好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2013年09月

 
 テレビのCMを見ていて「あ!これ絶対行きたい」と思ったものがあった。
8月中は夏休みで混むだろうとか、9月は旅行などでなかなかいけなかったが、会期末が迫って来てしまったので行ってきました。
 
 平たく言えば、金魚を使って表現したもので、器、光、影、水草などを利用して和の世界を繰り広げたもので、とても幻想的でした。
 
 ストーリー性があるので、なかなか頼めしました。愛知県は、弥富というところが金魚の生産地でもあるので、なじみがあります。
 
 立派な金魚からそうでないものまで様々な金魚達が、アートな世界を繰り広げてくれました。
 
 べネツィアガラスの金魚ばち。鉢自体が金魚の形をしている。
 
 
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花魁。
1000匹の金魚が泳ぐ世界最大の金魚鉢。江戸の遊郭を表現しているそうです。次々と色が変化していく様は、圧巻です。
 
 
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 屏風リウムと名付けられた。影をうまくりようしていて、幻想的です。
墨絵の世界に色がさしていく様子がきれい。
 
 
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これは、プリズリウム。屈折効果を狙ったものだそうです。
 
 
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 表現の世界は、変化していて生き物を使った方法にまで到達したのかというのが率直な感想でした。でもきれい!
 表現者は、木村英智氏です。

 
 私の部屋は、安いので外側に窓はない。1つある窓は、内側の吹き抜け部分に面している。しっかりカーテンを閉めていないとプライバシーは全然ありません。(^O^)
 
 朝食は、料金の割にはメニューも豊富でうれしい。今回のホテルの中では、値段と内容が一番満足できたホテルでした。
 
 9時頃にチェックアウト。荷物は預けて、観光に向かう。
最初は、マルメ城から始めよう。
 
 マルメは、昔デンマークとスウェーデンが争っていたころ、一時期デンマークに属し、コペンハーゲンと肩を並べるほどの大都市だったというが、今はかなり規模に差が付いている感じがする。
 
 ここは時間がゆっくりゆっくり動いている。
1658年、ふたたびスウェーデン領となり商業都市として発展してきた。
 
 マルメ城は、1434年に創建されたルネサンス様式の要塞である。16~17世紀には、デンマーク王室の別荘、19世紀になると牢獄として使われていた。
 今は博物館として使われているが、外観以外は興味がないのでそちらはパスです。
 
 いかにも要塞といったかんじだ。この円形上の建物は、左右にあります。
 
 
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 橋を渡って中に入ります。
 
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 牢獄として使われたというのがわかる。強固な造りになっている。
 
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 このあたりは、川や運河や濠を利用した公園になっている。園児やランナーなど大勢の人がそれぞれの楽しみ方で過ごしていた。彼らに交じりながら、公園を散策していこう。
 
 粉ひき用の水車でしょうか。
 
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 カモに混ざって人間も・・・・。こんな濠でカヤックの練習するんですね。
 
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 公園を抜けて、旧市街の小路に入っていきます。絵本のようなかわいらしいおうち。
 
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 石畳なので、スーツケースを転がすには不向きです。悪戦苦闘している人を何人か見かけました。
 
 リラトリイ広場。湧水がこんこんとでています。
 
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 広場に面して建っている家は、どれも古い。カフェになっていたりショップになっていたり、ホテルだったりもします。
 
 
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  この建物は、住宅として使われているようでした。
 
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メインストリートの一つ。お土産屋さんが並んでいる。
 
 
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デザインフォルムセンター。開館には早かったので、後でもう一度来ます。
 
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 市庁舎に向かう通りに入ると建物が、高くなってきます。
 
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 総レンガ作り。地震が内から残るのでしょう。
 
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 時間がたつにつれて人の姿が増えてきました。
 

 
 フレデリク教会の前の道を進むと、八角形の広場に出る。アメリエンボー城だ。クマの毛皮の帽子をかぶった衛兵たちが建物のそばに建っているが、宮殿とは思えないほどのシンプルな造りだ。
 
 18世紀、当時の宮殿だったクリスチャンボー宮殿が炎上したので4人の貴族のマンションだったものを宮殿としたものだ。そのうちの一つの建物が宝物館となって一般公開されている。
 
 宮殿の屋根に国旗が翻っていたら女王陛下がいるというしるしだ。
 
 
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宮殿内部も、ローゼンボー宮殿ほどには豪華では無い。
 
 
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 宮殿のすぐ前は海になっていてなぜかノルウェーの海軍の船が接岸している。
 
