好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2008年10月

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 昼食を終えあたとは、ペルセポリスの観光である。

 知らなかったのだが、中東の3Pというのがあるそうだ。シリアのパルミュラ・ヨルダンのぺトラ・そしてここイランのペルセポリスの3っつの遺跡を言うらしい。

 前者の2つはすでにみているので、これで制覇となるのだが、多分こんなことを言っているのは、にほんじんだけなのでは・・・・。日本人てなぜか、3大●●というのだすきなんだよね。

 遺跡に向かうまっすぐな道の両側には、見事な松並木が続いている。羊飼いの少年が、その中を歩いているのはなかなか絵になる光景でした!

 入ってすぐのところに、左右に分かれて2つの階段がある。向かって右が王様の階段だそうだ。どちらも1段の高さは、10cm足らずの高さしかない。これは馬に乗ったまま、駆け上がっていくためだそうだ。我々は勿論、王様の階段を利用しました。登りきったところには、牡牛の像が彫ってある、クセルクセス門が堂々たる様子で建っている。この門の裏側には、下半身が動物、上半身が人間という像が彫られている


 そこをくぐって進んでいくと、直角に曲がるようになっている。そこには、未完成の門が立っている。これは、門の製造過程が分かるので、興味を引いた。

 その前の広場を過ぎてまっすぐ進んでいくと、王座殿に向い、右に曲がると東階段のレリーフを見ながら登り、アパタナ王の謁見殿に出ることができる。

 我々は、まっすぐ進みクセルクス一世の宮殿跡に向かった。ここには、ゾロアスター教の象徴のわしのレリーフや傘をさした像などのレリーフがある。
 四角い穴があったので、何だろうと思っていたら、そこにはゾロアスター教の火があったそうだ。

 眼下には、ハレムの跡などが見える。右手に進んでいくと、今度はダイオレス1世の宮殿に出るのだが、ここには入ることができなかった。

 そこを抜けると、いくつもの柱が残っている謁見殿に出た。後方には、クセルクセス門が控えている光景は、すばらしい!

 本来なら柱の上にあったと思われるライオン像も、柱の崩壊によって、今はみな地上に降りてしまっている。

 最後は、東階段のレリーフを見たのだが、これの素晴らしい事!本当に目の保養になった。各国の人々がささげものを持って、ここにやって来る様子や、ここで働いていたと思われる兵士や宦官、そして牡牛を食らうライオンの像など・・・いくら見ていても飽きることがないくらいだ。

 博物館の入場券をもらったところで自由時間になった。ざっと博物館の中を見たあと、背後の山に登ってみた。山には2つの王の墓があるのだが、そのうちの1つアルタクセルクセス王の墓のそばまで行ってみた。

 ここに登ると、ペルセポリスは言うまでもなく、はるかかなたまで見渡せるので、なんだか王様になったような気持ちだ。

 観光が終わった後は、すぐそばのコテージ分のホテルまで戻ってきた。松並木の道に面してあっていて、遺跡のすぐそばという抜群の立地条件のホテルである。
 
 食事は、別棟のレストランでいただくことになっている。このあたりは寒暖の差がとても大きいので、夜になると昼間の暑さがうそのように冷える。ヒーターを入れて、部屋を暖めてから、食事場所へ向かった。

 食事の後は、再びペルセポリスに戻って、「音と光のショー」を見るのだ。温かい格好をして出かけた。ところが、遺跡はしんと静まり返っていて、誰もいない。

 係りの人に中に入れてもらって、ステージまで行ったのだが、やはり誰もいない。なんと貸切になってしまったようだ。夏の間は、観光客でいっぱいになるのだろうが、・・・・。

 40分ほどのショーを堪能して、部屋に戻ってきたら、ぽかぽかになっていて何んとも幸せな気持ちになれました。観光目いっぱいの一日でした。おやすみなさーい!
 

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 朝食前に、昨夜いった城まで散歩。

 明るい日のもとで見ると、まるで印象が違って見える。太極拳などを行っている人の姿なども見られる。


 今日の観光は、午前はシラーズの市内観光、午後からはペルセポリスに向かう予定となったいる。現地ガイドの女性が同行に加わった。

 最初に向かったのは、ローズモスク。正式の名前ではないのだが、モスク全体に施されたタイルにバラの花があしらわれているのでこう呼ばれている。

 19世紀に、貿易商であったシラーズの政治家が建てた、プライベートモスクである。彼が仕事でよく訪れていたという、ヨーロッパの教会の絵が描かれているのが特徴的な、こじんまりとしたモスクだ。

