好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2013年11月

 
 暖かな陽気に誘われて、岡崎を歩いてみました。
目的は、鉄砲の展示を見ることです。鑑定団でおなじみの澤田氏のコレクションだという。
 
 お城に到着したころには、お昼になっていたので名物の八丁味噌の豆腐田楽を頂くことにした。
 
 おなかも膨れたところで、三河武士の館の方に移動する。
園内では、ちょうどさつきの盆栽展が開催されていたのでそちらも鑑賞してゆく。盆栽ってホントすごいなあと感心してしまう。こういう細かな事は自分には絶対ムリだ(+_+)
 
 
 まるで大木のようである。
 
 
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最近は、いろいろな国で盆栽を見かけることが多くなってきているように思える。
ヨーロッパや東南アジアの街を歩いているとこんなところにも!なんて思ったりする。
 
 
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 館の中は、家康に関する展示が主なものだ。鉄砲は思ったほど数が多くなかったのでちょっとがっかりかな。
 表に出てきたところで、ゆるキャラと武将隊が何やら掛け合いをしていました。岡崎も名古屋と同様武将隊がいるのだ!
 
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我々は、これから大樹寺を目指して歩きます。歩き始めてすぐ、ご当地マンホール発見です。
城と五万石船のパターン。
 
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 こちらは、矢作橋。
 
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 古い横町の奥にあったのは、家康の父松平広忠の墓所のある寺の松應寺。
広忠は、城内にて家臣に殺されるという最期を迎えた人物です。
 墓石の代わりに松が植えてありました。もともと家康の植えた松の木があったらしいが、枯れてしまったので現在のものに変わったようだ。
 
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 横町からちょっと入った路地。昭和の雰囲気が感じられる。
 
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 さらに歩いて、伊賀八幡宮までやってきた。壮麗な神社で太陽の光を浴びてとてもきれいです。
鳥居の向こうに神橋さらに奥に門が見える。
 
 松平家の氏神様であるという。
 
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 随身門、本殿ともに重要文化財に指定されている。
権現造りの拝殿は、家康が建立したものに家光が増築したものだという。
 
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 ここから、大樹寺までは結構遠かった!大樹寺の山門。ここからまっすぐ彼方に岡崎城を見ることができる。写真は、本殿を見たところなのですが・・・。
 
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 徳川氏の菩提寺でもあり、将軍の等身大のお位牌があります。家康はかなり小さい。
家康公のお墓もありました。
 
 
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 こちらは重要文化財の多宝塔。1635年の建立だという。
 
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 境内には色づき始めた紅葉もありました。
 
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 一般の方の墓地も見学していくと、面白いものが多々あります。これは生前相当の囲碁好きな方だったのでしょうか。他にもサッカーボールやゴルフのクラブなんてものもありました。
 
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 こちらはもっとおどろいたあ!裸婦ですもの・・・・。
 
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 最後のびっくりは、ビルの屋上にあったゴリラです。マイクを持っていたのでカラオケ屋さんのビルかなと思ったんですが全然違っていた。かなりご機嫌に見える。(^O^)
 
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 昨日、暖かさに誘われて岡崎の町を歩いてきました。
 
 途中で寄った小さなお寺にいた猫です。
 
 賽銭箱の上にどっかと座り、賽銭泥棒からお賽銭を守っているようにもみえる。
 
 
 
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 首輪をしているので飼い猫でしょう。頭に触ろうとしたらゆるく猫パンチが出ました。(*^_^*)
むくっと起き上がる。
 
 
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もう1匹は門の上に居ました。
 
 我々を見下しているのだろうか・・・・。(^O^)
 
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 こちらの子は、左目がなんとなくおかしい。やんでいるのかもしれない。

 
 近所を散歩していてで会いました。都会ではめっきり猫を見ることが少なくなってきています。
 
かなしいーーーー。
 
 お寺のお堂の縁側で日向ぼっこです。
 
 
 
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 こちらは、自販機の上にいます。泥棒よけなのか猫よけなのか鉄条網がはってある。
 
どちらにしてもあまり役に立っていないような気がする(*^^)v
 
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 お堂から外に出た瞬間まぶしくてくらっとする。
本堂に向かって紅葉を眺めるのが表もみじで、本堂側から紅葉を眺めるのが裏もみじと教えてくださいました。
 
 うらもみじ
 
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 本数がたくさんあるというわけではないのですが、1本が枝を伸ばしているのでとても豪華に見える。
 
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 この寺は、神仏習合の祈願時なので境内には、弁財天・稲荷・大黒などの神様も祀られている。
 
 
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 三山の最後は、宝橋山高蔵寺です。ほうきょうざんと濁って呼ぶ。
この寺も、明智光秀の丹波攻めで焼失してしまったが、1592年に再建されたという。
 
