好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2010年02月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 昼食は、コパンの街の中のレストラン。

 観光客相手のお店らしく、外国人の姿ばかりが目立つ。

 デザートを食べていたら、入口のほうから懐かしい人が入ってきた。

 「え!エドワルド?」

 向こうも、こちらの姿を認めて手を振ってくる。エルサルバドルでお世話になったガイドだ。

 こんなところで会うなんて・・・。思わずハグしてしまいました。私達の後お世話した人達を連れてきたのだとか。

  
 ふたたび、国境を通りグアテマラへ入国。審査もありませんでした。

 グアテマラの首都、グアテマラシティを目指したのだが、これが長くて4時間半もかかってしまった。観光も入っていたのでが、すでに外は暗くなりかけており、奇麗な満月が下を照らし始めている。


 中央公園で、下車。広場に面して建っている国立宮殿とカテドラルをカメラに収めただけで、
大急ぎで今晩の宿泊地であるアンティグアの街に向かった。


 この道、アメリカンハイウェイに向かう車やらで、大混雑。本来なら1時間ほどの距離を2時間以上かかったしまった。

 着いたホテルは久しぶりの良いホテルでホッとした。時間も早くはないのだが、労をねぎらって(?)ワインを所望(^O^)


 部屋に入るとなんと暖炉がありました。朝夕は冷え込むので、あるのだとか。マッチで火をつけてみると案外簡単に燃えました。


 火を燃やすなんていつ以来だろうか???火を見ているとなぜか落ち着くね。


 写真は、コパンの朝の風景ものせてみました。後半は、グアテマラシティになります。

 カテドラルは、いろいろな時代の様式がまじりあっている。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

 
 1枚目の写真が神聖文字の階段です。

 写真をとっていました。穴のあいている部分は、アメリカにプレゼントしたそうです。

3枚目が、階段の復元図。4枚目が、マヤのカレンダーでこれだけで1年のすべてが読み取れるらしいですが・・・

5枚目は、体を鍛えていた道具ですって!どくろの歯には、ヒスイが埋められています。

最後の3枚は副葬品で、王様をかたどった香炉です。目を保護するためのサングラス?
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

 ホテルから遺跡までは、バスに乗るほどの距離はないのだが・・・。


 ガイドは、ローカルガイドのマビン。彼は、アメリカ嫌いでことあるごとにアメリカをおちょくる。日本人相手だと堂々とアメリカ批判が言えるので、すっきりしたのでは(笑)


 歩いているといきなり鳥の鳴き声が聞こえてきたと思ったら、あっという間に数羽が集まってきた。きれいな羽根の色が特徴的。昔は遺跡もこのような鳥の羽の色に塗られていたらしい。


 園内で餌付けを行っているようでした。


 コパンは、ティカルと並んでマヤを知るうえでは、とても大事な場所だ。紀元前500年前くらいから、壮大な神殿の建設が始まっている。現在我々が見学しているところは、ほとんどが祭祀建造物で住居は、周りの密林の中にあったらしい。

 コパンは、マヤの科学センターの役割を果たしており、7世紀にコパンの神官は、1年を365・2420日とする算出方法を導入して、他のマヤの都市にも勧めている。


 そんな栄華を誇ったこの遺跡も、9世紀にやはり歴史上から忽然と姿を消してしまうのだ。


 見学路にそって、西広場で、アクロポリス・祭壇Q(これは、歴代の王を掘り込んだもの)・神殿16(中にもう一つピラミッドが見つかった)を見学した後、密林の中に埋もれていたヤシャ・パサフの宮殿、神殿18、そして東広場に向かった。

 東広場を抜けると、神聖文字の階段のあるグランプラザに出た。


 ここにはたくさんの見事なステラが残っており、掘りの深いものは15cm以上あるように思える。神聖文字の階段は、会談すべてに文字が彫り込んであり圧倒されてしまう。


 球技場もあるが、これは日本で言うと蹴鞠みたいなもので宗教上の儀式みたいで、あくまでも奉納が目的である。


 石碑はよく見ると、赤が残っており、元の色を想像してみたくなってしまう。


 写真の上から3枚目の神殿の中に4枚目のピラミッドが発見されました。見学は今はできなくなっていて、復元予想図のみでした。(4枚目)

