好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東ヨーロッパの国々 > アルバニア・北マケドニア・コソボ


 コソボの空港に到着し、チェックインを済ませ、ガイド氏と別れた。

 入国も済ませ、ターミナル内で待っていたところ、イスタンブールが大雨のため、機体の到着が遅れるとのアナウンスが入った。

 
 夕食は、機内でと思っていたのだが、急遽簡単な食事をすることに。飲み物は、航空会社が提供してくれたのでサンドウィンチだけ頂きました。


 何度も出発時間の訂正が行われ、最終的には、3時間遅れでの出発となった。

 これによって、イスタンブールでの乗り継ぎ時間がほとんどなくなってしまったのだが、同じ会社の乗り継ぎ便だから、30分くらいは、待ってくれるだろうと期待するも、待っていてくれず、15分ほどの差で乗り継ぐことができなかった。

  乗り継げなかったのは、我々のグループだけではなく、40人くらいいただろうか・・・。

  航空会社の用意してくれたバスで、ホテルに向かうこととなったのだが、これがとんでもなく遠かった。


  真っ暗な中、バスは走り続け、なんとボスポラス海峡を越えてしまったではないか!これには乗客からこんな声が漏れた。
  「ロシアまで連れて行くのか!」

  結局、手配されていたのは、イスタンブールのアジア側のホテルだった。時間は、夜中を超えて早朝5時。我々のフライトは、深夜だからいいものの、午前のフライトの人達は、休む間もなくまたまた空港に向かわなければならない。

  ホテルは、快適でしたし、食事もすべてついていたのだが、夜の22時のホテル出発までの時間をどう過ごすかが問題だ。

  大きなショッピングセンターが隣接しているものの、買い物ばかりしているわけにもいかない。

  結局、昼食が済んだ後、ホテルの車を手配したもらい、ウスキュダル観光をすることとなった。車の手配代を払うことにはなったのだが、こちらの方が絶対楽しい。

  昼食後、高速でウスキュダルの港に向かう。この港は、20年以上前に1人でトルコを旅した際、アジア側の地域から戻ってきたときに使ったことがある。

  ずいぶんさみしい港だった記憶があるが、明るくてにぎやかな雰囲気に変わっていました。


  
ウスキュダルの通り



  ヨーロッパ側。ミナレットが美しい。

ブルーモスクなどが見せる





 観光船が出ています。

ウスキュダル側からの観光船


  ガラタ島。

ガラタ塔




  乙女の塔に上陸できるんですって。行ってみたい。


乙女の塔上陸



  なぜかこんな人も。

何故か泳ぐ人



  バスは、トルコ最大の規模で2019年にできたチャムルジャモスクにやってきた。

  丘の上にあるので、イスタンブールの街を一望できる。支配者になった気がするからここに大統領は建てたのだという声も・・・。


モスクからはイスタンブールが一望できる (2)



 
  ミナレットが鉛筆みたいなオスマン様式。
チャムルジャモスク




2019年オープン


手足を洗う (1)


 メインドームの高さ72m。ミナレットは101.7m。
オスマン様式




  入ります。内部は、ブルーを基調とした色に統一されている。
ブルーが基調 (1)


ブルーが基調 (2)



 絨毯も青色。63000人程収容できるそうです。

絨毯もブルー




青と白のタイル (2)



