地元の人が利用しているバスといった感じだ。ユーロ・エコ両ラインのバスも走っているのだが、エコの方は金曜は運休・ユーロの方は時間が合わなかったんだよね(>_<)
でも、定刻より早く着いたからまあいいか。日本と違ってこのあたりは誠にアバウトである。
予約したホテルまでは、歩きで15分ほど。小さな街なので、探すのにちょっと苦労した。高いホテルだったら、一般のホテルサイトから予約できるのだが、安くて駅に近いホテルというと、ないんだよね。
結局、市のホームページから予約しました。
やっと着いたホテルは、こじんまりしたものだったが、悪くはなかったよ。
この街にやってきた目的は、十字架の丘へ行きたかったからだ。リトアニアは、十字架制作で世界遺産の無形遺産に登録されているくらい、十字架制作の伝統がある。異民族の支配下において、十字架は心の支えとなったいた面もあるようだ。
で、わざわざ大回りをしてやってきたというわけ。明日のホテルの朝食は、土曜日で開始が遅い。できるなら今日のうちに行っておきたい。
バスの時刻をターミナルに着いた時に見ておいた。それによると、15時40分のバスがある。16時位に向こうに着いたとして、ぎりぎり帰りのバスがある時間に戻ってくることができそうだ。
ターミナルの横には、大きなショッピングセンターが併設されていて、そこのATMで両替を済ませる。そして、窓口で切符を買おうとしたら、「中で買って頂戴」とのこと。長距離のみの販売みたいだ。
それでも、帰りのバスに時刻表をくれて、案内はしてくれました。
バスは思ったより混んでいる。降りるバス停を運転手さんに教えてくれるように頼んでおく。
20分くらいで、目指すバス停につき、お礼を言って下車。降りたのはいいが、何にもない。どちらに向かっていいのやらさっぱりわからない。一緒に降りた地元の女性が、たち去ろうとするのを呼びとめて、教えてもらう。
炎天下の中、30分以上、畑の真ん中の一本道を歩く。
不安になり始めたころ、ようやくそれらしきものが見えてきた。これは帰りの歩きの時間もたっぷり見ておかないとやばいな。時間より早くバスが来たら、アウトじゃん(;一_一)
一言で言って、その数に圧倒されます。リトアニアは、「十字架の国」とも呼ばれることがあるが、納得してしまう。
大小さまざま。形も様々。芸術的なものから、お土産品まで、その数は、リトアニアの生者の数より多いそうだ。
しかし、ここは墓地ではない。よって死体は埋められていないのだ。最初の十字架は、1831年のロシアに対する蜂起の後、死刑や流刑にあった人々のために建てられたようだ。
それ以来此処は、抑圧された民族・宗教の象徴として扱われてきた。ソ連時代、この丘に近づくことは禁じられた。KGBによって何度もブルトーザーで壊され、焼き払われた。
しかし、その都度人々は、こっそりと新たな十字架を建てて抵抗した。
水没させようとか、丘そのものをなくしてしまおうという計画もあったようだが、肝心の当局の人間も、入り色な理由を付けて、手をつけることを嫌ったという。
近年、移民として外地に行った人々がここに戻ってきて、ここに十字架を建てるといったこともあり、ますますその数は増えているという。
丘の上に登ったり、ぐるっと回り込んでみたり、十字架に書かれた文章を読んだりしながら、歩を進めていく。「ほんと、感動もんだね・・・」
いつまでもここにいるわけにはいかない。帰りのバスがなくなってしまったら、ヒッチハイクしかないじゃん。
来た道を今度は、引き返していく。それにしても暑い。
やっとバス停に着いた。20分前だ。いくらなんでもこれなら間に合うだろう。バス停といっても、屋根も何もないので、持っていた日傘をさす。
見逃さないように、進行方向と反対側をじっと見つめていると、1台のワゴン車が止まった。「うん?なんだ?」見ると、乗り合いバスのようだ。
「シャウレイ?」と聞くと、「そうだ」という。ラッキー。1日に、1・2便という乗り合いバスに遭遇するとは・・・。料金は、普通のバスと同じだ。ただしどこでも降りることができる。
ターミナルまで戻ってきて、明日のビュリニス行きのバスの時間を確かめる。街中もみたいので早いものはだめだ。6時台と12時のしかない。列車も1本のみが、昼間運行しているだけという。
ショッピングセンターで、パンとチーズのみ買ってホテルに戻ってきました。ワインは、リーガから持ってきたものがあるもんね・・。
シャワーを浴びるうち、冷蔵庫の中で少し冷やしておこう。
今日もよく歩いたな。
最初の写真・・・こんな道を延々と歩く。