好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2018年11月


 11月2日からのアラビア半島の旅の集合が夜だったので、早朝の飛行機で成田にやって来て、
千葉県市原市へ行って来ました。

 目的は、小湊鉄道に乗ること。

 成田線で千葉まで行き、内房線に乗り換え1時間半ちょっとで五井駅に到着。
市原という駅はないのだ。

 知識も何もないので、駅前の小さな観光案内所に向かいます。
暇を持て余していたのか、とても丁寧に対応してもらえてパンフレットを見ながら、行き先を決める。


 まずは、小湊鉄道に乗る。終点まで行くのは時間もかかるので、トロッコ列車の出発点になっている上総牛久まで向かい、そこから引き返し、国分寺の最寄り駅で下車。

 最寄り駅といっても歩いて、2㎞近く有った気がする。

 国分寺からさらに歩いて、全国でも最大級の規模を誇っていたという国分尼寺に向かい、その後はバスで駅まで戻ってくることにした。

 小湊鉄道の乗り場は、構内にあるので、改札口でそのことを話し入れてもらう。

 列車は、もうホームに入っているというので、さっそく行ってみる。
上総中野駅まで18の駅が有り、駅舎が登録有形文化財の指定を受けているものもたくさんある。

 全線乗ると片道1時間半ほどかかる。今からだと12時10分発のしかないので、写真をたくさん撮った。

 キハ205というのだそうだ。

 
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2両編成、ワンマンではない。
 内部は、面白い造りになっていて、真ん中あたりに仕切り柱みたいなものが飛び出ている。
 天井には、普通の家庭みたいなクーラーが取り付けてある。

 
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 沢山の電車が止まっていました。

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 上総牛久駅では、トロッコ列車が止まっていた。今日は貸し切りだそうです。 
 
 五井に引き返す電車は、20分ほど後なので、駅の外に出てみる。
うん何もない・・・。

 
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 結局ホームで、 トロッコ列車を見送ることにする。

 
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 展望車になっている。

 
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 トロッコ列車の3分後に、私も五井行きの電車に乗りこみ、上総村上で途中下車をした。
案内も何もないので、いただいたパンフレットとスマホが頼りだ。

 ようやくたどり着いた国分寺跡はこんな感じでした。
正式名称は、金光明四天王護国之寺という。
 
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 ここはかなり当時は大きな国分寺だったそうで、7重の塔が有ったという。
もちろん今は何も残っていないが、礎石があった。

 少々盛り上がっています。高さ60mを超える超高層の建物だった。講堂・金堂等の遺構も見つかってます。

 
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 15世紀くらいまで存在は確認されているようです。

 奥に入ると薬師寺と将門の塔が有りました。

 
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 1372年の建立とある将門の塔。

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 ここからすぐの所に市役所が有り、背後の公園を抜けてしばらく歩くと国分尼寺跡に行ける。

 国分尼寺とは、聖武天皇により全国に建立された国立の寺院で、尼寺である。先ほど見てきた国分寺が僧寺にあたり、741年同時に建立の詔が発せられた。

 正式名称は、法華滅罪之寺という。

 発掘の結果、伽藍だけでなく寺を構成するいくつもの施設が見つかっていて、地域は南北372m、東西275m、面積約123000平方メートルで、規模の判っている尼寺の中でも最大級のものだった。

 伽藍だけでも、南北200m、東西170mの規模が有り、判明している建造物は、金堂・講堂・鐘楼・経楼・回廊・門などと、中門・東西の門・北門・工房などがあり、回廊の一部と、中門が復元されていました。

 隣接して展示館が有りどちらも無料で見学できます。

 展示館のジオラマを見ると全体像がつかめます。


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 回廊と中門

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 中に入ると

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 金堂跡は発掘されたが、建物は復元されてません。

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 想像もしていなかった大きさにびっくりし、ほとんどだれもいない贅沢を味わえた旅でした。

 帰りも千葉経由で成田に戻り、ラウンジで少し休み、ゆっくりと集合場所に向かうことができました。

 
 


 
 最近人気のあるものに、工場夜景が有る。
私も、参加したいと思い、申し込んでみるのだが、中々自分の都合のよい日と、催行日が合わなくて行けなかったのだが、今月24日の日にようやく行って来ました。

