好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2014年11月


 今朝は比較的ゆっくりの出発となりました。
まずは、プティアのヒンドゥー教の寺院群を見学して行きます。

 入口付近にあるのがシバ寺院だ。
1辺が20m弱の正方形の建物で、1823年の建造です。

 
イメージ 1

 
 階段を上ってゆくと、美しいアーチの回廊があり、中央の部屋にリンガが置かれている。

イメージ 2

 
 
イメージ 21


 人の形に切り抜かれている。なぜー?

イメージ 5


 背後には人工の池があり、男性が体を洗っていました。

イメージ 3


 サリーをまとった女性。この辺りは、インドのような雰囲気がしてくる。

イメージ 4


 ここからは、村の市場を抜けてゆきます。


 水汲みの用事をいいつかって来たんだろうな・・・。帰りはバケツが重くなってこの子には、大変だろうね。

 
イメージ 6



 これは、「バングラの串焼きだ」と言ってふざける男性。手に持っているのは、牛のふんを干して固めたもので燃料になります。

 
イメージ 7


 正面に見えて来た大きな建物は、「プティア・ラズバリ」です。これは、1895年に建てられた宮殿だ。中央部分の入り口を進んでいくとゴビンダ寺院に行けます。

 
イメージ 8


 陽気な女性3人が声をかけてくれました。とびっきりの笑顔だ。

イメージ 9


 この辺りは、文教地区なのか学校が固まって幾つかあるようだ。小さな教室をちょっとのぞくと・・・・。

イメージ 10


 
 プティア・ラズバリト広場を挟んで建っているのがドルモンチョ寺院だ。元々はヒンドゥー寺院だったが今はその役割を果たしていないようです。

イメージ 11


 ゴビンダ寺院は、正方形の造りの上に5つの尖塔を持っている。1823年に建設が始まり1895年までかかった。

 
イメージ 12


 外壁にはテラコッタで神話がぎっしりと描かれている。靴を脱いで中に入る事が出来ます。

イメージ 13


イメージ 14


 寺院群の中央にも池があり、その周りを歩いてゆく。
バングラでは、どこでも木材を運んでいる人を見かける。製剤されたものを買ってくるのではなくて丸太で購入し、用途に応じて製材する事が多いそうです。

 
イメージ 15


 池に写り込んだヤシが奇麗だ。

イメージ 16


 先ほど見学してきたシバ寺院が池の向こうに見える。

イメージ 17


 最後は、ゴパーラ、アニク、小ゴビンダの寺院群を見学して次の所に移動です。
授業が終わったのか子供達がたくさん集まってきてしまったので、鉄の柵を閉めての見学になりました。

 
イメージ 18


 こちらのテラコッタも見事なものでした。

イメージ 19


 曲線の美しい事!

イメージ 20


 


 クシュティアには、「ラロン聖者廟」があります。
ラロンは、ベンガルを代表する宗教詩人だ。

 彼のような宗教詩人は、{バウル}と呼ばれています。{バウル}は、ベンガルの古い民間信仰で一切の経典を持たず、祈りと修行の手段としての歌を持っている。彼らは、イスラムにもヒンズーにも属さず独自の宗教観を持って居る。

 彼らは、簡単な楽器と共に村から村を渡り、「歌う行者」として生計をたてている。
今日は、その歌も聞きます。

 ラロン聖者廟、こじんまりしています。

 
イメージ 1


 中には棺が収められていて、お参りするには靴を脱いでゆきます。お掃除がすんだばかりで、タイルの上は濡れているのだが・・・・。

 管理人、かっこよく見えてしまいます。

 
イメージ 2

 
 中の棺は、こんな感じでした。ちょっと世俗的に思えたのは私だけ?

