好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2024年11月



 今朝ウオーキングしていたら、菱田春草の代表作「黒猫」みたいな猫に会いました。


 登っている木は、柿の木ですが・・・。


20241130_085304



 どうですかねえ・・。


  


 23日の日、奈良県の五條市にある幻の鉄道跡を歩くツアーに参加してきました。


 名古屋から、団体専用列車「かぎろひ」で、大和八木駅まで向かい、そこでバスに乗り換え出発地点である五條市へ向かう。


 五條市では、企画者による説明を聞き、マップを受け取る。そして、出発地点である城戸バス停へ移動。


  ウオーキングは、フリーなのでそれぞれが自分のペースでゴールを目指す。途中、チェックポイントでスタンプをもらい、お昼ご飯も用意されています。


 12時近く、いざ出発。
出発地点。城戸バス停付近



 五新線とは、奈良県の五條市から紀伊半島を縦断して、和歌山県の新宮市を結ぶ壮大な鉄道路線計画だった。建設の要望は、明治時代の終わりからあり、大正12年(1923)には、五條~坂本間の建設が国の計画に決定。しかし、着工は昭和14年(1939)までずれ込んだうえに、工事の中断を繰り返し、昭和40年(1965)にようやく路盤が完成していた五條~城戸(西吉野町)間で暫定的に路線バスが運行開始されたものの、昭和56年(1981)路盤工事が完成目前だった坂本までも、国鉄再建問題で凍結されてしまった。その後も、バスは、運航を続けたが平成26年(2014)9月、バスも廃止されてしまった。

 
 今回は、バス路線が走っていた部分を歩きます。


 出発してからの前半はトンネルが多い。灯りが全くないので、懐中電灯がないと歩けません。
新宮と五條市を結ぶはずだった



 かつてバス停だったのでしょうか?
かつてのバス停



 ちなみにですが、ここは2016年、土木学会選奨土木遺産に選定されています。

 市街地を外れているので、こんな雰囲気の良い集落も有ります。

山あいの集落



 3分の一ほど歩いたところで、廃校となった小学校の体育館を借りての昼食。
中々豪華なお弁当でした。

お弁当 (2)


お弁当 (1)



 後半は、一般自動車道との交差も有り鉄道の跡地を歩いているという雰囲気はない。


 2時半ころには、観光センターに戻ってきました。ここで、完歩のシールを貼ってもらいます。

五條市内に戻ってきた



 この後は、それぞれ自由に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている五條新町を散策して、最後は長屋門に再集合。

 五條新町は、中世に成立した町場を起源とする五條と江戸時代初めに整備された二見城の城下町に由来する新町の2つの地区から成り立っている。

 江戸時代に栄えた紀州街道沿いの商家町として栄えたこの2地区は江戸時代初期から昭和初期までの約4世紀に渡る多様な建物を見ることができるという。

 入り口部分にあり最も目立つ、栗山家住宅は非公開なのでスルー。


 酒屋さんの前を通り過ぎる。
酒蔵 (1)




 建物内が公開されているまちや館。江戸時代に米商を営んでいた。母屋は18世紀前半の建物です。
まちや館






 通りで唯一の看板建築だという旧澤井眼科。現在はチョコレート専門店になっています。
看板建築




 大正時代の建物で、黒漆喰塗りの壁が特徴的な柿本家住宅。
柿本家住宅



 いくつかの建物は、リノベされて宿泊所になっていますが、こちらの山田旅館は当時のまま。「五ニ館」という看板は、創業者が五條村と二見村の間にある旅館として名付けたものだという。

 
山田旅館



 キセルの絵看板。
絵看板


 ここにも幻の五新鉄道の遺構がありました。高架橋で、昭和16年(1941)に竣工した連続アーチの橋だ。
説明 (2)