 寒さも、思ったほどではなくてよかったです。ただし手と耳は冷たかった。
薄い手袋をしていたのだが・・・・。

 プロの写真は本当にきれいに撮影で来ているのですが、船は撮影の為に止まってはくれないので、なかなかうまく撮れません。
 


 
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 この日は、満月の翌日だったとかで、水平線から昇って来る月に遭遇。海を渡る月の光を初めて見ました。
月が昇った瞬間から、お客の興味は月に移りましたよ。

 
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 ツアーは、1時間ほど掛けて幾つかのコンビナートを回ります。
冬は、空気も澄んでいるのできれいに見えます。


 仏領ギアナで飲んだ最初のビール。
ラベルが素敵だ。


 
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 スリナムのビール。
暑いのでともかくビールが美味しい。

 
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 スリナムの首都、パラマリボのレストラン。
これでもかこれでもかというくらい出てくるし、外でエアコンも無いのに、温かいスープを提供され、少々困惑しながらのお昼でした。

 ラーメンではありません。これがスープです。何ともやし入りでした。

 
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 メインディッシュはこれ。左上の丸いものがなす。その下に巨大なオクラ、鶏肉とバナナチップス。こちらの人の主食はお米だそうです。
 田んぼが広がっていましたものね。

 
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 ガイアナのビールはこれ。

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 この焼きそばみたいなものが美味しかったです。

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  コロンビアでの最初の食事は、カルタヘナ。初めてのシーフードに舌鼓。
黄金の出土品がデザインされたビール缶。
 
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 タコのセビーチェ。美味しかったです。
 
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 イカとおさかなのリゾット。

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 コロンビア第2の都市、メデジンの夕食は美味しいステーキでした。私は、ウェルダンにしてもらいました。


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 悪魔のタワーに登った後はビールもおいしかったのだが、何故かメキシコ産のビールしかなかった。
 
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 ボコタのホテルでの朝食の時に食べたフルーツ。一見パッションフルーツの様ですが、それよりもおぶりで甘い。美味しくてお代わりしてしまった。
 
 
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 お昼は、ボコタの街中のレストランです。
ジャガイモとチキンを煮込んだアヒアコスープ。

 
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 トウモロコシの粉を練ったものでしょうか?なかなかいける味です。

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 デザートのイチジク。甘くて食べられません。茶色の物体はキャラメル、どんだけ甘くして食べるのだ!

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 ビールはこれ。

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 最近は、バイキングでの食事が多く、どこの国でも似たり寄ったりの内容になってきている気がします。

 今回は、どれもぼけていてすみませんです。多分、ビールに心がいっているので、写真がおろそかになってしまった気がします。反省・・・・。


 美術館の前には、観光客を目当てにアルパカが集まってきていました。

 
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 先住民の方による手作りのアクセサリー。綺麗で、欲しくなってしまいそうになるのだが、最近はちゃんと抑制が効くようになってきた。
 
 
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 街のあちこちから見えるビル。ボコタで一番高いそうだが、高いところは、実はまだ入居がされていなくて内装が行われていないとの事、途中で資金不足に陥って工事ができなかったそうだ。

 
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 昨日はいれなかった大聖堂を、再訪問します。
おそろいの作業服を着ている彼らは、コカイン中毒だった人達です。更生プログラムの一環としてこういう作業をしてお金を稼ぐのだという。

 
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 大聖堂は、1811年に完成したという。祭壇は銀でできています。

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 緩やかな坂道を登っていくと、貨幣博物館と併設しているメデジン出身の世界的に有名な画家ボテロの寄贈館がある。
 どちらも国立銀行が管理しているそうです。

 貨幣博物館入り口

 
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 ボテロ寄贈館入り口

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 ここから入ると、ボテロらしい巨大な手の彫刻が出迎えてくれる。

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 手の背後には、中庭があり、展示室が取り囲んでいます。彼の作品だけではなくて、彼がコレクションしていた、ピカソ・ダリ・ムーア・ベーコン・シャガールの作品などもありました。

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 彼の作品は、どれもが部分を誇張して書かれている。

 
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 かのモナリザも、太らせるとこんな感じに・・・。


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 泥棒と名付けられた作品。荷物に太った体では見つかってしまうのでは・・・。

 
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 家族も描いています。
 
 
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 トルソーも彼の手になると

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 ダリ。「女性の懐古的なバスト」

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 通りでは、道路でチェスが行われています。

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 背後の教会も古そうだったので、バスを待っている間に拝見しました。

