好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2011年11月

 
 筏にはたくさんの人が集まって来ていて、自分の食べたいものを注文している。
 
イメージ 5
 
われわれのコースには、お昼はついているのだが、ここで買ったものを船の中で調理してもらって食べることはできる。
 
 クエは、こちらでも高級魚ということで、1匹100ドルもする。
エビ・蟹大好きの相方は、ワタリガニを購入した。10ドルである。いくらか安いのかしら?
 
 クエ
イメージ 1
 
ワタリガニ
イメージ 2
 
昼食は、海鮮づくし。エビをゆでたものや、すり身を唐揚げにしたもの、イカ、生春巻、貝の蒸し物、トウモロコシのごはん、野菜と海鮮を炒めたものなど何種類もテーブルの上に並んだ。
 
 おなかも満腹になったところで、港に帰ると、乗ってきたバスがない。聞けば、調子が悪くて取り換えたのだそうだ。乗っているうちでなくてよかったね。
 
 ハノイまでは、昨日と全く同じ道である。ただ昨日は、後半日が沈んでしまっていたので、暗くて景色が見えなかった。だから同じ道でも退屈はしない。
 
 ハノイに入ると、すごいバイクの量である。傍若無人といった感じで、走り回る。
 
そんななか、タンロン遺跡に到着。まだ発掘途中であるが、世界遺産にも指定されている貴重なものだ。
 
瑞門といわれる門の前で、学生達が写真を撮りあっている。卒業の記念写真なのだそうだ。皆せい一杯おしゃれをしてきているといった感じだ。
 
以前訪れたときには、アオザイ姿の女性を結構見かけたのだが、今回は、本当に見かけない・・・。日本の着物と同じ運命をたどるのだろうか?
 
 タンロン遺跡瑞門
 
イメージ 7
 
竜が乗っている。
イメージ 6
 
 
女子学生達
 
イメージ 8
 
若い女性が、カメラを好きなのはどこでも一緒だ。ポーズをとって(^^♪
 
イメージ 9
 
続いて一柱寺に向かう。1049年、李王朝時代に建てられたお寺である。ハスの花をイメージして造られたといい、1本の柱の上にお堂が乗っている珍しいものだ。子宝祈願のお寺としても有名で、お祈りにおとずれる人が絶えない。線香は、無料で誰でもお参りしていいというので、早速お参りします。
 
イメージ 10
 
 ここから5分ほど歩くと、ホーチミン廟がある。
ベトナム建国の父、ホーチミンが安置されているのだ。生涯をベトナムの民族解放にささげた彼は、今なおベトナムの人々に敬愛されているようだ。1969年、79歳で亡くなったが、廟は、ベトナム戦争終結後の1975年9月2日の建国記念日に建てられた。
 
 外観から見るだけなのだが、建物の前に白線が引いてあり、そこからちょっとでもはみ出すと、衛兵がピーっと笛を鳴らして警告する。
 
 ちょうど衛兵の交代時間だったのでその様子も見る。1時間ごとに交代するそうだ。廟の前には、大きなベトナム国旗が掲げられており、廟を静かに見おろしているといった感じである。
 
イメージ 11
 
イメージ 12
 
イメージ 13
 
廟の前、とても広いです。
 
イメージ 14
 
この後はまた、トイレ休憩を兼ねたお土産屋さんに連れていかれます。私と彼は、買いたいものはないのでトイレを済ませた後、集合時間まで近くをぶらぶらしてみる。
 
すると、少数民族の方がお土産屋さんの前で座っているのに会いました。笑いかけると、そのまま笑みが帰ってくる。たぶん自分達の作った刺繍や縫物工芸品をおさめに来たのでしょう。
 
ベトナムは、小物や雑貨がとてもかわいらしく、美しい。女性だったら絶対欲しくなってしまうようなものがずらっと並んでいる。中でもこうした少数民族の方の作ったものはとても細やかで美しい。
 
 最近は、旅をしても買わないことが続いていたのですが、今回は例外で、いろいろ買ってしまいました(^^♪
 
イメージ 3
彼女らの身につけているものは、村に寄って模様が違うという。
 
バイクの波、まだましな方です。今日は日曜なので通勤しないから・・・。
 
イメージ 4
今日中に、ダナン行きの飛行機に乗り、そこからホイアンまで向かいます。
フライトは、1時間くらいですが、今回の旅は、毎日移動だったので、毎日飛行機に乗っていました。
4日連続で乗ったのは、生まれて初めての事です。
 
