モーニングコールは、何と2時!
朝食は、アフワズでいただくということで、起きぬけの顔のままスカーフ・膝丈コートに身を包みいざ空港へと向かった。
こういうとき、イランルックは、かなり便利である。頭が爆発していても、よれよれの格好をしていてもとりあえず隠してしまえる。
ガイドは、スルーでこのまま同行。国内線で、飛行時間も短時間というのにちゃんと、スナックサービスがあった。
6時40分、アフワズの空港へ到着。そのまま今日宿泊するホテルへ直行して、朝食だけいただく。
時間がたつにつれ、気温はウナギ登りで、バスの中では、失礼してスカーフ・コートをとらせていただきました。スカーフを外すときは、カーテンを閉めてといわれます(>_<)
チョガザンビルは、世界遺産にも指定されているジグラットといわれる、階段ピラミッドがある。それの四方は、正確に東西南北を示しており、宗教施設だといわれている。
古代エラム王国の都市遺跡で、1935年油田探索をしていた、ニュー時ランドの地質学者が奇妙な形をした山を発見!それが古代遺跡だと判明。
昔は、近くに川も流れていて豊かなところだったのだろう。世界最古といわれるダムなども残っていた。
遺跡の中には、干しレンガがまだ乾かないうちに、歩いたり触ったりしてしまったのだろう、当時暮らしていた人の足跡なども残っていて、思わずほほが緩む。
それにしても暑い!!!首にまとわりつく、スカーフをはぎ取ってしまいたいよう。
次は、ハフトタぺという紀元前155年くらいのやはりエラム王国の都市遺跡に向かった。ここには、アーチ型としては世界最古の墓といわれるダバティ・アハル王の墓があり、今も発掘途中である。
訪ねた時も、暑いさなかスカーフに帽子という我々と同じようないでたちの女性を含む一団がせっせとい発掘作業をしていた。日陰も何もないところではさぞかし暑いだろうにと、同情してしまった。
ローカルレストランでの、昼食の後、スーサの観光。
スーサは、BC30~7世紀ころにかけてエラム王国の首都として栄えたところである。アッシリアによって滅ぼされてしまった後、アケメネス朝時代にダイオレス一世によってふたたび冬の都とされたのだが、アラブの侵攻を受けた後、再び歴史に登場することはなかった。
当時は、ペルセポリスにも匹敵するといわれた都市で、かの有名なハムラビ法典もここで発掘されたのだ。発掘調査隊の造った城が今も残っている。ひっそりとした、丘に登るとダニエル廟を中心とした街並みが美しい。ダニエル廟には、男女別々に入る、クーラーが利いているので、昼寝をしている人々でいっぱいだった。
夜、アフワズの町を1人で散策。交通量の激しいのが難だが、治安はいい。暗い公園で、人々が思い思いにリラックスしている姿が見られた。
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