好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2015年06月


 テッサロニキの南東、エーゲ海に3本の指を突き出したような半島の一番北側にあるのがアトス半島である。
バスで2時間半から3時間ほどの場所だ。

 長さ40km、幅8~12km、面積385㎢ほどで、半島のほとんどをアトス山が覆っている。何世紀も前に建てられた修道院が20程有り、そこでは約2000人ほどの修道士たちが暮らしている。
 ギリシャ正教の神髄ともいえる進学を実践しており唯一自治が認められている。

 立ち入るには、前もって巡礼事務所に予約を入れ許可を受けなければならない。また女性。未成年者のみの入山は禁じられている。

 各修道院の入り口は、一か所のみで日没とともにに閉鎖される。食事は2回で精進料理、祈りと労働の日々を過ごす。

 なので観光客が簡単に見学というわけにはいかないのだ。

 この日は、ウラヌポリスという町から、船で半島の南側を回りいくつかの修道院の外観を見て回る。北側を回るルートもあります。

 ここから出発です。

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 町が遠くなる。

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 しばらくすると石積みの塀が見えてきた。ここから先が自治区というわけだ。

 船の案内は、ギリシャ語と英語などで行われ、日本語はないのだが今回は特別に添乗員さんが最後の説明を入れてくれた。が、ポイントがずれてしまうのでどの建物の説明なのかわからない場面も多々ありました。

 最初に現れた建物はこれ。よく見ると天井が抜けているようにも見えるので、使われていないのかもしれない。

 
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 続いては、ゾグラフ修道院(ブルガリア正教)の船着場。本体は山の上の方にあります。

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 ドヒャリウ修道院。

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 クセノフォントス修道院。

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 強固なつくりは要塞のようだ。

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 カメラを構えていたら、気持ちが悪くなってきた。このままだとかなりやばい。遠くを見るようにしなければ・・・・。
と大きく傾いた船が見えた。男性ばかりを乗せた船だ。後で知ったのだが、この日はかなり波が荒くていつもはこんなに揺れないのだという。そうだったのか・・・。

 
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 パンテレイモノス修道院は、ロシア正教です。緑の色がとても印象に残っている。

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 クシロポタムウ修道院。山の上はかすんできている。

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 シモノスペトラ修道院。

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断崖絶壁の上に建っている。

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 この日のアトス山、雪渓が見えます。標高2033m。

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 グレゴリウ修道院。

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 ディオニソウ修道院。

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 半島には、滝もいくつか見られました。

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 最後の修道院は、セントポール(アギウ・パヴル)修道院です。
かなりかすんでいますが・・・。

 
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 半島の先の方は、何となくかすんでいてクリアな写真が撮れなくて残念でした。
港に戻りお昼をいただき、またまた3時間ほどかけてテッサロニキの街まで戻ってきました。

 


 テッサロニキまでやってきたところで、ギリシャで食したものを少し紹介してみます。
トマトとナスなどは何度も食卓に並びました。

 スブラキと呼ばれる肉の串焼き

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 こちらは、滞在中何度もいただいたムサカ。お店によって中身が違いますが・・・

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 ナスのラザニア(ムサカ)

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 前菜いろいろ。こちらもキプロスのようにメデというものが並ぶのですが、数はキプロスより少ないです。

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 デザートのケーキ。ともかく甘い。私はほとんどいただきませんでした。目で満腹に・・・・。

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 ドルマーデスというブドウの葉っぱにひき肉やお米を包んで煮たもの。お隣のブルガリアかルーマニアでもいただきました。私はこれが結構好き。

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 チキンのピカタというかフライお米添え。レモンが巨大です。

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 海辺になると魚介が出てきます。小魚やイカのから揚げ。おいしかったです。煮干しのようで煮干しでない・・・。

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 ギリシャのヨーグルトは堅いので自立します。これにはちみつやドライフルーツがよく似合う。

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 コルフ島のビール

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 コルフ島でいただいたものいろいろ。

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 ハタという魚のトマト煮込み。かなり焦げている・・・。

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 てんこ盛りのサラダ。自夕食の時です。

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 ムール貝と魚介のグリルも頼みました。

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 今回はこの辺で。またどこかで続きを紹介したいと思います。