5枚目が、ヤシャパサフの宮殿 6枚目が、修復された部分と修復前の部分がはっきりわまれている神殿です。ここの発掘には、日本人の学者がかかわっています。ホンジュラスは、日本のジャイカが援助を積極的に行っています。でも、そのことを知らない人がほとんどなので、もっと宣伝したらいいのにと思った。

10枚目の写真が、球技場です。地面に球を落としたほうが減点されるようです。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 コパンの街です。

 ハンモックのお店屋さんとか、桜に似た花、さまざまです。

街に到着したころには、こんな暗さになってしまいました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

 今日は、7カ国目の国ホンジュラスへ入る。その前に国境に向かう途中キリグア遺跡を見学していく。

 ガイドも最後のガイドへと交代した。彼は、純粋の原住民である。ここで、インディハナの人が成功するのは、容易ではない。彼も、努力を重ねてガイドの位置を得たのだという。英語・スペイン語に加えて今は、日本語を勉強中とか。成績がトップなので、ご褒美に日本への航空券をプレゼントされたのだという。そのうちに日本へ行くのをとても楽しみにしているという。


 そういえば、昨日までのガイド氏が、「ここでのアメリカンドリームは、メキシコに密入国して、本国へお金を送金することだよ・・・」といっていた。考えさせられる言葉であった。


 キリグアに向かう途中、セントラルアメリカ橋を渡る。この橋のかかっている川は、マヤの人達にとってはとても大事な交通手段であった。陸には道がなく、川を使うほうが大量にしかも容易に移動できたのだろうな・・・。

 現在、われわれの走っている道は、アメリカのバナナ園を経営している会社が、物資を運ぶために作ったのだそうだ。


 キリグアまでは、4時間半もかかり、みなお疲れのようでした。


 キリグアは、もともとコパンの支配を受けていたのだが、737年の戦争によって、王をとらえた。それによって独立を果たし、発展していくこととなったのだ。


 3代にわたる王のモニュメントや、獣形祭壇・アクロポリスなどを見学していく。この中で、一番高い石碑は、11.7mあり、コロンブスが到達する以前のアメリカ大陸において一番の高さがあった。


 石碑には、王の姿や、マヤ文字が刻まれている。鉄器を持たなかったマヤの人々は、このような緻密なものを固さの違う石にによって掘り込んだのだ。それを想像すると気の遠くなるような気がしてしまう。


 獣形祭壇は、実際の動物を掘り込んだのではなく、さまざまな動物の集合体のような形になっている。動物の持つ力を頼りにしたのだろう。

王の鼻が欠けているのは、亡くなるとこうして削ったからだという。


 昼食のあと、ホンジュラスへ向かう。バスで1時間ほどだ。ここでの入国はとても簡単で、ガイドがパスポートを集めてそこにスタンプを押してもらい、それで終りであった。

 国境から30分ほどで、コパンの街に着いた。バスが入れないので、リヤカーにより荷物を運んでもらった。石畳の中大変だったと思う。


 この街はとても雰囲気のある街で、坂が多い。あまりに素敵なので、夕食の後散歩に出かけた。ついでに、有志でバーに立ち寄り一杯引っ掛けてきました!(^^)!


 ホテルの前の道は、遅くまで名物の串焼き屋さんが屋台を出しており、賑わっていましたよ。本当は、私もああいうところでご飯が食べたいなあ!

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

 昼食の後は、自由時間となり、私達4人のみ、3km離れた6号神殿に向かい、残りの人々は、
ビジターセンターでお土産物などを買うことになった。


 6号神殿は、ティカルの中では最も新しく発見されたもので、近年修復が終わり公開されているとのこと。


 フラットな道を進んでいく。途中には何もなく、道の終わりにぽつんとこの神殿のみが建っていた。
登ることも、中に入ることもできないので外から見学。

 上部の飾り屋根にたくさんの神聖文字が刻み込まれているので、碑銘の神殿とよばれている。


 戻りグループに合流して、フローレスの街に戻ってきたのは、5時ちょっと前だった。


 夕食までは、時間があるので親しくなったKさんを誘って、フローレス島へ夕日を見に行くことにした。


 2回目なので、ザット島の案内をした後、湖の向うに太陽の沈む様子を見る。

 カップルや漁船のシルエットが美しく浮かび上がってくる。



 この日の夕食の時、添乗員からお詫びとお礼が述べられた。


 実は、昨日辺りから彼はぎっくり腰になってしまっていたのだ。ベリーズの出発の時、スーツケースを持ち上げた時に、痛めてしまったらしい。


 昨日のシュナントウニッチで痛そうだったので、私は持っていた痛みどめの薬を差し上げたのだが、それでは、ちょっと痛みが和らぐ程度で、やはりきつそうだった。


 ツアーの人々の中に、薬学博士の肩書きを持った方がいて、その人が持っていた劇薬扱いの薬を服用したり、ゴムの腰バンドを持っていた人がいたので、それを借りたりして、何とか今日のティカルの見学を遂行できたのだった。