五新鉄道新町高架橋



 通りは、吉野川と並行しているので小さな路地を抜けると吉野川に行ける。
吉野川への路地



 関ヶ原の戦いの功績により二見城城主となった松倉重正の墓碑がある西方寺。
西方寺



 通りのはずれ迄やってきました。振り返ると、
反対側から見た通り



 安政6年の棟札があるという大型町家を改修したフレンチレストランもあります。
町家のフレンチレストラン



 
 建物の特徴としては、格子戸と虫籠窓がある。
格子虫籠窓


  
  うだつや立派な鬼瓦も特徴的だ。

  最後は、長屋門のある史跡公園。ここには、SLと「明治維新発祥の地」と記された大きな石碑が目を引く。

  
SLがあった



  
明治維新発祥の地の碑







説明 (1)


 こういう歴史があるんですね。全然知りませんでした。


  で、長屋門。1864年に建てられた代官所の長屋門を改修したもので、資料館になっていた。間口が40mもあるそうです。

代官所長屋門



  公開されている建物がちょっと少ないとは思うが、普通に暮らされているわけだから、仕方がないです。

  16時半、再びバスに乗って大和八木まで向かい、列車に乗り換えました。帰りは、夕食の時間に重なったので、ビールと豆腐の一本バーとベトナム春巻きを買い込み車内でのむ。

  外は寒いが車内は暖かく、おいしくいただけました。



 幻の鉄道五新線の跡を歩くというウオーキングに参加してきました。


 道中で見つけたマンホールです。 


 五條市の市の花桔梗をデザインした汚水マンホール。中央に市章入り。


五條市汚水、市の花桔梗




 小型の規格蓋。汚水の文字と市章入り。

五條市汚水、中央に市章




  中央に五都の文字が入ったもの。

五條市中央に五都の文字




  消火栓。消防自動車がデザインされたもの。

五條市消火栓消防車




  同じく消火栓ですが、消防士がデザインされている。

五條市消火栓消防士



  四角い消火栓。駐車禁止と五條市の文字入り。五條の條が条で表記されています。ちなみにJRの駅も五条となっています。

五條市消火栓市の名前入り





 空気弁は2種類、見つけました。草に埋もれそう。

五條市空気弁 (2)




 周囲が水玉模様。
五條市空気弁 (1)





 仕切弁は、4種類。小型のものをのぞいた3種類はデザインが似ています。

  
五條市仕切弁小型




  五條市の市名入り。
五條市仕切弁模様違い (1)




  下部に水の文字入り。こちらも條が条になっていました。
五條市仕切弁模様違い (2)





  3つ目。一番シンプルです。
五條市仕切弁模様違い (3)




  最後は、橿原市の消火栓。右上に橿原市の市章が入っています。

橿原市消火栓


 ネパールでは圧倒的に犬の方がたくさん見かける。


 20年以上前に、カトマンズにやってきたときには、空港で最初に迎えてくれたのは野良犬たちだった。さすがに今回はそんなことはなかったが、犬の姿はどこでも見かける。


 反して猫を見かけることはほとんどなかった。


 今回も、ナムチェの博物館とルクラのお店の前の2か所だけ。


 ナムチェの博物館の猫は、中々素敵な猫でとてもきれいにしてもらっていたので、飼い猫かもしれない。

 
ナムチェ博物館の猫 (3)



ナムチェ博物館の猫 (2)




 足の部分が縞になっている。

ナムチェ博物館の猫 (1)





 ルクラでは、小猫が箱の中に入って鳴いていた。

ルクラの猫 (2)





ルクラの猫 (3)

  
  誰か飼ってくれるといいね。
ルクラの猫 (1)


  仏塔。
20241105_153734



仏塔に抱きつく (1)




 隣接するお堂の中の、仏様の前には、お札が無造作に突っ込んである。

お札を差し込む



 正面の階段を上ってくると、

正門からは会談で




20241105_155344

 

  
大きい

 