その前にこちらで夕食を済ませていくというので、おしゃれなレストランに連れていかれました。ここは、かなりオシャレな感じで、お店のスタッフ洗練されている感じです。
 
 ワインをいただきながら、ベトナム料理に舌鼓。ワインは、フランスの植民地だったから、フランスワインと思いきや、最近はどこへ行ってもチリワインが出てくるのだ・・・。
 
21時30分、ガイドと離れてダナンへ向かう。
22時45分、ダナンに到着。迎えに来ていたガイドと共に、ホイアンのホテルへ向かいます。
 
遅いせいか、人っ子ひとりいない・・・・。ガイドいわく、ダナンは、ベトナムで一番治安がいいので、皆出歩かないというのだが
・・・なんか反対のような気も・・・。
 
ダナンは、大きな港町だ。貿易で栄えた町で、日本ともかかわりが深い。
 
40分ほどでホテルに到着。われわれはなぜか今日は、グレードアップのホテルに連れて行かれ、なんだか得した気分です。他の2組は、スタンダードだったのになんでだろう?
 
ホテルは、ムード満点のリゾートホテルだ。小腹がすいたので、ウエルカムフードとドリンクをいただきました。

 
朝食に向かう前、部屋の窓から外を見ると大きな橋がかかっている。
これは割と新しくできた橋で、日本の大成建設が造った。
ベトナムの政府間援助の割合は、日本が一番多いそうで、あちこちで日本の会社が関係して建設したものを見ることができる。
 
 この橋ができるまでは、人々は船で行き来をしていたのだ。
 
イメージ 1
 
 レストランは、韓国人・中国人の姿が多い。ガイドいわく、「ベトナムは、韓国に乗っ取られます」
あながち冗談ともいえないほど、ハングル文字が氾濫、ヒュンダイの車が走っている。
 
 食事のあと、近くを散歩して見る。
このあたりはいつも霧が出て、ぼやっとしているのだ。それがまるで墨絵の世界のようにも見えて、独特の雰囲気を醸し出している。
 
 
イメージ 2
 
 岸壁では、釣りをしている人たち。水上生活者でしょうか。ベトナムでは水上生活者が、多分最下層に位置しているのだと思う。
 以前行った時には、学校にいけない子供達もたくさんいるということだったが、今は多分改善されていると思う。
 
水上生活者の船
イメージ 10
 
 不思議なものを発見!
屋根を突き破って何本もの大木が生えている。1本くらいは、見ないでもないが、こんなにたくさんあると、爽快です。近寄って見ると、こんな感じ。多分紫檀の木だということでした。
 
イメージ 11
 
イメージ 12
7時45分、時間きっちりにお迎えがやってきました。
船着き場のある、リゾート港に移動します。
 
 海を埋め立ててつないだという道路を渡ってゆきます。このあたり一帯を開発したのは。元軍人の方だそうで、今回の日本の震災に伴う福島へ、1億円もの寄付を送ってくれたということです。
 
 福島の原発問題の後、そこで働いていた中国人達はいっせいに本国へ逃げ帰りました。
ガイドさんは、福島で中国人を400人雇っていた経営者を、最近案内したという。
 
 人手不足に陥ってしまったので、変わりの労働者をベトナムに求めに来たのだという。その時に、一緒に行動していろいろ聞いたそうだ。結局。40人ほどを新しく雇うことができたという。
 
 確かに、原発の事故の時、いっせいに外国人が逃げ出したというはなしは、あちこちで聞いたし、自分でも見聞きしている。
 
 あまり関係ないと思っていたこの地でも、関係してくるのだから、世界は狭くなっているということかなあ・・。
 
 船は、われわれ12人の貸切だ。お昼は、船の中でいただきます。
こんな感じの船で、観光してゆきます。
イメージ 13
 
気持ちがいいので、船室の中では無くてデッキにでて見ます。
 
行く手に広がるのは、こんな風景です。
イメージ 14
たくさんの観光船が、出ています。これらは、みな水上生活者の船で観光しています。3泊4日くらいかけてゆっくり回る人もいる。それらは、もう少し大きな船です。
 
