好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2018年05月


 アンゴラは、長い間内戦で苦しんだ国という以外に全く知識が無く、アフリカの国ながらものすごく物価の高い国だと聞かされていた。

 これは長い内戦の結果、インフラも整備が遅れ、農業なども地雷の撤去が進まないと、耕作地の急激な増加も望めず、石油などの資源はあるものの、精製技術が無く逆輸入をしなくてはならないような状態だからだと説明された。

 アンゴラの首都ルアンダまでの行程は、エチオピア航空で香港を経由して、アジスアベバまで向かい、飛行機を乗り換えてゆくのだ。

 香港経由なのは、中国からの出稼ぎ者が多く乗るからで、週の半分がソウル経由だ。

 成田集合は、夕方の6時半と遅かったので、私は、のんびり高速バスで5時間かけて東京まで向かった。
途中、携帯が鳴ったので出てみると添乗員からだった。

 「申し訳ないですが、向こうから急に連絡が入り、途中スーツケースを運べない部分が有るので、2泊3日分の荷物を入れられるようなバックを持ってきてほしいと言われたんですが・・・・」「えー、私、もうバスの中でもうじき東京に着くんですが・・・」「そうですよねえ。いまさらですよねー」
 バスの中で、話していても仕方がないので「わかりました。大丈夫です」と言って電話を切った。

 新しく買うことは簡単なのだが、家にはバックはたくさんある。これ以上、同じようなものは増やしたくない。
今背負っているリュックと、折り畳みのリュックを利用して、たりなかったら、レジ袋に出も突っ込めばいいやと決める。

 上野に出て、プラド展を見て、成田へ向かう。ここもケチって普通の特急だ。

 飛行機は、3分の1くらいの込み具合で、ゆったりとしている。最近日本に乗り入れているアフリカ系の飛行機が少ないので、乗っている黒人の方々の行き先はいろいろです。
 みなさん、日本で家庭を持っているので、日本語がすごく上手で話が弾む。

 香港では、1時間ほどを機内待機で待ち、ほぼ満席の状態でアジスアベバまで向かった。

 アジスアベバの空港で、2時間ほど待つ。

 そして5時間ほど再び飛行機の中。

 ルアンダに着いたのは、日本を発ってから22時間が経過していた。いやあ遠いわあ!

 アンゴラは、ポルトガルの植民地支配を経て、1975年ネト大統領のもと、独立を果たした。当初は、社会主義路線を目指していた。

 ところが、石油とダイヤモンドという資源をバックに対立が起こり、旧ソ連とキューバをバックにしたアンゴラ解放人民運動派とアメリカと南アフリカをバックにしたアンゴラ全面独立民族同盟による内戦がなんと27年も続いたのだった。

 2002年、停戦合意が成立し、2010年には、新憲法が公布、総選挙が行われている。

 国土は、日本の3倍以上。人口は、2900万人近く、そのうち27%が首都圏に暮らしている。これは内戦当時、紛争から逃げて来た人達が集まって来たことも有る。

 公用語は、ポルトガル語、宗教は、キリスト教が多い。

 国旗
黒い部分はアフリカの台地、赤い部分は独立などによって流された人々の血。
歯車は工業を、刀は農業と武力闘争を象徴している。

 
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 ナンバープレート。

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 ルアンダ国際空港。

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 迎えに来てくれた運転手さん達と合流して、このまま市内観光に出かけます。今日の所はバンだ。

 都市では、ちゃんとした公共バスも走っているが、地方では、こういう乗り合いバスが活躍していた。
カラーが、決まっているようです。もちろんバイクタクシーも走っています。

 
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 車も、都市部ではヒュンダイやKIAの方が多くみられるが、地方に行くと、道路事情が悪くなるので、三菱のトラックや、トヨタばかりが目立つ。

 人気のスポーツは、サッカーだがバスケットも盛んだそうだ。

 
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 街中を通り、海岸線に近づくとヤシの並木が現れる。

 
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 海岸線は、綺麗に整備がされている。これらは、中国によるものだ。

 目的の、サンミゲル要塞に到着です。 


 もう少し散策を続ける。

 もとは書店だったお菓子屋さん。

 
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 お蕎麦屋さんと呉服店。右手の蕎麦屋さんは、明治33年の建築とある。

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 こちらはカフェになっていました。氷の季節なんですね。

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 NIPPONIAホテル。
 町全体をホテルとみなして、食事や宿泊を楽しむのがコンセプトらしいです。この暖簾が目印でしょうか。

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 酒蔵も2件ほどあり、見学もできるようになっていたが、こちらはパス。

この立派な黒い塀のお宅は、清宮秀堅のお宅で、現在も住んでおられるので外から眺めるだけ。

 
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 利根川の水運で発展した名残の与倉屋大土蔵、屋根が連なっている。壁を電線が伝っている。

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 ここからちょっと町を外れて歩いていくと、山車庫が有った。このような庫はあちこちに点在している。

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 階段がまっすぐ伸びている諏訪神社。数えてみると200は無かった。

 
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 登っても上には、本殿が有るだけで見晴らしも利かず、あっという間に下ってきてしまう。

 次の列車までの時間、両総用水の揚水場まで行ってみることにした。

 10分ほど歩く。

 
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 両総用水とは、利根川流域の水害と九十九里辺の干害を解決するために、故十枝雄三氏と故坂本斉一氏が政府に働きかけ、昭和18年に事業化、国が幹線用水路を、県が支線用水路を建設したものだ。

 全国でも、10指に入る大規模揚水なんですって!

