2024年12月
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 アブジャから成田へ
朝食は、今回初めてのビュッフェ、時間通りに開店。
さすが首都。
ホテルを後にして、まず、昨日行けなかったスーパーに立ち寄りました。
ジャビ湖という湖に隣接している大きなモールです。
特産のカシューナッツを買いました。
ジャビ湖は、住民の水源確保のために造られた人口湖でしたが、人口爆発の現在、到底足りないので今は、釣りと観光の場になっているそうです。
湖には白い蓮が咲いていた。

遊覧船でしょうか?デートスポットなのかも・・・。

湖畔の木に生っていた実。ガイド氏は、アーモンドだという。でも我々の見知っているアーモンドとはどう見ても違う。疑わしい顔をしていたら割って中を見せてくれた。食べてみると確かにアーモンドです。

モールの中で出会った少女。小さな赤ちゃんを抱っこしていました。
モールの入り口には、こんなポスターが貼ってありました。日本のアニメ文化はナイジェリア迄わたっているようです。
空港に向かう途中、車窓から官庁街を見学とのことでしたが、後方の席だったのでほとんど見えず。残念。
政府系の建物。

緑のドームが国会議事堂で、後ろの岩山は、アソロック。見えている部分は、昨日見たズマロックより高いそうです。

ここからは空港に向かったのだが、ともかく遠い。途中までは順調に走っていたが空港に入る手前の料金所で大渋滞にはまってしまい、チェックイン時間に間に合うか怪しくなってきた。
しかも、バスの駐車場が見つからず、さらに忙しくなってしまった。おかげで、ガイドさんとアシスタントさんにゆっくり別れを告げることもできず、急いで建物内に進む羽目に・・・。
荷物のセキュリティを受け、なんだかよくわからないカウンターでパスポートチェックを受け、ようやくチェックインカウンターに並ぶ。
ここでも、大荷物の波で、時間のかかること。最初から重量オーバーの申告を済ませてくれば問題ないのにカウンターでぐちゃぐちゃいうので、らちが明かない。
結局、違う場所で重量オーバーの支払いを済ませてもどってくる。その人たちが割り込むのでめんどくさい。
でも、結果的に遅れての離陸だったので、急いで損した気分になってしまった。
今回も、なんだかんだでエアーのトラブルは続くも、決定的な事にならず無事に成田に戻ってくることができて良かったです。
トラブルの多かった今年の旅。終わり良ければ総て良しとしましょう。
今年の海外の旅はこれでおしまい。訪ねてくれててありがとうございました。
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 首都アブジャへ
今日は、国内線にて首都のアブジャに向かう。ここまで我々をサポートしてくれたドライバーさん・アシスタントのアブさん、ポリスの2人とはここでお別れです。
ありがとうございました。
イロリンの空港へ向かう。

団体チェックインを済ませ、待合室へ。

ところが、機体の不具合とかで我々の乗る予定の飛行機がいつ来られるかわからないという。
お昼が近くなるし、のども乾く。
途中で、水とソフトドリンク・クッキーが配られた。
違う会社の飛行機は、我々の目の前でアブジャに向けて離陸していく。
3時間以上たったところで、めどが立ったらしく、一旦外へ出て昼食を食べに行くという。
保安検査を抜け、空港関係者の車に分乗して、ファストフード店へと向かう。
ハンバーガー、ピザ、いつものセットなどを頼み急いで食べ、空港へと引き返す。そして再び保安検査を受けゲート前へ。
結局、5時間遅れでの離陸となりました。機体を見た時には、思わず万歳をしてしまったわ。
前回の、ヒマラヤ街道の大幅な遅延の二の舞だけは嫌だと思っていたからだ。

イロリン・アブジャ間は1時間ほどで到着。迎えのバスに乗り込む。
首都アブジャは、1976年ラゴスからの遷都が決定され、1991年正式にナイジェリアの首都となった。市街地の中心部分のマスタープランは、かの丹下健三氏によるものだが、観光はかなわなかった。
まずは、郊外にあるズマロックへ向かう。途中、こんなおかしな2人も・・・。