イメージ 15
 近づいてくると、なんだか襲われそうな、海賊船の襲来のように思えます。
イメージ 16
 
それらの船は、いっせいに鍾乳洞のある港へと向かっていく。
船のラッシュうというものを初めてみた。へしあい押し合いというのは、ああいうことを言うのだろうなあ!
我先にと、一つしかない桟橋を目指す。われわれの船は実際にぶつかってしまったが。どちらも何も言わない。怖いのは乗っている我々だけだ。
 
イメージ 3
 
 鍾乳洞は、雨季になると雨が上から降ってくるそうで、傘を差さなければならないそうだが、乾季の始まりの今はそんなこともなく普通に歩ける。
 
 けれども、中はすごい混雑だ。しかも日本人ばかり!タイ・北アフリカ・中東方面がツアーがなかなか出にくくなっているので、集中しているのだろうか?
 
 なんだか、秋芳洞を回っているみたい(+_+)
 
けれでも、このライトアップは、やはりアジア人の考えである。日本人は、絶対にしない。まぶしくて本来の鍾乳洞の色がよくわからなくなってしまっている。
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
船着き場で、売り物のサトウキビの皮をむく女性。
 
イメージ 6
 ふたたび船に乗り込み、筏のある場所へと向かう。
 
 乗り込むとすぐ、水上生活者の船が近寄ってきた。彼女達は、果物を売っている。旦那さんが船を操り、奥さんが果物を売っている。
器用に船の上に立ちあがり、」われわれの船と同じスピードでぴったりついてくる。
 
イメージ 7
 
 1ドルで、ライチに似た果物が10個ほど買えました。おいしくて、あっという間食べてしまった。
 
 船は、狭い場所へと向かっていく。ますます墨絵の世界のようになってきた。
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
 筏に着きました。上陸(?)してみましょう。
 
 
 
 
 

 
 休みは取れたものの、行く場所がアセアン会議でだめになってしまい、急きょ決めたのがベトナムだ。
 
15年ほど前に、フエ・ホーチミン市は行ったことがあるのだが、北の方は行ったことがなかったし、あそこは食べ物が本当においしいので「まあいいか」という乗りである。
 
 2人催行なので、出発は確定しているし、空港はセントレアなので、気楽なものだ。期間も機中泊を含む4泊5日なので、荷物もさほどなく、2人で1つのスーツケースでも十分すぎるほどである。
 
 セントレアを、10時55分に離陸。ハノイには、現地時間の2時45分到着である。時差は2時間だ。アジアの良さは、なんといっても近いこと!ひと眠りする間もなくついてしまった。
 
 手続きを済ませて集合場所へ出向いたら、なんと12人もいた。申込自体は2人・3人なのだが、これからホーチミン市までは、まとまって行動するという。ちょっとしたツアーのようだ。
 でも知らない人が、入れ替わり立ち替わりというよりも、同じ顔で動いた方が楽しいかもしれない。
 
 ハノイ空港からハロン湾までは、3時間以上かかる。スピードが出せないのが最大の時間のかかる理由かも・・・。
ともかく交通ルールが全くなっていないので、怖くて仕方がない。バイクの数も、半端でなく多い。それらが、2人乗り3人乗りは当たり前、中には5人乗りなんて曲芸まがいのものまで走っているのだから・・・・。
 