 バスは、ギリシャ北部に入ってきました。
テッサロニキは、人口200万人以上でギリシャ第2の都市である。

 アレクサンドロス大王は、この地方マケドニア出身であり、テッサロニキはその中心都市である。
アテネが古代ギリシャの街並みを残しているのに対し、ここは中世東ローマ帝国の街並みが色濃く残されている。
 紀元前315年、マケドニアの将軍カサンドロスによって造られた。彼はこの年、アレクサンドロスの異母妹であるテッサロニケを妻として迎え、彼女の名前をとってテッサロニキとした。

 以来街道の重要な宿場町として栄え、バルカン半島の貿易ルートとしても重要な位置にあった。紀元50年、使徒パウロがこの街で伝道し、教会を設置してヨーロッパで最初のキリスト共同体が作られたという。
 
 第4次十字軍が、コンスタンチンノープルに攻め入り、テッサロニキには大主教座がおかれ、ラテン王国の都となった。
 のち、再び属州となってしまったが、1492年、ユダヤ人たちがやってきた。商才あふれる彼らは商業を発展させ繁栄していった。1921年の独立までは、トルコに支配されていたが、ある程度の自治を認めていたので独自の文化が育まれていった。
 街を歩いていると、なんとなくイスラム的な雰囲気が漂っているのはこういうことなのだろう。

 まずは港にやってきた。ホワイトタワーを外から見ます。これは、15世紀にベネチア人が築いた城壁の一部で展望台もあり、町のシンボルとなっています。

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 よく整備された公園にはたくさんの人々が集まってきている。

 
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 大王の銅像建っている。このあたりには、博物館や国立劇場、市庁舎、見本市の会場など重要な建物がたくさんある。

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 市内のあちこちにビザンチン時代の建物を見ることができる。その1つで世界遺産に登録された「アギオス・ディミトリオス教会」に向かいます。

 
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 アギオス・ディミトリオス教会。5世紀に守護聖人ディミトリオスが殉教した場所にたてられた教会。ギリシャ最大の教会でバシリカ聖堂様式。1917年の火災で被害を受けたが、焼け残った資材を用いて再建された。

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 ミサの時間が近づいていたので少々早足になってしまう。
太陽の光が差し込んできている。

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 祭壇

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  立派な椅子。

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 この小部屋、我々も入れます。懺悔するのかなと思ったのですがどうも違う・・・。

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 この絵は、7世紀のものだそうです。火災を免れたのだ。

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 骸骨が入っているのかしら?

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 細工が素晴らしい。何かはわかりません。

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 外に出てきたら、男ばかりがずらっと並んでいました。修道士さんでしょうか?

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 近くにローマ時代のアゴラがあるというので歩いて行ってみました。小さいながらもきれいに残っている。

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 再びバスに乗ってレストランへ向かう。今日の夕食は、タベルナでいただくのだ。街の居酒屋といった感じでしょうか・・・。

 ロトンダ。ガリレウス皇帝の霊廟として306年に建設された。しかし400年頃、キリスト教会に改造された。トルコ時代には、モスクとして使用され、凱旋門と並んでテッサロニキ最古の建築物である。

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 こちらがその凱旋門。ローマ軍とササン朝ペルシアの戦いでのローマ軍の勝利を記念して建てられた。この門のあるとおりは、かつての東西交易の幹線ルートだったのだ。

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 レリーフは、ガリレウスの勝利を立てる様々なシーンが彫られている。

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 ホテルに着いたら、現地の旅行社からワインの差し入れがありました。私はお二人の方分のボトルをもらってご機嫌です。このホテルでは、連泊だし、ロドス島に渡るまでに1本開けてしまおう。


 カストキラの町が見えています。

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 これは、最初に訪れたルサス修道院。その場を歩いているときは思わなかったけれど、こんな風になっていたんだ!

