明日から、伊豆諸島北部五島巡りの旅に出かけるのですが、朝が早いので前泊することにしました。
で、ずっと行ってみたかった三菱1号館美術館に行ってきました。
東京駅丸の内南口から、すぐ煉瓦造りの建物です。
イスラエル博物館所蔵の印象派の展覧会で、初来日の作品もあり、楽しみにしていたのですが、ちょっと混んでいて残念。予約制なのだから、もう少し余裕が、欲しかったかなあ。
とはいえ、作品はすばらしく、楽しいじかんでした。
撮影OKの作品もあります。
マンホールの蓋を探して 京丹後市・伊根町
合併して京丹後市となった旧峰山町。羽衣伝説で有名らしく、天女がデザインされている。
周りに、町の花サツキと町の木カエデが取り囲んでいる。

旧丹後町。経ヶ岬灯台と町の木クロマツ、町の花水仙がデザインされている。

伊根町は、舟屋と船が描かれている。

同じデザインの小型版もある。

マスコットキャラクターのふなやんが描かれた側溝蓋。

マンホールの蓋を探して 与謝野町
今は与謝野町ですが、以前は加悦町だった時のマンホール。大江山の鬼と、町並・加悦大橋が描かれている。

同じデザインの小型版。
町章に梅の花が散らした感じでデザインされている。

町章に梅の花が散らした感じでデザインされている。

マンホールの蓋を探して 宮津市
天橋立をデザインした汚水蓋。ノンカラー版。

同じデザインで海と空に青の色を入れたもの。

こちらも同じデザインですが、カラー版。

こちらは宮津湾流域の下水道。オオミズナギドリが描かれている。

大きな量水器。天橋立と文珠の知恵の輪がデザインされている。

同じく、天橋立と文珠の知恵の輪をデザインした仕切弁のカラー版。

同じデザインの仕切弁だが、青一色。

宮津市仕切弁と文字の入ったもの。

丹後半島をぐるっと 伊根の舟屋
道の駅は、伊根湾が一望できる高台に有りました。
お土産だけでなく食事もできるようですが、今回はパス。
舟屋を見下ろします。天気が良くないので、何となく暗いのが残念。

伊根湾の真ん中に位置する青島。この島のおかげで、風などが直接吹き込まず、いつも穏やかな湾だという。


漁港まで降りて、海上タクシーを呼んで湾内をガイドしてもらうことにした。30分ほどで、1名1000円でした。
伊根で唯一の酒蔵

舟屋の町並

こちらは、新しくできた舟屋で、レストランになっているそうです。

船が入っている。この船は祭りに使う船だそうです。

後で覗いてみたらこんな感じでした。

青い空だったらもっときれいに見えるのだが、降って来ないだけマシかな。

元々舟屋は、1階に船を収容し、2階に道具などをしまっておいていた。伊根湾沿いに約230軒あるそうです。今は、2階を住まいとして使っている所がほとんどです。民宿や宿になっている所もあるので、泊まることもできます。

雰囲気もいいので、映画やドラマに使われることも多いとか、
船頭さんが、かっぱえびせんをくれて、ウミネコのエサにしろという。彼らもよく知っていて、えびせんを手にしたとたん、あっという間に集まって来た。
この舟屋は、古いものらしい。よく見ると将棋の駒の様に台形になっている。この形の方が、安定するからだ。

船頭さんが、かっぱえびせんをくれて、ウミネコのエサにしろという。彼らもよく知っていて、えびせんを手にしたとたん、あっという間に集まって来た。

この舟屋は、古いものらしい。よく見ると将棋の駒の様に台形になっている。この形の方が、安定するからだ。

船を降りた後は、せっかくなので陸上の町並も見て歩こうか。一軒だけ、何時でも舟屋を見学できるところが有った。
舟屋から見るとこんな感じです。


母屋は、山側に山と平行に建てられています。こんな感じ。


海からも見えた新しい舟屋のレストラン。

海からも来れるようにちょっとした船着き場になっていました。大潮の時でも、海水がこれ以上上昇しないという。

もうお昼を過ぎたが、宮津に帰ってからお昼をいただきましょう。昨日食べ過ぎたので、簡単なものがいいな。
車を返したら、今回の旅も終わりである。
車を返したら、今回の旅も終わりである。
丹後半島をぐるっと 間人から伊根へ
昨日とは違い、朝からものすごい風が吹いていた。時々横殴りの雨も降ってくる。天気予報では、日本海側は、雷注意報も出ているし、一日安定しない天気の様だ。


