ガイドも最後のガイドへと交代した。彼は、純粋の原住民である。ここで、インディハナの人が成功するのは、容易ではない。彼も、努力を重ねてガイドの位置を得たのだという。英語・スペイン語に加えて今は、日本語を勉強中とか。成績がトップなので、ご褒美に日本への航空券をプレゼントされたのだという。そのうちに日本へ行くのをとても楽しみにしているという。
そういえば、昨日までのガイド氏が、「ここでのアメリカンドリームは、メキシコに密入国して、本国へお金を送金することだよ・・・」といっていた。考えさせられる言葉であった。
キリグアに向かう途中、セントラルアメリカ橋を渡る。この橋のかかっている川は、マヤの人達にとってはとても大事な交通手段であった。陸には道がなく、川を使うほうが大量にしかも容易に移動できたのだろうな・・・。
現在、われわれの走っている道は、アメリカのバナナ園を経営している会社が、物資を運ぶために作ったのだそうだ。
キリグアまでは、4時間半もかかり、みなお疲れのようでした。
キリグアは、もともとコパンの支配を受けていたのだが、737年の戦争によって、王をとらえた。それによって独立を果たし、発展していくこととなったのだ。
3代にわたる王のモニュメントや、獣形祭壇・アクロポリスなどを見学していく。この中で、一番高い石碑は、11.7mあり、コロンブスが到達する以前のアメリカ大陸において一番の高さがあった。
石碑には、王の姿や、マヤ文字が刻まれている。鉄器を持たなかったマヤの人々は、このような緻密なものを固さの違う石にによって掘り込んだのだ。それを想像すると気の遠くなるような気がしてしまう。
獣形祭壇は、実際の動物を掘り込んだのではなく、さまざまな動物の集合体のような形になっている。動物の持つ力を頼りにしたのだろう。
王の鼻が欠けているのは、亡くなるとこうして削ったからだという。
昼食のあと、ホンジュラスへ向かう。バスで1時間ほどだ。ここでの入国はとても簡単で、ガイドがパスポートを集めてそこにスタンプを押してもらい、それで終りであった。
国境から30分ほどで、コパンの街に着いた。バスが入れないので、リヤカーにより荷物を運んでもらった。石畳の中大変だったと思う。
この街はとても雰囲気のある街で、坂が多い。あまりに素敵なので、夕食の後散歩に出かけた。ついでに、有志でバーに立ち寄り一杯引っ掛けてきました!(^^)!
ホテルの前の道は、遅くまで名物の串焼き屋さんが屋台を出しており、賑わっていましたよ。本当は、私もああいうところでご飯が食べたいなあ!
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