅前から歩いて、マンホールを探す。



 橋の欄干も、寛永通宝がデザインされている。

観音寺市の橋げた



 その後、列車に乗り、多度津町で下車。ここでもマンホールを探し、役場に行って、マンホールカードをもらった。


 ここ多度津町は、四国鉄道発祥の街です。明治22年5月23日、讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に、丸亀・琴平間の営業を始めたのが始まりです。

 駅前には、蒸気機関車の動輪がモニュメントとして展示されていた。

四国鉄道発祥の地



 線路わきには、かなり状態は悪いが、蒸気機関車も展示されていた。

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 さらに、不可欠な水を貯めておく貯水塔までが残っていましたよ。

給水塔



 そして、丸亀まで戻り、駅に近い場所のホテルの宿泊。明日は、1日かけて、丸亀市内を観光してみようと思っている。




 本島は、今回訪ねた島の中では大きく、保育園や小中学校もあるようでした。人口は、254人。 丸亀から、フェリーで35分ほどかかる。


 泊港に入港して、歩いて国の重要伝統的建築群のある笠島に向かいました。

本島



 木烏(こがらす)神社の鳥居。端っこが上に反り返っています。

木烏神社鳥居

  

  本殿。金毘羅金丸座に携わった塩飽大工が建てたそうです。
本殿


  破風
立派な彫刻の破風


  境内には、芝居小屋もあります。


  
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芝居小屋千歳座



  こんな具合に見物します。
こんな感じで



  中にも入れていただきました。回り舞台のある大きなものです。歌舞伎の興行も行われたことがある。
舞台



 向かいにあった変わった建物は、咸臨丸の乗組員だった水夫の生家で、芸術祭の時にアートになりました。そう、この島と咸臨丸は、とっても縁があるのだ。


芸術祭の作品



 これも作品の1つです。
作品


 瀬戸内海の潮流が複雑に渦巻いて流れるこの海域に、信長・秀吉の時代を経て徳川時代まで、海上輸送の功労として大小28の島々が散らばる1250石を、船方と呼ばれる650人が統治することとなった。
 この船方650人は、「人名」と呼ばれた。「大名」「小名」「人名」である。

 その中から選ばれた3人の「年寄り」が、島の政治をつかさどっていた。その年寄りは、入江四郎左衛門、吉田彦右衛門、宮本家の3人であった。


 そのうちの宮本家のお墓10基が、道路際からも見ることができる。

都市より宮本家の墓


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 その年寄りが交代で勤務した勤番所が、全国で唯一復元されました。


 長屋門

長屋門



 
塩飽勤番所跡


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 中にはご朱印状のレプリカや、咸臨丸に関する資料などが展示されていました。航海術にたけていた水夫と造船技術に優れた船大工からなる、塩飽水軍・塩飽衆は、時の権力者に活用された。
  
  幕末になると、政府は軍艦を操縦する水夫の募集を塩飽に対して求めている。1250石の所領に対する軍役として、塩飽衆は、毎年数十人を乗組員として送り続けた。

  1858年、アメリカに使節団を派遣することとなり、その随行艦に選ばれた咸臨丸に乗り込んだ水夫50人中35人が塩飽衆だったという。


  朱印状を入れた朱印箱をこの石の柩に入れた。
朱印状のレプリカ




朱印箱を収める石箱





  この柩を、収めた建物が朱印庫である。


朱印庫





 勤番所を過ぎて、少し坂道を登っていく。切通しを過ぎると、笠島地区だ。誰も住まなくなった家に、きれいな鏝絵が残されている。

鏝絵

 
  
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  南北に通じている通りが、東小路。

東小路。



  丈夫さを求めて壁が焼き板になっています。
焼杉の壁



  このお宅の前の通りが、マッチョ通り。え?マッチョ?町通りが、変化してマッチョになったそうです。


若冲の掛け軸のある家



  なまこ壁がきれい。

なまこ壁




 奥の方に、丸いポストが見えている。

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 昼下がりの猫といった感じですかね。
 
昼下がりの猫




 我々以外、誰も歩いていない。笠島地区でお会いしたのは、食事をしたお店の2人と、街並み保存センターの係の人だけでした。

誰もいない



 この後、少し早いですが丸亀に戻ります。


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