 ここからはカトマンズ盆地が一望できます。
20241105_155657




 バスで移動して、ダルバール広場にやってきました、地震でかなり被害を被ったと聞いていましたが、さすがに修復が進んでいて、一部を残してほとんどわからない。

 以前はいらなかった入場料がいるようになっていました。ここにはネパールの伝統的様式で建てられた建物が集まっているので、見ごたえがあります。



 
ダルバール広場に




DSC08212




地震で壊れた屋根




彫像がある


 広場の建設は、3世紀頃から始まったらしい。王国の歴史を物語る異なる時代の文化を感じることができる。


 ヒンズー教の大黒天。
¥ヒンズーの神様



 鬼のような牙がちょっと怖い
 
怖い顔





 ここに来たらぜひクマリにあってみたい。クマリは、いくつもの条件をクリアした生き神様で、初潮前の女の子が努める。

  前回からはかなり時間がたっているので、今回は違う少女になっているだろう。


  彼女は決まった時間に少しだけ窓から顔を出すのだ。


  クマリの館前
クマリの館の前で



 一斉に入ります。

一斉に入る



  中庭はこんな感じです。

出を待つ人たち


  彼女が姿を現すのは、正面の上の出窓の真ん中からだ。本人の写真は勿論撮れないが、公式な場での写真はたくさんあります。


真ん中の窓



  現れた少女は、全く表情を変えません。我々を見下ろすだけ・・・。

  そして静かに去っていった。


  クマリの館の右横にある白い西洋建築の建物は、ミュージアムなのですが、時間外の様で入れなかった。

  旧王宮でした。
ミュージアム




 ここから徒歩で、タメル地区迄戻るという。まるで迷路のような道をひたすらガイドさんの後からついていく。はぐれたら絶対戻れないもの・・・。



 ビーズ屋さん。結婚式の衣装に使うそうだ。

ビーズ



 40分ほど歩いて、今日の夕食場所に到着。自由時間になったのだが、誰も出ていかない。暗いし、道も複雑だし・・・。で、例のワインをいただくことにしました。


 ちょっと甘めな感じですが、ワイン初級国としてはこんな感じでしょうか。値段は、1200ルピーなので日本円だと、1400円くらいかな。



 このお店は、ダンスを見ながら食事ができるようになっているので、客は外国人ばかり。


 
夕食



 イエティビールなんてものもありました。

イエティビール



 21時過ぎにレストランを出て空港に向かった。

  空港では、たくさんの人が集まっていて、別れを惜しんでいる。出稼ぎに行く方たちを見送るために集まっているのだという。

  カウンターをちょっと探したが、無事チェックイン。通路側の席を取れてほっとする。成田までは、直行便なので6時間少々で到着だ。


  しかし、電光掲示板を見ると、かなり遅れそうな感じがする。


  それでも、心配していたほどの遅れはなく離陸。しかし、毛布もクッションもないし、ご飯もおいしくないし、大韓航空とはずいぶん待遇が違った。料金はこっちの方が高かったのにね。

  何はともかく、11月6日午前、無事に帰ってくることができました。

  今年は本当に、旅行のトラブルが多く、すべてが雨がらみだった、温暖化の影響が、飛行機の運航にも深刻な影響を与えているのだと身をもって感じた。


 今日の午前中は、フリータイムになっていて、ほとんどの方たちは、エベレスト遊覧飛行に出かけていた。

 私は、前回ネパールに来た時に遊覧飛行の経験があったので、今回はパス。他には2名の方が残った。
その3人で、朝食の後、近くのスーパーに出かけ、買い物をした。私は、もう配り用のお土産は買わないが、彼女たちは、配り用のお菓子をいくつか買い込む。スーパーだと地元のものを安く買えるので得だし、楽しい。

 ネパールのビスコ?
ネパールのビスコ?


 いったんホテルに戻り、買ったものをおいてから、今度は先ほどと反対側に行ってみた。

  こちら側は、結構にぎやかで、小さなお店が軒を連ねていた。


 目を引くのは、アート作品のような電線。東南アジアなどでよく見かけるあれです。
アートのような電線 (2)


アートのような電線 (1)



 ヒンズー教のお寺に入ってみました。
町のヒンズー教寺院 (2)



町のヒンズー教寺院 (1)



 各家の玄関前には、お祭り用の飾りが残っている。
お祭りの飾り



 日本風に言えば、ファンシーショップみたいなところをのぞいてみました。髪飾りの使い方が分からなかったので、店員さんにモデルになってもらいました。

 髪が長くないとだめだね。

髪飾り


 洋服屋さんのマネキンは、ちょっと個性的だ。

マネキン



個性的なマネキン




 歩道橋もあったが、道路に交差しているのではなくて、平行に架かっていました。
歩道と同じ方向の歩道橋



 給水塔ですかね。
給水塔




 ホテルに戻り、チェックアウトし、全員でまずはタメル地区に向かった。タメル地区は、商店がいっぱい並んでいる繁華街だ。

 地震で倒れなかったんだね。
カトマンズ旧市街 (3)




 
カトマンズ旧市街 (4)




カトマンズ旧市街 (6)




タメル地区 (1)




  1人では迷子になりそうで、歩けない。


  ツアーの1人は、ネパール産のワインを買う。どこかで飲もうというが、チャンスはあるかしら?


