8月3日名古屋を7時34分のひかりで、まずは東京へ向かう。
仲間は、アフリカのツアーで知り合った2人です。
 
 Aさんは、大阪なのですでに乗車している。浜松でKさんと合流して、メンバーがそろいました。
 
 参加者は、夫婦と女性グループのみで1人参加や男性グループはいないように思える。
 
 東京駅で、はやてに乗り換えます。思ったよりは混雑していない。それでも注意を促す駅員の放送がひっきりなしに聞こえてくる。
 
 盛岡には、12時56分到着。ここから秋田を目指して走ります。
バスは、「岩手県北バス」で、陸中海岸の久慈市からやってきたとのこと。
 
 震災の後しばらくは、ボランティアの輸送や玉ねぎといった物資の輸送が主な仕事で、本来の業務に戻れたのは夏祭りの頃だったということでした。
 
 3隻持っていた船も流されたのだが、一番新しかった観光船は、船長の判断で沖に逃げたので無事だったのだが、他の2隻はビルの屋根に乗り上げてしまったそうです。映像で何度も目にしたたあの船は、この会社のものだったのですね・・・。
 
 沖に逃げたものの、中々港に帰ることができず、カップめんなどを食べていたとのこと。
自衛隊からもおにぎりを3個、差し入れてもらったそうです。
 
 こうして、本来のバス業務ができるようになったのは、復興が少しずつでも進んでいるということだろうか。
 
 今日は早めにホテルに入り、夕食を済ませた後、歩いて竿灯の会場まで向かいます。
 
 秋田に来るのは、久しぶりで美術館がきれいになっていたのでびっくりです。道端には、秋田名物(?)ババヘラさんも見かけます。食べてみたかったのだが・・・夕食の後なのでおなかがいっぱいで・・・・。
 
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 交通規制が始まる前に席に着かなければならないのでまだ明るいです。
 
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 真ん中の中央分離帯が桟敷席になっています。
途中で出番を待つ町内会の人達に出会いました。
 
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 馬口労町とある。
 
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 町内によって提灯の模様が違います。全部で251本でるそうですが、すべてを見るのはじっとしていル桟敷席では不可能です。提灯の総数は、約10000個で中にはろうそくが灯される。
 
 提灯を操る差し手とお囃子にわかれている。提灯の大きさも、小学3年生以下が担ぐ幼若・4年生から中学生になると差せる小若、そして中若・大若と別れていて、一番重い大若は高さ12m、重さ50kgにもなる。一つの提灯の高さは64㎝で46個がつけられる。
 
 幼若でも、高さ5m重さ5kgなので1人で扱うのはとても難しいです。
こんな小さな子供も参加します、そして何年か後には1人前の差し手となって行くのだ。
 
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 提灯に火が入れられお囃子隊とともに、所定の位置まで進んで行きます。
 
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 竿灯の発祥は江戸中期の宝暦年間と伝えられている。お盆を前に邪気を払い清めるねぶり流しと、五穀豊穣を祈る風習が原形と言われる。
 
 いくつもの提灯を灯して練り歩くこの風習は、歴代藩主の庇護を受けて発展していく。
 
  さあいよいよ開始です。合図とともに、竿灯が立ちあがる。
 
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 竿灯はこんな仕組みになっています。パンフレットから引用しました。
 
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 かざす場所は、手のひら・肩・額・腰があり、もっとも難しいのは腰だそうです。名人になると腰で支えて、両手を使って扇や傘まで扱って見せます。
 
いよいよ演技が始まります。
 
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   手のひらに
 
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 幼とあるのは小さな子供の竿灯だ。じいちゃんと孫といった感じで教えていく。
 
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 ずらっと並んだ共和町の竿灯
 
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   額に
 
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 祭りはまだまだ続きます。