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 こちらも人気のある修道院ですが、きょうはおやすみのヴァルラーム修道院。

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 お休みの日でも、ゴンドラは動いてる。修理のためのブロックのようなものを積んで、何度も往復をしていた。

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 途中で、眺望のよい場所があるのでそこでストップして写真を撮った。4つの修道院をカメラに一度に収めることができる。

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 これから訪れるステファノス修道院の遠望です。唯一フラットな場所に建っていました。

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 ここから見おろすカランバカの町はとてもきれいです。

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 街に降りて、お昼をいただいた後は、オリンポス山を眺めながらロングドライブです。目指すは、ギリシャ北部の中心地テッサロニキだ。


 目覚めてすぐの窓を開けてメティオラの山々を見る。
うるさいほどの燕の声がする。軒を見れば今まさに巣作りの真只中の様子。口にほんの少しの土をくわえてきて壁にぶつかるようにして擦り付けている。気の遠くなりそうな感じなのだが、確実に巣の形になっていくから大したものだ・・・。
 
 三日月でした。

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 煙のようなものがスーッと湧いて広がった。

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 早く目覚めたものの出発までは時間がかなりある。近くを当てもなく歩いてみようか・・・。

犬と馬とおじいさんに出会いました。

 
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 出発したバスは、岩山の間の道をくねくねと登っていく。そのたびに修道院が右に左に移動する。
ピンドス山脈の麓に広がるテッサリア平原の突如現れる奇岩群。どうしてこのような地形ができたのかは、はっきりしていないが、流れ出る川の浸食によりかたい部分だけが残ったというのが代表的な説である。

 最初にこの地に人が住み始めたのは、9世紀頃。下界と離れて神と交信する、それが目的だったと思われる。
14世紀、セルビア人たちが侵入してくると修行者たちは戦乱を避けてこの地にやってきて共同生活を始めた。
 1356年、アトス山からやってきた聖アタナシオスは、最初の修道院大メティオラを建設した。

 これを機にいくつもの修道院が建てられ、最盛期には24にも達したといわれる。代々国王の保護を受け、ギリシャ正教の聖地でした。しかし、修道士の数が減るにつれて衰退し、今は5つの修道院にしか人が住んでいないという。そして、観光客のわずらわしさからほかの場へ修行する僧もいてますます減少しているようだ。

 
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 今日は3つの修道院を見学する予定です。まずは、13世紀に造られ現在16人尼僧が暮らしているという、ルサヌ修道院に入ります。

 修道院の内部は、原則撮影禁止です。女性は、足が隠れていてもなぜかスカートを着用となっています。貸し出しもあるのですが、私は自前のスカートで回りました。

 
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 メティオラとは、「空中に吊り上げられた」というような意味だが、この絵を見ると納得。階段も梯子もない岩山、物資を運ぶ手段は滑車につるした網袋だけだったという。

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 修道女手作りのお土産。はちみつ、蝋燭など、いろいろなものが売られていました。

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 岩山の上でもお花畑がありました。

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 続いて大メティオラ修道院に到着です。アトス山の建築様式を受け継いでいて、16世紀中頃に建てられたものだ。階段をいったん下ってからさらに階段を上っていく。

 
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 納骨堂があります。

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 博物館やキッチン、中庭なども公開されている。
廊下の壁のフレスコ画。

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 こちらは新しい。

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 今は使われていないキッチン。

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 教会と中庭。

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 帰り道は、ほかの修道院の写真を撮りながらゆっくり歩いていく。


 今朝も文句なしの快晴。食事をすませた後、朝のカノニ岬まで散歩してきました。
昼間とは違い誰もいない。遊歩道を歩いて下の教会近くまで行ってみた。

 
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 再びフェリーに乗ります。時間通りに出向したのにやはり遅れての到着になってしまい、本来なら先に食事をしてからドドニ遺跡を見学する予定が入れ替わってしまった。なのでお昼までが長かったあ!

