最終日に来て、あいにくの雨模様。天気予報によれば、雨脚は午後の方が強くなるという。
移動距離が長いので、ホテルにお願いして早めの朝食をいただき、7時半には出発をした。
途中、熊本地震で落ちてしまった阿蘇大橋がそのままの姿で残っているのがバスの中から見えた。そして、新しくできた新阿蘇大橋を渡る。
西都原古墳群に到着したのは、11時近かった。まずは、考古博物館でざっと宮崎県の古墳の事を教えてもらう。そして、西都原古墳の出土品などを見学した。

移動距離が長いので、ホテルにお願いして早めの朝食をいただき、7時半には出発をした。
途中、熊本地震で落ちてしまった阿蘇大橋がそのままの姿で残っているのがバスの中から見えた。そして、新しくできた新阿蘇大橋を渡る。

西都原古墳群に到着したのは、11時近かった。まずは、考古博物館でざっと宮崎県の古墳の事を教えてもらう。そして、西都原古墳の出土品などを見学した。

出土品の多くは、本物は東博に行ってしまっているので、ここにあるのは複製品が多いそうだ。
現在の西都原市西側の台地上、南北約4.2㎞、東西約2.6mの広範囲にわたって展開しており、南九州最大規模の古墳群である。前方後円墳31基、方墳2基、ホタテ貝形古墳1基、円墳285基の計319基が現存している。
古墳群は、古墳時代前期の3世紀末から4世紀前半にかけて造営が開始され、古墳時代中期の5世紀前半頃には、日本でも最大規模の帆立形古墳と九州最大規模の前方後円墳が造築される。
しかし、後期の6世紀に入ると大型の古墳は増築されなくなってしまったが、6世紀も後半になると再び首長墓クラスの前方後円墳や円墳が造られるようになったが、7世紀に入ると古墳時代は終わり新しい時代へと入って行く。
170号墳出土品の舟型埴輪と子持家形埴輪。
鶏形埴輪
13号墳からの出土品の三角縁神獣鏡
密閉されているので、鉄製品なども状態の良いまま発見されるという。
鉄製短甲と兜
収蔵庫には、こういう形で展示されていました。
赤く塗られた人骨
収蔵庫にあった人骨。頭に海苔の様にくっついているのは櫛だそうです。
つまりこういう事。
びっくりしてしまいました。残るものなんですねえ。
この後は、バスで古墳のそばまで移動して見学してゆきます。
菜の花が綺麗でした。
現在の西都原市西側の台地上、南北約4.2㎞、東西約2.6mの広範囲にわたって展開しており、南九州最大規模の古墳群である。前方後円墳31基、方墳2基、ホタテ貝形古墳1基、円墳285基の計319基が現存している。
古墳群は、古墳時代前期の3世紀末から4世紀前半にかけて造営が開始され、古墳時代中期の5世紀前半頃には、日本でも最大規模の帆立形古墳と九州最大規模の前方後円墳が造築される。
しかし、後期の6世紀に入ると大型の古墳は増築されなくなってしまったが、6世紀も後半になると再び首長墓クラスの前方後円墳や円墳が造られるようになったが、7世紀に入ると古墳時代は終わり新しい時代へと入って行く。
170号墳出土品の舟型埴輪と子持家形埴輪。












この後は、バスで古墳のそばまで移動して見学してゆきます。
菜の花が綺麗でした。
