好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 和歌山県


 今日は、観光筏に乗ります。


 歴史書によると、1596年豊臣秀吉が「北山郷御材木所」の朱印状を交付したことや、徳川家康が江戸城本丸を建設した時に北山材を使ったことが記されているという。

 これらの木材を新宮まで運んだのが筏師である。当時は、木材を輸送する手段が他にはなく、厳しい条件の水路をさばく高度な技術を彼らは身に着けていた。


 明治時代には、500名もの筏師が暮らしており、遠くは朝鮮の鴨緑江迄出稼ぎに行っている。筏は、水量の安定する冬場が好まれ、3日ほどかけて新宮まで運ばれた。途中、日が暮れると近くの宿に泊まった。
 新宮では、豪快に遊びお金を使ったので資産は増えなかったというが、、食料持参でやってくる筏師は、歓迎されたという。 

  昭和30年代に入るとダムができ筏流しは衰退してしまい、38年にはすべてトラック輸送になってしまう。

  しかし、この技術をなくしてしまうのは惜しいと、始まったのが観光筏下りだという。


  乗船する前に、筏をくみ上げるところを見に行った。


  クレーンで吊り下げられた筏は、川の上で、30mの長さに仕上げられます。

  
降ろします





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まだ短い




 改めて、観光センターから出るバスに乗って、筏下りの出発地点まで向かう。めちゃくちゃ濡れるので、足元と下半身は濡れてもいい格好をしてゆきます。


  前回は、前から2番目という場所だったので、かなり迫力があったのだが、今回は7番目くらいだったので、のんびりと乗れた。

  一番前の筏師が、ルートを決めます。
出発です





1つの筏の上には、3人位の筏師さんが乗っていて、いろいろな話をしてくれる。

 急流では、立ち上がる。

急流は立ちます



  岩を押しているとこと。
岩を押している




曲がる



 難しい場面では、彼らは忙しく筏の上を行ったり来たりする。


3人程が乗っている (2)




 岩の上に前もってつながっているロープをひっかっけて操ったりもする。

筏の上を行ったり来たりする




 なんとカモシカが顔を見せてくれました。


かもしか




 この日の午前の便は、全部で3便の筏が出ました。


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  流れの穏やかなところでは、川の中に足を浸してみたりもできる。


  ここからの3枚の筏の写真は、前回乗船した時のものです。こちらの方が迫力があるのでもう一度使わせてもらいました。

  
回る





最後の難関




私達も濡れます



 下船地点の小松に到着。


ゴール



 筏は、ここでもう一度クレーンを使ってトラックに積まれ、筏を組んだ場所まで戻されます。筏に使われる丸太は、40年から60年生のものを使い、新しく組んだら3年は、使えるそうです。
 


使った筏はこうして釣り上げられます。


  我々は、再びバスに乗って観光センターに戻ってくる。冷えた体を、温泉で温める。これにて今回の旅は終わりです。

  村営バスで、熊野市まで戻り解散。それぞれの地に帰ってゆきます。


  証明書をもらいました。


証明書



  


 今回の旅で楽しみにしていたことが、蛍と筏とラフティング。

 ラフティングはやったことがなかったし、泳げないので水遊びは避けてきた。
でも、これはやってみたい。ウェットスーツを着るし、ライフジャケットも着けるので浮くだろう。 

  で、やってみた。

  カメラも、スマホも、完全防水仕様ではないので、ボートに乗っている最中は写真を撮ることができないので、どちらも持っていくことはしなかった。


  で、写真がない。


  迎えに来てくれた、ラフティングの会社の車に乗り事務所まで向かう。そこで、保険などのサインを行った後、自分の体に合ったウェットスーツとヘルメットを借りる。

  ウェットスーツは、足は七分丈くらいで、ノースリーブです。その上からライフジャケットを着るのですが、スーツの方は、必ずしもジッパーを上まで閉めなくてもよい。

  サイズもいろいろあり、私はかなり小さいが大丈夫でした。


  ヘルメットの方は、手ぬぐいやキャップをかぶった上からでもつけれるのだが、頭が小さい私は、かなり緩くてどんどん下がってくるのでちょっと困った。

  子供用になると小さいし、頭の小さい人は、手ぬぐいで対処するといいかも・・・。


  身支度が整ったところで、バンの上にボートをのっけて川まで移動。

 ボートはこんな感じ。

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  川にはまりながら、パドルの使い方や落ちた時のレクチャーなどを聞き、乗り込みます。