 この日は地元の人達の行事が催されており、屋台や野菜などのお店が出ていた。
地元でとれた落花生や黒豆などを試食させてもらう。
 
 豆がとても大きくておいしい。
 
 私は、きのこ(シイタケとシメジ)を買いました。田楽までごちそうになりなんだかとても恐縮してしまう。
 
 他にもサプライズがありました。これから「餅まき」を行うのでぜひ参加して下さいとのこと。
「餅まき」なんて、久しぶりです。
 これは案外燃えるのだ・・・(^^♪
 
 正面の一段高くなったところにおぼんさんとお坊さんが登場です。何やら相談しています。
 
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 相談がおわったようです。
 
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 餅まきが始まりました。皆必死です。私も踏ん張って四個ほどゲット。汚れないように一つづつ袋に入っています。
 
 あっという間に終わってしまった。よく見えないおぼんさんは、おぼうさんに教えてもらって投げていました。
 
 終わってほっとしたところ、「よくやったね」というように手を差し出した。ご住職もニコニコされています。
 
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 ホッとして、すわろうととしているところにカメラを向けたらポーズをとってくれました。ごめんねえ・・・。
 
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こういうかぶり 物大好きです。本当は自分がなかに入りたい。(*^_^*)
クマモンもひこにゃんもフナッシーもいなりんもだいすきだあ!
 
 
 参道を奥の方にすこし歩いて行くと本堂と鐘楼と文殊堂があります。
山には手入れの行き届いた杉の木が整然と立っている。
 
 こちらの紅葉は、文保寺と同様すこし早いようです。
 
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 本堂への階段。本尊は、11面観音で秘仏になっており、33年に1度御開帳されるそうです。
 
 
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 本堂。1714年の建立。
 
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 こちらの鐘楼は、大山八景の一つに「高蔵寺の晩鐘」として数えられているのだとか。
傾いてゆく光を背にして・・・・。
 
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 杉林の中の紅葉もなんとなくいいな。
 
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 三山を回ると最後に「もみじ三山朱印」を頂けます。
 
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 こうして帰路についたのですが、帰りも渋滞にはまり家の遠いこと!
高速を降りて、旧国道一号を通ったり、湾岸線におお周りしたりと大変でした。
 
 バスが、お寺を離れる時には、地元の方々が手を振って見送ってくださりとてもうれしかった。
この日は久しぶりに暖かな日よりだったのだが、心の方もほっこりさせていただきありがとうございました。
 

 
 今年は、紅葉を訪ねてきました。
近年は桜は夢中になって必ずお花見に行くのに、紅葉の方はご無沙汰だったのだ。
 
 で、ちょっと遠いかなと思ったがまだ行ったことのない土地でもあるし、イタリアンレストランでの「地のものを使ったランチ」という言葉にもひかれてでかけてみた。
 
 朝7時40分に、出発して途中四日市を過ぎたあたりで早くも渋滞にはまってしまった。
丹波に行くのには、名神を使うとおもっていたのだが、いまは新名神を使うんだ。
 
 三重県方面は、今は鬼門である。慢性的に渋滞するのにお伊勢さんのお参りが重なって渋滞がひどくなっているからだ。
兵庫に行くのに、三重県で渋滞にはまるとは・・・・(>_<)
 
 結局4時間近くかかって目的のレストランに到着した。道路わきの畑では。名産の黒豆の収穫が行われていました。おせちに使う黒豆は、これからが需要の最盛期を迎えるんだろうな・・・。
 
 
 レストランは古民家を利用したもので、雰囲気もあるしお料理も丁寧に作られていました。
 
 
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 おなかも満足したところで、バスで10分ほどのところにある松尾山「文法時」に向かいます。まつおさんでは無くてしょうびさんとよむ。
 
 田舎の農道の細道をバスは進んで行く。こういうところさすがプロだなあと感心してしまう。
 
 文保寺楼門・・・鎌倉5山の建中寺の楼門を模して造られたものだが、明智光秀に攻められたときに焼失してしまい、現在のものは天正末期に建てなおされたものだという。
 
 
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 現在は、3つの塔頭寺院が残されている。645年、法道仙人によって開かれた。仙人は、インドより中国を経て日本に仏教をつたえたと言われ、瀬戸内海を経て加古川流域の播磨・丹波に200ヵ寺以上の多くの山岳寺院を開いており、特に天台真言系の寺が多いそうだ。
 
 今回訪ねた3つの寺院も天台宗のお寺だった。
 
「松尾山文保寺」と称されるようになったのは、文保年間に勅額を下賜されてからの事である。
 
 鐘楼・・・自由につけるのでならしてみました。
 
 
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 肝心の紅葉の方は、まだちょっと早かったようです。
 
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 隣の敷地には、神社もありました。大みそかや元旦には賑わうのでしょう。警護の人の詰め所がありました。
 
 二村神社
 
 
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 次に向かった安泰山大國寺の方は、モミジが見ごろになっていました。(^O^)
 
