写真上から
カラーンミナレットとカラーン・モスク カラーン・モスク ミル・アラブ・メドレセ
アーケードのある通り バザール・タキ マゴキ・アッタリ・モスク ラビ・ハウズ
ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ 修理中でした シュークリーム売りの女性
白い桑の実
今日は、ブハラの観光だけです。
「聖なるブハラ」あるいは、サンスクリット語で「僧院」を意味するブハラは、中央アジアだけではなく、イスラム世界全体の文化的中心地として栄えた。
その姿から、「他の地では、光は天井からさし、地を照らす。ブハラでは、光は地からさし、天を照らす」といわれるほどだった。
黄金期は、9世紀にはじまる。優秀な宗教者・科学者・神学生そして商人達が、各地から集まってきた。メルブやサマルカンドといったオアシス都市を結ぶ交易都市としても繁栄。生活基盤も整えられた。
しかし、12世紀になると、かのチンギスハーンによって、壊滅状態にされてしまう。彼は、モスクに集まった人々の前で、コーランを蹴散らして、威容を誇ったという。
その後、16世紀に入ってから再びよみがえる。多くのメドレセやモスクが建造された。シルクロードの面影の残っているブハラの町並みは、このころに完成したものだ。
そして今日までほとんど変化していないとのこと。
カラーンミナレットは、チンギスハーンの攻撃にも、大地震にも生き残ったこの地の生き証人である。上部に特徴的な飾りが見られる。
ミナレットをはさむように、カラーン・モスクと、神学校であるミル・アラブ・メドレセがたっている。
モスクには、208の柱があり、208の丸屋根がある。中庭には大きな桑の木が植わっている。
バザール・タキは、ドームで覆われたバザールである。16世紀のものだ。交差点バザールというように中で大通りが交差している。スザニなどを売る土産物屋がたくさん入っている。
マゴキ・アッタリ・モスクは、1936年に土の中から発見されたモスクだ。だれが埋めたかというと、チンギスハーンですって。何回も焼失、破壊、建築されたという。
ちかくには、両替市場があり、ユダヤ人が両替を営んでいたという。ここにはロシアの銀行もあったのだが、火事で焼けてしまった。現在修復中である。
ラビ・ハウズは、池の周りという意味。池を取り囲むように大きな桑の木が何本もある。最初ガイドから、3人くらいで囲まなければならないほどの大きさがあります」と言われた時は、「うっそー!」と思ったのだが、本当だった。日本の桑とは種類が違うらしく、実も白いものである。
食べてみるとほのかに甘く、案外いけました。
他にもこの池の周りには、いろいろな物がある。ご利益があるという布袋様みたいな像や、触ると幸せになれるという馬の像など。休日を楽しむ人々であふれていました。
ナディールモスクは、16・7世紀の建造。正面入り口の上部には、鶏と人間の顔をした太陽のモザイクがある。もともとは、キャラバンサライとして作られたのだが、ハーンがこれを見て「素晴らしいメドレセ」と言ったので、怒りを買うのを恐れたナディールは、急遽メドレセとして使うことした。
偶像崇拝を教義違反とするイスラムにしても、ハーンの威力の前には無力だったということかな。
現在は修復中で、足場の上では職人さんが作業をしていた。
この後いったんホテルに戻り、近くのレストランで昼食。少し休んでから午後の観光に出発です。