快晴なれど、気温低し。
昨日行けなかった、マスマク城塞へ向かいます。
 斜め向かいに、宗教警察の建物が有ります。公式的には、宗教警察というのもは存在していないらしいが、実際には・・・・・。
宗教警察署
 マスマク城塞。1818年、ディルイーヤを本拠地としていたサウード家が移転していたリヤドだが、1892年オスマントルコの庇護に入っていたラシード家の手に落ちてしまう。1902年、亡命していたサウィード家のイヴン・サウードが少数で此処に攻め入り奪還した。しばらくはここで暮らしていたが、後に昨日外観だけ見学したムラバ宮殿に移った。
 現在は、博物館になっていて歴史がわかるようになっています。
 
マスマク城塞
城塞前広場
 結構広い。要塞だったので、壁も厚く見張り塔も有り、鉄砲を差し込む穴などもある。
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 短い映画を見たのだが、こんな格好で攻め入っていました。
戦闘服
 中庭、
中庭
 今では高層ビルの近代都市であるが、数十年前までは、城壁に囲まれた砂漠の中の小さな町だったのだ。
城壁があった
 この中で、目を引くのがわずかに色彩が残っている木製のドアだ。美しい。
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美しいドア
 せっかくなので、近くにあるスークにも行ってみましたが、歩いている人がいない。お店も空き家になっている所が有るとの事。
スークへ
古い通り
 バスに戻って、郊外にある、サウード家発祥の地である、ディルイーヤへに向かいます。「盾」という意味で、18世紀から19世紀にかけて繁栄した第一次サウード王国の都だ。
 王家の祖先がここに定住したのは、15世紀。豊かな水源を利用し耕作地を増やし富を築き、有力者としての地位を確立した。
 領主のムハンマド・イブン・サウードは、1744年、ワッハーブによるイスラム改革運動(ワッハービズム)を保護したので、新しい宗教的教えを学ぶために人が集まり発展していったのだが、1818年、エジプト軍によって破壊され放置された。
 なぜだか全然車がいない資料館の前。予約をしていたのにもかかわらず、入れませんでした。仕方がないので、宮殿を見学できる近いポイントを求めて、うろうろ。入れると聞いていた門では、セキュリティに断られ仕方なく壁の外から見ることに・・・。
 私は、ここを楽しみにしていたのでホントがっかりでした。あちこちをバスでうろうろした結果、トイレを使わせてもらえた本来の正門に行ける公園に行き着いた。どうやら今日は、4時にならないとだめらしいとの事。まあ、国が国だから事前の連絡なんてしないし、ガイドも確かめないのかもしれないが・・・・。
 ここには、朽ちたサルワ宮殿や19世紀建造のサアド・ビン・サウード宮殿などが有り、修理をしながら現在も使用している。
 
ディルイーヤへ
ディルイーヤの地図
15世紀に始まったサウード家発祥の地
オスマントルコ傘下のエジプト軍に滅ぼされた
 これがトイレを借りた公園。働いている人は、チャドやバングラといった外国人ばかり。
 で来たばっかりできれいです。
正門のある公園
 
公園から見ると
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破壊されたまま
入り口にいらした素敵な女性。写真を頼むとすんなりOK。女性は写真が嫌いと聞いていたのに、全然そんなことなくて、アバヤをかぶっている女性でも、気さくに応えてくれました。こういう事って、実際に来てみないとわからないことだ。
 
入り口にいた女性
 最後は、ワッハーブ派の中心モスクであるイマーム・ムハンマド・ビン・サウードモスクにやって来た。ここは異教徒はもちろんは入れません。18世紀建造。
シンプルな作り
 市内に戻り、今日のお昼をいただきます。ラップサンドの有名なお店でした。男性とそうでない人の建物が完全に分かれていた。
 
お昼をいただいたお店
 トイレは無いので、3軒ほど先にあるハンバーガ屋さんまで借りに行きました。ハンバーガ屋さんの内部も、カーテンを降ろせば個室になる造りになっていた。
これハンバーガーやさんの店内です
  お腹も膨れたところで、空港に向かいます。