前回に続いて、高速バスで東京まで5時間、東京駅からさらに成田までバスに揺られること1時間と、空港に近い人から比べるとすでに一旅済ませてきたような感じでようやく空港に到着した。
雨は幸い止んで傘をさすことはなかったが・・・、楽しみにしていた富士山は、ここの所連敗続きで今日も姿を見ることは出来なかった。
今回のエアーは、当初予定していたトルコ航空が、空港の爆発事件で、不安に思う人が多いとかでカタール航空に変更したため、若干スケジュールが代わり、初日と最終日にしわ寄せが来ていた。
本来なら、クロアチアの首都ザグレブには午前中に到着。観光をすませ、夕方には、スロベニアのブレッド湖に到着している予定だったのが、昼過ぎにザグレブ到着、そして観光の後に国境を越えてブレッド湖へ向かうことになった。
空港に降り立つとさすがに肌寒い。こちらもこの時期の天気は良くなくて、雨模様の日が続いているとの事。
雨粒の落ちてくるのも時間の問題といった感じの空が出迎えてくれた。
「私は、晴れ女なのだけど」などと口々にいあうも、全然効力は発揮できず、この日からスロベニアを出国する日まで傘の手放せない日が続いたのであった。
出迎えてくれたガイドさんと昼食場所のレストランに向かう。クロアチアもスロベニアもワインの美味しいところではあるが、まずはクロアチアで有名だという銘柄のビールをいただきました。
クロアチアもスロベニアも旧ユーゴスラビアの構成国でした。旧ユーゴスラビアが分裂した折に東の端であったスロベニアは、わりとすんなりと独立を果たしユーロに加盟して通貨もユーロを使用している。
クロアチアは、1991年のクロアチア紛争が勃発したが、1992年正式に独立が認められた。1995年には、紛争が集結し2013年EUに加盟したが、通貨は今もクーナを用いている。
国土は、クロアチアが九州の約1,5倍ほど、人口は約430万人ほどである。共和制で、元首は大統領。
民族は、ほとんどがクロアチア人で占められているが少数のセルビア人等も暮らしている。
宗教は、カトリックとセルビア正教を信仰している人が多い。
主都がザグレブで、人口は約80万人ほど。続いてアドリア海沿岸のスプリットやリエカといった都市が人口が多い。
国旗は、スラブ民族の色である赤・青・白に国章が真ん中に加えられている。

ナンバープレートはこちら。ZGは、ザグレブを表している。

ザグレブ市は、丘の上に建てられたカプルとグラデツという2つの中世都市が起源である。
宗教都市、商工業都市と色合いの違った都市であったが、17世紀には合わせてザグレブと呼ばれるようになったが正式に合併したのは19世紀になってからだ。
そのザグレブの街の観光は、丘の上の旧市街を中心に見て回るようだが、最初にバスを降りたのは国立劇場の前でした。
チトー広場に面して建つこの劇場は、1894年にウィーン出身の2人の建築家によって建てられた。

劇場の前には、クロアチアを代表する彫刻家のイヴァン・メシュトロビッチの作品「生命の泉が」置かれている。この彫刻家の作品は、この後もあちこちで見かけることになる。

広場に面して、19世紀頃に建設された美しい建物が並んでいる。
これは、美術工芸博物館。

その横には、近代的な建築が・・・。ガイドさんは気に入らない様でした。青い電車は、トラムです。

バスに乗って、中央駅の方向に向かいます。通りの真ん中は大きな緑地帯になっていて、公園が続く。日本大使館もこの通り沿いにありました。
通りが突き当たったところにあるのが、中央駅だ。

古い機関車が置かれていた。

左折して、丘の上に向かいます。
古めかしい建物が続くこの辺りから歩き始めました。

窓が少ないと建物が重く見えるので、偽窓が描かれている。

聖マルコ教会のタワーが見えてきました。この辺りに国の主要機関もあります。

抜けるとそれほど大きくない広場がある。これが、聖マルコ広場で、教会を挟んで大統領府と国会議事堂が立っています。
聖マルコ教会。屋根のモザイクは、ウィーンのシュテファン教会を連想する。向かって左がクロアチア王国・ダルマチア地方・スラヴォニア地方を表す紋章で、右の紋章がザグレブ市を表していて、1枚1枚が焼き物でできている。

教会に向かって右側にあるのが国会議事堂である。

左側が大統領官邸のある建物だ。

教会を背にして進んでいくと、ナイーブ美術館や失恋博物館などがある。

ケーブルカー乗り場のあるところが丘の端にあたる。
世界で一番短いケーブルカーだという。乗車時間は1分にも満たない。

見下ろすとこんな感じだ。

すぐそばに建っている高い塔が、昔の見張り塔であるロトルシュチャクだ。13世紀に建てられたもので、毎日正午に大砲の音が打ち鳴らされる。

ここから再び来た方に戻り、歩いて丘を下ってゆく。
石の門が見えて来た。これは、グラデツという王国自由都市が中世に敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれており、数少ない出入り口の1つであった。元々は木造だったが、18世紀に石で固められて現在の姿になった。

内部には、大火が有ったときにも無事だったというマリアの肖像画があり、人びとが願いをかなえるためにやって来る。

願いが叶うとこのようなタイル状のものを奉納する。クロアチア語で有難うと書かれているらしい。

門の天井が低いのは、馬から降りて通るようにしてあるからだ。ここからは坂を下ってゆく。

通りに面して、お土産屋さんなどのショップが並んでいる。クロアチアは、ネクタイ発祥の地だというので、それにちなんだものが売られてます。


坂を降りきったところにある広場が、ザグレブので最もにぎわう場所だ。サッカー場ほどの大きさの広場の周辺には、近代的な建物やカフェ・レストランなどが建ち並んでいるが、広場そのものは17世紀ころからできたとされる。

この像は、イエラチッチ総督。クロアチアの英雄らしいです。

広場の近くにある市場を見ながら再び坂を上り、聖母被昇天大聖堂を目指す。今日は雨なので市場も閑散としています。
ここ数年、ずっと修理が続いている大聖堂。13世紀から18世紀にかけて造られたという、ザグレブのシンボルでもあるこの建物は、100mの2つの尖塔を持つ。
現在の外観は、1880年の地震後に修復されたもので、ネオゴシック様式を取り入れて再建された。

広場には、聖母マリアが立つ柱の様なものがありマリアは、教会の訪を向いている。

広場の一角、木が色づいていました。

中に入ります。内部は、バロック様式の説教壇やルネサンス様式の祭壇が設けられている。


祭壇部分のステンドグラス。

ここで観光は終了し、約200㎞程離れたスロベニアのブレッド湖まで向かいます。
国境まではちゃんと起きていたのだが、そのうちに寝てしまった。
再び目を覚ました時にようやく国境を通過したらしい。今日はどうやら国境を通過するのに時間がかかったようである。
ガソリンスタンドでトイレをすませ再び走り出し、目的のホテルの到着したのは9時を回っていた。本来ならレストランも閉まる時間なのだが、残り物のバイキングで夕食をいただく。
雨は、明日はどうなるのだろうか。長い一日だったな・・・。