 池の周りにある礼拝堂に入ると、ステンドグラスから差し込む日の光が、色とりどりに揺れてとても美しかった。


 続いて、イランを代表する2人の詩人の霊廟に向かった。最初は、サーディの霊廟だ。彼は、12世紀から13世紀に活躍。70歳を過ぎてから代表作を、残したのだという。墓のある建物の壁には彼の詩が、刻まれていた。

 休日とあって大勢の家族連れで、にぎわっている。ここでも、日本人は注目の的である。「一緒に写真を」とあちこちで頼まれることに・・・。

 もう1人の詩人である、ハーフェズはイランでもっとも有名な、叙情詩人である。サーディが世界中を歩いたのとは反対に、彼は生涯のほとんどをこの地で過ごしたという。八角形のドームに覆われた大理石の聖骨棺には、彼の詩が刻まれている。

 ここからすぐのところにある、エラム庭園は、もともとセルジューク朝の頃別荘として使われていたという。現在の建物は、18世紀のものである。前面に池をあしらってあり、池からは左右対象になったイスラム式庭園が伸びている。ここには、バラ園もあるので、時期が良ければ美しいバラの花を見ることができる。

 ここで午前の観光は、終りである。

 昼食場所へと向かった。ところが、団体を受け入れているところは少ないのか、観光客で満員だ。外食を楽しもうとやってきたと思われる地元の人は、追い出されるような形になってしまい、なんだか申し訳ないように気持ちに・・・・。

写真の中で、モスクの中にいる女性が現地ガイドのアミリさんです。

 最後の泉は、700年前から湧き出ているというものです。幸せになれるというので私も手を洗ってみました。

 

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 今日は、今回の旅の中で一番移動距離が長い。

 ホテルを出発したのが、7時40分で、途中の観光や昼食タイムも入れてだけれど、シラーズのホテルに着いたのは、夜の7時半過ぎだった。

 まるっと12時間もかかったことになる。

 油田地帯や、山の中、土漠地帯、ばかりで、途中食場所がないので、お弁当持参である。

 油田を送るパイプがむき出しになっているので、破壊されたらおおごとになるなあなどと、バスの中から思う。

 オアシスもいくつかあり、遊牧・イネ・トウモロコシつくりなどで生計を立てているようだ。

 このあたりは、少数民族もいるそうで、女性の格好が華やかである。模様のついた長いスカートをはいている。稲刈りの季節なのか、芝刈り機みたいなもので、穂の部分だけ刈り取っていく。丈の短い種類なので、残された部分は草地のように見える。

 イランにおける石油価格は、1リットル当たり、日本円にして10円なんですって!けれど、2007年から、規制によって月に100リットル以上は購入できなくなってしまったそうだ。
 それにしてもガソリン高に悩む、どこかの国の人々にとっては夢のような話である。

 せっかくのランチなのだが、外には日陰がないので車でいただくことに・・・。そばをびゅんびゅんとトラックが走っていく。交通量もかなり多いのだ。

 3時過ぎにやっと、今日唯一の観光である、シャプール遺跡に到着した。シャプール川のそばにあるこの遺跡は、ササン朝最盛期の頃に、2代目シャプール王によって春の都として作られた。

 200ヘクタールという広大な地には、川からの水を引いた水路跡や、宮殿・神殿・ハレムなどが点在している。様式は、ローマとペルシャの融合したものだという。世界で最初にドーム屋根を造ったのは、ローマだそうだが、四角い建物の上にドーム状の屋根を付けたのは、ペルシャなんですって。

 低い土地に水を張って、そこに映る牡牛の石像が揺れるのをめでたという、なんとも風雅な建物も残っていた。

 川を挟んで反対側には、岩に掘られた立派なレリーフが残っていた。本当にペルシャのレリーフのの見事さには、感嘆してしまう。

 ここから最大の難関である峠越えが待っている。運が良ければ夕日が見られるかもと言っていたのだが、数珠つなぎになってしまったトラックに行く手を阻まれてしまい、残念ながら残照しか見ることはできなかった。

 シラーズの町についても、運転手が道を失ってしまうというハプニング!カーナビは付いていなかったのね(>_<)

 長い距離の移動だったのだが、山肌の面白さや、変わった地層の連続で、見ていて飽きなかったよ。

 夕食の後、近くの城を見に行く。木曜日の夜とあって、遅くまで人々で賑わっていた。明日は、金曜日で休日、気分も最高!・・・かな?

 

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 今朝は移動日である。

 モーニングコールは、何と2時!