  スタート地点は、川筏の終点です。そして昨日ボートで乗った瀞峡を通過して、やはり昨日のツアーの最終地点であった嶋津のあたりまで下っていく。

  直線距離ならすぐだが、大きく蛇行している北山川なので、6時間ほどかかりそうだ。途中、瀞峡の河原でご飯を食べ、トイレも済ませる。

 昼食場所

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  泳ぎたい人は飛び込んでもいいし、岩の上からのダイビングもOKとのこと。

  しかし川の水はまだ冷たく、かなり寒いようでした。


  終わったあとは、そのままの格好で車に乗り込み、ホテルに戻って来て、そこで身に着けていたものをすべて返し、温泉に直行です。

  水量が少ないので、それほど激流ということもなく、時には漕がないと戻ってしまうような向かい風にも会い、のんびりとした時間を過ごせました。

  大人になって、こんな風に川をのんびりと流れていく体験ができて幸せでした。

  会社の方で撮ってくれた写真が送られてきたら、見てください。


  夜は、最後のホテル狩り。この日も、たくさんの灯りを見ることができた。


  


 温泉付きなので、6時ちょっとすぎに朝風呂をいただき8時半に出発。 


  車で七色ダムのところで川を渡り対岸の三重県育生町粉所(コドコロ)から歩き始めた。


  が、その前にガイドさんお気に入りの瀧神社にちょっと立ち寄りました。


歩き始め






北山川の支流



 きれいな苔と巨木のある瀧神社。

ひっそりと存在する神社



 弘化4年とある常夜灯。弘化は江戸の末期にあたる。

江戸時代の常夜灯



 昔の道のようです。

昔の道



 我々は、現代の道を歩きます。田植えの終わった田んぼには、オタマジャクシがいっぱい泳いでいる。オタマジャクシを見たのはいつ以来だろうか?


 何かの石塔。

田んぼの中に



 坂道を登っていく途中、ささゆりがきれいに咲いていた。色違いなのかしら?種類が違うのか?

色の違うユリ (1)



色の違うユリ (2)





 分かれ道にあったこの木は、ニッケイの木です。推定100年以上は経っていると思われる。ニッケイの木は、インドシナ原産で享保年間に中国経由で輸入され、香料・薬用として活用された。

ニッケイの木



 かつては人が住んでいた場所。この辺りは、こうした石垣だけが残っているところが多い。

かつて人家があった




  峠には、小さな神社があり、丸い石が信仰の対象になっていた。河原で見つけてきた丸い石をお祀りするもの。この辺りでは、あちこちにお祀りしてあります。


丸石信仰



  下ってきたところには、新選組の土方歳三の写真を撮った田本研造氏の生家跡がありました。この土方の写真は、誰もが一度は目にしたことがあると思う。


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田本研造の生家跡 (1)



  そして、七色ダムが少し見える公園でお昼をいただき、七色ダムへ移動。


  
県境にいます



  近くで見る七色ダム。


国道から見た七色ダム



  堰堤上は普通の道路になっています。


堰堤の上が道路になっている



 下流部分。

  ここは、筏流しの難所として知られていて、人もなくなっている。ごつごつした岩が行く手を阻むのだ。


かつては筏流しの難所だった





 せっかくだから、川からのダムの姿も見てみたいと、河原に向かう。


川から見たダム



  再び車で移動。途中、観音堂に立ち寄った。


観音堂 (1)



