マダイン・サーレハは、ネブド砂漠の中に忽然と現れる巨大な岩の遺跡群である。隣国のペトラ遺跡が北の都と言われていた時代に、南には、アル・ヒジュルという町があった。伝説によると、預言者サーレハの言いつけをこの地の人達は守らず、神の怒りにふれすべてを滅ぼされてしまったという。このことから、今でも現地の人々には恐れられていて、近年まで近づくことが無かったという。
現在残っている遺跡は、アッシリヤ・エジプト・フェニキア・ヘレニズムなど様々な文化などから、様々な影響を受けている。さらに残された碑文にも、多様な言語があり、ギリシャ語・ラテン語・ナバティア語なども見られる。2008年、「アル・ヒジュルの考古遺跡」として、サウジアラビア初の世界遺産に登録された。
まずは、ナバティア以前のリャーン人の神殿跡にやってきました。 以前は岩の隙間を通って向こうに行けたのですが、不届きものが多かったようで今は行けません。
近くにあったバーガーみたいな岩。 ここの見どころは、 次は、3番のQassr Albintにやって来ました。女性の墓が多くある場所です。
現在残っている遺跡は、アッシリヤ・エジプト・フェニキア・ヘレニズムなど様々な文化などから、様々な影響を受けている。さらに残された碑文にも、多様な言語があり、ギリシャ語・ラテン語・ナバティア語なども見られる。2008年、「アル・ヒジュルの考古遺跡」として、サウジアラビア初の世界遺産に登録された。
まずは、ナバティア以前のリャーン人の神殿跡にやってきました。 以前は岩の隙間を通って向こうに行けたのですが、不届きものが多かったようで今は行けません。
近くにあったバーガーみたいな岩。 ここの見どころは、 次は、3番のQassr Albintにやって来ました。女性の墓が多くある場所です。
少しづつ形が違い、丈夫の彫刻も複雑になっていきます。
つぎは、5番のJabel Alahmar(赤い山という意味)。 このころは、死者はこのようにミイラの様に包まれた。 そしてこうして運ばれた。 最後は、一番有名なカスル・アルファリド。これは単独で建っていてリヤーン人が神殿として建設したものをナバティア人が墓にしたものだ。意味は、孤独の城。 庇が深いので、真横から見るとこんな感じ。 時計は、3時を回っているのだが、まだお昼にありつけません。バスに乗って、公園まで戻って来たところで、ハンバーガーのお昼をいただきました。お腹が減っていればなんでもおいしい。
再びバスに乗って、復元された旧市街に向かった。
岩の上には、 モハメッドが、立ち寄ったという骨のモスク。
もう日も暮れてしまいそうなのだが、未だ観光は終わらない。最後は、エレファントロック。昼間ならもう少しそれらしき鵜方に見えたのかもしれないが、 これでようやくすべての観光はおわり、キャンプにもどりました。お昼があまりに遅かったので、お腹は空いていないが、少しだけいただきました。
昨日は、シャワーを浴びなかったので今日は多少ぬるくても我慢して使い、さっぱり!部屋をガンガンに暖めて眠りについたのだった。
再びバスに乗って、復元された旧市街に向かった。
岩の上には、 モハメッドが、立ち寄ったという骨のモスク。
もう日も暮れてしまいそうなのだが、未だ観光は終わらない。最後は、エレファントロック。昼間ならもう少しそれらしき鵜方に見えたのかもしれないが、 これでようやくすべての観光はおわり、キャンプにもどりました。お昼があまりに遅かったので、お腹は空いていないが、少しだけいただきました。
昨日は、シャワーを浴びなかったので今日は多少ぬるくても我慢して使い、さっぱり!部屋をガンガンに暖めて眠りについたのだった。