2022年03月
マンホールの蓋を探して 熊野古道で
くまの道の文字が入った上水道マンホール。

同じくくまの道の文字入りの消化栓。
紀伊山地の霊場と参詣道の文字が入っている空気弁。デザインは、紀伊の山と道でしょうか。
新宮市、消化栓。市章入りです。

紀伊山地の霊場と参詣道の文字が入っている空気弁。デザインは、紀伊の山と道でしょうか。

新宮市、消化栓。市章入りです。

マンホールの蓋を探して 田辺市
市街地ではデザインマンホールは、見つけることができませんでした。
量水器。市の花ウメと市の木マツのデザイン。田辺市の文字入り。

空気弁
仕切弁
消火栓
防火貯水槽。市章入り。

仕切弁

消火栓

防火貯水槽。市章入り。

消防車のデザインの防火水槽。市章入りです。

熊野古道で出会ったねこ
今回の旅で出会った猫は、初日の出発点である滝尻王子で会ったこのにゃんこのみでした 。

こうやって、いつも巡礼にゆく人達を送っているのでしょうか?

熊野古道中辺路を歩き熊野三山を巡る 那智大社
三山の中では、那智大社はわりと最近訪れている。 けれども何度訪れても、初めてのような気がするのは何故だろう?
大門坂は、熊野古道の1つであり、全長640m、高低差やく100mの石畳が続いている。時間もないので、途中から歩き始めました。

樹齢800年越えの杉も有り、とても雰囲気がいい。

大門坂が終わると、今度は467段の石段を登らなければならない。コロナのせいか、開いている店は少ない。

那智大社は、標高約500mの地に、6棟の社殿からなる。隣接する青岸渡寺と共に、熊野信仰の中心地として多くの人々が参詣した。


境内にある大楠は、胎内巡りが出来るようだ。有料です。

八咫烏の絵馬。

こちらは、青岸渡寺。1千日の滝篭りをされた花山法皇が、988年御幸された折に、西国33カ所1番札所として定めたとされる。
本尊の如意輪観世音は、那智の滝つぼから発見され、安置されたという。現本堂は、1590年に、豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残している。


塔と滝。

雨がずっと降らなかったので、水量が少なくなっている。昨夜の雨位では、あまり影響がないかも・・。

飛瀧神社。御神体は滝。

落差、133m、銚子口の幅13m。銚子口の岩盤に切れ目が有って、3つの筋に別れて落ちてくるので、三筋の滝とも呼ばれています。

これですべて終了です。後は、紀伊勝浦の駅まで向かう。

バスの中で、スタンプ帳を受けとる。うれしいな。スペインの、巡礼道を歩く機会があったら、忘れないようにこれを持って行かなくては・・・。

紀伊勝浦17時過ぎの特急南紀で名古屋に戻って来た。3時間以上の列車の旅だったが、ビールを飲みながらのんびりできて良かったかな。
お疲れさまでした!
熊野古道中辺路を歩き熊野三山を巡る 神倉神社と速玉大社
神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる前に最初に降臨した聖地だという。
熊野古道中の古道と呼ばれる538段の石段を登った先のけわしい崖の上に、ご神体のゴトビキ岩が有る。
速玉大社は、社殿がない自然信仰、原始信仰時代の神倉山から、初めて新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれている。
ここも世界遺産に登録されています。


自然石で作られた538段の石段。

2月6日の御燈祭りには松明をもった男達がいっせいに駆け下りてくる様をテレビで見たことが有るが、それはそれは美しかった。実際に登ってみると、あんなことをしてけが人が出なかったらその方が不思議というものだと思った。

ここから、女坂を使って降りて行く道も有ります。

この扉の奥にご神体の岩が有る。

ご神体のゴトビキ岩。ゴトビキとは、ヒキガエルを表すこの地方の方言だそうです。この日も、ヒキガエルかはわからないが、カエルの声がしていました。

拝殿とゴトビキ岩。

太平洋が見えました。

つづいて、速玉大社に向かいます。
神門

色鮮やかで、青い空に眩しいほどだ。128年に本宮の神倉神社から宮を遷されたという。

拝殿、この奥の右側に速玉社がある。

神門の外には、御神木のナギの木が有り、旅の安全を祈ってナギの葉を懐に納めてお参りするのが習慣とされているそうだ。
神門内に有るこの大木は、オガタマノキ。花が咲く様で、地面には小さな花びらが散っていました。