イメージ 3


 こちらはお参りに来ていた男性。

イメージ 4


 続いて隣の壁のない建物にてバウル・ソングを聞かせてもらいます。我々の為にパイプ椅子が用意されていました。

 行者達。

イメージ 5

 

 鑑賞する我々を見物に来た人々。

イメージ 6


 順番に、楽器を持って前に出て来て朗々と歌い上げます。
一弦琴、(エクターラというらしい)をもって。

 
イメージ 7


 
イメージ 8


 2番目の方は女性です。

イメージ 9


 3番目、4番目と男性が続きました。歌よりも楽器の方に目が行ってします。民族楽器の中に何故かバイオリンが入っている。

 5番目の女性の方は表現力が素晴らしくて、座っている時は普通の人だったのに・・・。

イメージ 10


 最後は、3人そろって。

イメージ 11


 歌が終わって、参道を歩いていたら日本語で声をかけられた。何と愛知大学に留学し、その後IT関係の仕事を愛知県でしていたという男性。話を聞いていると、どうやらリストラにあって帰国を余儀なくされたようだ。帰国したもののあまり良い環境にいないように思えた。

 「がんばってね!」といって別れたが、生きていくのはどこでも大変だ。

 この後やっとお昼ご飯にありつき、再びバスに揺られて移動です。ホテル近くのガンジス川に着いたのは5時少し前でした。ガンジスに沈む夕日を待ちましたが、太陽は靄の中でした。残念!

 
イメージ 12


イメージ 15



 藁を運んでいるのか人を運んでいるのか定かではない。

イメージ 13


 川で獲れた魚を売っているのでしょうか?

イメージ 14


 この日の夜は、近くで子供達の民族舞踊を見せてくれるというので、ホテルにチェックインした後歩いて向かいました。子供というより、高校生くらいの感じかな。
 開演前は、皆で写真を撮り合ったりして時間をすごす。

 真ん中にいる女性が主催者でしょうか。現地語をガイドが日本語に通訳してくれるので、踊りの内容も何となくわかりました。ライトが眩しいー!

イメージ 16

 
 今日は、芸能三昧な一日でした。


 天気が良かったので、さわやかウオーキングで豊橋まで行ってきました。
豊橋は、葦毛湿原を訪れた時以来です。

 全長11kmくらい。

 七五三と秋まつりが重なって、目に楽しい一日でした。

イメージ 1



イメージ 2


豊橋は、ヤマサちくわの工場があるので、試食もありました。


イメージ 3


 途中で、野菜やお菓子の即売もあり、誘惑に勝てず買ってしまい、サトイモ・ギンナン・柿・和菓子をぶら下げての歩きとなりました。(^^♪
 
 ゴールの直前には、日本酒の試飲もありご機嫌です(^O^)/

 時々下を見てマンホールもチェックしました。この辺りは、海抜2,7mから5mいのようです。津波が来たら全部海面下になりそうです。

 豊橋といえば市電と港ということでしょうか。

 
イメージ 4


 
イメージ 5


 この日の夕食は、買ってきたサトイモのお味噌汁をいただきました。お味噌は、もちろん豆味噌です。


 今日は、途中で一か所観光があるだけで、後はひたすら移動である。
7時半ホテルを出発。

 車窓は、どこまでも広がる平らな土地が続く。バングラでは、3回お米がとれるとの事。水田の色もさまざまである。刈り取りの終わった田んぼ、しっかり実がつき黄金色になっている物からまだ青い田んぼまでパッチワークのようです。

 機械化は進んでおらず、田起こしは機械で行う物の他はすべて人力だという。「牛は使わないのか?」と尋ねたら、「使いません」と返事が返って来た。ヒンズー教でもないのにねえ・・・。

 ここはまだ成長途中の田んぼ。真っ青です。

イメージ 1


 また、エビの養殖もとても盛んなようだ。自分たちで消費するよりは、輸出用のようだ。
このシステムはとてもよくできていて、水田を利用する。まずは、1mくらい掘り起こしみずをいれ。エビの子供をいれる。子供は、イネの切り株などを餌にして育ちます。
 そして、今度は田んぼを干して田おこしをして稲を作る。エビのふんが、今度は稲の肥料となるのだ。

 エビの養殖場。小さな小屋は見張り小屋で、夜ここに人が泊ります。

 
イメージ 2

 
 踏切も何度も渡る。バングラディシュは、イギリス式の広軌とメーターゲージの併用なので相互乗り入れを必要とする所は、線路が3本あります。自動で降りるのではなくて、見た限りでは踏切番がいました。

 ここの線路は、標準軌のようだ。

 
イメージ 3


  運のいい事に何本の走っていない列車が走っています。お祭りなどの時には、この列車の屋根の上にも人がびっしり乗るのだそうです。こちらはバスとは違い、無賃乗車なのだ。屋根どころか、先頭のちょっとした突起部分にまで人がぶら下がるというから、命知らずばかりだ。

 
イメージ 4


 途中給油に立ち寄ったスタンドで何かを採取していました。下に人がいてもどんどん落としてくる。「危ないでしょー!」

イメージ 5


 スタンド、いたってシンプルです。トイレは、燃料をいれない時も、使わせてもらいました。今回、青空は、ブータンで1回あっただけで、全てトイレを使いました。中には外の方がいいなあと思うようなトイレもありましたが・・・。

 
イメージ 6

 
 9時近くなってくると、男たちの姿も目立ってくる。荷物を降ろした後のたまり場でしょうか?