  ミフラブもブルー。

ミナレットもブルー



  様々なステンドグラスは、幾何学模様と植物。


DSC09678




ステンドグラスは幾何学模様



 上階は、女性の祈り場所になっている。上から見た説教壇。

上から見た説教壇



 2階にあったタイル絵。

DSC09688


  庭にはバラの花。

バラの花



  そして、車は移動し丘の上にある公園へ。巨大な国旗と電波塔。

電波塔と国旗


  こういう建物を見ると、トルコの国力が増大しているとを実感する。

  海が光っています。たくさんの船が浮かんでいる。

海ヒカル



 海峡大橋はかすんで見えた。

海峡大橋が見える



  この後、ホテルに戻り、夕食をいただき、シャワーも浴びて、午後22時改めて空港に向かった。


  0時20分、今度こそ羽田に向けて離陸。ようやく帰れます。

  遅れたけれど、楽しかったな。


 モスクの奥の方、川沿いに、ドアだけがぽつんと立っていました。 


プリズレンの伝統的なドア、200年くらい使われた

  説明によると、200年くらい前の建築物のドアで、プリズレンの文化財らしい。伝統的な工法で作られたドアだというが、あまりにもポツンです。


  パシャモスクに入ります。
パシャモスク



  ミナレットの部分。
ミフラブ


  女性の御祈りの場。

女性用


  絵画は、色彩が豊かで、モスクという感じがしない。植物が生き生きと描かれている。


バラ



植物も


  天井部分。


ドーム





  昼食のレストランに向かいます。途中、クスノキの大木があった。
大楠



 お昼は、マスでした。なんと3回目。海の魚がいいなあ。


  やってきたのは、アルバニア人にとってとても大事な場所です。

  プリズレン同盟がの契約がこの建物で結ばれたのだという。
資料館 (1)


  世界にひろばるアルバニア人が、祖国を守るために広場に集まり決起した。まさにここはアルバニア人の心ともいう場所なのだという。
アルバニア人が集まった場所


  当時の写真

その時の写真





  コソボの最後の見学の地、リュヴィシャ教会へ移動。

  途中、広場には、馬車がいました。

馬車もあった (1)



  リュヴィシャ教会は、「リュヴィシャ生神女教会」といい、世界遺産に登録されているが、全然保存が進んでいないし、公開もされていません。

  我々は、鉄条網の中の建物を外から見ることができるだけ。

  
リュヴィシャ教会


 どうしてこんなことにと思うのだが、コソボ紛争の折、内部が破壊され崩壊の危機があったからだという。

 オスマン帝国の支配下になってからは、交易都市として栄え、住民は主にイスラム教徒のアルバニア人に置き換えられていった。コソボ紛争の時に、そうしたセルビア系とアルバニア系の対立が顕在化し、今も爪痕として残っているのだ。



 そして、16時過ぎに空港へと向かった。


 朝食前に、一歩き。 

これがとまっているホテルです。
宿泊したホテル


 街の中央を流れるルンドルディ川にかかる石橋。15世紀にオスマントルコにより築かれたが、1979年洪水によって流された。その後、1982年に再建されたものだ。

  この橋とモスクの景色は、街を象徴するものになっている。


オスマン時代の石橋




  橋を渡って、新市街の方へ行ってみます。

  ミナレットだけが残っている。

ミナレットだけが残っていた


  ハマム。

ハマム全景


  街には、たくさんの犬がうろうろしていて、どれも大きい。人懐こく危害を加えるような感じはしないが、触るのはやめておこう。

犬が多い



  ここから城へ行けます。

城塞に向かう道


  かなり急な場所もあるが、15分ほどで到着。

 コソボの街が一望できます。


モスクと正教会が見える



コソボ第2の都市


 大砲が置かれていた。

大砲



 城塞はかなり整備されているので、歩いてみます。

城塞



  野外音楽会なども開催されるようです。

整備されている



 裏手の方は山になっている。
背後は山



 いくつか、見張り用なのか攻撃用なのか大小の窓があった。

見張り台か



 下って来て、旧市街の皆が集まる広場シャタルバン広場に行ってみる。夜は、とてもにぎわっていたが、早朝は店も閉まっているし誰もいない。


 この水を飲むと、もう一度ここにやってくることができるという。

この水を飲むと再訪できるという


 広場を横切って、奥に進んでいくと、名物のナッツ屋さんがある。
ナッツ屋さん


 そのナッツ屋さんの向かいにある正教会。
正教会


 中をのぞいてみると、男性ばかりが合唱していました。少し耳を傾ける。

ミサの最中です




 帰りにちょっと変わったものを見ました。ゴミ集めをする馬です。街は狭くて、坂道も多いので、車の入れない場所も馬なら行けますもんね。

狭くて坂が多いので馬がごみの収集


 ここでいったんホテルに戻り、朝食をいただきます。
 

  


