好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2014年11月


 昨日言われた様に夜中の3時45分、ホテルを出発しました。
真っ暗な中、国境を目指して走ります。

 この時間は、さすがに車の姿はほとんど見ない。

 私達は、インドへ入国してしまえばもう自由だけれど、ガイド・ドライバー・アシスタントの方たちは、夕方の6時になりストが終わるまでこの国境ラインから動く事が出来ないそうです。

 空が白み始める頃、バスの中でお弁当をいただきます。

 イミグレーションが開くのが8時。それまではここで時間をつぶさなければならない。とはいっても行く所もないし、する事もない。
 その辺をうろうろする事2時間あまりでした。

 牛と散歩の男性。

 
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 こちらは、歯磨きをする男の子。こちらでは、子供達はしっかり歯磨きします。お手本のように上手で驚きました。

 
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 やっと太陽が昇ってきました。 

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 この塀の向こうがイミグレーションです。早く開かないかなあ!

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 審査を待つトラック。

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 チャパティを売るお店もやっと商品が出来た様です。焼いたチャパティは、保温容器の中に入れておきます。タカはインドでは使えない。残っていたお金で、チャイをいただきました。

 
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 お巡りさんも集まって来た。

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 8時を過ぎた所でようやくオープン。でもことはすんなりとは進みません。2時間ほど掛かってようやく出国審査がおりた。ここからは歩いてインドに入国します。

 入国審査は案外すんなり済んだが、バスが小さい!荷物はすべて屋根に乗せます。
壊れていて使えない椅子が3席ほどある。1人で2席は使えないので悪路だとかなりしんどい事になりそうだ・・・・。
 クーラーが無いのもつらい。もっとも暑いのは、今のうちだけだが・・・。

 走り始めて思ったのだが、道路が全然違う。舗装も丁寧だし穴ぼこもない。
国力の差を早くも感じる。

 茶畑が見えてきました。このような光景がしばらく続いた。

 日本のように機械で摘むのではなくて、手で摘みます。摘んだ葉は、籠ではなくて頭の布にいれる。

 
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 アカシヤの木を植えて、葉っぱが日焼けするのを防いでいる。

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 昼食をいただいたホテルの前にはインド国旗が掲げられた建物があった。「インドに来たんだ」と再認する。
 前回来てから何年経つのかしら?

 
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 ここから車は標高を上げていく。最初は暑くて仕方がなかったのに、段々そうでもなくなって来た。
道が細くて狭いの時間がかかる。

 しかもダージリンに着いた時には夕方のラッシュ時間と重なってしまい、通り抜けるのにかなり時間を費やしました。

 イギリスの植民地で有り、彼らの避暑地でもあったダージリンのホテルはとても素敵でした。
イギリス式のイングリッシュハイティの歓迎を受けました。

 高原の宝石と称されるこの地は、平らな土地が無いので家々は山肌にへばりつくように建てられていて、それがまた素敵な光景を造り上げている。

 夕食までの時間ちょっとだけ町を歩いてみました。お祭りなのか、広場には人々が集まっていました。

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 部屋には、暖炉があり何だかいい気分だ。もちろんヒーターもあるので洗濯物も良く乾く。バスタブもあるのだが、お湯の方はふんだんにとはいかない。タンクなので溜まるのに時間がかかるからだ。

 でも湯たんぽまで用意してくれて、何だか幸せな気分になったのでした。夕食の時にはワインもいただけた(^O^) インド製なんですって。インドに国産ワインがあるなんて知らなかったな・・・。
 
 明日の朝も早い。タイガーヒルまで行って世界で3番目に高い「カンチェンジュンガ」が朝日に染まる様子を眺めるのだ。

 ぬくぬくした部屋で、おやすみなさーい。

  中1日を空けただけでまたまた琵琶湖を回ってきました。
名古屋を出る時は、雨でこれではせっかくの紅葉狩りも台無しだなあと思っていたのですが、
現地に着いたときから帰って来るまで青空は見られなかったが、降られる事も無く良かったです。