イメージ 7

 

 ここは大根市場。バングラでは、野菜によって市場が分かれている事が多かったです。どこを見てもダイコン・ダイコン・ダイコン!

 手前の野菜は、瓜かも・・・。それにしても上手につめる。日本でよくやっているスーパーの詰め放題に参加したら優勝まちがいなし(^O^)

 
イメージ 8


 奥の方まで。

イメージ 9


 奥の方には、おろされた大根の山が見える。

イメージ 10


 ともかく見るもの驚きです。なんてダイナミックな国なんだろう。商品価値を出す為にきれいに土も落とされていると言った細やかさも、ちゃんとこころえている。

 ここは学校でしょうか?時間が半端だけれど、帰りのようだ。
制服を採用している学校も多い様で、制服姿の学生の沢山見かけました。


イメージ 11


 小さな村や、大きくない農家はこうやって収穫したものを並べている。

イメージ 12

 
 バスぎりぎりに迫ってくるので本当に怖い。バスからのぞいた所。

イメージ 13


 たばこの葉っぱのように見えるが。日を直接当てないようにして育てます。

イメージ 14


 お昼近くになってようやく、観光となりました。


 遺跡の帰りにペンが欲しいと声をかけて来た男の子。田舎では、こういう事が良くあり、もっとたくさんのボールペンを持ってくればよかったと思った。
 近くに小さな小さな学校がありました。

 まっすぐな目・・・。

イメージ 1


 親子かなあ?
子供の方は、全く笑ってくれませんでした。見た事のない怪しい奴らですもんね。(^O^)

イメージ 2


 ここからシュンドルボンンクルーズの乗り場まではそれほど掛からなかった。

 バングラデシュには、大小合わせると230もの河川が存在する。
シュンドルボンは、東京都の3倍もの面積を持つ世界最大のマングローブ森林地帯であり、特異な生態系を持っている。ベンガル湾にそそぐ、ポッダ(ガンジス)河、ブラマプトラ河、メグナ河のデルタ地帯に広がっている。
 河口域では、2mもの潮の満ち引きが見られる。そして、森林の3分の1が常に水につかっている状態なのだ。耐塩性のマングローブの林の干潟と小島、進行中の生態の過程が複雑に絡み合っているのだ。ここには多くの動物も暮らしており、もっとも有名なものはベンガルタイガーである。
 しかし夜行性の彼らの姿を見られるのは、宝くじに当たる確率より低いかもしれない。他には、鳥・鹿・ワニ・ヘビ・猿など様々な動物がそこには生息している。

 
 インド分割の際に、バングラディシュ側に3分の2、残り3分の1がインド側に残された。

 乗り場といっても、板をかけただけの簡単なものです。近くでは漁をする姿も見られます。

 
イメージ 3

 

 干潟になっています。

イメージ 4


 河砂利の採集場か。色々な船が停泊し又行き交う。

イメージ 5


 船と陸地をこのように行き来をする。塩が引いても下は泥なのでぬかるんでいるからだ。

イメージ 6


 渡し船。見事に男ばかりだ!

イメージ 7


 こちらは荷物を運んでいるようだ。一緒にのっているのはヤギのようだが、これも荷物なのかしら?