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 ここからは、ふたたびニューハウンに歩いていく。朝とは違って大勢の観光客でごった返している。
 
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 3本くらいの運河を渡って、クリスチャンハウンという島に渡った。ここはクリスチャン4世によって開かれたクリスチャン運河を中心とした地区。ヒッピーたちの自治区もあり、中心部とは明らかに違っている。昼間から酒を飲んでいる人達もいて、夜はとても危なくて歩けない感じだ。
 
 こんなとこまでやってきたのは、救世主教会の塔に上りたかったからだ。ところがである、この日は強風で危険だということで塔は閉鎖されていたのだ。せっかく来たのにーーーー。(+_+)
 
 一気に疲れが出てきた感じがする。
 
 橋から運河を見る。
 
 
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 水上生活者も結構いるようだ。
 
 先端がねじり棒のようになっている救世主教会の塔。
 
 
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 せっかくだから、中も見て行こうかな。期待しないで入ったのだが・・・・・。
 
 祭壇は普通です。祭壇というより、美術品のようだ。
 
 
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 見事なのは、オルガンの細工だ。日光の日暮門ではないが、ずっと見ていても飽きることが無い。
オルガンそのものが音楽を奏でているような彫刻。
 
 
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 向かい合った2頭の象に、ささえられている。
 
 
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 真下に入って見上げるとすごい迫力だ。バロック音楽のようだ。
 
 
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 これだけのものを見られたのだから、登れなかったが我慢しよう。
 
 ここから、また歩きます。目をつけておいた両替所で、ユーロに換えてからホテルに戻ってきました。
 
 18時ちょっと前の列車でスウェーデンのマルメに向かう。乗車時間は、30分もない。橋を渡る瞬間を楽しみにしていたのだが、なんとなく地下に入って地上に出てきた。こんなもんだよね( 一一)
 
 駅前は、開発が始まっていてなんとなく殺風景である。目指すホテルは、すぐ目の前にあった。道が無いので広場を横切っていくと3分ほどで到着だ。こんなに近いホテルに泊まるのは初めてだ。
 
 マルメの駅
 
 
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 チェックインしたあと、駅に向かいスーパーで今夜の食料を調達。
 
 明日の午後は、ストックホルムに向かう。午前中にここの旧市街を歩いてみる予定だ。
 
 
 

 
 今日が、コペン最終日です。しっかり朝食を頂いていざ出発。
2万ほど両替したのですが、ほとんど使っていない。カードが使えるので、現金をあまり使わないのだ。これから行く国でも余り両替しない方がいいかも。余ったお金は、ユーロに再両替しておこうと両替所をチェックしておいた。
 大金では無いので、どこでも大差はない。今日も多分使わないので、100ユーロくらいにはなるかななんて頭の中で計算しておく。
 
 荷物はこのまま預かってもらい、バック一つで街歩きを始める。
 
 まずは、市庁舎まで行き100年に1秒しか狂わないという天文時計を見ようとしたのだが、時間前でアウトでした。ずんずんはいって入ったら、守衛さんに止められた。看板を指さし、「時間が早い」という。だったら表に出しておいてほしかったな・・・。「あ!すみませーん」
 
 しょっぱなから予定がくるってしまった。余った時間は、歩いて観光客のいないニューハウンまで行こうかな。
 
 おなじみになったストロイエ通りをまっすぐ歩いていくと、コンゲンスニュートーという広場に出るはずなのだが、こちらもなんと工事中でフェンスに囲まれていて方向がつかめない。
 
 王立劇場を目安になんとかニューハウンに着いたのだが、旧市街は道が斜めになっていたりするのでめんどくさい。
 
 途中のアマートゥ広場
 
 
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 まぶしくて眩しくて、目が明けていられないほどの太陽です。たまらず日傘をさす。
 
 朝のニューハウン。まだ観光客はいません。
 
 
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 ここからは地下鉄に乗って国立美術館まで行きます。地下鉄の駅名のに、太陽光がホームまで届く設計になって居ました。
 
 コペンは、地下鉄も改札なしだ。列車の改札はないところが多いのだが、地下鉄はほとんどゲートが設置してあるのが大勢なのだ。
 
 地上に出たものの、ここも工事をしていて見晴らしが利かない。さてどちらに歩いて行ってよいものか。公園の中にあるのは間違いないので、子供たちの後からくっついていく。彼らは多分、植物園か公園に行くだろうから・・・。
 