ネパールワイン



  今日のお昼は、ステーキでした。ガイド氏に、ヒンズー教なのに大丈夫なの?と聞くと、もう掟は破っているから大丈夫とのこと。

  おいしかったです。

ステーキランチ


 ここでワインをいただきたかったのですが、持ち込みはダメな感じです。


 午後の観光は、猿寺としても知られている、スワヤンブナート寺院から始まりました。世界遺産でもあり、ネパール最古の寺院といわれている。

 頂上の仏塔までは、400段の階段があるが、我々はバスで向かいます。



 観光客の食べ物を狙っています。
猿がいる


 
猿より犬の方が目立った。こちらでは犬猿の仲という言葉はないらしい。


わんこも昼寝



 どこにでもいる。

猿寺とも



  ペットボトルには、興味を示さないといっていたが、こちらの猿たちは、健康志向なのかしら。

水をもらう



  仏さまも関係ないようだ。

仏も関係ない



  頂上に到着。目玉の書かれた仏塔が迎えてくれる。



 本来なら、今日は、日本に到着している日だ。が、まだルクラから出られないでいるのだ。 


  新しい予定はこうだ。今日、ルクラ発ラメチャップ行きに乗り、ラメチャップからはバスで陸路移動。7時間ほどかけてカトマンズに向かう。

  夕方遅く、カトマンズのホテルに到着したら、スーツケースを受け取り、荷物を戻す。

  久しぶりのシャワーを浴びて夕食。

  翌5日は、市内観光をして24時に近い23時50分ネパール航空で成田に向けて出発。成田着は、翌朝6日の午前9時半ころ。


  成田組以外は、それぞれ大阪や名古屋などに移動しなければならない。しかし、ネパール航空も、時間通りに飛ばないことがとても多いそうで、油断はできないという。



  が、今はともかくここルクラを離れたい!!!!!!

  例によって、時間が経過するにつれて天気は怪しくなってきて、今にも振り出しそうな雰囲気になってきた。

  待機場には、昨日は返された我々の荷物がデンと置かれ飛行機の到着を待っているのだが、


  これは違う会社の飛行機です。

これではない



  4機ほど見送ったところでようやく我々の乗る予定の機体が到着。それっと走り出す。
やっと順番が




 15人乗り、満席だ。我々のグループの他には1人だけが乗れた。

機内



  そして小雨の中離陸。思わず拍手が起こる。「やっと、やっと帰れるよう」

  天気次第では、カトマンズに飛ぶこともあるそうだが、結果それはなかった。残念。



  眼下には、美しい段々畑が広がっている。農作業で行き来するのだと思うと、ため息が出そうだ。


美しい




段々畑




  30分ほどで、ラメチャップ空港に到着。まだ9時前です。


  着陸した時にも拍手!うれしさがこみ上げる。

  
無事到着




  
ラメチャップ空港



  建物内に入らずそのまま敷地外へ移動。すると、そこに居た人達から拍手やガッツポーズを贈られた。彼らも、ここで足止めを食らっている人達なのだ。

  
ここにも足止めを食らった人たちが




 高度が下がってきているので、全然寒くない。来ていた上着を脱ぐ。


  待っていてくれたバスに乗り込み、カトマンズに向けて出発。考えれば、ドライバーさんもいつ来るかわからない我々をずっと待っていてくれたのだ。


  ここからカトマンズへの道は、容易ではない。9月の大洪水で橋や道が流され、ようやく車の通れる仮の道が通じたばかりなのだ。
  その道も、道路とは言えないような危険な道なので夜は通れなくなってしまうという。