イメージ 8


 陸地だけでなく、河までラッシュ気味でした。

イメージ 9


 船は、ゆっくりと進み途中で2か所ほど停泊し、上陸する。お昼御飯は、船の中でいただきます。
冷えたビールがおいしいなあ。イスラム国ですが、外国人がお酒を飲むのは禁じられていませんし、飼う事も出来るので、ガイドさんが買いこんできてくれていました。値段は、手間賃込みなので少々高い。

 模型。我々は12番辺りから出港し、今は9番辺りにいるらしい。

イメージ 10


 木道の上を歩いてゆきます。鳥の声はするものの、他の動物の気配さえない。
別れ道、ここを進んでゆきました。

 
イメージ 11

 
 マングローブ林。水につかっている。

イメージ 12


 泥地帯は酸素が不足する為、一般の植物は成長が出来ない。しかし、マングローブは、呼吸根が発達する事により、生息出来てしまう。その森は様々な生き物に隠れ家を提供するのだ。

 呼吸根がいっぱい!!

イメージ 13


 森を抜けるといきなり猿の出迎えを受けた。

イメージ 14


 保護センターのようなものがあり、ワニの赤ちゃんをある程度大きくなるまで此処で保護して育てているようでした。

 なんでもたくさん集まると不気味だわあ(>_<)

イメージ 15


 大量の鹿も保護されていて、奈良公園を連想してしまいました。日本の鹿と全く同じ見にえるのですが・・・・。

 
イメージ 16


 こちらの船は、船の中で泊まりながら旅行して行く。夜も上陸するそうです。なのでかなり大きい。

イメージ 17


 船尾には、細い水路を進む為の小舟がくくりつけられている。これは我々の船にもあり、この後これにのって水路を進んでゆきました。

イメージ 18


 許可をもらって漁をする人。

イメージ 19


 それにしても、何もいない。時々水面が揺らぐのは魚か。結局大きな鳥を2回ほど見ただけで、後は小鳥の類ばかりでした。これだけ笑っているのだから、動物が姿を現すわけないでしょう(^O^)

 
イメージ 20


 河際で暮らす人々の家を見ながら戻ってきました。さわやかな川風を受けてとても気持ちが良かったです。

 
イメージ 21


 明日は、殆ど移動です。


 昨晩は、お風呂のカランガ硬くて使えなかったのだが熱いお湯が出たのでシャワーはしっかり浴びる事が出来た。
ただし、洗面所の手洗いに小さな黒い虫が流しても流しても直ぐにどこからともなく集まってきてしまい気持ちが悪い。
 それにここではマラリアが恐いので、一晩中蚊取り線香を焚いて寝たせいか少々喉がいがらっぽい。

 ダッカよりかなり南に位置しているからか、デルタ地帯だからなのか、湿気が体にまとわりついてくる。

 クルナは、バングラディシュで3番目に人口が多い。世界遺産の「シュンドルボンの森」クルーズや「バゲルハット遺跡」見学の拠点となっている。この国には、世界遺産は3つしかないのだが、そのうちの2つがこのクルナ地方にあるというわけだ。

 あさごはん前に街をちょっとだけのぞいてみる。

 
イメージ 1


イメージ 2


 今日の観光は、警察の先導で行われるという。というのは、この日は、ストというかデモというかにあたっていて、それらに巻き込まれると危険だというのだ。ストの時間は、早の6時から夕方の6時までの12時間で、その間は車や通行止めになり商店も閉まってしまうというのだ。
 なぜこのようなストやデモが行われるかというと、反政府のリーダー(この時はまだ刑が確定していなかったようだ)の処遇をめぐってのことらしい。
 こうした運動が認められているという事にも、民主主義が働いているのだなとかんじた。

 以前この同じツアーはデモに巻き込まれ全然動けずバスの外にでも出られず、ひどい目にあったという。今回はそうならない様に添乗員は、かなり気を使っていました。

 前もって要請が行われていたのでポリスの誘導はとてもスムーズで、管轄が変わるとポリスも交替して行くシステムがうまく働いていて感心してしまった。

 我々のバスには、こんな幕が取り付けられた。
バスは、フロントガラスにひびが入っているが、冷房もありました。

 
イメージ 3


 管轄が変わると、乗っている車も制服も変わるのでちょっと楽しめました。

イメージ 4


 そんなんで、いつもなら渋滞や混雑している道もすいすい進みました。

 世界遺産のバゲルハットに到着した。幾つかの見どころがあるのだが、
 まずは、シャイトグムバッド・モスクを見てゆきます。意味は「60のドーム」といった意味ですが、実際には81個のドームが存在する。屋上部分に77、4隅の塔にも4つのドームがあるのだ。