9時少し前にチェックアウト、伊根を目指して走ります。
途中、「大成古墳」という案内があったので、行ってみました。
日本海に面した海岸段丘の上に、古墳時代後期の6世紀末から7世紀初頭にかけての、13基の横穴式古墳があるそうです。
土器や刀剣、鉄器、装身具などが発見され、この地方の豪族の墓と思われます。

8号古墳を上から見たところ

海岸段丘とは、大昔海中だった海食台が隆起してできたもので、高台になっているので見晴らしがいいです。

立岩

てんきてんき橋

柱状節理がはっきり見てとれる。

元の国道に戻り、海岸線に沿って走って行きます。
次に車を止めたのは、経ヶ岬灯台だ。ところが、ここにきて雨が降りだしてしまった。
海抜144mに位置している。

せっかくなので灯台まで行ってみましょう。山を登ることしばし。結構急な階段が続く。途中でサルが現れてびっくり!


日本3大灯台の1つで、犬吠埼・室戸岬そして経ヶ岬灯台が選ばれています。
設立年月日のプレート

電波灯台も備えています。
ここからは少し内陸に入って走って行き、伊根トンネルの手前を左折すると伊根町でした。
丹後半島をぐるっと ちりめん街道から間人
段々雲行きが怪しくなってきた。
ちりめん街道とは、旧加悦町の重要伝統的建造物群保存地区 に指定された、ちりめんによって町を近代化した建造物群が建ち並んでいる通りの事である。
この場所は、江戸・明治・大正・昭和初期まで高級織物丹後ちりめんが、隆盛を誇った場所である。旧加悦鉄道が敷かれ、ちりめんやニッケルなどを運んだという。
旧加悦町の旧役場、


ちりめん街道

大庄屋でちりめん問屋として活躍した尾藤家は、明治初期には北前船も所有していたという。住宅が公開されているので入ってみます。

旧尾藤家住宅は、1863年に着工し、1866年に完成した。その後、明治・大正期には、蔵などの増改築が行われ、昭和3年には洋館も建築され、昭和5年に現在の住宅の形となった。
ともかく広い。今まで色々な住宅を見学してきたが、大きさということだけだったら、ここが一番かもしれないと思った。
竹を使った欄間。

硝子戸のデザインが素敵。

蔵もいくつもあって、これは新蔵と雑蔵。

中庭に面して浴室がある。

洋館部分。

階段の突き当りにはステンドグラス。

窓の形も素敵だ。

応接室。洋館部分は、書斎とこの応接間の2部屋だけ。

2階から、入り口側を見たところ。屋根瓦が壮大です。

住宅を出てさらに進んでいくと、実相寺があった。日蓮宗のお寺です。

実相寺横の長い石段を登って行くとあるのが天満神社。

本殿は、1733年建築、石灯籠は鎌倉時代のものだという。

登ってみて気が付いたのですが、ここにはもう1つ石段があったのでそちらから降りて行く。こちらの方がかなり楽である。

降りたところに、2つの寺があった。1つは、吉祥寺でもう1つが宝巌寺である。
宝巌寺



この後は、間人を目指して寄り道せずに走った。4時を回った頃に到着。宿は、急な坂道を登ったところにある1軒宿で、日本海が一望できる。
日本海といえば夕日。さっそく部屋についているお風呂の湯船につかりながら、沈む太陽を眺める。「幸せだあ!」

そして、この日の夕食は、とれとれの間人カニです。宿の人が部屋まで、まだ生きているカニを見せにやって来てくれました。「これが今晩の夕食です」との事。まだ動いていました。