 結局、最終日まで回復することはなかったのだが・・・・。

 道がよくなく、腰に負担がかかるのと、階段の上り下りが多いのでつらかったと思います・・・。


 今日の夕食に出たデザートの、チーズケーキは絶品!ワインも久しぶりにいただいて幸せな気持ちで眠りにつきました。!(^^)!

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 
 写真上から 

   “掘されていない神殿 ◆ー困錣譴神こΔ凌静臓´ 7つの神殿の広場 ぁ―ど錝

ァ。宜羶静臓´Α/静造らの眺め А〔楸未里茲Δ別據´─.▲薀ぅ哀涓覆瞭以らしい  

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

 今日は、楽しみにしていたティカル遺跡に向かう。

 ティカルは、マヤ最大の神殿都市遺跡で、世界遺産に指定されている。フローレスから60kmほど離れた場所にある。

 まずは、ビジターセンターで模型を見て全体像を把握。そのあと、内部へと歩を進めていく。

 途中で、カヌーの材料となるセイバの大木をみたり、ホエザルのけたたましい鳴き声を聞きながら、奥へと入っていく。


 最初に、着いたのは、1号神殿・2号神殿・ノースアクロポリス・セントラルアクアポリスなどに囲まれたグランプラザだ。


 1号神殿は。完全な形で残されていて、高さも十分ありとても美しい。このピラミッドには残念ながら登ることはできない・・・。

 1号神殿に向かい合う用にそびえているのが、2号神殿である。

 2号神殿を背にして、左側がノースアクロポリスで、いくつもの祭壇や碑が麓にたっている。上段には、ピラミッドもある。

 それと対面して建っているのが、セントラルアクロポリス。これは、210mにわたって東西に広がる巨大な住居跡である。おそらく支配者たちが住んでいたのだろうと考えられている。


 1号神殿は、高さ51mティカルの中では、4番目の高さであるが、その美しさは群を抜いている。ジャングルの高層建築といった感がある。建造は、700年ころで、影響を受けていたメキシコのティオティワカンが、急速に衰退していったころに建てられた。
 純粋のマヤ様式で建てられており、垂直傾向がとりいれられている。9つの層からなっており、上部の神殿には、3つの部屋がある。
 1958年、内部のさらに古いピラミッドから、大墳室が発見され、王のものと思われる骨の周りには、たくさんの副葬品が発見されている。


 2号神殿は、高さ38mと低いが、これには登ることができるので、早速登って高いところからグランプラザ全体を眺めてみる。


 ティカルは、紀元前から人が住み始め、300年から800年ころには、一帯の都市を従える大祭司センターとして栄えた。人口は、少ない時でも1万人を超えていたという。ティオティワカンが衰退した後に、最盛期を迎えたが、10世紀に入ると、衰退してしまった。住民達は、街を棄てどこへともなく消え去ってしまうのである。

 そして、熱帯の旺盛な植物群に覆われ、緑の海の中に埋没していってしまったのだ。


 この緑の広さは、次に登った最大の高さを誇る4号神殿の上から眺めると、実感することができた。

 4号からさらに進んでいくと、5mもの厚さの壁が上部にのっている5号神殿が控えている。これの高さは57mである。これにも上ったのだが、梯子しかかけられていないので、さすがの高いところ大好きな私も慎重に登って行きました。


 他には、失われた世界と名づけられた広場や、7つの神殿の広場などを見学して、昼食場所へと向かった。


 たくさんのピラミッドに登ったので、おなかがすいたよー!


写真  ~澗痢´◆.札ぅ个量據´1号神殿 ぁ。温羶静臓´ゥ痢璽好▲ロポリス Α.札鵐肇薀襯▲アポリス  А.札鵐肇薀襪らみたところ ─ゝ霏腑泪好の石  祭壇と碑  3号神殿

   

このページのトップヘ