 
イメージ 5


花の向こうにちらっと見えるのもなかなかのものだ。

イメージ 6


バングラディシュ最大のモスクで、東西48.77m、南北32.92mの大きさがあります。

イメージ 7


モスク内部は、至ってシンプルだ。白く塗られた何本もの柱。

イメージ 8


こちらの汚れた柱が15世紀の創建当時のままの柱だそうです。

イメージ 9


ミフラブ

イメージ 10


敷地内にある井戸で、女性が水を汲んでいた。

イメージ 11


再びバスに乗り、少し走って池のそばのカーン・ジャハーン聖廟にやってきました。何とここは男性しか建物内に入る事が出来ませんでした。女性は建物の外からお墓を見るだけ・・・。

イメージ 12


きれいな装飾。

イメージ 13


近くの池には赤い蓮の花が咲いていました。ちなみにバングラの国の花は、蓮だそうです。

イメージ 14


最後は此処から歩いて15分くらいの所にある、「ナインドーム・マスジット」に行きます。
樹木に覆われて何だか朽ち果てたような印象を受けた。

内部12.19m、外部16.76mの正方形の構造になっていました。

イメージ 15


一瞬靴を脱ぐのをためらうような湿気である。中にはお祈りをしておられる方がいらっしゃいました。

イメージ 16


この後は、デルタの河口部分まで向かいクルージングに出かける事になっている。


 香港経由で、ダッカに到着したのは現地時間の8時近くでした。
本来ならマレーシア航空を使うはずだったのだが、事件というか事故というかが続いたので、旅行社の方で変更を決定したのだ。
 
 幸い、キャセイは名古屋便も有るので私だけが名古屋からの出国となりました。
香港で、ツアー本体と合流してバングラディシュへと向かった。

 空港に降り立つと、モンスーン地帯らしいむっとした熱気が我々を迎えてくれた。
ホテルは、空港の近くなのだがわずかな時間走るだけでも混沌とした賑やかな雰囲気を感じられた。

 まずは、湯船にお湯をいれて体を休める。明日からは、たっぷりとしたお湯にありつけるかわからない。

 翌日、朝食の後ホテルの外に出てみた。7時を少し回ったくらいだが、うるさいほどの喧騒である。クラクションがひっきりなしに鳴らされる。久しぶりのアジアの活気に、中々なれる事が出来ないようだ。

 
イメージ 1


 一体何がはいっているのだろうか?

イメージ 2


 私は、バングラデシュというと「難民」、ダッカというと「ダッカ事件」くらいしか思いつかなく、インドから分離した時に東西のパキスタンに別れたうちの東側の国というほどの印象しかなかった。

 宗教はイスラム教とヒンズー教がほとんどで、キリスト教と仏教を合わせても1%程にしかならない。
よって挨拶は「アッサラーム・アレイコム」です。

 今日の夕方には、国内便でジョソールへ向かう。市内観光は、それまでの時間になる。

 バングラデシュの国旗とナンバープレート。

イメージ 3


イメージ 4



 途中、ダッカ事件が起こった時の空港のあった場所や、日本の政府が当時のバングラデシュにお礼として建設し贈ったというホテルなどを見ながらバスは進んでいく。
 今、資料を読むとバングラデシュ政府は、日本政府に対して何の保証も見返りも要求しなかったとあるので、民間レベルでのお礼という事にしたのだろうか?

 ものすごい車の数で、赤信号でも無視して進んでいきます。一体どうなっているんだろう?イギリスの植民地だったので右ハンドルなので、右側に座っているとすれ違いの時は恐怖を感じるほどだ。
 あまりのうるささにバックの合図は、車体を叩いてしらせます。声や音では、ドライバーに聞こえないのだ。


イメージ 11


 そんな街の中でそこだけ静かなスターモスクです。こじんまりとしたとてもきれいなモスクでした。
中にはいる時は、裸足・かぶり物が原則である。

 
イメージ 5


 名前の通り、前面に星の模様が入っている。19世紀前半の建造。
ともかく可愛い。

 
イメージ 6


 内部も素敵です。天井部分。

イメージ 7


 何故富士山と牡丹何だろう?宗教施設らしからぬ雰囲気に思わず口元が緩む。

イメージ 8


 続いてもっともダッカらしいと言われるショドルガッドにやって来た。ブリコンガ川に面したショドルガッドは、世界一の河港の1つといわれており、何千もの手漕ぎボートや客船が行き来している。