  しばらく走ると、流された橋を残された橋につないだ仮橋が見えてきた。これ渡ります。

仮橋



  途中で、小雨も降りだしてきた。ルクラの後続便は、欠航になったそうだ。危なかったね。

  道が流されたので、川に沿って河原を均した上を走る。
雨が降って来た





何時になったら復旧するのだろう



道なき道を走る




氾濫した河原が道路 (2)


 流されないで残った建物だが、住めそうもない。

洪水の跡


 この村で、ちょっと休憩。川に近いほうの建物は、全滅だが、山に近いほうの建物は、残っている。



 流されたガードレール

曲がったガードレール



 
 2時過ぎにようやくランチ。ビールをいただきます。

地ビール



 
ランチ



 ホテルに到着したのは、5時半ころだったかな。

 スーツケースを受け取り、部屋に入り、ともかくシャワーを浴びて髪を洗う。湯舟はあるが、浅くてつかるといった感じではないし、水はけも悪くてゆったりというわけにはいかないが、ともかく砂と泥は落とさねば・・・。


 夕食時には、久しぶりの赤ワインをいただきましたよ。


 メニューは鍋でした。

夕食は鍋


 お汁をご飯にかけていただくのですが、おいしかったです。お豆腐もあってびっくり。


 明日はゆっくり起床だね。

 


 昨日は、結局飛行機に乗れなかった。


 今日は乗らないと、予定通りの国際便に乗れなくなってしまい、余分な出費がかかってしまう。

 ガイド氏いわく、「最初の便を予約してあるので大丈夫です」


 いつもより早く起きて、空港内に待機。「何時の便を予約してあるのですか?」と聞いても、はっきりとした答えは返ってこない。ここまで発着が乱れると、ともかく来た飛行機から順番にこなしていくより方法はないようなのだ。

  荷物の重量を図り、チケットをもらい、とりあえず待機。

空港の建物内


  目の前でいくつかの飛行機が離陸してゆく。新しく着陸した機体も、プロペラを回したまま、10分足らずで離陸していく。

 
  待合室には、小さな売店もあった。


売店



  
離陸の準備 (1)




離陸の準備 (2)



  
離陸の準備 (3)



  見ていると、天気はどんどん悪くなっていくので、気が気でない。


  そしてようやく我々の荷物が、待機場まで運ばれてきた。
 「ああ、これで帰れるかなあ。」と思っていたら、なんと今日の運航は終わりだという。そして我々の荷物は、戻されてしまいました。

  ヘリは?

  こちらも、病人搬送要請が入ったりして空きがないという。だから昨日のうちに手配すればよかったのに・・・。と思うが言えない。


  結局すごすごとロッジに戻ってきました。誰の顔も暗く、ボーっとしている。目の前で、入れると思っていたシャッターを降ろされたのだからショックは大きい。

  
  ボーっとしていても仕方がないので、新しい部屋割りが決まるまで、町に行くことになった。


  これからの事は、夕食の時に発表されることとなった。


  既定の飛行機をキャンセルして、新しく取りなおさなければならないのだが、トランジットでも直行便でも日本行きの便は毎日飛んでいるわけではないのでこれが難しいのだ。


  私は、ツアー本体とは別で、マイルで手配していたので、ネットで15時半までにキャンセルをかけて欲しいといわれた。そうしないとすべてが流れてしまうそうだ。

 急に言われても、ここはネット事情が全く悪く、重たいHPは中々進まない。


  それでも、何とか燃油サーチャージ分をカードで返金、マイルも無事戻ってきた。


  今日もここで泊まるので、追加の宿泊料や食事代などと変更した航空料金の代金は、カトマンズに戻った時にウェブ決済で支払ってほしいとのこと。

  ずいぶん高いツアー代金になってしまったよう・・・。


  昨日も行ったお店にまた行き、モモとビールを頼む。

食堂へ





モモ



  このゴマダレがともかくうまいのだ。



 夕食時、明日の予定が発表された。モーニングコール4時半、食事5時、ホテル出発5時半。ともかく一番で空港内に入ろうという事らしい。



 夕食後、昨日のトランプゲームで負けた人のリベンジゲームを少しして解散。明日こそは脱出できますように!
  

このページのトップヘ