 
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 思っていたより素晴らしかった佐原でした。 


 この日は、土曜日ということも有ったのか、成田からの列車は案外混んでいた。

 乗客のほとんどは、私と同じ佐原で下車したようだ。

 重要建造物群保存地区らしく、駅舎も落ち着いた感じだ。

 
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 駅前から周遊バスが出ており、1日フリー切符を500円で買う。

 小野川沿いだけを歩くのなら、バスは必要ないのだが、香取神宮まで行こうとすると少々距離が有るのだ。

 香取神宮は、1700年、徳川幕府により造営された。

 
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 表参道を行き、総門、楼門をくぐる。
緑が目にしみる。

 
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 楼門。17000年造営とある。

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 拝殿前には、茅の輪が置かれている。

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 本殿。黒漆を基調としている。

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 バスに乗って、町まで戻り山車会館で下車。
佐原の山車の特徴は、最上部に大人形と言われる飾り物が据えられていることだ。
 ユネスコの無形文化遺産に指定されているとの事。

 東海地方も、山車の盛んな地域なのだが、関東もあちこちで山車祭りが行われているようだ。

 祭りは年に2回、秋と夏に行われる。
この鯉も飾り物の1つだ。
 
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 ここからは歩いて回ります。小野川沿いに江戸後期から明治にかけての建物が残っていて、そよぐ柳とともに情緒が感じられる。
 
 これは、旧三菱銀行の建物です。

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 明治25年頃の建築の中村屋乾物店さん。

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 植田屋荒物店さん。空き家になっておらず、現役なのがいいよね。

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 白壁が美しい旧油惣。

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暖簾をくぐって、時代劇の主人公が現れそうだ。

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 小野川、利根川との境に水門が有る。

 
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 観光船も有る。

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 川沿いには、様々なオブジェがいくつも並んでいて、楽しませてくれる。ちょっと不気味なウサギ。

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 タイルがモダン。江戸紫というのかしら・・・。

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 柳が、水面に届きそうだ。

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 忠敬橋のたもとにあるのは、中村屋商店。ホテルとして使われているようです。

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 満席で入れなかったけれど、レストランへの小道。

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 佐原は、伊能忠敬が婿入りしたところで、その旧宅が残っており、店舗・炊事場・書院・土蔵が国の史跡に指定されている。
 通りに面した部分が店舗だ。佐原は、利根川水運の中継地として大いに栄えたようです。

 
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 書院など

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 ここで一休み。


 プラド展を見るために訪れた上野公園で見つけました。

 東京都のシンボルのイチョウマークが入っています。同じデザインで高圧、低圧、弱電とありました。

 
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 近隣の町村と合併して香取市になったようです。

 さわらおすいとある。
市の花あやめ、フナ釣り、
 
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 同じデザインですが、さわらではなくてかとりになっている、これはうすいですがおすいもありました。


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 排気弁付き消化栓て何でしょうね。
星のマークと市章付き
 
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 こちらも消火栓です、まといと旧佐原市の市章がデザインされている。

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 出国する前に、東京の国立西洋美術館でプラド展を見て、

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 帰国して、成田に泊まり翌日佐原に遊びに行って来ました。

 アンゴラは、まだ内戦の傷が残っている部分の多く、けれどもものすごい勢いで発展している部分もあるという感じです。

 もっとも、その発展の恩恵は、首都近郊に住む限られた人々だけが受けている感じがしました。

 写真の整理ができたらみてください。

 その前に千葉県佐原を見てくださいな。


 明日から、アンゴラへ行ってきます。

 観光国ではなく、内戦も長かった国なので情報も少なく、「それ何処?」とか「アンゴラウサギ?」なんて聞かれてしまいます。

 フライト時間だけでも20時間ほど、トランジットなどを入れると、24時間以上かかりそう。

 南米なみに掛かってしまう。

 位置
ポルトガルの植民地だったそうです。

 
 
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                               世界地図から引用


 土岐市は、名古屋から近い焼き物の町だ。

 マンホールにも焼き物がデザインされている。花は、市の花の桔梗で真ん中に市章。

 
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 規格品の真ん中に市章を入れたもの。市章は土の字を図案化し、釜から出る煙や温泉の湯気をも表しているという事。

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 雨水とだけ漢字で書かれたマンホール。模様も市章もありません。
土岐市で見かけたものではない。

 
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 農道には、農水と書かれたマンホールがいっぱい。
これは空気弁。制水弁も多い。

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