Lサイズのカニ2匹は、1匹は蒸しガニにして、もう1匹は生でもらい、焼きガニ・刺身・しゃぶしゃぶ・カニ鍋でいただきました。
〆は、カニ雑炊です。お腹がいっぱいでも何故か雑炊っていただけるんですよね。
丹後半島をぐるっと 宮津市
今回の旅の目的は、幻のカニと言われる間人ガニを食すこと。
丹後半島の辺りは、バスで天橋立を2、3度訪れたくらいで、他の地区に行ったことがない。せっかくなので、宮津までは、列車で行き 、レンタカーを借りてぐるっとドライブしてみることにした。
京都で、新幹線から在来特急「はしだて」に乗り換えて、宮津に着いたのは10時頃。ほんとうは、13時過ぎに到着する特急を予約したかったのだが、コロナの影響で運休となっていた。
レンタカーの予約時間は、14時なので、結構時間がある。その時間を利用して市内を回ることにした。
旧市街というか、昔栄えていた地域は、大手川の向こうに有るのでまずは川を目指して歩く。宮津は、細川忠興が治めていたということで、婦人であったガラシャ夫人の銅像が有りました。昨年のNHKの大河では、市は観光客で賑わうことを期待しただろうが、コロナでちょっと残念なことになってしまったかもしれないね、などとしゃべりながら歩いていくと目当てのカトリック宮津教会に到着。

この教会は、フランス人のルイ・ルラーブ神父が建てたもので、彼は、宮津市だけでなく、丹後地方のカトリック教会の創立者である。
1885年に来日した神父は、1888年、宮津に居を定め宣教の拠点とした。当時の受け持ち地区は、若狭から但馬に及んだ。1895年、教会の土地が寄付され、1896年には竣工された。

当時としては珍しいフランス風の構造で、かつ、木造・畳敷きという和洋折衷のロマネスク様式の天主堂である。
ドーム式の天井などは、明治中期の面影をとどめている。

教会の、近くには、和喜宮という神社があったのでそちらにも立ち寄ってみた。

宮津東部の産土神とされている。

置き屋等があった旧花街を通って、さらに西に進んでいくと、白壁の大きな住宅を構えている「旧三上家住宅」がある。


一説によると、守護大名山名氏に仕えていたと考えられていて、その後山名氏の内紛により、一族は丹後に逃れ、一時、宮津藩主に召し抱えられていたが、後に町人になったと伝えられている。
町人になってからは、元結の製造販売を手掛け、三上家は次第に繁盛し、酒造業・廻船業・糸問屋などを営み財を成していった。
1783年、付近一帯を焼失させた「晒屋火事」により、屋敷を焼失したが、直ちに再建に着手し同じ年の12月には主屋がほぼ完成したとある。
建物は、防火の配慮から大壁造とし、窓や出入り口のみならず煙だしにまで土扉を設け、住宅全体を土蔵の様な耐火構造にしてあるそうです。座敷に入る境にも、20センチ以上の防火扉があってびっくり。
太い柱が豪快な土間。

酒屋だったころの大釜。

奥座敷に有ったのは、花嫁衣裳。丹後地方はちりめんが有名ですが、白無垢は、ちりめんではありませんです。

仏間いっぱいに造りつけられた仏壇。

仏間の天井。

庭園は、座敷からの座視を意識した造りになっています。

これ天然石だそうです。

庭座敷。

見事な鯉の欄間。目は玉だそうです。

いくつかある座敷の釘隠しは、それぞれが意匠を凝らしてありました。


茶室の床の間。花梨の床柱は初めて見ました。

木が、石に食い込みそうになっています。

宮津だけでなく、丹後地方の町には、あちこちにこういう素朴な石造りの仏や地蔵があり、信仰の対象となっているようでした。ちょっとみ、子供が色を塗ったようにも見えてしまうのですが、何処でも新しいお花が供えられていました。

14時近く、レンタカーやさんに向かい車を借りて、与謝野町をめざす。