 駅からは、10ほど歩きました。子供たちと行き先は同じです。たどり着いた美術館も玄関は工事中でした(+_+)
 何だか、あちこち工事だらけだ。
 
 10時開館なので、10分ほど待ちます。木陰で休んでいると、ずいぶん涼しくなってきた。
美術館は、旧館と新館に分かれていてそれぞれがブリッジでつながっている。
 
 まずは、旧館から。目当てはマチスだが、楽しみは後の方がいい。
 
 レンブラント、ルーベンスといったオランダ作家から、イタリアのティティツアーノなども有ります。子供達の歓声に挟まれながら見ていく。
 
 最後は、印象派のブースです。マチスの作品が充実している。他にはピカソなどもありました。
 
 面白いなと思った作品を一つ。作家は、忘れてしまいました。
 
 
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 現代アートは数が多い。正直最後の方は、疲れてしまった。さわっても大丈夫です。
 
 
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 続いて歩いて5分ほどの、ローゼンボー宮殿に向かいます。王室の方々は、今はここには住んでいない。クリスチャン4世により建設された。王は、絶世の美女と熱烈な恋に落ち、彼女は王のもとにやってきた。2人の愛の新居として定められたのがここローゼンボー宮殿だったのだ。
 
 ここから入ります。
 
 
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 オランダ・ルネサンス様式というらしい。王室関係なので衛兵がいます。
 
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ここは、撮影料がいるのだが、お金を手元に持っていなかった。バック丸ごとロッカーの中に入れてしまっていた。で、豪華な騎士の間などの写真は有りません。戴冠式の様子が伝わってくる部屋なのだが、残念です。
 
続いて、地下の宝物館に向かいます。ここには、数々の財宝が展示されていて、イスに座った警備の人が始終見張っている。
 
豪華な馬具。
 
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刀剣。
 
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王冠。頭部が開いているのは、絶対君主制以前のものだという。クリスチャン4世の時代。
 
 
 
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純金。重たそうだ。何かしら?
 
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こちらは、クリスチャン5世の時代の王冠。国内を統一したということで頭部がまとまっている。
 
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ローゼンボー公園を横切り、東に歩いていくと、大理石でできた壮大な教会が見えてくる。
フレデリクス教会です。
 
この教会は、アメリエンボー宮殿を含む全体の設計を担った、建築家であり都市設計家でもあるニコライ・アイトブにより建造された。1754年彼が死去した後は、フランス人建築家に任されたものの、高価なノルウェー産の大理石を使用したため費用がかかり、当時のデンマーク首相が1770年に中止を決定してしまった。その後約1世紀を経て、1894年にようやく完成したという。
 
大理石をふんだんに使ったロマネスク・バロック様式を、地元の人々は「大理石の教会」と呼んで親しんでいるという。
 
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休憩を兼ねて中に入ってみます。安全だし、静かだし、休憩は教会が一番です。
 
青が基調となっていてとても美しく幻想的だ。
 
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オルガンと祭壇。
 
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地図を眺めながらこれからの事を考えます。

 
 ヨーロッパ各地にみられる星の形をした要塞。日本でも函館の五稜郭がこんな形をしているよね。
橋は、2か所にかかっていてそのうちの一つ。
 
 
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 橋の途中で振り返ったら、おとぎの国のような光景が・・・・。真っ白な教会は、聖アルバニア教会だろう。帰りによってみようかな。
 
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コペンハーゲンの港を防衛する目的で1662年に建設された。現在は大部分が破壊されてしまっているが、緑の公園となっている。
 
 高さのある土塁がぐるっと取り囲んでいて、内側には兵舎や記念碑などが建っていた。
 
 
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 突き抜けて、反対側の橋を渡り右手にあるいていくと港が見えてきた。ヨットはバーになっているようでマストが林立している。
 
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  その一角にたくさんの人が集まっている場所がありました。人魚姫です。中国人の団体で、皆自分と人魚を写真に撮っていて、中々あけてくれない。じっと待つしか仕方がない。
 
 思ったより小さいが、周りの風景になじんでいる。1913年、彫刻家エッセンによって作られた。
当時、王立劇場でバレエの人魚姫が、上演されていて、それを見たカールスバーグビールの2代目社長のヤコブセンが、像を作るアイデアを思いついたのだ。
 モデルは、プリマドンナでそれが縁で彼女は彫刻家の妻となった。
 