結局抜けることはできず、後ろの男性はバイクを降りて荷物をもって反対側に歩いて行ったのでした。
ズマロックは、平地の町中に突如現れる巨大な岩である。高さ400m、周囲3,1㎞で、現地語でホロホロ鳥を意味している。
展望台なんてものはあるはずもなく、道路の脇に車を止め、そこから写真撮影。
近くに廃墟があるのだが、5つ星ホテルになるはずだったが建設途中で投げ出されてしまったものだという。建設中に事故が相次ぎ、ズマロックの怒りをかったといわれ建設中止になってしまった。昔からズマロックに近くには、住んではいけないと言い伝えられていたとのこと。
我々が岩にカメラを向けていたら、撮ってほしいといってきた女性。

雰囲気のある人たち。

この後、市街地にある国立モスクへ向かった。
岩を横から見ると

国立モスク



お祈りの時間ではなかったので中にも入れました。
ミフラブ。収容人数15000人、1984年の建設。1991年以降、祈りの時間以外は非イスラム教徒も入ることができるようになった。

ドームはシンプルでした。

横になっている人達も、皆それぞれのんびりと過ごしています。

続いて、クラフトショップへ。木彫りやバック・衣類などのお土産が売られています。

さらにスーパーに向かったのだが、閉店になっていた。
ホテルのチェックインはものすごく時間がかかった。最近はスムーズになって来たなあと思っていたが、そうでないホテルもあるようです。
荷物を部屋に置きそのままレストランへ向かう。ここの中華レストランは、てきぱきしているし、おいしかった。
さすが首都!

明日は、帰国日です。
ホテルのチェックインはものすごく時間がかかった。最近はスムーズになって来たなあと思っていたが、そうでないホテルもあるようです。
荷物を部屋に置きそのままレストランへ向かう。ここの中華レストランは、てきぱきしているし、おいしかった。
さすが首都!

明日は、帰国日です。
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 クワラ州都イロリン
北部になると、街の雰囲気も変化してイスラム的な感じが濃くなる。
街に入って先ずは、織物や焼き物などが行われている一角を訪ねた。
学校ですって。

子供達の格好もイスラムの格好に・・・。

ここでは子供達も立派な労働力となる。

長い経糸


小さな子は糸車を回す。学校に行っていないわけではなくて、授業の終わった後にお手伝いをしているという。

食事中でした。失礼しました。

土をこねて粘土状にする。

型にはめて成型する。やらせてもらいましたが、コツがいります。

野焼きのようにして焼成する。


出来上がった織物が干してあった。

帰り際、子供たちが集まって来た。甲高い声が響き渡る。
それにしても本当に子どもが多い。これから伸びていく国と日本のように沈まないようにするのが精一杯の国との熱量の差を感じる。

子供たちと別れ、商店が立ち並んでいるところに行ってみた。
埃っぽくてにぎやかだ。

様々なものが積み重なって売られている。下の方の物や高いところのものは取り出すのが大変そう。

ゴミもその辺に固めておくだけ?後で収集されるのかな?

押し出されるようにして歩いていくと、ミナレットが見えてきた。セントラルモスクのミナレットだ。

ここの中を見学させてもらうのだが、時間が決められているそうで、少し待ちます。

セントラルモスク。ここには入れませんでした。

スルタンなどをお迎えする迎賓館には入れてもらえました。

敷地内には、病院や学校、運営に関わっている人達の家々、馬の厩舎、など様々な建物が集まっている。
住民の家。鶏が飼われています。

迎賓館の中は、
偉い人の座る椅子。カバーを特別にはがしてみせてもらいました。


偉い人の座る椅子。カバーを特別にはがしてみせてもらいました。

美しい天井。

応接セット、座らせていただきました。


騎馬兵、馬に関係した様々なものが集まっている場所。馬に関することや、馬具の付け方などを伝えていく場所。

この日も馬を操る練習をしている人がいた。

手綱を持っている方が、案内をしてくれました。警備の最高責任者だそうです。目つきが鋭くハンサムでちょっと怖い。

ホテルに帰り、夕食は外のレストランに行ったのですが、見かけは中々素敵なのですが、お料理が全然出てこない。
結局、サラダ・メインの2品が全員分出て来るのに、2時間半以上かかりました。
11人分ですが、お客は我々だけでした。
サラダ。美味しかった。こういうところだと中々サラダを食べる機会がない。千切りキャベツくらいかな。

メインは、魚かパスタのチョイス。私は魚のトマトソースを選びました。
マッシュポテト添え。

パスタは、トマトとクリームの2種類からのチョイスです。クリームは一番最後まで出てこなかった。

昨年もここで同じ現象が起きたそうですが、1年たっても全然変わっていないのだ。他のお店に変えればいいのにと言ったら、外国人が行けるようなレストランはないとのこと。
ホテルでいいのにね・・・。
でもお味は良かったですよ。
明日は最終日、首都のアブジャまで国内線で移動します。