 イオアニナの町からバスで30分ほどのところにあるのが、ドドニ遺跡です。
ギリシャ最古のゼウスの神託所で、紀元前9世紀のホメロスの叙事詩の中にも名前が出てくる古代ドドネがこのドドニ遺跡であると1875年に確認されたのだ。
 
 信託所の誕生は、エジプトからやってきたハトに始まりそのハトがドドニの樫の木に泊まり神託所の開設を津潟という。神は樫の葉のそよぐ音で神託を下したという。
 現在も樫の木はありますが、もちろん後世に植えられたものだ。

 
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 遺跡は、道路以外を歩くと毒蛇がいるという。「気を付けて」と何度も注意をされた。
バシリカ。

 
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 このエピロス地方の同盟用にたてられた会議場跡。
奥は、アフロディーテの神殿です。

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かなり崩れてしまっているが、野外劇場。

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 ようやくイオアニナの町に向かう。エピロス地方最大の町だが歴史は比較的新しく、1020年に文献に名前が登場する。最盛期を迎えたのは、「イオアニナのライオン」と異名をとったアリ・パシャの時代だ。パシャとは、高官の称号で支配は30年に及んだ。
 しかし、オスマンのスルタンは地方知事たちの特権を制限し君主が領地をもつことを禁止した。アリニモ40日以内に出頭の命があるが彼は拒否をする。そこでスルタンは、イオアニナの町を包囲させた。
 これに対しアリは、町に火を放ち要塞に立てこもったのだった。
結果、1821年、アリは財産没収後僧院に入るということで降伏。だが、中央はこれを認めず「アリの首をはねよ」といってきたのだ。1822年1月17日これから我々が向かおうとしている小島でころされた。

 町には今も頑丈な要塞が残っていて、迷路のようになっている。時間があれば散策したいところだが・・・。

 小舟で島に渡ります。雪山をギリシャで見るとは思いませんでした。

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 お昼は船着き場のレストランでいただきます。上から鳥の糞が落ちてこないか少々不安だ。
そのあと少しだけぶらぶら島の中を歩いてみた。パシャが処刑されたところは、博物館になっていました。時間がないのでパス・・・。

 誰かのいたずらなのか、それともちゃんと描いたものなのか、消火栓です。

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 小さな教会がある。入ってみよう。

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 たくさんのイコンが飾られている。

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 再びイオアニナの町に戻ってきました。モスクが要塞の上に見えている。30分ほどだけだが、要塞の中に入ってみることになりました。

 
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 博物館やアリ・パシャの墓などがあった。

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 この後はバスは、メティオラ観光の拠点ともなるカランバカを目指して走る。明るいうちに到着です。部屋もメティオラが一望できて満足満足。

 
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 どうなっているの?

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 家の灯りがつきました。ベランダから。

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 明日は、ハイライトの一つメティオラ修道院めぐりです。楽しみだ。


 新市街からの眺め、正面に旧要塞が見えます。
新要塞は、ヴェネチア時代、1577年から1588年にかけて建てられた。

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 海の方に目を移すと大型客船が三隻も停泊していた。午前中宮殿が大混雑になるわけです。

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 下ってきて再び夕食までの時間を散歩だ。食事は、添乗員さんが、目星をつけてくれたレストランの前で再集合です。

 今回は、お店に入って買い物もしながら歩いてゆく。
ケルキラ島の守護聖人であるスピリドンを祀ってある教会にもう一度行きゆっくりと内部を見させてもらう。ここには、遺体も安置されていて、年に4回、棺を担ぎ町中をパレードするそうです。
 1589ねんから1596年にかけて建設された。

 
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 こちらの教会は閉まっていました。この空の青さは目に痛いくらいだ。

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  ベネチアのような狭い路地もたくさんあります。猫の様にこういうところを歩くのはとても楽しいことだ
 
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 夕食は、海鮮です。ムール貝やタコ、イカ、山盛りのサラダをいただき、タクシーにてホテルに戻ってきました。
9時近くなってようやく太陽が沈み始めた。

 アジア美術館に展示されていたものを少し紹介してみます。

 キリストの磔が描かれたお皿。まさかこれで食事をしたとは思えないが・・・・。

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 器のふちのきれがとてもよい作品だと思いました。金魚がまさに泳いでいる感じだ。

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 男性がこっそり奥さんに隠れて持っていたのかなと想像しても見ました。見たときなんとなくドキッとしてしまいました。アート的な雰囲気ではなくて、少々猥雑な感じもする。

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  これ大好きです。花火大会は、どの時代でも人々は浮かれてしまう。

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 写楽の肉筆画は、今まで確実なものは一点もみつかっていなかったので、ここで発見されるとはだれも予想をしていなかった。