 続いて神社にも。これなんて読むと思いますか?
  「骨置神社。」


本殿



 読めないですよね。

縁起




 前回も訪れた沈下橋。

沈下橋


 ちょっと上流の中州橋には、北山川の増水の記録が橋げたに記されています。

水位




 中州橋には鮎の彫刻。

橋に鮎の彫刻



  車も通れる吊り橋、1トンまで通行可。


吊り橋、上瀞橋



  ホテルに戻り、お風呂と食事をすませた後再び蛍を見に行った。昨日と違った場所で、川に映るひかりがとてもきれいでした。



 今日は、隣接する熊野市を中心に回りました。

 車で、かつては観光客で大にぎわいだったという瀞峡に向かう。前回のツアーは、ここからスタートした。
 嶋津のガイドさんと合流し、筏師の話を聞き、エンジン付きの船に乗り込み上瀞、下瀞を遊覧する。船頭さんの飼っていた、カモの姿は今回は見えなかった。残念。

 ここにはかつてのにぎわいが想像されるように、駐在所と郵便局もありますが、現在は人家もなく誰が利用するのだろうという感じ。

 今いる場所は3県の境です。

3回目に訪れました




 船を待っている間、三重県側に渡れる吊り橋まで行ってみる。
「山彦橋」

三重県に渡る吊り橋



 途中浮いている板があったので、ちょっとだけ怖かった。

  この船に乗ります。奥にみえている建物は、瀞峡ホテル。かつては新婚さんなどで大にぎわいだったというが今は、予約のランチだけを提供しています。

  ホテルの左にみえている別館のある場所は、和歌山県になる。

川下りに船




 出発。まずは上流に向かいます。


 山彦橋を下から見上げる。



下から見上げると


  

  緩やかな流れの中、両岸には、岩が続く。

瀞峡 (1)




瀞峡 (2)




 下船して再び車に乗り、かつては鉱山で賑わっていた紀和町に向かった。地元のホテルに、帰りに入る温泉用の余分な荷物を置かせてもらい、お弁当を受け取り再び出発。

  川の中の島のように見える、木津呂の集落を上から眺める。

嶋津の森を上から




 そして木津呂の集落に向かって歩いて行った。この集落には、かつては小学校もあり、にぎわっていて、新宮から戻ってきた筏師達が利用したという店も残っている。

  ものすごく鮮やかな色のアジサイ。

アジサイ (2)





  トンボを久しぶりに見ました。


トンボ




 ここからバスは、丸山千枚田を目指す。初めての訪問ではないけれど、今のようにオーナー制になっておらず、荒れ果てていた時の棚田しか見ていないので、どんなふうに変わっているのか楽しみです。

  条例ができていました。

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  そして田んぼは、こんな具合。


丸山千枚田 (2)



  かつては2000枚以上はあったというが、現在は、1340枚ほどだという。でもとてもきれいに手入れがされていて感動します。この日も、男性の方たちが田んぼに入り、植えた苗の手入れをされていました。稲は本当に手のかかる作物です。


 奥の方に見ている大きな岩は、転がってきたのだとか・・・。

丸山千枚田 (1)




 一番小さな田んぼと札に描かれていた。3苗が植わっています。


一番小さな田んぼ




  バスはここからさらに北上して、藤堂高虎が作ったという赤城城に向かった。城好き石垣好きの私、初めてなのでわくわく。

  1589年頃造られたようで、中世と近世の築城法を併用した平山城で、築城当時の原型を残した貴重な城跡で、国の史跡に認定されています。

  近くには、北山一揆によって処刑が行われた田平子峠刑場跡もあり、そちらも国の史跡になっています。

  十津川街道と北山街道の走るこの辺りは、古来より銅などの鉱山資源に恵まれ、中世には、盛んに刀鍛冶が行われ、豊かな森林は、戦国期にはたびたび切り出されたと記録に残っている。

  中世には、入鹿氏などの武士が台頭、天正13年に、豊臣秀吉の紀州攻めにより、その支配下にはいった。が、厳しい支配に対し大規模な一揆が再三起こったことからこの城が築かれたと考えられている。