 交通インフラが整備されていないせいもあるだろうが、ベトナムが発展するためにはこの交通状態を何とかしないと先には進めないだろうなあと思う。
 
イメージ 1
 
 ベトナムは、南部では2期作ができるが、北部では無理である。道の両側には、穂だけを刈り取った稲田が広がり、牛達がその中ご飯を食べている。
 
 途中で、トイレ休憩と言いながら2か所ほどお土産屋に立ち寄る。格安ツアーでは、お約束なのだが、観光を削ってこういうところで時間をつぶすというのがどうにも嫌である。
 
 今回は、ホテル・エアー・観光・食事が全部ついて、燃油込みで95000円ほどなのだから、まあ仕方がないかと、あきらめて入るのだが・・・・。
 
 ベトナムの民家は、間口が狭くて奥に長い。これはどうも税金対策のようで、昔の京都の町屋のようだ。
 
いろんな様式がまじりあった建て方なのか、よくわからない。
イメージ 2
 
 港が近くなってくると、火力発電所も現れる。石炭火力である。日本の企業も参加して建設したという。
 
イメージ 3
 
 やっと今日の宿泊地である、ハロン湾に到着した。チェックインの前に先にお食事をいただく。
まずは、ハノイビールで乾杯だ。
 
 今日のメニューは、海鮮鍋。これがとてもおいしい。貝・エビ・イカ・すり身などが入っている。淡白で日本人の口にとてもよく会う。
イメージ 4
 
 支払いは、ドンでもドルでもいいというが、ドルで払うとすこし損かな。相変わらず、ドンはすごいインフレで、2万ドンでやっと1ドルという勘定である。
 
 ここまでケタが違うとしばしば、混乱する。
 
 食事の後は、軽くナイトマーケットを散策する。ここのは、それほどの規模では無く、テントの中におさまってしまうくらいだ。
イメージ 5
 ホテルは、2か所に分かれての宿泊となる。グレードアップ組とスタンダード組である。われわれは、もちろん、眠れればいいのでスタンダードです。
 
 

 
 のべでいうと、17日間という旅でしたが、今回は秀逸でした。
 
 地球という美術館に飾れられた、数々の名画を見たような感動を覚えました。
 
 私の住んでいる星は、これほどにもダイナミックでかつ繊細な星だったのだと、あらためて思いました。
 
 また、南米の方々の厳しい環境でもたくましく生活されておられる姿には、感心するとともに自分は無理だと思いました(+_+)
 
 デモや選挙、インディヘナの方々と特権階級の格差なども、随所に体験することができ、それも自分にとっては貴重な体験でした。
 
 たくさんの地下資源を持ったそれらの国々が、搾取されることなく自分達の国家にちゃんと還元されると事を。日本から祈りたい気持ちです。
 
 最後に、旅先でいただいたお食事や、容量の関係で紹介できなかったものをアップしてみました。
 
 まずは、世界一牛肉を食べるアルゼンチンのステーキです。分厚いですが意外と軟らかい。いけます。私は、お肉は好まないのですが、これはおいしかったです。
 
イメージ 1
 
エンパナーダと呼ばれる、郷土料理。餃子みたいです。焼いたものや、これみたいにあげたものがあり、個人的には、焼いたものがあっさりしていて好きです。
イメージ 2
 
 
キヌアのスープ。キヌアは、こちらの人は主食のようによく食べます。高地3000m以上でないと育たないそうです。キヌア、大好きです。日本でも売っているので食べることができるけれど、本場で食べると、なんだかおいしい。
イメージ 11
 
ちょっとおしゃれに、キヌアのミルフィーユ仕立てです。これは、かなりおいしく、一流レストランの味でした。
 
イメージ 12
 
キヌアのプディング、おいしいがかなり甘い。
イメージ 13
 
タマレス。トウモロコシの皮の中にひき肉などを詰めたもの。
イメージ 14
 
トウモロコシのスープ。辛いチリソースをかけていただきます。粒粒がよい感じ。
 
イメージ 15
 
リャマの煮込み。私は、食べていないのですが、聞けば、ちょっと硬いそうです。
 
イメージ 16
 
村の食堂の子供、ここでトイレを借りました。
イメージ 17
 
村のお土産屋さんの女性。珍しくポーズをとってくれました。
イメージ 18
 
アカタマ塩湖で・・・お姉ちゃんは、風から妹を守ろうと必死です。
イメージ 3
 
おいしかったアカタマのレストランのお兄さん。かっこよかったです。
 
イメージ 4
 
これは、プカラ遺跡のもので、この穴の中に相手を倒して切り落とした首を保管しておくそうです。
遺跡の中で、ただ一か所にあるそうです。
イメージ 5
 
ポトシの修道院の台所で使われていたもの。くりぬいたところから、野菜などを入れ冷蔵庫代わりに使っていたという。
イメージ 6
 
こちらは、機動隊の方です。暇そうにしていたので、声をかけたら起立してくれました。ポトシで・・。
 
イメージ 7
 
イリマニ山。標高6402mです。
イメージ 8
 
ジュース売りの女性。車が停まるとこうして売りにきます。手に持っているのは、モモのジュースといっていたと思う。日本円で15円くらいです。ガイドは早速買っておいしそうに飲んでいました。
 