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 バスは、この後、昨日乗ったロープウェイ乗り場を通過してエルドラド国際空港へと向かった。

 沢山の国旗が飾られていた。

 
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 帰りは、アムステルダム経由のKLMです。行きと帰りの航空会社が違うのは、久しぶりです。アライアンスは一緒だ。

 大西洋周りで初めて南米に行ってみたのだが、時間的にはアメリカ経由の方が早い。
ただし、ビザの関係が有るので、しばらくは大西洋周りが増えるかもしれないなと思った。

 明日は、食したものを少し紹介しますね。


 黄金博物館というものは、今までにも何度か見たことが有る。

 けれども、ボコタのそれは、迫力と規模が全く違っていた。

 ツアーでなくて、1人で来ていたら、ココだけで1日過ごしたかった!

 ホテルから歩いて10分もかからないで到着。開館時間すぐだったので空いています。

 3階に展示品は分けて展示されているが、黄金は主に3階部分に有りました。


 これらは、紀元前400年前から紀元14世紀頃のものだ。

 展示品を見て、この地に黄金郷(エル・ドラド)伝説が生まれたのはもっともだと納得。

 高度な文明を築いていたチブチャ族の都だったボコタ。
部族の首長は、就任の儀式に純金の粉を体中に塗りつけ、黄金の装身具で身を飾り、神に数々の黄金の捧げものを贈る習慣が有ったという。
 
 そういった、黄金製品ばかりでなく、焼き物などの造形も素晴らしく見入ってしまう。

 どういう使い方をしたのかわからなくても、細工の細かさやデザイン表情などを見てるだけで、楽しい。

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 魚?

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 鳥か?手塚治の火の鳥を想像する。

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 お面。

 
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 コカの葉の粉末を入れる物だそうです。儀式の時にコカは大事な役目を果たすという。

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 これすごく好きです。お菓子のコアラのマーチを連想してしまう。

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 ジャガーかしら?

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 これって模様が日本の馬の目皿に似ていませんか?

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 中はこんな感じかもしれません。

 
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 黄金の筏。チブチャ族がグアタビータ湖で儀式を行う時に使った船のミニュチュアです。

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 真っ暗な部屋にはいると、壁や床にも金製品の数々が埋め込まれて展示してあった。収蔵する黄金の数は、36000点にも及ぶという。

 
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 手足を縛って甕に入れる屈葬の他にもお棺に入れることも有ったのだろう。

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 色々な動物も作られたようです。

 
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手を合わせている?
 
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 入れ墨をしているのかな。

 
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 金でお腹いっぱいになりました。


 コロンビアは、面積は日本の3倍ほどで、人口は4900万人ほどだが、そのうち首都ボコタには800万人以上の人が暮らしている大都会である。

 1538年、侵略したスペインは、先住民のチブチャを滅ぼし、ボコタ市を建設した。
1717年、ボコタを首都として今日のコロンビア・エクアドル・ベネズエラ・パナマの統治を開始したが、世紀後半になると各地でスペインからの解放を求める動きが活発化し、コロンビアでも1810年、独立宣言がなされた。

 そしてこれを封じ込めようとするスペインと各地で戦闘が繰り広げられたのだが、シモン・ボリバール軍とサンタンデール軍が共同して、スペインと戦い、グランコロンビア共和国が誕生した。

 しかし、1830年には、ベネズエラとエクアドル、1903年にはパナマがそれぞれ独立し、共和国は分裂してしまう。

 その後も長い内戦時代が続き、麻薬やゲリラ闘争、誘拐も頻繁に起こり治安は悪化していった。

 近年になりようやく、武装放棄が行われ新たなコロンビアの歴史が始まった。

 市内観光はまず、サンフランシスコ教会から・・・。
16世紀半ばに着工し、完成したのは1640年という、当時の優れた芸術家たちによって造られた重厚壮言なものだが、内部は撮影禁止です。

 髪が伸びると信じられているキリスト像が有りました。

 サン・フランシスコ教会の外観。

 
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 この教会が面している交差点には、教会・銀行・テレビ局などが並んでいる。

 
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 正面のホコ天になっている通りを進んで、ボリバール広場に向かいます。
見えている塔は、大聖堂です。