 主郭、南郭、北郭、東郭、西郭、虎口などの石垣が残っています。

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 東郭の石垣。

野面積み



 進んでいくと、虎口に当たる。城攻めの時にはここが要所になるので、敵を防ぐための工夫がされている。赤城城は、2重の虎口があり、下段の者には階段が見られないという。


虎口



 門の跡、ここから主郭に入ります。


主郭へ



  主郭。

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  主郭からは、建物に関係するものが出土されておらず、建物がなかったのではという説もあるという。
 焼き物などは見つかっています。


 西の郭。天目茶碗、砥石、釘などが出土されている。

東の郭

  

  城から南側の集落を見たところ。


城から見る眺め



  ここから、嶋津の森に向かう。嶋津は、和歌山県新宮市に属しているが、和歌山県には隣接しておらず、やはり飛び地となっています。

  朝、渡った山彦橋をずんずん進んでいくと、ここに行けます。


  かつては、集落があったという嶋津の森を歩く。前回ここに来た時には、あまりの美しさに感動してしまった。今回も同じように感動できるだろうか?

  緑深かった苔は、心なし剥げていて色も薄くなってしまったようだ。が森の持つ深さは変わらない。

 
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嶋ずの森を歩く (1)



 ガイドさんが建てたという新しい石碑が立っていました。

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 そして最後は、瀞流荘に戻り預けておいた荷物を受け取り、湯ノ口温泉にむかった。前回は、ここからトロッコで、温泉に行けたのだが、トロッコが廃止になってしまい、徒歩か車でしか行けなくなってしまったという。なんてこった!

  でもお風呂そのものは、変わらず良かったな。湯治客にも人気があるそうです。

  ホテルに戻り、今日も蛍狩りに行くのだが、新しい場所の辺りは熊が出ているというので、初日に行った場所に変更となりました。




  


 南紀で熊野市まで向かい 、村営バスに乗り換え1時間程で、和歌山県の飛び地である北山村に到着。

 
飛び地北山村



  ここを訪れるのは、2回目。前回は、かつての筏師達が新宮からの帰り道に通った筏師の道の一部分を歩いてみた。


  今回は、村の深掘りと北山川で遊ぶことが目的です。遊びの中には、蛍を見ることも含まれているので、今夜も暗くなってから出かけることになっている。



  本来ならば奈良県になるべきところだったのに、和歌山県になったのは、村を流れる北山川が大きく影響している。


  その昔、村の産業は林業でしたから、輸送手段として北山川を利用した「筏流し」で生計を立てる人が大半だった。
  木材は、北山川流域から集められ、筏師によって下流の新宮まで運ばれていった。このため、新宮と北山村はとても強い結びつきがあった。



  1871年の、廃藩置県により、三重・奈良・和歌山の境界を決めるにあたり、熊野川・北山川の中央をもって県境とし、東が三重県、北部が奈良県、西が和歌山県となった。しかし、村は、林業を通して新宮とのつながりが深かったため村民の強い意志により和歌山県なったといわれている。


  現在は、大規模な道路工事やトンネル橋の建設があちこちで行われていて、将来は、3県の行き来は楽になるかもしれない。


  宿泊したホテルからも橋の工事がよく見えました。


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  ホテルには、道の駅になっているコンビニがあるのですが、そこに燕の親子が巣を作っていました。最近は、燕に会うことがなかったので、滞在中は、毎日会いに行きました。


  
燕の巣 (4)




 大きな目だ。

燕の巣 (3)





燕の巣 (2)






燕の巣 (1)




  夜には、蛍を見に行き、結構たくさんのホタルを見られたのだが、スマホでもカメラでもやはり撮影はできず。

  残念!