 1964年、1998年と何者かによって、首が切り落とされたし、1984年には腕がもぎとられるという事件も起こっている。
 そして2003年には、爆破されてしまった。修復には、約1カ月半もかかったという。
本当に波乱万丈な人魚姫なのだ。
 
 
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 人魚姫よりも、私を感動させてくれたのは、ゲフィオンの泉だった。4頭の暴れる雄牛とそれを制御しようとする女神の像は、水量も多いので迫力満点だ。
 
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 先ほど、濠の向こうに見えていた聖アルバニ教会。近くで見てもやはりかわいらしい。
 
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 ふたたび電車に乗り、中央駅まで戻ってきました。いったんホテルに戻り、身軽になってチボリ公園に行きます。ここもコペンカードが使えるので、財布とカードとカメラだけを持った。
 
 まだまだたくさんの人でにぎわっている。夏には花火も上がるらしいのだが・・・・。
 
 きれいな公園。入ってみると今更ながら倉敷のチボリ公園の事が思い出された。こうして本場に来てみると案外忠実に再現してあったのだなと思う。
 
 
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 ジェットコースターなどもあるので、歓声があちらこちらから聞こえてくる。こういうところは一人ではちょっとさびしいかなあ。
 
 
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 ボート遊びをする人々。
 
 
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 ここは、コンサートを聞きに来たり、食事をする場所でもある。つまり大人も遊べる公園なのだ。
座らなければ、入園料だけでコンサートも楽しめるのだという。
 
 なのでレストランの数は、ものすごく多い。
 
 海賊船もレストランです。
 
 
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 これはインドの建物なのだが・・・他には中国っぽい建物や、日本の庭園らしいものもあったところを見ると、ミニミニ世界旅行を楽しめるようにしてあるのかもしれない。
 
 
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 こちらは、チャイナシアター。パントマイムが行われます。
 
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 このあと、シアターで行われたバレエを見て、ショップでワインのボトルを買ってホテルに戻ってきました。明日の夕方には、マルメに向かいます。
 あっという間だね。
 
 

 
 3連休。ずっと家にいるのものうが無いので、とりあえずどこかに行ってみることにして、とりあえず相方と家を出た。
 
 出たものの、まだどこへ行くのかはっきりとへ決めていなくて、JRに乗る。途中名鉄に乗り換えて、構内にあったパンフレットを手にする。
 
 半田と常滑が紹介されていた。「常滑に行ってみる?」「そうだねえ・・・」
常滑はもう何度も行っている。真新しい感じはしないのだが、招き猫を見ながら散歩もいいかなと、とりあえず電車に乗り込んだ。
 
 座ってパンフレットをじっくり見ていたら、彼岸花の写真が目にとまった。「ねえここに行ってみない?」
「新実南吉の生家、なんてのもあるよ」
 
 ここでまたまた行き先変更。今乗っている電車では行かないので、途中下車だ。
向かいのホームに停まっていた電車がたまたま半田方面に向かう各駅停車だったのでそれに乗り込む。
 
 
 ところがこれが時間のかかること。各駅停車なのでずんずん抜かれるのだ。
 
 ようやく着いた半田口という駅。
 
 出口のところで、ゴンキツネらしきオブジェが迎えてくれた。
 
  
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 まずは、腹ごしらえとラーメン屋さんに入った。食べる場所を選ぶほどのお店が無い。ともかく目に着いたところで食べないと・・・。
 
 駅から5分ほどで、生家についた。小さな建物で、下駄屋と畳やを一軒の家で営んでいたようだ。
小さいころ遊んだという八幡社の裏手から矢勝川に向かう。
 
 「ああああーきれい。すごーい」目に入ってきたのは、土手に植えられた一面の彼岸花!
 