この日も馬を操る練習をしている人がいた。

手綱を持っている方が、案内をしてくれました。警備の最高責任者だそうです。目つきが鋭くハンサムでちょっと怖い。

ホテルに帰り、夕食は外のレストランに行ったのですが、見かけは中々素敵なのですが、お料理が全然出てこない。
結局、サラダ・メインの2品が全員分出て来るのに、2時間半以上かかりました。
11人分ですが、お客は我々だけでした。
サラダ。美味しかった。こういうところだと中々サラダを食べる機会がない。千切りキャベツくらいかな。

メインは、魚かパスタのチョイス。私は魚のトマトソースを選びました。
マッシュポテト添え。

パスタは、トマトとクリームの2種類からのチョイスです。クリームは一番最後まで出てこなかった。

昨年もここで同じ現象が起きたそうですが、1年たっても全然変わっていないのだ。他のお店に変えればいいのにと言ったら、外国人が行けるようなレストランはないとのこと。
ホテルでいいのにね・・・。
でもお味は良かったですよ。
明日は最終日、首都のアブジャまで国内線で移動します。
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 エシエの博物館
今日はさらに北上して、イロリンへ向かう。
途中、ソープストーンの彫刻で有名なエシエの博物館を見学します。
今朝の朝食は、いつもとはちょっと違う1品が提供されました。豆の粉を蒸したもので、中にはゆで卵とコーンが入っています。
他はいつもと同じアフリカンオムレツ

途中の町は、5日ごとに開かれる市場の日で、とてもにぎわっていた。

エシエに到着したのは、11時頃。思ったより遠かった。至る所で、警察官が立っていて、我々も連邦警察官が同乗していなかったら、何回も止められたのかもしれない。
エシエの博物館は、ナイジェリア連邦政府によって設立された最初の博物館です。

2つの建物があり、最初は、ソープストーンの彫刻だけが展示されている方に案内された。

エシエは、イフェの北東部に位置しアフリカ全土を見渡してもこれほどの石造彫刻の産地はない。1500体以上のソープストーンの彫刻が発見されていて、それらの人物は、ひげを伸ばし、多くはビーズの装飾品を身にまとい、様々に凝った髪形をしている。なぜか、皆座った格好をしている。
4月に、盛大なお祭りが行われる場所は、これらの像が発見された場所である。
ヤシの周りに、埋められたり半分地上に出ていたりという形で発見された。今はこのヤシは枯れてしまっている。

これらの像の中心にあったこの像は、支配者ではないかと考えられている。

様々な装飾品や様々な被り物。

ひげもはっきりわかる。


手に何か持っている人物。

もう1つの建物の方は、停電の時間が迫っているということでかなり急がされました。
すっかりとりこになってしまったベニン青銅器の人物。
目の大きい彫刻。

洋服の一部が残っている彫刻。

トーテムポール?

祭礼用の衣装。

いそがしかったけれど、楽しかった。
道路端で見たトラックの荷物。何?

オンポという町に入りました。

サトウキビのようだ。

セントラルモスク。

今日のお昼は、ショッピングセンターの中のお店。私はもう並ぶのが嫌だったので、ガイドさんにお任せしました。
イスラム教徒の方が多い地区なので、店員さんも髪を隠しています。

ゆで卵のソースは、かなり辛い。後は、ポテトのスパイ煮込みとサバ。骨付きチキンのから揚げ。

午後3時過ぎ、ようやくイロリンに入りました。イロリンは、クワラ州の州都で、ヨルバ人の都市国家の1つでした。

まずは、織物や焼き物などが行われている旧市街地に向かった。

午後3時過ぎ、ようやくイロリンに入りました。イロリンは、クワラ州の州都で、ヨルバ人の都市国家の1つでした。

まずは、織物や焼き物などが行われている旧市街地に向かった。
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 イフェの王宮と博物館
午後は、イフェの王宮と博物館に向かった。
途中、かつてカカオ豆の輸出などで栄えた人が建てたコロニアル建築に似た建物が並んでいた。

旧王宮の一角では、裁判のようなことが行われていました。市民の訴えを調停するのでしょうか?