 
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 休日前夜は、遅くまでダンスをする人等で賑わうそうだ 。この日も金曜日だったので、大道芸人や絵を売る人などで賑わっていた。

 
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 ボリバール広場には、大聖堂・議事堂・市役所・最高裁判所など大切な建物がぐるりと取り囲んでいる。

 大聖堂、この日は何故かお巡りさんがぐるりと取り囲んでいたので、翌日にも行ってみました。

 
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 司祭の家なども並んでいる。

 
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 ハトがいっぱいいて、餌を売る人もいました。

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議事堂。

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 市役所

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 最高裁判所

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 山手に向かって、家が並んでいる。盆地だということがなんとなくわかる。とはいっても、南北やく500km、東西やく100kmという大盆地なのだそうだ。

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 独立博物館に入ります。建物は、当時花瓶屋さんだった。お店でおきた店主とスペイン人の争いから、沢山の市民が激怒して暴動に発展、1810年7月20日独立を宣言するに至った。

 
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 喧嘩のもととなった割れた花瓶。これは本物らしい。

 
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 独立した当時の地図と現代のコロンビアの大きさがわかる。ガイアナ・ベネズエラ・エクアドル・パナマ含んでいるが、この地図で見ると、ペルーやブラジルになっている部分もあるようだ。

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 ボコタの街は、あちこちの壁に描かれている。

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 これいただきました。かぼちゃとサツマイモとくりをミックスしてちょっと渋くしたようなあじです。
ガイドさんは、好きでないそうです。

 
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 警察犬もたくさん出動していました。シェパードではないんだ。

 
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 紙にエメラルドを包んだ人も広場にいて、ちょっとだけ見せてくれた。ああコロンビアにいるんだなと感じる。

 この後はいったんホテルで休憩して、夕食はモンセラーテノ丘の上にあるレストランでいただきます。
その間、ホテルの裏手を歩いてみた。

 スペイン時代の建物が並んでいました。

 
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 18時、あらためてホテルを出発。ロープウェイにて丘に向かった。

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 ボコタの夜景です。
 
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 昼間は白く見えていたカトリック教会は、ライトアップされていました。

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 最後の晩餐は、生のピアノ演奏を聞きながら暖かい暖炉の火を見ながらのお食事でした。
明日の午後には、帰国となります。


 新聞を見たら、紅葉街道という文字と写真が飛び込んできた。

 そういえば最近、紅葉を見に行ってないなあと思う。

 サクラは、毎年どこかしらへ求めて歩くのにね・・・。

 で、レンタカーを借りて出かけてきました。

 
 まずは定番の香嵐渓。桜の季節も大人気で、渋滞が発生し、怖くて近づけなかったのだが、やはり渋滞は出ていましたが、早いせいかそれほどでもない。

 駐車料金1000円を払い、さっそく巴川河畔に向かう。

 
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 今年の色はきれいなのかそれほどでもないのか、比べようもないが、個人的には色づきが中途半端な感じがした。枯れてしまったような色に見えるのは、今年多かった台風と暑さのせいか?

 
 
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 足助屋敷の広場では、猿回しさんが芸を行っていた。感心するくらい健気なお猿さん。可愛い。

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 そして新聞に載っていた紅葉街道を探しに再び車に乗る。思いついて出かけるものだから、詳しい場所がわからない。ネットであたりをつけてはきたものの、少し迷う。

 しかし残念ながら、ここは見頃が過ぎてしまったようだ。確かに、トンネルの様になってはいるが、見事とはいえない。

 
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 ならばと、もう一か所。やはり新聞で紹介されていた旧小原村の四季サクラを見に行くことにした。こちらは行ったことが有るので、迷うことはない。

 四季サクラの淡いピンクと紅葉のコントラストが綺麗だと記事には書かれていた。

 まずは、メインの桜祭りの会場である支所の駐車場に車を止めて、お腹を満たす。
へぼ飯、松茸ご飯の文字が目についたが、すべて売り切れてしまったそうで、おでんときしめん、たこ焼きというなんてことのないお昼をいただきました。

 サクラはきれいでした。四季サクラがこんなに見事に咲くものだと知りませんでした。

 
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 近くの神社に家康の腰かけ石なるものがあるというので行ってみます。