  おとといと同じ様に木之本インターで降ります。今回は右折をします。

  最初のスポットは、「鶏足寺」。寺自体はもう廃寺になっているのですが、モミジが奇麗なのでこの時期は観光客で賑わうとの事。

 バスを降りてから、30分程ゆっくり歩くと目的地に着きます。

 ここは敷きもみじが奇麗と聞いていたのですが、雨が降ったせいか参道にモミジは有りませんでした。多分滑らないようにと掃き清められたのだと思います。

 
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 「与志漏神社」や「戸岩寺」を見ながら進んでいく。お寺に有った貴重な仏像などは、今は収蔵庫に収められている。十一面観音像や薬師如来像といった奈良時代から平安時代の仏像が安置されているので、帰りに見させていただきました。

 鶏足寺は、薬草の道を通り、最澄が植えさせたという亀山の茶畑を過ぎた先に有りました。ここで産出されたお茶は、今では石田三成縁の「三献茶」として販売されているそうです。

 
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 バスの中でお弁当をいただきながら次の黄葉スポットに向かいます。
 メタセコイヤ並木って聞いたこと有りますか?私は、全然知らなくて「へえー」という感じでした。

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 ここを散歩するのはちょっと素敵でした。

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  葉っぱはこんな感じです。

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 どこも時間がたっぷり取ってあるのでゆっくり過ごせました。最後は、比叡山のおひざ元坂本まで行って、日吉大社を訪れた。

 比叡山や他の寺は訪問しているのに、何故か日吉大社は訪れる事が無かった。
西と東にそれぞれ本宮があり、その間には幾つかの社が点在していて、モミジは三千本もあるそうだ。
 
 我々は西から回り東に抜けてきます。

 
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 この時期は夜間も公開されているので、足元を照らす照明に「大津絵」があしらってありました。

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 この屋根のある鳥居は、「山王鳥居」といって、神仏習合の信仰を表すものだそうです。

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 西宮には神様のお使いとして猿が飼われています。猿は珍しくないのですが、こちらの猿回しは、めずらしいのではないでしょうか・・・。猿使いは女性です。

 
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 なぜ猿が尊ばれるかというと、「魔が去る。何よりも勝る」ということらしいです。本宮の楼門の四隅には猿が屋根を支えている「棟持ち猿」が彫られています。

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 西本宮本殿。日吉造り、桧皮葺で、1586年造営で1597年改造されたとある。木造の大きな狛犬が高欄にでんと座っているのはおもしろい。

 
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 宇佐宮・白山宮・神輿の収蔵庫を回りながら東本宮までやってきました。

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 本宮の中には、樹下宮や拝殿・本殿等が鎮座している。

 本殿。

 
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 赤い高欄が印象的な建物だ。1596年頃に建てられたらしい。

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 東本宮の参道にかかる二宮橋。モミジが奇麗でした。

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 大社の隣には比叡山への道があります。坂本は門前町として栄え史跡が多く残っているので、国の重要伝統的建造物群保存地区に制定されている。
 雰囲気がとてもいいのだ。

 
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 30分ほど集合時間まで間があったので、旧坊である「竹林院」を見る事にした。ここには、名勝に指定された庭園があるのだ。

 主邸の2階からも庭が眺められるようになっています。

 
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 庭には、2つの茶席があり散策できるようになっていました。

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 バスツアーでしたが、訪問先が少なくのんびりできて良かったなと・・・。


 最後は、ガイドさんの好意で普通のお宅を訪問させていただく事が出来ました。
何家族かが集まって暮らしているようです。

 お父さんと子供かな

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 こちらは多分お母さん。男の子が同じTシャツを着ている。

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 女性達と牛。おしゃべりしながら手仕事しています。

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 出産シーズンなのか、ヤギも牛も鶏もカモも小さな命があふれていました。

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 その中の1軒の家に入らせていただきます。庭を取り囲むようにして部屋がある。寝室、煮炊き専門の小屋、台所ではご飯を食べたり包丁を使ったり、保存食をしまっておきます。