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 歌麿。

 
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 仁清とありました焼き物。


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 こちらは、乾山。

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 アジアのどこかの仏様。ほのかに色が残っていてとても素朴で好きです。

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 今日もぐっすり眠れそうです。


 続いてカノニ岬へとバスは向かう。実はこの岬ホテルから歩いていける距離でした。
ここのフランス軍の大砲(Canon)が置かれていたことからこう呼ばれるようになった。
 展望台にはレストランがあり大勢の人でごった返していました。
下を見ると・・・・修道院とその奥に緑の小島が見える。

 修道院は、ヴラへルナ。島の名前はネズミ島。船で渡ることができる。

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  ネズミの形をしたこの小島は、パイケアス人が、オデッセイウスを無事に故郷のイタキ島まで送り届けたことを知ったポセイドンが怒り、自国(ケルキラ)へ帰ろうとする人々の船を港の手前で今に変えてしまったものとして、ホメロスの「オデッセイア」には語られている。

 目を反対方向に向けると、そこには滑走路の端っこが見えていた。端っこをこんな風にしてみたのは初めてです。

 海の中には飛行機のための道標が建っています。

 
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 旧市街の散策は、旧要塞の前から始まった。
入場は自由時間にお好きな人だけどうぞというわけなので外観のみ・・・。
 
 8世紀初頭ビザンチン時代に造られた。その後、オスマン帝国が力をつけてくると侵入を恐れた帝国は、さらに頑丈な城壁を立て門を作り、塀を広げるなどより強固なものにしていった。

 現存するものは、16世紀のものです。

 
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 要塞の前の通りを進んでいくと右手にクリケット場が見えてくる。そこの交差点を右折した通りがパリのリヴォリ通りをまねて作ったリストン通りで、カフェが並んでいます。

 
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 正面にアジア美術館の建物を見ながら進んでゆき、手前で今度は左に曲がり、路地の中へと入っていく。
ベネチア時代の古い町並みが残っていて石畳にバルコニーと雰囲気のある通りが続いている。
 2007年に世界遺産に指定され、ギリシャ風の町とは西欧的な感じがする。

 見えている塔は、町の中心に立つ聖スピリドン教会の塔です。
中も素晴らしいが、写真は厳禁でした。

 
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 迷路のような通りは歩いているだけで十分楽しい。お土産屋さんの試食もうれしい。
練習中と思われるへたくそなホルンがどこからか聞こえてくるのだが、それも楽しい。

 
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 このおじさんは、ちょっとした有名人だ。我々が日本人だと知ると、NHKが取材に来た時の写真を見せてくれた。商売物のバターもとてもおいしくて、「ここのじゃなくちゃね」というファンが多いのだそうです。
 
 
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 通りには、こんな看板もあったが食べ物屋さんではありません。可愛い!

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 この建物も素敵です。

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 お昼をいただいた後は自由時間です。今日は夕食がついていないので夕方まで残って街で食べていくことにしました。

 まずは、アジア美術館に向かいます。この美術館は、外交官グレゴリオス・マノス氏の東洋美術のコレクションを公開している。2008年、確実なものが1点も見つかっていなかった写楽の肉筆画がここで発見された。他にも歌麿、北斎などを含めた浮世絵が1600点も所蔵されているというから驚きです。

 両脇に門がある建物なので、壁のようにも見える。聖ミカエルと聖ジョージ宮殿とも呼ばれている。ドリア式柱廊が見事な新古典主義の建物で、1819年にイギリスの高等弁務官本部として使用されたが、その後、聖ミカエル、ジョージのオフィスとして利用され、1846年から1913年の間は国王の夏の別荘として使われた。内装ちょうどともに宮殿時代のものが残っている。
 

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 じっくり、目にもご飯を食べさせた後は、新要塞の方に行ってみることにした。

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 この奥の坂道を登ってゆく。

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 新要塞の上からの旧市街を眺めようというつもりです。その途中はこんな感じだ。

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 ようやく入場腱売りbまでたどり着いた。ハッピーアワーとかでワンドリンク付きの値段でした。見学し終わった後で併設のカフェで何でも好きなドリンクを飲んで下さいというシステムです。
 

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