ガイドは、ローカルガイドのマビン。彼は、アメリカ嫌いでことあるごとにアメリカをおちょくる。日本人相手だと堂々とアメリカ批判が言えるので、すっきりしたのでは(笑)
歩いているといきなり鳥の鳴き声が聞こえてきたと思ったら、あっという間に数羽が集まってきた。きれいな羽根の色が特徴的。昔は遺跡もこのような鳥の羽の色に塗られていたらしい。
園内で餌付けを行っているようでした。
コパンは、ティカルと並んでマヤを知るうえでは、とても大事な場所だ。紀元前500年前くらいから、壮大な神殿の建設が始まっている。現在我々が見学しているところは、ほとんどが祭祀建造物で住居は、周りの密林の中にあったらしい。
コパンは、マヤの科学センターの役割を果たしており、7世紀にコパンの神官は、1年を365・2420日とする算出方法を導入して、他のマヤの都市にも勧めている。
そんな栄華を誇ったこの遺跡も、9世紀にやはり歴史上から忽然と姿を消してしまうのだ。
見学路にそって、西広場で、アクロポリス・祭壇Q(これは、歴代の王を掘り込んだもの)・神殿16(中にもう一つピラミッドが見つかった)を見学した後、密林の中に埋もれていたヤシャ・パサフの宮殿、神殿18、そして東広場に向かった。
東広場を抜けると、神聖文字の階段のあるグランプラザに出た。
ここにはたくさんの見事なステラが残っており、掘りの深いものは15cm以上あるように思える。神聖文字の階段は、会談すべてに文字が彫り込んであり圧倒されてしまう。
球技場もあるが、これは日本で言うと蹴鞠みたいなもので宗教上の儀式みたいで、あくまでも奉納が目的である。
石碑はよく見ると、赤が残っており、元の色を想像してみたくなってしまう。
写真の上から3枚目の神殿の中に4枚目のピラミッドが発見されました。見学は今はできなくなっていて、復元予想図のみでした。(4枚目)
5枚目が、ヤシャパサフの宮殿 6枚目が、修復された部分と修復前の部分がはっきりわまれている神殿です。ここの発掘には、日本人の学者がかかわっています。ホンジュラスは、日本のジャイカが援助を積極的に行っています。でも、そのことを知らない人がほとんどなので、もっと宣伝したらいいのにと思った。
10枚目の写真が、球技場です。地面に球を落としたほうが減点されるようです。
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