イメージ 9
 
ボリビアの年輩の方の平均的なファッションです。ペチコートをたくさんつけてスカートをふくらませる。
 
イメージ 10
 
長い間、お付き合いくださってありがとうございました。
次はベトナムです。

 
アルゼンチンは、キルメス遺跡で出会った猫、とても器量よしです。
 
イメージ 1
 
アルゼンチンは、プカラ遺跡で出会った猫・・・こちらを向いてくれないし、止まってくれません。ぶれてしまった。
 
イメージ 2
 
チリに入って、アカタマのレストランの猫です。こちらは、ひもで顔を撮ろうと頑張ったのですが失敗。
動物は難しい・・・。
 
イメージ 3
 
ボリビアに入って、スクレの猫です。
兄弟なのか、姉妹なのかとても仲がいい。
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 ティワナク遺跡のレストランの壁画・・・・大きな猫?
神の使いピューマでしょうか。
イメージ 6
 
 つながれていない犬は、たくさん見かけましたが、狂犬病が怖いのでさわれません・・・。

 
 カラササーヤへの入り口、以前は通ることができたのですが、今は通れなくなっていました。
 
イメージ 1
 
 半地下神殿は仮面神殿ともいう。
一段低くなった壁には、180個もの顔が石で刻まれ、はめ込まれている。全部違った顔であることから、他民族との交流があったことがうかがえる。
 
 ここで、遠足の子供達と一緒になってしまい、なかなか進まない。
親御さんも民族衣装で付き添っています。
 
イメージ 2
 
母親、カラフルです。
 
イメージ 3
 
 人の顔がずらっと
イメージ 4
 
イメージ 5
 
真ん中に立っている大きな石像は、コンティキの神
 
イメージ 6
 
これですべて終わりました。
 
敷地内にある唯一のレストランでお昼ご飯をいただきます。
 
メニューはリャマのステーキ・・・すべてガイドさんに食べていただきました。
 
やはり食べる気にはなれないです(+_+)
 
 この後は、直接空港に向かいます。
 
 ラパスの空港は、市内よりもっと高い位置にある。空港としては世界で最も高い位置にあるのではないだろうか?
 
 おまけに排気ガスが規制されていないので、空気が悪い。他のところよりも、息をするのが苦しいと訴える人が出てくる。
空港には、酸素ボンベがあり医者が、看護師か医者が常駐している。
 
 日本に帰る直接の便はないので、途中でリマ・ロスアンゼルスト2回の乗り換えをしなければならない。
 
 乗っている時間だけで、22時間以上、待ち時間を加えると28時間以上にもなってしまう。
 
まだまだ先は長い・・・・。
 
 ラパスの空港の周りには、飛べるのか飛べないのか、ちょっと考えてしまうよう飛行機が置いてある。
 
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
 
 17時15分、ラン航空でリマに向けて飛び立ちます。
 
 リマまでは、近いです。2時間ほどで到着。
ロス行きは、6時間後だ・・・・(>_<)
 
 何もすることもなく、ショップを覗いたり、眠ったり、おしゃべりしたり、ご飯をいただいたりして時間を過ごす。
外に出て観光をという話もあったのだが、空港税・車のチャーター代などを含めるとかなりの金額になるというので、やめになった。
 
 でも、空港のレストランはかなりおいしかった。ペルー沖は、世界3大漁場の1つでとても魚のおいしいところだ。
 マリネにしたものやフライ日本のそうめんに似たものをいただいた。
 
 日付が変わった24時20分、ようやくロスに向かって離陸したのだった。
 
 ロスまでの飛行時間は、約9時間です(+_+)

 
 観光最終日。
窓を開けると、こんな感じです。
イメージ 1
  
 
 ホテルは、市街地の真ん中です。通勤時間、散歩に出てみました。
ホテルの横の階段に出ている駄菓子屋さん。
 
イメージ 2
 
前の道路では、昨日の日記にも書いたように、横断歩道を渡る運動「シマウマ運動」のパーフォーマーであるシマウマの着ぐるみが軽やかに踊っていました。
 
イメージ 7
 
 通学する子供達。
イメージ 8
 
 さてホテルを出発。
1時間ほどかけてティワナク遺跡に向かいます。
郊外に出ると、雪をかぶったレアル山脈が見えます。
 
ティワナク遺跡は、世界遺産にも指定されています。
400年ころから800年ころまで続き、インカの次に大きな文化を誇った。
 ピラコチャの神をはじめとする多くの神々を崇拝する宗教都市だったといわれている。
標高3800mの高地に誰が何の目的で、巨石を使ったこの壮大な都市を造ったのか、また、人間の形をした巨大なモノリート(立像)は、何を意味するのかまだはっきりしたことは、解明されていない。
 