 食事が終わり、少しすると細かな雨が降ってきた。 

 レストランの前にも、国の状況がよくわかるこんなものがありました。


アルバニア人っが多いので




  この辺から奥が、木造つくりの家屋が並んでいるエリアです。

木造の街ジャコーバ (1)


  あいにくの雨で、観光客は我々以外いないように思われる。


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  何となく東南アジアの国のような建物だ。
 
職人さんが多い街だという (1)





アーケードっぽい




 雨戸みたい。

雨戸っぽい


  建具もいいなあ。このエリアは、手工芸作品を作る方や、銃の装飾を作る職人さんが多い街として知られているそうです。

  
建具が素敵



  歩いていたら、こんな看板が。この街もコソボ紛争で、大きな被害を被った。当時の様子が写真に残っているのだ。

1999年




 奥の方の建物は、ひょっとしたら被害にあわなくて残ったのかもしれません。かなり、年代が経っているようにみえた。
ずいぶんさびれているところも


 何屋さんなのかな?


何屋さんですかね


 モスクもある。
ミナレットの見える通り



 この辺りは新しく建て直したのでしょう。
この辺は新しく建て替えられてのだろう



 ゆりかごも手作り。きれいだ。

ゆりかご


  すごく目立つ車がありました。

かわいい車


  ポスターも。ネズミ駆除の仕事でしょうか?

ペストコントロールとある

   
  
  大ぶりにならなくてよかったです。バスは、プリズレンを目指して走る。


  プリズレンは、コソボ南部に位置する、古都です。都市の人口は、17万人程だが、周辺の村なども加えると20万人を超えている。


  ホテルは、ルンバルディ川に面した、立地のいい場所にあった。川を挟んで、新旧の街が広がっているようです。


  夕方


夕刻のプリズレン




 夕食は、ホテルではなく外のレストランだつた。帰りに、街を少し散策する。

  映画館。
静か




 モスクの裏には、お土産屋さんが固まっている。

お土産屋さんの通り



 先ほどとは、かなり雰囲気が違って素敵に見える。
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 明日の朝、城塞まで行ってみよう。


 今日は、プリシュティナを離れてコソボ第2の都市、プリズレンに向かいます。
途中、世界遺産に登録されているデチャニ修道院と木造家屋で人気のあるジャコーヴァに立ち寄る予定だ。

 朝、昨日の散策で気になっていたかつてのニュー・ボーンのモニュメントのところまで行ってみる。

 ブッシュさんだと聞いたが、似てないよねえ。
 
DSC09371



  こちらは、オルブライト氏だという。そういわれれば似ているような・・・。こういうものを見ると、コソボの人は、アメリカがホントに好きなのかなあとも思う。

  1999年に、国を訪れている。
オルブライト氏 (1)





 デチャニ修道院は、昨日訪れたグラチャニッツア修道院とは違い、アルバニア人の多い地域にある。そのせいか、ここは、国連やNATOなどによるコソボ治安部隊が、常駐して守っている。

軍によって守られているデチャニ修道院


 ここでは、パスポートを預けさせられました。

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 KFOR、コソボ治安部隊だ。


コソボ治安部隊の車




 入ります。
門


  この修道院は、1327年、セルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキーによって建設が始まったが、完成したのは、その子供ドゥシャン王の時代、1335年だ。

  ロマネスク建築の傑作と言われ、大聖堂には、ビザンチン美術において最大のフレスコ画が残っている。また、中世に建てられたものとしては、バルカン半島最大。

 巡礼者も多く訪れ、セルビア本土からも、バスを仕立ててやってくるという。


 
デチャニ修道院



 
  2色の大理石が使われている。上部、屋根の下あたりには、彫刻も見られる。

外壁の彫刻


  入り口上部には、半円形のタンパン彫刻がみられる。
入り口の上



窓



  ここでは、チーズなどの乳製品や、修道士手作りの品物がお土産として売っていました。ここは男子修道院で、14世紀以来、伝統を守っている。現在は、25人の修道士と修練士が暮らしているそうです。彼らは、聖務の他に、、イコンの制作や農作業などを行います。