ようやくお昼ご飯の時間です。お寿司屋さんで、天婦羅とにぎりをいただきました。もう歩くこともないので、ビールもいただきましょう。
そして、〆の那智大社に向かいました。
熊野古道中辺路を歩き熊野三山を巡る 熊野本宮大斎原と大峯奥駆道
夜中中雨が降っていて、しかも庇に雨粒があたる音が大きくて 、寝付けず。結局5時になるのを待って、朝風呂に出かけることにした。
雨のせいもあり、薄暗くて景色も見えない露天風呂で、濡れながら湯につかる。スゲカサでもあれば風流なんだろうが・・・。
8時、川湯温泉を後にして、熊野本宮大社までむかった。下車した後は、歩いて旧社殿の有った「大斎原」までむかった。
目の前に大きな鳥居が現れた。心配された雨も上がり、気持ちがいい。


八咫烏の像。

ちなみにこの地も世界遺産に認定されています。


参道を進んで行き、左に折れると熊野川の河原に行ける。紀元前33年、熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する中洲の地に創建されたのが、熊野本宮の始まりです。しかし、1889年の水害により社殿は流されてしまった。
熊野川の堤防にのぼってみると、大鳥居の背後に、昨日歩いてきた山々が見えていた。

旧社殿が建ち並んでいた場所。

参拝に来た人々は、橋もかけられていなかった川を渡り、音無川の水で体を清めてから参ったという。
当時の図




再びバスに戻り、少し移動して、厳しい「大峯奥駆道」を少しだけ歩いてみました。大峰奥駆道とは、本宮と奈良の吉野を結ぶ道で、修験道の修行の道で、1000から1900m級の山を踏破しながら約80㎞を歩く古道である。

七越峯

ここにクマノサクラの木が有り、例年なら咲いているそうだが、今年は一輪も咲いていませんでした。

クマノサクラは、ヤマザクラで、長い間新種とは認識されていなかった。

あきらめきれず、もう少し標高の低いところにあるサクラの枝を探すと、1つだけ何となくピンクがかったツボミが有った。今頃は、多分綺麗な花を咲かせていることだろう。

最後にもう一度、大斎原の大鳥居を眺めてバスに乗り込んだ。

30分ほど移動して、新宮市に向かいます。
熊野古道中辺路を歩き熊野三山を巡る 継桜王子から熊野本宮②
お弁当をいただく前に、伏拝王子跡に向かう。


和泉式部供養塔

宿のおかみさんが、夜中に握ってくれた塩結び、ちょっと硬くなってしまっていたが、おいしくいただきました。ここまで来ればあと一息です。

石標。右高野、左紀三井寺とある。

九鬼ヶ口関所

小さな梅花オウレンの小さな群落。
とちゅう、ちょっと寄り道展望台に寄ってみました。ここからは、さらに近くに大斎原の大鳥居が見えていた。
74番の番号標を過ぎ、ぐんぐん下って行く。

そして、75番の番号標と払殿王子跡に到着。
社も無く質素です。

とちゅう、ちょっと寄り道展望台に寄ってみました。ここからは、さらに近くに大斎原の大鳥居が見えていた。

74番の番号標を過ぎ、ぐんぐん下って行く。


そして、75番の番号標と払殿王子跡に到着。

社も無く質素です。

お疲れさまでした。裏鳥居から入ります。裏鳥居からお参りするのは初めてでした。
歩いて行くと八咫烏のポストがあった。何だかありがたみが有りそうな・・・。

歩いて行くと八咫烏のポストがあった。何だかありがたみが有りそうな・・・。

そして、ゴール!
ありがとうござざいました。熊野本宮大社社殿。

狛犬もマスクをしています。
ここで一足先に、サンティアゴ・デ・コンポステーラとの「共通巡礼達成」の証明書をいただくためにグループを離れていた方と合流。せっかくなので太鼓の儀を見せてもらう事にしました。

そして、石段を降りて
皆がソフトクリームをいただいている時間を使って、世界遺産センターをざっと見てからホテルに向かった。
今日の宿は、川湯温泉で温泉に入れるのだ。露天風呂も満喫して、ゆっくりと過ごせました。ビールとワインもいただきます。
明日は、最終日で、速玉大社や那智大社も回ります。

ありがとうござざいました。熊野本宮大社社殿。


狛犬もマスクをしています。

ここで一足先に、サンティアゴ・デ・コンポステーラとの「共通巡礼達成」の証明書をいただくためにグループを離れていた方と合流。せっかくなので太鼓の儀を見せてもらう事にしました。


そして、石段を降りて

本来の鳥居に向かいます。

皆がソフトクリームをいただいている時間を使って、世界遺産センターをざっと見てからホテルに向かった。
今日の宿は、川湯温泉で温泉に入れるのだ。露天風呂も満喫して、ゆっくりと過ごせました。ビールとワインもいただきます。
明日は、最終日で、速玉大社や那智大社も回ります。