 今日はこの旅の最終日。筏下りを体験します。

 乗船する前に筏を降ろしてつないでいくところを見学に向かう事になりました。

 筏師は、筏を操ることだけでなく、すべての事に関係しています。乗船場に筏を降ろしくみ上げていく事、お客さんが降りた後の筏を釣り上げてトラックで移動することなど。

 筏流しの歴史は古く、江戸城本丸の普請に使われ、明治・大正期の産業革命期や戦後の復興期には、大阪や東京などの大都市に建築資材を供給しました。筏師の技術は、海外でも評価され、鴨緑江などに請われて出稼ぎに行き、高収入を得たという。

 時は流れ、上流のダム建設に伴い水量の減少と林業の衰退により昭和39年3月に筏流しは途絶えてしまう。

 しかし、昭和54年に、北山観光筏下りとして復活した。現在の筏師さん達は、全国からやって来て何も知らないところから覚えるのだという。1人前になるのには、8年ほどかかるとか・・・。

 現在、北山川の筏流しの技術は、和歌山県の無形民俗文化財に認定されており、伝統的な筏を組む技術と筏を流す技術が伝承されている。

 道路の脇で、フオークリフトやクレーンを使って、川に筏が降ろされ、川の上でつなげる作業がおこなわれていました。




1個づつつりさげて行く







降ろします





筏を作っている所







筏は全長30m





 七色ダムの堰堤

ダムが見えている






 10時少し過ぎに、専用のバスが観光協会の前から乗船場まで運んでくれます。

 階段を下って行くと
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 原則1つの筏には、3人から4人の筏師がのりこみます。この日は、お客をのせた筏が2台と、練習筏が1台降ろされていました。





 水量を増やすため、運行時間の2時間ほど前から、ダムから水が放流されています。


船頭さんは、1亭3人から4人




 このようにして乗り込みます。風がない時は、立ったままでもいいのですが、風が有ると人間が帆の役目をしてしまうので座るのが決まりです。激流や急流に入る前に、筏師さんから立ってくださいと声がかかる。

こんな感じで乗ります




岩躑躅




 筏師さん達は、忙しそうに行ったり来たりして、じっとはしていません。30mの長さが有るので、ほおって置けば岩にぶつかったり、そこを擦ったりしてしまう。

 竿を使ってコントロールしていきます。


常に筏の上を動いている





ぶつからないように





 先頭の筏師さんが、ルートを決め、2番目の筏師さんが舵を切ります。

1番手がルートを決める





 このように岩にロープが有る場所では、櫂で器用に手元に引き上げうまく操って行く。櫂は、自分で作り材料は朴の木。朴の木は、水分を吸わずからすぐ乾くからだ。

こういうロープがあちこちに有る





 こういう激流では、立っているのですが、先頭のお客さんは腰までぬれる。
瀬が見えてきた

 


私達も濡れます




回る




 息をそろえて通過するのですが、これがともかく楽しい。


2番乗りが舵をとる





かっこいい




 これは最後の難関で、90度曲って流れている。右側の岩すれすれに進んでいくのですが、接近しすぎるとあたってしまうし、膨れると曲がれません。

最後の難関




 カエル岩、確かににてるかも。
カエル岩





 降り場のオトノリに到着。すぐさま、筏は引き上げられてゆきます。
使った筏はこうして釣り上げられます。





 2号艇も到着です。
2号艇





 下半身はずくずくなのですが、そのまま迎えのバスに乗り込む。そして、観光協会の前で解散。我々は、おくとろ温泉にはいり、着替えを済ませ、お昼ごはんをいただきました。
 


 名物のなんば茶がえ。トウモロコシの入った茶粥に、干した魚などがセットになっています。
名物なんば茶がえ





  そして、3時過ぎの村営バスで、熊野市に向かう。この村営バス、筏に乗るか、おくとろ温泉を利用した人はタダで乗れます。太っ腹。

  4時過ぎには、熊野の駅前に到着。乗客は、結局我々だけでした。

  5日間、ホテルも居心地が良く、北山村のみなさん、お世話になりました。楽しかったです。


  苔もみずみずしいが、シダも美しい。

シダの山

 これはシシ垣。イノシシを越させないようにするものだ。丁寧に作ってあるし長い。どれほどの労力が行ったのだろう。
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  イノシシは、横に走るしかできないので。捕まってしまうというわけ。
沿って走るしかない