 遺跡は、すべての建造物が巨大な石で造られているが、その石は少なくとも70km以上はなれた所からはこばれたそうだ。
 
 また、モノリートを始め、どれをとってもインカに劣ることはなく、見事な石造技術である。
 
 ここも、2回目の訪問となる。前回はまだ、整備が進んでいなかったのだが・・・。
 
最初は博物館に入場だ。写真は撮ってないけないという。前はよかったのにな(+_+)
 
発掘品や、一番大きなモノリートを見ます。
 
 遺跡の想像模型
イメージ 9
 
ピラミッド部分
イメージ 10
 
遺跡の中心部分カラササーヤの基礎部分。ここにモノリートや太陽の門がある。
広場の大きさは。135×130m。配水設備も整っています。
 
イメージ 11
 
 エル・フライレと呼ばれているモノリート。名前は、発見者の名前がつけられている。たくさんのモノリートが、発見されたがここに立っているのは2体だけである。
 
イメージ 12
 
 祭壇からまっすぐに巨石がならんでいる。
 
イメージ 13
 
ポンセと呼ばれる
イメージ 3
 
最も大事な太陽の門、見事なレリーフ。スパッと切ったように加工されている。重さ5トンともいわれ、巨石文化の象徴である。
 門の上部には、ピラコチャの神と神を囲む48の鳥人が刻まれている。ひびは、1908年の地震で、入ったものだ。
イメージ 4
 
ピラコチャと48の鳥人
イメージ 5
 
裏側
イメージ 6
暑くなってきました。日陰になるものは何もないです。日傘が唯一の味方です(^O^)
 
 
 
 

 
ムリリョ広場から見た国会議事堂。 西側に大統領官邸やカテドラルがあります。
 
イメージ 1
 
韓国の要人が訪問しているとかで警備と交通が規制されていました。
 
イメージ 2
 
旧市街には、老人ホームもあります。お年寄り達が、表に出て、のんびりしていました。
 
イメージ 11
 
ふたたびバスに乗って、キリキリ展望台に向かいます。
イリマニ山が美しい。この山は機嫌を損ねると中々顔を見せてくれません。
今日は機嫌がいいようです。
 
イメージ 4
 
 ズームしてみると、こんな感じです。日干しレンガの家々が積み木のようです。
イメージ 3
 
高層ビルは一応高さ規制があるそうですが・・・。
高所の動物園の動物は、ここになれるために、低地から順番に高度を上げてからやって来るそうです。
一か所で、3か月ほど過ごすという。
 
 犬や猫は、よそから旅行で来ることはできないという。高所に対応できずなくなってしまうという。
 
イメージ 5
 
続いて、今回3度目の月の谷。長いコースと短いコースがあるのですが、今回は短い方でした。山の下を地下水が通っているので、時々陥没するそうです。
 
入口には民族旗や国旗が美しくはためいていました。
 
イメージ 6
 
帰りは、サンタ・クルス・セミナレスで下車して、魔女市場と呼ばれる一角を歩く。
 
イメージ 7
 
何やら怪しげなものが並んでいたりもするが、楽器や民族衣装などのお土産を売るお店もたくさんあります。
 
パチャママと呼ばれる、お守りのようなもの。
イメージ 8
 
ゆっくり歩いていたらすっかり日が暮れてしまった。
すり鉢の底の真ん中に位置するといってもいいサンフランシスコ寺院のある広場でも、スクレでも見かけたアマゾンの道路建設に反対する集会が開かれていました。
 
 たくさんの人が集まっています。前回宿泊したホテルはこの近くだったので、朝の散歩で、ここは訪れていましたが、夜の光景はまた違った雰囲気です。
 
イメージ 9
 
 ホテルに戻ります。部屋から見た夜景。奇麗でした。
闇はすべてを飲み込み、灯りは、美しさだけを表しています。
 
イメージ 10
 最後の晩餐です。長いようでしたが、過ぎてしまうとなんだかあっけいない。
ワインをゆっくり飲みます。(^O^)
 
 明日は、ティクワナ遺跡を観光した後、空港に向かい、日本へと飛び立つ予定です。

このページのトップヘ