 他には、家畜の小屋と、お米などを仕舞っておく倉庫のような部屋等があった。電気は来ていませんでしたが、電線は有ったので引いているお宅もあるのかもしれません。

 この奥が寝室です。

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 ベッドルーム

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 倉庫。手前の入れ物にお米が入っています。

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 この家の女性。奥まった小屋が煮炊き専門の場所です。マキや炭を使います。

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 知らないうちにたくさんの人が集まってきていました。もっとボールペンを持ってくればよかった・・・。

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  突然だったのにいやな顔もしないでありがとうございました。
ずーっと覚えています。

 明日は、国境を超えるのだが、嬉しくない話があった。
例のストの事だ。イミグレまではさほどの距離ではないが、何があるかわからない。この前のように警察に先導してもらえないか頼んだのだが、急な話で対応できないと言われたそうです。

 で、6時からのスト突入に備えてそれまでに国境に着きたいという。という事は、朝の出発は何と夜中の3時45分にするという!
 「えーーー」という声は上がったけれど、安全を考えれば仕方が無い。大変なのは、我々を送ったあとのガイド・ドライバー・アシスタントさんの3人だ。夕方の6時のストの終わるまで国境で待機になるそうで、こちらもたいへんだあ(>_<)

 明日からは気候がガラッと変わります。何せ高原の街ダージリンに向かうのだから・・・。


 「あの野郎、ガソリンと軽油を間違えて入れちゃったよ!!!」と、ガイドさんは怒っている。
日本語が達者なので、怒っているのが良く伝わってくる。

 「えー!どれくらい時間かかりますか?」とは添乗員さん。「わからないね。今整備の人に聞いているよ」
 携帯で、ダッカに電話したようだ。

 どうやら昨日、軽油とガソリンの投入口の付け替えをしたらしい。おまけに、この日の係りが新人だったらしい。
 途中で気がついたから良かったものの・・・・。
 ツアーの仲間の中に間違えて入れた経験の人がいて、そのまま入れてもかなり走れるそうです。ただしその後確実にエンジンが壊れてしまうとの事でした。

 バスは、ドライバーさんのものなので彼にしたらおおごとだ。

 結局入れた分より少し余分に出してしまえば問題ないとの事。ガソリンと軽油は混じらないのでそういう事が可能なのだ。どちらが軽いのかしら?問題はどうやってタンクからだすかなのだが、ポンプなどは無い。

 日本のスタンドは、色々な設備が整っているがここはバングラの田舎である。
で、どこからか汚いホースを出してきてドライバーさんが口で燃料を吸い出し勢いがついた所でバケツにホースを入れ、溜まった所でドラム缶に移していくという作業を繰り返していく。

 まちがいをしでかした本人は、反省しているのか何だか人ごとの様で、ドライバーさんだけが働いている感じだ。日本人が固まっているし、そのうち見物人がだんだん増えて来た。

 ガイドは恐縮していたが、なんて言う事は無い。おおごとにならなくて良かった。気の毒なのは、我々ではなくて運転手さんだもの・・・。

 
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 1時間半くらいかかっただろうか。無事抜き取り成功で新たに軽油をいれて出発です。
お疲れさまでした。

 郊外に出ると、道路の両側に木が植えてある。これは、洪水や台風の時道路が崩れるのを防ぐためなのだという。日陰にもなるし、落ち葉は燃料にもなる。

 
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 こちらはマキを売っている。木製の天秤秤ではかります。

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 順調に走っていたら、今度はデモ隊に出くわした。なんでも現在の野党の党首が死刑になったのでそれに抗議をする為のものだという。このデモは、明日のストライキにつながり我々にも影響して来てしまう事になる。

 
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 ようやく目的のカントノゴル寺院に到着しました。18世紀の創建で、マハラジャ・ラムナットに寄って完成したヒンドゥー教寺院である。
 バングラの中でもっとも美しい寺院とされていて全体がテラコッタの壁画で覆われている。

 
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 壁画に描かれているのは、「ラーマーヤナ」をモチーフにしたもの。

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 サイと思われる動物も・・・。18世紀には身近な動物だったのだろうか?