  この建物は、修道士の暮らす部分でしょうか。

セルビア正教会


  ロマネスク・ゴシック・ビザンチン建築様式が巧みに取り入れられていて、見るものを飽きさせるということがない。

  入り口の上にある花形装飾の十字架。

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  大聖堂に入って最初に目がいったのがこれ。やられているのは、異教徒の象徴。

やられているのは異教徒


  高さ29mの円蓋がある。

ドーム部分


  大聖堂の内壁に、隙間なく飾られているフレスコ画は、1338年から1348年の間に製作されたものだが、画工の名前はわかっていない。これらの絵画は、14世紀以降全く修復されておらず、素晴らしい状態で奇跡のように残っている。

  
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 正面のイコノスタシス。
ここに後陣がある


 今回は特別に、この中もカーテンを上げて見せてくれました。信者ではない私達が、見せてもらえるのはめったにない事です。

 
後陣部分



カーテンを開けてくれました



 刀を持ったキリストだという。
柱に描かれている



 一部には、金箔が使われた痕跡も見られ、高価なラピスラズリも使われたようです。

イエス



 

隙間なくフレスコ画で埋め尽くされている


 またイコンの数もものすごい。

すごい数のイコン


  偉い人の椅子でしょうか。

偉い人の座る椅子


  もう圧倒されて、「すごーい」しかでてきませんでした。


 目が満腹になったあとは、おなかも満たさなくてはなりません。

 ジャコーバの街に向かう。

  


 モスクを見学する。

 ファティモスク。 


午後のファティモスク (1)



  手足を清めるための洗い場。

手足口を清める




 靴を脱いで中に入ります。今回めんどくさい靴を履いているので、時間がかかる。

 ミフラブのある場所。
モスクの中 (2)


 落ち着いた色合いが素敵だ。
  
  ここは女性の祈りの場所だという。

女性たちの祈り場所


  窓がレースのようだ。
美しい窓




 広い道路に戻り、進んでいく。お土産屋さんが集まっているコーナー。
お土産屋さん


  コソボの国旗

コソボ国旗


  コソボは、面積10908㎢。岐阜県と同じくらいの小さな国だ。人口は、179万人程。プリシュティナには、60万人近くの人が住んでいる。
 民族別にみると、アルバニア人が98%を占めている。

 そのせいか、こんなものも売られていました。
アルバニア国旗の帽子



 2008年のセルビアからの独立を記念して造られたニュー・ボーンモニュメントも、現在は少し様子が違って文字が入れ替えられていました。

 
新しいスローガン



 後ろの建物は、スポーツをするためのものらしい。
NO,NEW,BR

  
  屋台村みたいな場所に出たのだが、どこも開いていません。日本の提灯みたいなものもある。
提灯



 
  マザー・テレサ教会は、ここにある。

マザーテレサ教会


  正面から見ると、

マザーテレサ教会正面



  入ります。
目に入るのはシンプルな祭壇。
祭壇


  テレサの像もあります。

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  入り口の上にはオルガン、ステンドグラスが取り囲んでいる。天井部分は木製。

ステンドグラス



  こちらのステンドグラスには、テレサの言葉が描かれているようです。
テレサの言葉のステンドグラス (1)





