









カウナスは、リトアニア第2の都市であり、世界大戦の間ポーランドに占領されていたヴィリニュスに代わって、リトアニアの首都がおかれていた。
また、日本のシンドラーともいわれる杉原千畝の任地でもある。
15世紀には、ハンザ同盟の代表部がおかれ、商業活動の中心地として栄えた。
ヴィリニュスからは、バスで1時間ほどの距離である。ネムス川に沿って東西に細長く開けた街だ。
中心部には、3本の大きな通りが並行して走っており、真ん中のライスヴェス通りは、大きな並木の有る歩行者専用道路となっている。
この街では、歩く人が中心になれる。旧市街は、ネリス川と、ネムス川の合流するあたりにある。
バスターミナルは、街のはずれにある。鉄道もあるのだが、現在はトンネル工事のため、一つ手前のカウナス1という駅までしか、運行されていない。
ターミナルに降り立った私は、いつものように地図を片手に歩き始める。ここへ来たいちばんの目的は、杉原記念館を訪れることにある。その前にちょっと市内観光をするのだ。
ターミナルから旧市街までは、1~2kmのあいだ。トローリーバスもあるのだが、せっかくだから歩きたい。
旧市街にはいる地下道の手前に、旧大統領官邸がある。ここには、1919年から1940年の間に3人の大統領が住んでいた。1階は主に展示パネル…他には大統領の愛用品などの展示物。
2階には、集会室と大統領の執務室がある。1940年6月15日独立国家としては最後の政府集会が行われた。その後この国は、長い間ソ連に占領され、独立を奪われてしまうのだ。
主が、たった3人だけ、しかも21年という短さ。そう思いながら見ていくと、感慨深いものがある。
ここの横の道路から地下道をくぐると、そこは旧市街だ。道に沿ってたくさんのレストランが軒を並べている。家々の窓には、花が飾られておりとても美しい。
突き当りに、旧市庁舎の塔が見えている。手前に聖ペテロ・パウロ教会があるので、そこに先に行ってみた。同じ名前だが、ヴィリニュスのそれたはかなり雰囲気が違う。内部には、フレスコ画と彫刻がある。
市庁舎は、真っ白なバロック様式の建物だ。16世紀に建設が始まり、現在の姿になったのは18世紀半ば。ここは、政治犯の牢獄となったり、皇帝の別宅になったりもしている。現在は、結婚登記所になっている。休日には、たくさんの人で広場はにぎわうのだそうだが、この日はそれほどでもなかった。
近くに、ゴシック様式の傑作といわれる家があり、内部を公開しているとあったので、好奇心の塊の私は、そこにも行ってみる。
現在は、図書館となっているらしいが、他にも工房などとして使用されているようだ。
カウナス城をちょっとだけ見た後は、歩行者通りのライスヴェス通りを、引き返す。
途中、戦争博物館・ヴィエニーべス広場による。
この広場には、たくさんの記念碑が並んでいる。「リトアニアの独立のための犠牲になった英雄たちの記念碑」は、いったんソ連の占領下で撤去されたが、再建された。碑は、戦闘が行われた地の石で覆われていて無名兵士たちの灰が収められている。
カウナスでは、結婚式のときここに献花するのが習慣になっているらしい。
再び、美しい並木の続くライスヴェス通りに戻る。この通りの突き当りにある教会が聖ミカエル教会で、ここから右手の方向に坂を登っていくと目指す、杉原記念館がある。カウナスに首都がおかれていたころ、日本領事館の有った場所だ。
ここで、杉原氏は、ヴィリニュスを離れるぎりぎりまで日本通過のヴィザを、ユダヤ人のために発行し続けたのだ。それによって救われたユダヤ人の数は、6000人。彼らの残した子孫の数を入れたら、何人の命を救ったことになるのだろうか。
日本にも、岐阜県可児市に杉原記念館があり、そこは以前訪れたことがある。その日からずっと、このカウナスと地を踏みしめてみたいと思っていたのだ。
ユダヤ人の痕跡を自分なりに追い求めてきた。そしてこのカウナスで、それをいったん終わりにしようと思う。
アウシュビッツやアンネの隠れ家、ベルリン・アムステルダム、どこへ行っても、ユダヤの人々の迫害の痕は有った。人間はあれほどまでに残酷になれるのかと・・・。
そして、小さな街にもシナゴークがあるのに驚いたりもした。人は信仰なくしては、生きてはいけないのだろうか・・・?
坂を登り、階段を上った先にある
杉原記念館は、見過ごしてしまいそうな小さな建物だった。
御用の方は、ブザーを押してくださいとある。
写真上から 旧大統領官邸
旧市街の通り 2枚
聖ペテロ教会
広場と旧市庁舎の白い建物
ゴシック建築の家 カウナス城 歩行者通りのライスヴェス通り
英雄たちの記念碑

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