 これがそれ、あやかろうというのかみなさん石の上に座ってみたりする。

 
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 さらに419号を走っていくと・・・・。

 柿ヶ入遊歩道、川見四季桜の里と見どころに行ける。

 近いところは、満車なので、奥の方に車を止めて歩いてゆく。
秋は日が短く、日も傾きかけてきていて時間との勝負の様になって来た。

 
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 四季桜。

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 川見薬師という寺が有ったので、階段を登って行ってみました。163段の階段だったかな・・・。
  
 
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 階段から見下ろすとこんな感じ。

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 ここから少し下ると、柿ヶ入り遊歩道に行ける。
川に沿って桜が植えられている。

 
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 真っ赤なもみじが有りました。

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 日が翳るとどんどん寒くなってくる。急ぎ足で、車に戻るのだが、目は山から離せない・・・。

 私、四季桜をみくびっていました。

 
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 吉野の山桜の様な雰囲気なのだ・・・。

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 やっぱり桜っていいな!
 


 朝、近くをちょっとだけ歩いてみました。
通勤時間帯とあって次々とトラムがやって来ます。

 
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 街はきれいで、吸い殻などは落ちていない。
インフラ整備は、国の顔ということで、国が推進したので南米一整っているそうだ。

 悪いイメージを変えようと、政府は、教育・スポーツなどにも力を入れているそうだ。

 人口950万人を超えるボコタは、世界都市ランキングでも、ブエノスアイレス・サンパウロに続き南米では3位にランクインだそうです。

 電線は、地中化され私などは、景観においては日本の都市よりも進んでいると感じた。

 
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 8時ホテルを出発。

 屋根の上の丸いものが気になる。多分貯水タンクだと思う。高層ビル以外には、取り付けられているようだ。

 
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 ほとんどの人が熱心なカトリック教徒とはいえ、モスクも有りました。

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 手前には線路が見えるが、郊外の大学まで走っているそうだ。
 
 その大学の近くには、スペイン時代にかけられた橋が残っていました。

 
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 9時過ぎ、シパキラの岩塩教会に到着。

 元々、シパキラでは、16世紀頃からネイティブの人達によリ手作業で岩塩が掘られていたが、1950年代になると巨大産業へと発展していった。

 技術が今ほど発達していなかった当時、作業は危険を伴うものだったので、労働者の心の癒しの場として、坑内に教会が存在していたようだ。

 1995年に採掘が終了すると一部を改装して、一般に公開されるようになった。

 入り口付近では、何故か女性達が集まってヨガの様なものをしていました。

 
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 ここから入ります。湿度を保つためユーカリの木が嵌め込まれている。
ピンボケのものしかなくてごめんなさい。

 
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 中は、メインの教会にたどり着くまでの道筋が、イエスの「受難の道」をイメージした造りになっていて、様々な塩の十字架や祈祷台が造られ、LEDで照明が当てられていました。

 地元の方々は、ちゃんと第1留からお祈りを捧げて行きますが、我々はスキップ・ホップですかね・・・。

 奥行きも有り、このような巨大な空間が、人力で出現したことにおどろいてしまいます。

 
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 そして、正面に大きな十字架が見えて来た。壁に掘られた巨大なもので、地底に有るものとしては世界最大の縦15m、横10mあります。

 この大空間は、1991年から4年かかって完成した。

 
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 下に降りて行くと、 今でもミサが行われる教会が有りました。

 
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 天井のシャンデリアも、灯り以外は塩でできているという。

 
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 大空間の柱は、パルテノン神殿の柱の様に太くてそれが大理石の様に見えるから不思議。触ってなめてみると確かに塩辛い。

 
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 十字架に近づいてみると、十字架は壁面を彫り込んで造られていることがわかる。周囲を掘り下げて、浮彫の様にしてあると思っていたのでびっくりです。これは誰も意外な感じを受けるそうです。
 凸凹の凸ではなくて凹の様に彫ってあるのだ。

 他にも、彫刻があります。

 
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 これは、塩でできたお土産。他には塩でできた化粧品などもありました。

 
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 池もあり、かなり深いように見えたのですが、水深は10センチだそうです、鏡の様になっている。

 
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 この後はボコタに戻って、昼食をいただくことになっていたのだが、ものすごい渋滞にはまりなかなかたどり着けない。
 お腹は空くし・・・。

 バスの中からお巡りさんを

 
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 夜、訪れるモンセラーテの丘も見えている。

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 ようやくお昼をいただき、午後からの観光が始まったのは、2時頃だった。




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