境内に入ると大きなモミジの木が迎えてくれます。
 
 
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 紅葉もいいけれど、住職さんの説明をまず聞いてくださいということで、本堂の中に招き入れられました。そりゃそうですよね・・・・。
 
 本堂は、禅宗様式と和様式を折衷した建物ということで鎌倉末期から室町初期に建立されたと推定される。国の重要文化財に指定されている。
 内陣・中陣が、唐様(禅宗様式)で外陣が和様式で中に入ると違いがはっきりわかる。
 
 本堂内部から紅葉を見る。
 
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 内陣の中には、5体の仏像が安置されており、本尊は薬師如来だ。「一仏三身」を表し、薬師・大日・阿弥陀の三仏を表している。
 
 藤原時代のものでこの金色の光は当時のものだという。埃を払うとやばいので、掃除はしないと言っておられた。
 
 左右に後年据えられた大日・阿弥陀の二仏の脇仏がある。
もともとは仁王門もあったそうで、持国天と増長天がおさめられていたのだが、門がなくなった後は、本堂におさめられている。
 
 
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 仏様をじっくり拝んだ後は、今度は紅葉をゆっくり鑑賞しましょう。
 

 
 すっかりご無沙汰でした。
 
 久しぶりに電車に乗って津まで行ってきました。
 
 寒くなってきたのでしっかり着こんでいざ出発です。伊勢神宮へ参拝に出かける人で電車は満席でした。
 
 津で、ワンマン電車に乗り換えて阿漕駅で下車。阿漕平治で有名なのでもう少し賑やかかなと思ったけれど本当に何もない駅でした。
 
 
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 ここから歩くこと10分くらいで目指す石水博物館に到着です。
 
 
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 ここは銀行の頭取でかつ陶芸にも秀でていた川喜多半泥子の作品を展示している。
以前三重県立美術館で作品を見て以来のファンです(*^_^*)
 
 
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 完成したものよりも不完全なものやひびの入ったものなどに愛着を感じていた彼らしく、味わいのある作品が多かったです。
 
 茶室の再現されています。正方形の茶室では無くて長方形の茶室でした。
 
 
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 ここから、ふたたび津に戻ります。
 
 三重県立美術館までは、徒歩で15分もかからない。目的は富本健吉です。
3年ぶりくらいの訪問になります。
 
 企画展は、三重県出身の中谷泰氏。遺族の方のたくさんのご寄付により実現した展覧会です。
 
 
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 愛知県の常滑や瀬戸の陶土の山などを描いた作品もあり興味深く見る。
 
 お目当ての富本健吉はやはり素晴らしい。どうやったらこのような焼き物が出来上がるのか?
 
 
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 久しぶりの陶芸鑑賞でした!
 
 

 
だがそもそもなぜこんな山の中の海とも高知とも関係のなさそうに思える場所が土佐街道なのだろうか?
 
 奈良県と四国の間には、瀬戸内海があり、今でこそ橋がかけられ陸続きになっているが、昔は船でしかわたれなかったところだ。どうした「土佐街道」何て名前がついたのだろう・・・・・。
 
 話は、大和王朝時代にまで様登る。都を造るために時の政権は人材を広く求め、土佐の国からも多くの人々がやってきた。彼らは、家族を呼び寄せたり新しく作ったりしてここに移り住んだ。
 土佐からの人々が多く住んでいたのでこう呼ばれるようになったようだ。
 
 こちらも武家屋敷です。
 
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 高取の人々は、売薬を生業として全国を回ったそうだ。今でも薬草やさんがあります。
 
高取藩主の下屋敷門が移築された石川医院。
 
 
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 しっくい壁の塀がとても雰囲気がある。
 
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 こちらは漢方薬のおみせ。かかしが立って居ました。
 
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 この赤い格子戸が素敵なお店は酒屋さんです。
 
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 ウオーキングのゴール、小嶋寺までやってきました。壺阪寺と双璧といわれる古刹。752年創建で21坊の伽藍を誇った時代もあったが、現在は無住職の寺となってしまった。
 山門は、高取城二の門を移築したもので、現存する高取城唯一の建造物である。
 所有する小嶋曼荼羅は、日本三大曼荼羅の1つで国宝に指定されており、現在は奈良国立博物館にあります。
 
 
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 二の門の屋根のうえには、藩主植村家の家紋である割桔梗の瓦がのっていました。
 
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 山の町は、稲刈りも住んでいました。(10月13日時点)
今では見かけることも少なくなったはざ架けの風景。
 
 
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 県外に住む人間には、土地勘がない。あの有名なキトラ古墳はここからすぐのところでしたが、今回はいけませんでした。
 
 何時か機会があったら、壺阪寺とともに訪ねたいなと思ったのでした・・・。
それにしても結構な坂で、なかなか筋肉痛がとれませんでした(>_<)
 昔のお侍さんは大変だったなとあらためて思った。
 
 

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