 朝食は、アフワズでいただくということで、起きぬけの顔のままスカーフ・膝丈コートに身を包みいざ空港へと向かった。

 こういうとき、イランルックは、かなり便利である。頭が爆発していても、よれよれの格好をしていてもとりあえず隠してしまえる。

 ガイドは、スルーでこのまま同行。国内線で、飛行時間も短時間というのにちゃんと、スナックサービスがあった。

 6時40分、アフワズの空港へ到着。そのまま今日宿泊するホテルへ直行して、朝食だけいただく。

 時間がたつにつれ、気温はウナギ登りで、バスの中では、失礼してスカーフ・コートをとらせていただきました。スカーフを外すときは、カーテンを閉めてといわれます(>_<)

 チョガザンビルは、世界遺産にも指定されているジグラットといわれる、階段ピラミッドがある。それの四方は、正確に東西南北を示しており、宗教施設だといわれている。

 古代エラム王国の都市遺跡で、1935年油田探索をしていた、ニュー時ランドの地質学者が奇妙な形をした山を発見!それが古代遺跡だと判明。

 昔は、近くに川も流れていて豊かなところだったのだろう。世界最古といわれるダムなども残っていた。

 遺跡の中には、干しレンガがまだ乾かないうちに、歩いたり触ったりしてしまったのだろう、当時暮らしていた人の足跡なども残っていて、思わずほほが緩む。

 それにしても暑い!!!首にまとわりつく、スカーフをはぎ取ってしまいたいよう。

 
 次は、ハフトタぺという紀元前155年くらいのやはりエラム王国の都市遺跡に向かった。ここには、アーチ型としては世界最古の墓といわれるダバティ・アハル王の墓があり、今も発掘途中である。

 訪ねた時も、暑いさなかスカーフに帽子という我々と同じようないでたちの女性を含む一団がせっせとい発掘作業をしていた。日陰も何もないところではさぞかし暑いだろうにと、同情してしまった。


 ローカルレストランでの、昼食の後、スーサの観光。

 スーサは、BC30~7世紀ころにかけてエラム王国の首都として栄えたところである。アッシリアによって滅ぼされてしまった後、アケメネス朝時代にダイオレス一世によってふたたび冬の都とされたのだが、アラブの侵攻を受けた後、再び歴史に登場することはなかった。

 当時は、ペルセポリスにも匹敵するといわれた都市で、かの有名なハムラビ法典もここで発掘されたのだ。発掘調査隊の造った城が今も残っている。ひっそりとした、丘に登るとダニエル廟を中心とした街並みが美しい。ダニエル廟には、男女別々に入る、クーラーが利いているので、昼寝をしている人々でいっぱいだった。

 夜、アフワズの町を1人で散策。交通量の激しいのが難だが、治安はいい。暗い公園で、人々が思い思いにリラックスしている姿が見られた。


 

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 今朝は、テヘランの市内観光なのでゆっくりの出発だ。ホテルの近くを散歩でもと思ったのだが、そんな環境でもなく、仕方がないので時間を持て余しながら、集合時間を待った。

 ホテルの部屋で、「へえー!」と思ったのが、どこのホテルにでもお祈り用の、敷物とメッカの方向を現した矢印があることだった。さすがに宗教の法律が国家の法律になっている国だけあるなあと思う。

 テヘラン市内は、すごい車の波で少しの距離の移動でも時間がかかる。自転車は少なくバイクも、それほどでもない。4人乗り、3人乗りは当たり前でお巡りさんがその様子を見ても注意することがないのは、禁止されていないからか、単に面倒なだけなのかそのあたりはわからないが・・・。

 割り込んでくるから、ますます混雑に拍車がかかるというわけなのに、割り込みが当たり前の国では、そそういったことにも思いが至らないのかもしれない。

 最初の観光は、ゴレスタン宮殿である。ここは、ガジャール朝がテヘランに遷都したとき、数年使ったそうである。外観に、きれいな彩色がなされたペルシャのタイルが使われている。

 庭は、ペルシャ式の庭園となっており、季節にはバラの花が咲くそうだが、今は季節はずれなので残念ながら、バラはちらほらといった感じだった。名前のゴレスタンとは、ペルシャ語で「バラ園」という意味だそうだ。

 歩いていると、女子学生が近寄ってきて、大騒ぎとなった。日本人が珍しいのかもしれないね。全体的に、日本人には好印象を持っているらしく、一緒に写真におさまってくれという要望をあちこちで受けた。

 この後は、イラン最大の博物館である考古学博物館に向かった。別館は、工事中で残念ながら見学はできなかったのだが、BC6000年くらいから、19世紀までのものをコレクションしている。私が一番気に入ったのはブロンズでできた兵士らしき人物の後菅ての像だった、ほかには、ペルセポリスからの出土品なども多数。

 昼食をはさんで午後からは、宝石博物館に向かう。ここは実際の銀行に地下金庫が、そのまま博物館として利用されているもので、入場するときは、手荷物から携帯、ボールペンに至るまで預けなけらばならなかった!!