 生涯で初めてこんなにたくさんの彼岸花を見ました。
 
 この日は、ハイキングツアーや南吉の生誕100年の行事が重なってたくさんの人がでかけていました。
 
 南吉って案外若いんだねえ。きんさんぎんさんより年下だったんですね。
 
 見事な彼岸花。200万本と紹介されていました。パンフレットによれば、小栗大造という人が、たった一人で始めたものらしい。堤防を彼岸花で埋め尽くそうと壮大な計画を立て、草を刈り球根をモクモクと植える姿に、だんだん手伝う人が増えて行き今のような素晴らしい景観に至ったという
 
 
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 最近は、白いものもありますが、赤は迫力がありました。
 
 思いつきで動いた割にはよいものにたどり着けたなという感じの1日でした。

 
 聖オーライ教会。観光客はあまり来ないのかひっそりしている。
 
 ちょっと入りにくいが、勇気を出して・・・。
 
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 祭壇。金色に輝いてとてもきれい。
 
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 小路を通って駅に向かいます。駅は目の前だ。
 
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 曲がった木をそのまま利用して壁を塗ってある。
 
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 駅まで戻ってきました。ここからコペンに向かって戻ります。途中、ルイジアナ美術館によっていきます。
ルイジアナ現代美術館は、とても有名な美術館でアートを鑑賞に来る人だけでなく、ピクニックや食事目的でやってくる人々も多いと聞いた。
 
 フムレベックという駅で下車。車掌さんが、降りるときに「ガードをくぐっていくのよ」と教えてくれた。どこへ行くとも一言もいってないのに・・・。多分ここで降りる観光客は100%がルイジアナへ行くのだろう。
 教えてもらって助かった。ガイドブックには駅前に案内板が出ているのでそれに沿って、とあったが、それはコペンから来た時当てはまる。私のように反対側からアクセスして来ると駅前には、何もない。そのまま歩くととんでもない方向に向かうことだってあるのだ。
 
 北欧とは思えないほどの日差しの中を歩くこと30分くらいかな・・・。案外遠かったです。
 
 時々すれ違う人が、皆ルイジアナのプラスチックバックを持っているので、何だか可笑しい。
 
 
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 1958年開設のこの美術館は、50年代以降の現代美術のコレクションにかけては世界でもトップクラスだという。建物はいくつかに分かれており、自然の中に溶け込むように建っている。ここでは建物が主人公では無くて、展示物が主人公なのだ。敷地内は、散策コースになっているので、海を見ながら散歩も楽しめる。
 疲れたら、そこに座ればよい。海や木々や彫刻達が包み込んでくれる。
 
 訪れたときには、オノヨーコの企画展が開かれていました。日本語で書かれた作品もあり、こんなにたくさんの作品を想像していたのだなとおどろいた。
 
 大好きなジャコメッティの作品もたくさんありました。
 
 
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 屋内展示もよいけれど、この場所には屋外展示のほうが似合っている気がする。
 
 
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 オーレンス海峡に面した庭。私は、カフェでケーキとコーヒーを頂きながらこれらの作品を見ていました。日陰は涼しく気持ちがいい。
 
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 宝探しをする感じで、隅の方にある作品も見ていく。
 
 
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 庭のど真ん中海を見下ろす一番いい場所にヘンリムーアの作品。作品にもたれかかって海を眺めていたら何だかここにいることがことが、不思議な気持ちになってきた。
 
 
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これもヘンリムーア
 
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 これほどきれいに庭を維持していくのは大変だろうなあ。
 
足を投げだした人間のようにも見える
 
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古代の出土品なども展示してある。どれも現代的な雰囲気をもったものばかりだ。
 
 
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絵画の展示スペース。通路のような・・・。
 
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ボタンを押すと人形のおでこが鐘を鳴らしてくれます。楽しい仕掛け。
 
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作品の中にはこんな大仕掛けなものも。一部屋全部使って。
 
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体の中が満足感でいっぱいになる。
足は疲れているが、なんだかとても幸せだ。
 
再び電車に乗って、コパンハーゲンに向かう。太陽はまだまだ高いので、途中下車して人魚とカステレット要塞を見ていくことにした。人魚は、結構郊外にあるのでまた訪れるよりは、その方がいい。
世界3大がっかりともいわれているが・・・・。
やはりこの目で確かめてみないと。ちなみに後の2つは、ベルギーの小便小僧とシンガポールのマーライオン、ライン川のローレライが候補だそうだ。わたしは、すべて行っているが、ローレライが一番がっかりした。
人魚はどうだろうか(^^♪
 
エスターポート駅に着いた。階段を上がっていくと賑やかな通りにでる。
さてどっちに歩いていったらいいのだろう。ともかく公園の中を横切っていけばよさそうだ。
公園の中では、ジョギングをする人によくすれ違う。本当に今は、どこに行っても皆走っている。
怠け者で体を鍛えるなんて考えられない私には、懸命に走る人達が不思議に思えてしまう。
 
要塞の入り口に到着したようだ。橋を渡って中に入ります。
 
 