  昔、桜の木が有ったので桜茶屋と呼ばれていた茶屋が有った場所でお弁当をいただきます。来年の春にはまた美しい花を咲かせるのだろう。ウナギ、めはりずし、鮎の甘露煮、揚げ物などがぎっしり入っていてボリューム満点の筏師弁当。

筏師弁当

 田んぼは、機械を使っていた所もあったようです。機械を楽に運べるように、緩やかな傾斜になっている。
機械を使っていたので


  また道標が。右新宮、左在所でしょうか。

右新宮左在所

 庚申様に続く道は、とても賑わったそうだ。私達も庚申様まで行ってみました。
庚申様

  可愛いキノコが生えていた。
キノコが気になる

  こんな道を進んでゆきます。
細道

  川は、少しづつ川幅を広げて行く。苔と清冽な流れが美しい。
綺麗な流れ

  桃太郎岩。真ん中が割れている。
桃太郎岩

  川底は、1枚の岩盤になっているので、ウオータースライダーのようだ。
スライダーの様

  いくつもの岩が積み重なっている。どうしたらこんな具合になるのかしら?
どうやってこうなった

  小さな滝のような流れ。
片川川

   うーん、きれいだ!
滝の様に流れる

  そうそう、ガイドさんが、オニグルミを持ってきてくれたので、宿に帰って皆で分配。良いお土産になりました。


 心配していた雨ですが、夜中のうちにたくさん降って明け方には止んでくれた。 

 売店の軒には、ツバメがやって来ていた。
ツバメがいた


  今日は、三重県側に残る筏師の道を歩くので、御浜町片川まで送ってもらいました。ガイドは、昨日に続きH氏です。

  片川の元小学校から出発して、トロトロ坂を上り風吹峠から折り返し、谷をくるっと1周する感じで片川まで戻ってくる予定だ。
  集落のこの大きな家は、時々元の住人が風を入れるために帰ってきているそうですが・・・。
三重県御浜町片川地区

 石垣も門も立派だが、蔵は朽ちていました。
立派な石垣と門

 かつての小学校です。
元小学校

 中はこんな感じです。ここでトイレを拝借しました。
廃校の中

 苔がいっぱいのトロトロ坂。雰囲気はとてもいい。足元には、踏んでしまいそうなほど沢蟹がいました。
トロトロ坂
沢蟹が沢山

 苔むした道標
苔むした道標

 しょうがの花
しょうがの花

 現代の標識
分岐点

 風吹峠の方に向かいます。

 道沿いには、沢山の石垣、平らな土地、茶碗やガラスの欠片などが見られます。今は、杉やヒノキ林になっていますが、結構な人が住んでいたことがわかる。

 田んぼに引く用水も石垣でちゃんと作ってある。
水路も丁寧に石垣を積んで

 どこを見ても緑。右側は、畑か田んぼが有ったのだろう。
どこもかしこも苔

  倒れてしまった道標。右回り道、左おろし道なのかな。
倒れた道標

 この立派な石垣の上にはひとがすんでいた。
丁寧に作られた石垣

  住民のものだったのだろうか?招き猫が・・・。
元住民のものか

  山の神社に到着。かつて、お祭りには出店がずらっと並んだという。今は狭く感じるが、当時はもっと開けていたのだろう。耳を澄ますと、お囃子や呼び込みの声が聞こえるようだ。
誰も世話をしなくなった神社

  奥の院というか神様が祀って有る場所まで行ってみました。信仰の対象物は、石です。
山の神です
山の神社

  せっかくなので、筏師達が、海の方からこの山に入って来るルートを確認してみることになった。さらに登って、高山の頂上。
高山頂上まで寄り道

  熊野灘が見えました。
海が見える

  左側に回るルートと、右手の山を登って来るルートが有ったという。

  神社の有るここが、風吹峠だ。ここを下って行くと、先ほど見えていた海の方に降りて行けるのだが、我々はここで引き返します。
風吹峠、こっから引き返す

  

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