  椅子は、大きな頭のワシ。私はアメリカを連想してしまった。

ワシの頭の椅子




 テレサの遺骨がある場所。
ここに遺骨があるという



  塔の上にも登れるというので行ってみました。ものすごく遅いエレベーターで不安になる。

  塔の上からは、街の様子がよく見えた。



  図書館を上から見ると、奥の教会は、使われていません。

上から見た国立図書館




 教会の赤い屋根。隣の通りが屋台通り。
教会の屋根




 高層ビルもある。
高層ビルも


  サッカースタジアムも見えます。
スタジアム



  コソボは若い国で、人口に占める若者の率も多く平均年齢がとても低いそうだ。いろいろなスポーツが人気があるのだろう。


  今日はこれで、おしまい。ホテルに戻る人、ゆっくりする人、お茶など飲む人等‥。


 昨日は、気持ちよく酔っぱらって眠ったせいか、早くに目が覚めてしまった。
連泊なので、荷物を作ることもないし、散歩に出る。 

  早い時間なので、歩いている人には会いません。

  ホテルから10分ちょっと歩いたところにあった小さなモスク。
DSC09214


  横から見ると、木造の建物がくっついている。

木造の建物


  ここの家の屋根も、木造でちょっと変わった作りです。旗があるので、公共の建物かしら?

屋根の形が面白い





 時計台も古そうだが、説明書きは読めません。

時計台


  向かいの建物も、ちょっと素敵。
素敵




 これは小学校かしら?

学校



  いったん戻り、ホテルを通過し反対側に向かう。

  見えてきたのは、不思議な形の建物。国立図書館です。
国立図書館



  大学の敷地内の一角にあるみたいだ。クロアチア人建築家のデザインで、魚の網をイメージして設計されたものだという。
魚の網をモチーフに (1)



  正面に向かって、中をのぞいてみたが、なんだか機能していなさそうである。

クロアチア人建築家による




 9時半、ゆっくりとホテルを出発。今回のツアーは、朝がものすごくゆっくりです。


  向かったのは、セルビア人地区にあるセルビア正教の修道院であるグラチャニッツア修道院。コソボにおける、中世建造物群として世界遺産に登録されている。


  コソボは、2008年にコソボ共和国として独立したばかりの新しい国である。
セルビア人の指導者ステファン・ネマニャは、現在のコソボ地域を中心に支配し、1171年国王としてセルビア王国(1171~1459)を建国。
  故にコソボは、「セルビア発祥の地」と呼ばれるようになった。

  その後、オスマントルコ帝国がバルカン半島に侵入。これに対し、バルカン半島の諸侯軍は、1389年帝国の軍隊とコソボ平原で激突する。
  この戦いで、敵のムラト一世を戦死させたものの、戦いには完敗し、以来5世紀もの間オスマン帝国に支配され続けた。

  以降、コソボは、セルビア人にとってかけがえのない聖地になり「コソボの戦い」は、伝説化されて語り継がれていった。


 17世紀後半から18世紀前半になると、オスマン帝国のアルバニア人の入植が進み、コソボの中でも最も多くの人口を占めるようになる。


 その後、第一次大戦後、ユーゴスラビア王国が成立し、セルビア人政府ができると、非セルビア人勢力との対立が続くようになる。


 第2次大戦後、ユーゴスラビア連邦共和国が成立し、コソボ一帯は、アルバニア人が多数を占めていたことから、自治州の1つとされた。


 しかし、1950年代になると、コソボ独立運動が始まるようになり、アルバニア人の暴動が発生し、セルビア人との対立が深まってしまった。


 激化していく独立運動は、1990年代後半には、国連やEUの調停活動、NATO主体の軍隊が駐留が行われた。


 2008年、独立を宣言したものの、承認していない国もあり、国内での民族の立場は複雑である。


 グラチャニッツア修道院は、セルビア人地区にあるので、セルビア国旗も見られた。


 修道院の門。
グラチャニッツア修道院の門


 1321年、セルビア王によって建てられたビザンチン様式の小さな教会である。特徴としては、ナルテックスという玄関間のあることだ。

グラチャニッツア修道院



セルビア正教



井戸が残っている、



 
ナルテックスという玄関間がよく残っている


 中では洗礼式が行われていて、端っこで参加させていただきました。撮影は、禁止なので内部の写真はありませんが、全面がフレスコ画で覆われています。

 日曜日だったので、洗礼を受ける家族が、次々とやってくる。


 許可を得て撮影させていただきました。
洗礼式を待つ親子



 コソボのナンバープレート
コソボナンバープレート


 この後は、移動して洞窟を見学する予定でしたが、中で電線が断線、水が溜まっており、感電の恐れがあるということで閉鎖、急遽、またまた遺跡に向かうことになった。

  
  代替えで見学した、ウルピアナ遺跡。1世紀頃のローマ遺跡です。

  ガンガンに復元がされていました。2016年に、コソボ文化遺産評議会によって、永久保存される考古学公園になっている。

 バジリカ
バジリカ (1)