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 寺院周りはこんな具合になっていて動物がいるし、洗濯物も干してある。住んでいる人がいるのかもしれない。

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 飼われている動物とても仲良しで、子牛は懸命に犬をなめてあげています。犬はそうされる事が気持ち良くてこんな恰好になってしまった。

 
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 1週間後には、年に一度のお祭りがあるそうでその準備が始まっていました。

 


 いよいよ今日がバングラディシュ観光の最終日です。
明日からは、インドへと向かいます。もっとも日本へ帰国する日にもう一度ダッカへは戻ってきますが・・・・。

 インドアジア大陸最大規模の仏教寺院跡といわれるバハルプール遺跡へと向かいます。

 途中超えた踏切。今は早いのでお店は出ていませんが、もう少し経てば線路上にぎっしり並ぶという。線路も3本あるので、広軌から標準軌両方に対応できるようになっている。

 
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  バハルプール遺跡は、8世紀に建てられ、3世紀にわたりこの地を支配していたパーラ王朝に対する捧げものとして造られた僧院である。

 縦横約300mの四角形の敷地の中に、大塔や177もの僧坊があったという。下水道もあったというから驚きである。
 ここには1000名もの僧侶を収容でき、カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのバガン等にも影響を与えたと言われるほどで、2800枚もの朔像が描かれたテラコッタが中央の基壇部分にはめ込まれている。
 中央部分高い所には、4面に堂が造られ中には仏像が安置されていたが今は何も残っていません。


 本来は、こちらの門から入るのが正式なのだろうが、我々は博物館側から向かいました。

 
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 僧坊が並んでいた辺り。ぐるっと1周しています。

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 広い敷地内には、建物の土台部分がいくつも残されている。

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 登る事が出来るので、登ってみましょう。

このテラコッタは、新しいのでレプリカだろう。ヒンドゥー的だ。

 
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こうしたテラコッタを詳細に見てゆくのもとても楽しい。

 下から見上げると結構高い。高さ21mとある。

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 頂上部分のお堂跡。ここに仏像群が安置されていた。4面に有ります。

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 基壇はこのように造られています。

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 この辺りは湿地帯なので、サギの姿があちこちで見られました。

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 この後博物館を見学して町に戻って来た頃には、朝の静けさはもうどこにもなかった。

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ここでトイレ休憩とバスの燃料補給のためにスタンドに立ち寄ります。
トイレを済ませ、バスに戻ろうとしたら、ガイドが厳しい顔をして戻って来た。
 「急がなくていいですよ。出発できなくなったから!」
 「うん?どういう事・・・・」



 ダムが作られるという事で、はいそんになってしまった集落跡を歩いてきました。
黄葉はもう終わりがけ、あきというより初冬といった感じでした。

 約19kmを休憩も含めて6時間ほど掛かりました。
本格的に歩いたのは、久しぶりでしたが山道を渓谷沿いに歩くのは楽しかった!

 滋賀県の余呉湖の辺りです。結局ダムは、完成に至らず現在に至っており、今となっては必要が無くなってしまったそうです。
 先祖代々の土地を離れざるを得なかった集落の人々はそういう経緯をどう思うのだろうか。

 高時側は、琵琶湖・淀川の源流部にあたる河川だ。この山間地域には、冬になると2m以上の雪が積もるそうです。
 それでも、8つほどあった集落にはそれぞれ20戸~80戸程の家が立ち並び、かつての山の暮らしは賑わっていたという。

 彼らは、炭焼きや焼き畑等で山の雑木を利用してきたから美しい山は保たれてきた。
 そういう場所を歩かせていただきました。

 木造の家屋はすべて取り壊して村を離れたという事で、今では石垣しか残っていませんでした。

 かつての集落にあった水場。

 
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 移転した先の集落

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 かつて計画した頃のダムの看板が、残ってました。

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 さすがに、筋肉が少々痛い( 一一)