 今日は土曜日で、お休みなので本来の賑やかさとはかなり違いスムーズに歩く事が出来た。
橋の下で暮らしている人もいるようだ。
 観光に来ているのに、見られている感の方が圧倒的に勝っている。

 
イメージ 9

 
 彼らは、この汚い川で何もかも済ませるようだ。インドのバラナシを思う。

イメージ 10


 ベニスに似てなくもない・・・・。

イメージ 12


 船体を他の船ぶつけながら進んでいく。

イメージ 13


 
イメージ 14


 車は、ダッカ大学のある学生街を抜けていく。さすがに此処は落ち着いた感じがして、それほどうるさくない。

ムガール帝国時代の設立されながら、完成する事が無かったというブリコンガ川に面した要塞ラルバグ・フォートに到着です。現在川は、流れを変えてしまっている。

 
イメージ 15


 シャイスタ・カーンは、1684年にこの地で娘を亡くしたのでこの砦を不吉なものとして完成する事をやめたのだ。

 その娘ビビ・パリのお墓のある建物。

イメージ 16


 写生に来ていた子供達の賑やかな事。皆楽しそうです。


イメージ 17


 続いて、オールド・ダッカにあるヒンズー教の寺院ダケシュリ寺院にやってきた。こちらは、国に所有管理されている「国定寺院」なのだそうだ。ダケシュリとは、「ダッカの女神」といった意味で、年に1度ドゥルガ・プジャという女神を崇拝するお祭りが行われるそうだ。

 こちらもとてもかわいい。

 
イメージ 18


 
イメージ 19


 この印象的な建物は、国会議事堂。遠くから眺めるだけでした。

イメージ 20


 昼食をはさみ、国立博物館を訪れたのだが、持ち込みのバッグを巡りガイドと警備員がちょっとだけもめるという事があった。こちらでは、博物館はカメラの持ち込みはもちろん、荷物も制限している所が多く、結局専門の警備員を同行してバッグ持ち込みOKとなったのでした。

 なので博物館の写真は、ありません。

 夕方、国内線にのり南部のジョソールへ。そこからバスに乗り換え悪路を走る事2時間余り。ようやく今晩のホテルのあるクルナの街に到着したのだった。

 めちゃくちゃ長い1日だった・・・・。あー、お腹すいた・・・。


 昨日帰国しました。
久しぶりの長旅となりました。

 香港乗り換えでダッカに入り、バングラデシュを北上してインドに入ります。

 インドは、ダージリンとシッキム地方を抜けると、今度はブータンです。

 似ているようでハッキリと国民性ヤ文化の違いを肌で感じました。

 
イメージ 1


 バングラデシュは、北海道の約2倍ほどの国土に人口1億4500万人くらいあり、そのうちダッカに1100万を超える人々が密集している。

 その喧騒と迫力たるや我々を圧倒してくる。久々にそういう活気というか混沌さというか都市の熱を感じた。


 反対にブータンは、九州よりやや広い国土に住む人々はたったの75万人余り。首都のティンプーでさえも9万人ほどの人口しかないのだから、何かにつけてものんびりとゆったりと感じ、都会の喧騒にややうんざりしていた我々をやさしく迎えてくれた。

 共通している事は、どの国の人々も暖かくやさしく我々に接してくれた事だ。

 今日は、バングラデシュで「えー!うそー!」と思ったものを紹介してみた。

 車って穴が空いていても走るんですね!!!!

 
 このバスは、まだきれいな方だ。ちなみのこれらは個人のものだそうです。

イメージ 2



イメージ 3

 

イメージ 5


 この2階建のバスは、英国の植民地時代からのもので、国から借りているらしい。イギリスの支配が終わったのが1947年の事だからざっと60年以上も走っている事になる。


 
イメージ 4


 バスの屋根の上にもお客は乗っているのだが、料金は半額だそうだ。
ぶっ飛ばし、ぐんぐん車を追い越すバスの上に乗っているのはかなり危険な事で毎年死者が出るそう
です。

反対にトラックは、パキタンのデコトラとまではいかないがかなりきれいだ。自慢の車というかんじだ。

 
イメージ 6

 
イメージ 7


 こんな所まで・・・

イメージ 8


イメージ 9


 本格的な旅は、これから始まります。

このページのトップヘ