アンゴラは、長い間内戦で苦しんだ国という以外に全く知識が無く、アフリカの国ながらものすごく物価の高い国だと聞かされていた。
これは長い内戦の結果、インフラも整備が遅れ、農業なども地雷の撤去が進まないと、耕作地の急激な増加も望めず、石油などの資源はあるものの、精製技術が無く逆輸入をしなくてはならないような状態だからだと説明された。
アンゴラの首都ルアンダまでの行程は、エチオピア航空で香港を経由して、アジスアベバまで向かい、飛行機を乗り換えてゆくのだ。
香港経由なのは、中国からの出稼ぎ者が多く乗るからで、週の半分がソウル経由だ。
成田集合は、夕方の6時半と遅かったので、私は、のんびり高速バスで5時間かけて東京まで向かった。
途中、携帯が鳴ったので出てみると添乗員からだった。
「申し訳ないですが、向こうから急に連絡が入り、途中スーツケースを運べない部分が有るので、2泊3日分の荷物を入れられるようなバックを持ってきてほしいと言われたんですが・・・・」「えー、私、もうバスの中でもうじき東京に着くんですが・・・」「そうですよねえ。いまさらですよねー」
バスの中で、話していても仕方がないので「わかりました。大丈夫です」と言って電話を切った。
新しく買うことは簡単なのだが、家にはバックはたくさんある。これ以上、同じようなものは増やしたくない。
今背負っているリュックと、折り畳みのリュックを利用して、たりなかったら、レジ袋に出も突っ込めばいいやと決める。
上野に出て、プラド展を見て、成田へ向かう。ここもケチって普通の特急だ。
飛行機は、3分の1くらいの込み具合で、ゆったりとしている。最近日本に乗り入れているアフリカ系の飛行機が少ないので、乗っている黒人の方々の行き先はいろいろです。
みなさん、日本で家庭を持っているので、日本語がすごく上手で話が弾む。
香港では、1時間ほどを機内待機で待ち、ほぼ満席の状態でアジスアベバまで向かった。
アジスアベバの空港で、2時間ほど待つ。
そして5時間ほど再び飛行機の中。
ルアンダに着いたのは、日本を発ってから22時間が経過していた。いやあ遠いわあ!
アンゴラは、ポルトガルの植民地支配を経て、1975年ネト大統領のもと、独立を果たした。当初は、社会主義路線を目指していた。
ところが、石油とダイヤモンドという資源をバックに対立が起こり、旧ソ連とキューバをバックにしたアンゴラ解放人民運動派とアメリカと南アフリカをバックにしたアンゴラ全面独立民族同盟による内戦がなんと27年も続いたのだった。
2002年、停戦合意が成立し、2010年には、新憲法が公布、総選挙が行われている。
国土は、日本の3倍以上。人口は、2900万人近く、そのうち27%が首都圏に暮らしている。これは内戦当時、紛争から逃げて来た人達が集まって来たことも有る。
公用語は、ポルトガル語、宗教は、キリスト教が多い。
国旗
黒い部分はアフリカの台地、赤い部分は独立などによって流された人々の血。
歯車は工業を、刀は農業と武力闘争を象徴している。

ナンバープレート。

ルアンダ国際空港。

迎えに来てくれた運転手さん達と合流して、このまま市内観光に出かけます。今日の所はバンだ。
都市では、ちゃんとした公共バスも走っているが、地方では、こういう乗り合いバスが活躍していた。
カラーが、決まっているようです。もちろんバイクタクシーも走っています。

人気のスポーツは、サッカーだがバスケットも盛んだそうだ。

街中を通り、海岸線に近づくとヤシの並木が現れる。


海岸線は、綺麗に整備がされている。これらは、中国によるものだ。
目的の、サンミゲル要塞に到着です。