 
 クロンボー城は、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台となった城である。15世紀、エリック7世王が通行税を徴収するために造られたものだが、寂れてしまったので、1574年フレデリック2世の命により再建に着手され、1585年に完成した。
 
 1629年、火災にあったが、すぐにクリスチャン4世により修復が行われた。その後は、スウェーデン国境の場所として何度かの戦争を経験し、1924年現在の姿に修復された。ここも世界遺産に登録されている。
 
 スウェーデンとは、海を挟んでわずか5kmしか離れていない。訪ねてみると強固な要塞としての役目を年代とともに強くしていったことがよくわかる。
 
 城の背後は、オーレン海峡の最狭部となって守りをかためているが、正面も濠になっている。
 
 
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 濠に沿って進んで行く。
 
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 城に入る前にちょっと寄り道して海側に行ってみよう。デンマーク国旗が風になびいている。
 
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まさに海に向かって大砲が向けられている。昔もこのようにして攻撃を迎えたのだろうか?
 
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今はきれいに整備されているが、土塁が丘のように並んでいる。
 
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城に戻って。入り口部分に刻まれていた顔。何か気になる。
 
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中庭は、殺風景なもので何もない。そこを中心に建物がぐるりと取り囲むようにして建てられている。
北の建物は王の住居、西の棟は王妃の住居となっている。デンマーク・ルネサンス様式。
東は王族の部屋や厨房、南側は教会となっている。
地下もあり、兵舎や地下牢として使われた。
 
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まずは、目についた教会から見学していきます。内部装飾は、フレデリック2世の時代のものだという。とても豪華なしつらえになっています。
 
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チケット売り場で、地下牢もセットになった入場券を購入しました。まずは、2階へ上って行く。
豪華な調度品が満載だったフレデリクスボー城と比べると驚くほどシンプルです。
 
ここで目を引くのは、ゴブラン織りくらいでした。私に、どうしてもサイに見えてしまうのだが・・・。
 
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寒い冬、壁の花を見て楽しんだのだろうか?
 
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地下牢の入り口が見つからずかなり苦労してしまった。ここは、英語ガイドとともに向かいました。ガイドがいなく手も構わないのだが、たまたま参加することができた。これから訪れる方、懐中電燈は、必須です。こんなに暗いとは思わなかったので・・・。かなり怖かった。フラッシュをたいて前方を確認して進むということをくりかえした。ろうそくの灯りほどしかない。日本人には見えません!
 
ここを下って行きます。
 
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進んで行くと、少し明るくなったホールがあり、伝説の英雄ホルガ―・ダンクの像がありました。デンマークの危機の際には、数百年の眠りから目覚め祖国を救うと言われています。
 
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通路はこんな具合です。カップルが写真をとっていました。
 
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明りとりの窓があった。明るくなってホッとする。
 
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まだまだ続くのだが、ちょっと飽きてきたので戻る。
 
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門を出たところに、「フリーエントランス」と書かれた看板があった。
「ただか・・」よし。行ってみよう。
入ってみるも何もない。どうやら兵舎のようにも見える。どんどん進んで行くも、中々終わりがない。
そのうち、ろうそくが時々あると言った感じになってきた。
心細いものの、時々人とすれ違うのだ。
で、手探りで進んで行くとなんということでしょう!
先ほど出てきたばかりの城の地下牢部分に出てしまったのだ。
すれ違った人はあちらからやってきた人たちだったのだ。
 
「どういうこと?」ただでお城に入ることができるなんて・・・・。
戻る勇気がなかったのでそのまま進み、英雄に再見してあいさつし、本来の出口から再び外に出たのでした。
 
一人、何だか可笑しくてニヤニヤしながら戻ってきました。
ここには面白いものがあります。男の人魚姫もどきだ。
コペンの人魚姫のパロディだと思うのだが。結構真面目に作ってありました。
 
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せっかくなので、街歩きも少ししてみよう。
このヘルシンオアは、1100年ころにつくられた。1429年、エリック7世が通行税を徴収するようになって、経済的にも政治的にも重要な町になった。
通行税は廃止されたが、鉄道が北に延びるにつれ、北海への港となるこの町は、ふたたび活気を取り戻した。先ほどから中心にそびえている尖塔は、聖オーライ教会である。現存するエリーク7世時代のものとしては、唯一のものだという。行ってみよう・・。
 
 
 
 
 
 

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