 分厚い金庫室のドアは80cmはあったのではないだろうか。

 展示されているものも、一体総額いくらになるのか見当もつかないといったものすごいもので、中でも最大の目玉は、世界最大のピンクダイヤである。もう一つは、イギリスのエリザベス女王のところにあるんだとか・・・。

 宝石の地球儀なんてものや、宝石でちりばめらてた玉座、から日用品に至るまですべてが宝石があしらってあり、最初のうちはびっくりしたのだが、慣れてくるとだんだんありがたみが薄れてきてしまい、だダイヤモンドも、エメラルドも、ルビーもただのガラスのように思えてきてしまった。

 カメラ持ち込みはできないので、ぜひイランへ行って本物を見てくださーい。

 夕食のとき、自己紹介をして散会となったのですが、お酒が飲めないので、ノンアルコールビールなるものをいただいたのですが、うまいとは言い難い代物でした(>_<)

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 予定外のイランへ、行くことになってしまった!

 これも何かの縁だろう。イランというより、ペルシャといった方が、なじみがある国だ。

 10月13日、新幹線にて成田へ向かう。

 イラン航空は、噂では日本就航を取りやめるかもしれないというので、飛行機好きの友達からうらやましがられたのだが、機体の古い事!!!(>_<)

 ジャンボと同じように2階建てなのだが、1まわり小さいのだ。世界でもほとんど残っていないという世界遺産なみ(?)の機体だという。

 確かに、TVモニターは座席にはついていないし、トイレはいまだに水洗で青い水が流れていた・・。私は、あのシュッポとはいっていくトイレが好きなので、なんとなくなじめませんでした。

 手洗いも水が、変なところから出てくるので、大勢の人が使っているうちに、客室の方にまで水が染み出してくるといった具合でした。

 お楽しみのお酒も持ち込みもダメというので、寝るよりほかにやることもなく、それなら読書をと、読書灯を点けてもなぜか反応なし!


 見ると前の座席のランプが、私のオンオフによって点滅している。アテンダントを呼んで。「つかないんですけどー」と、申し出ると、何やらいじっていた彼女、自分の手ではうまくいかないと思ったのか、男性の客室乗務員を呼んできた。

 彼曰く、「配線がおかしくなっているので、後ろの席のスイッチで操作してください」という。

 要するに、自分の席の明かりをつけるのには、後ろの席のスイッチをいじらなければならないということだ!「オーマイガッド!」

 本当に寝るしかないわい・・・・。

 途中、インチョンで韓国からのお客を迎えるため、機外待機がある。

 インチョンを飛び立ってから、9時間半ほどでイランの、イマームホメイニ空港へ到着した。時差は、5時間半である。

 機外へ出るときは、お尻を隠すくらいの丈のコートとスカーフを義務付けられているので、着用した。素足のサンダルもダメと聞いていたのだが、こちらはあまり気にしなくてもよさそうだ。

 腕まくりもダメという話だったのに、こちらもそんなに厳しくはなく、服装規定はスカーフ以外はそんなにきつくはないような気がした。とはいってもこちらは、外人なので、ちゃんと規定を守って過ごしましたけれどね・・・。

 入国審査がまた時間がかかるのだあ(>_<)おまけに横入りする人が多いので、遅遅として進まない。

 日本人だと横入りする人がいると注意するのだがこちらの人は、というより、欧米人と日本人以外は横入りを気にしないように思える。こういうことがますます混乱を招くのになあ・・・。


 やっと入国を済ませ今度は荷物検査だ。ここにも長い列ができていた。スーツケースを開けられることも多いと聞いていたのだが、今回はそんなこともなくすんなりと通れた。

 ガイドと会えたのは、現地時間で12時近かった。ホテルまでは、ここから1時間ほどかかるという。夜中なのでスムーズにいくだろうということだった。

 ホテルに行ってみると、私達より先に入国していた韓国人の人達がいた。韓国からはたくさんの人が乗り込んできて、案外イランへ行く旅行者が多いのだなあという印象を持った。

 部屋に戻り、スーツケースをざっと整理して眠りに就いたのは、2時を回っていた。

そうそう、久しぶりに機内から富士山を見ました!(^^)!

 帰国しました。テヘランのホメイニ空港のイミグレのコンピューター故障で、2時間遅れの出発となり、新幹線の指定席無駄になってしまいました(>_<)


 明日はバイトなので、頑張らなくっちゃあ!

 明日から、イランへ行ってきます。

 今回はそんなに長い旅ではないので、ちょっと物足りない気もしますが・・・

 楽しい旅になりますように!

 帰ってきたら、旅行記また書きますので、読んでもらえたら嬉しいですm(__)m

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