 洗礼堂

ウルピアナ遺跡


 移動すると、またバジリカがあった。
これもバジリカ



 街は、結構大きくて古代後期には、バルカン半島最大の集落だった。

 ここが門のあった場所。

町への門があった


 灌漑施設も整っていた。
整備された用水



 プリシュティナの街に戻ってきました。

 歩行者専用の広い通り。
整然とした通り


 子供が噴水で遊んでいた。
噴水で遊ぶ



 パトカー
パトカー


 そうそう、コソボの通貨はユーロです。


 通りを進んでゆき、オールドモスクに向かう。モスクのある場所は、オールドマーケットが開かれている地区なのだが、今日は日曜日なのでお休み。


 
 

  


 ストビ遺跡は、マケドニア王フィリップ5世が紀元前2世紀頃に築かれた。彼は、分裂したマケドニア最後の王である。

 マケドニア滅亡後、ローマ帝国に支配下にはいり、 ギリシャのテッサロニキと並んで発展することとなる。

  さらに4世紀に入り、キリスト教が公認されると、キリスト教徒の街として、立派な教会も建てられた。

  しかし、6世紀の大地震後、街は放棄され、19世紀になってようやく発掘された。しかし、現在でも、発掘は進行中で、まだ全貌は見えていないようです。


  
ストビ遺跡 (1)



  ローマ劇場。修復された部分がはっきりわかります。


ストビ遺跡の劇場跡




 続いて大屋根によって保護されているバジリカへ。モザイクが残っていました。

バジリカのモザイク


  すぐそばには、洗礼堂もある。こちらのモザイクもとてもきれいに残っています。

洗礼所





 床のモザイクが素晴らしい。

保存がいい





 このクジャクは、マケドニアの紙幣にも描かれている。
クジャク



  続いて広大な遺跡の聖なる道を歩きながら説明を聞いてゆく。


 テオドシウス宮殿。
テオドシウス宮殿



 実業家だったといわれるペリスティアの家。やはりモザイクが使われた。

ペリスティアの家


 壁に描かれているのは子供のいる家族。
プールらしい

  

  公共浴場。


公共浴場



  公共の水飲み場。


公共の水飲み場


 この大きな甕は何に使われたのだろうか?

大甕



  シナゴークもあったようで、ユダヤ人も暮らす街だった。
DSC09174





 公文書館だという。
新しい発掘部分



  他にもカジノなどもあり、労働時間も短かったという。もちろん壁の内側に住んでいるのは、恵まれた人達だけだったのだろうが・・・・。


  少し走って、遺跡の名前がワイナリーの名前になっているストビワイナリーに向かう。ここでは試飲もあるのだが、まずは、ワイナリーを見学させてもらいましょう。


  原料となる葡萄のピノ。甘くておいしかった。
ピノ



  この中にタンクなどがあります。
ストビワイナリー




 タンクは、赤・白・ロゼに分かれている。


 赤
赤ワイン (1)



 白

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  これらは樽に詰めて、保存されます。
ここは樽貯蔵庫



  床にもストビに関係したものが置かれている。

ストビ遺跡に関連したもの



  見学後、レストランに向かい、試飲をしながらワインにあったお料理をいただきました。


  計4種類をいただきました。
試飲した種類



  白とともに
白には



  赤とともに
ステーキ



  樽には、ストビで見たクジャクがデザインされている。

モザイクのクジャク



  1本買って帰ったのですが、コルクにもクジャクがいました。


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  かなりいい気分になり、眠たくて仕方がない。これから国境を越えて、目的のコソボに入るというのに、爆睡です。

  途中、パスポートコントロールではちゃんと目が覚めたのだが、入国したとたん、またまた爆睡。気が付けば、首都プリシュティナのホテルに到着していた。

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