 モハスタンには、紀元前3世紀頃には、人が住んでいたという。
7世紀になると仏教からヒンドゥー教へと移って行ったにもかかわらず、この地はパーラ王朝が仏教を保護したので、その文化が残っている。

 1928年から発掘が行われた。ぱっと見何もない様に見えますが、南北1,5km、東西1,4km、幅2mの城壁が続いています。

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 博物館に入り、発掘されたものを見てから、道路を挟み反対側に残っているゴビンダ寺院へと移動する。
 すぐそばまで、コトラヤ川が流れていますが、現在は今にも消え入りそうなほどになってしまっている。15世紀頃まで使われていたという。

 今はレンガの土台のみ残っていました。

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 遺跡の回りは畑になっています。

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 この辺りは、石が採掘できないのでテラコッタが使われてきた。寄って今もあちこちに工場があり、農閑期になると人々がここで働きます。

 せっかくなので工場もちょっとだけ見させていただきました。

 ここに型押しされたレンガを並べて日干しにします。

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 型押しは1つづつ手で行っていく。その後は、釜に入れて焼きあげます。

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 あっという間に人々が集まり、見学している我々を見ているという格好に・・・・。

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 そして、少し時間があるというので村で賑やかな場所をちょっとだけ歩いてみたものの、常に見られているので窮屈です。

 観光という面ではまだまだなのかもしれません。

 
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 バスは、簡易舗装の道を進んでゆきます。シートを通して常に揺れている感じがする。今日は前の席なのでほとんど感じないが後ろに座るとこれがとても大変である。

 時には天井に頭をぶつけそうなくらい跳び上がる事もあるのだ。

 ガイドさんのサービスで収穫した稲のもみを干している所に停まってくれました。こちらでは、はざ掛け等しないでもみだけを干すようだ。

 水に浸したもみをこうして干していく。何日か干して再び水につけるという。

 
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 何人かの人がもみの上をただただ歩いている。何をしているかというと歩く事によってもみをひっくり返したり、空気を入れ替えたりするのだという。

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 続いてバスは、チョロンビー湖で獲れる魚を干している場所でも止まってくれました。これらの魚はカレーにして食べるそうです。

 
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 こういう場面初めて見ました。漁が終るまでは此処に寝泊まりするのだそうです。

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 漁はこのような仕掛けの網で行う。

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 様々な魚が入っているので丁寧に選別して行きます。

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 この様な状態で出荷されてゆきます。煮干しのようだ。ちょっとだけかじってみましたが、しょっぱい。

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 ここを出て少し走ると、向こうからゾウがやって来た。「うんゾウ?なんでこんな所に・・・」
バングラディシュでもゾウを使う人々は居るそうだ。

 
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 車をよけるのでもなくどんどん近付いて来る。とうとう車を通せんぼする様な感じになってしまった。

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 すると運転手さん、窓からお金を渡しました。そうか、こういうお金の稼ぎ方もあるんだ!何となくすっきりしない気分が残った。

 お昼をいただきマハスタンの観光だ。遺跡までは少し距離があるというので4人乗りのリキシャタクシーに乗って行く。これが見た目よりずっと乗り心地が良くない。せいぜい2人まででないとしんどい。

 
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 まずは不思議な形で残っているゴクル・メド(ラクシンダル・メド)の見学だ。13mの高さの基壇の上には、6世紀頃には寺が建設された。その後、11世紀のセナ王朝の頃にはその上に別の寺が建てられたという。

 この不思議な幾何学模様は、装飾用のレンガによって飾りつけがされていたと想像される。

 
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 頂上部分。


 
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 太陽の影が不思議な形を造り出していて何だかモダンアートを見ているようだ。

 
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 モハスタンはバングラで最古で最大の遺跡と言われています。
点在しているので次に移動です。


 

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