あまりに暑いので、私は傘をさそうとしたのですが、イフェ王国では、傘を差してもいいのは王様だけなので遠慮してくださいうといわれた。現在でも、王様はいるのだ。でもどういう立ち位置なのだろうか?現在の王様は、どういう役目をしているのだろうか?
イフェ王国は、ヨルバ人が建国した王国の1つで、西アフリカ最古の町である。イフェ王は、ヨルバの国々のすべての祭祀権を持ち、諸国の王達は、即位時にイフェ王を訪ねて承認を得ていた。
王国は、1100年から1700年頃まで栄えたがやがて西のオヨ王国に押され、勢力を縮小していった。
しかし、聖権は握っており、イフェ(聖権)オヨ(軍権)という2重体制が確立された。
文字を持たなかったらしく、口承や絵を使ったという。
ガイドさんと王宮を仕切っているみたいな人が説明をしてくれました。

中央のドアには、様々な事柄が描かれている。
ちなみにこの顔の頭の線や顔の入れ墨などは、それぞれ違っているが、地位や職業によって違うのだそうだ。

現在の王宮。

関連した建物の中で、集まっていた女性達。この建物には入れました。

ちなみにこの顔の頭の線や顔の入れ墨などは、それぞれ違っているが、地位や職業によって違うのだそうだ。

現在でも、これは伝わっていて、左側の緑の人物の頭にもくっきりと線がありました。
歴代の王の1人の像。

歴代の王の墓の1つ。王宮内にいくつかありました。

歴代の王の1人の像。

歴代の王の墓の1つ。王宮内にいくつかありました。

現在の王宮。

関連した建物の中で、集まっていた女性達。この建物には入れました。

隣接する博物館に向かう。エアコンがほとんど効いておらずともかく暑い。

イフェは、高度な彫刻技術で知られており、テラコッタやブロンズの人物像は、西アフリカ美術の傑作として世界的に評価されているそうです。
それらの技術や様式は、その後の西アフリカ美術に大きな影響を与えている。




イフェの王様は、普段はこのような格好をしていて顔を見せないそうだ。

大事な行事の時のみに顔を見せるのだという。
祭祀の格好。

続いて、近くにある女王モレミの像を見学。彼女は、12世紀のヨルバの女王で、戦争の折に国民が奴隷として連れていかれるのを悲しみ、自らわざと敵国につかまり、自分の美貌を武器に情報を引き出し自国のヨルバ人にもたらした。
しかし、そこには自分の息子を聖霊に差し出すという約束があったのだ。
その勇気と犠牲をたたえて建造された像で、モレミの自由の女神ともいわれる。

自分が知った情報をヨルバ人に耳打ちしている様子が描かれたレリーフ。

この日は、パームヤシの畑にもよりました。ヤシの実は、なかったけれど・・・。
畑の持ち主夫婦とガイドさん。


イフェは、高度な彫刻技術で知られており、テラコッタやブロンズの人物像は、西アフリカ美術の傑作として世界的に評価されているそうです。
それらの技術や様式は、その後の西アフリカ美術に大きな影響を与えている。




イフェの王様は、普段はこのような格好をしていて顔を見せないそうだ。

大事な行事の時のみに顔を見せるのだという。
祭祀の格好。

続いて、近くにある女王モレミの像を見学。彼女は、12世紀のヨルバの女王で、戦争の折に国民が奴隷として連れていかれるのを悲しみ、自らわざと敵国につかまり、自分の美貌を武器に情報を引き出し自国のヨルバ人にもたらした。
しかし、そこには自分の息子を聖霊に差し出すという約束があったのだ。
その勇気と犠牲をたたえて建造された像で、モレミの自由の女神ともいわれる。

自分が知った情報をヨルバ人に耳打ちしている様子が描かれたレリーフ。

この日は、パームヤシの畑にもよりました。ヤシの実は、なかったけれど・・・。
畑の持ち主夫婦とガイドさん。

そして最後は、藍染工房に立ち寄った。
糊をおいて防染しているところ。

出来上がった布を干している。

藍が入った甕。

糊を落としているところ。

今日は盛りだくさんの1日でした。
糊をおいて防染しているところ。

出来上がった布を干している。

藍が入った甕。

糊を落としているところ。

今日は盛りだくさんの1日でした。
ナイジェリア・ヨルバランドの旅 オシュン・オショグボ
今日はナイジェリアにある2つの世界遺産の1つ、「オシュン・オショグボの聖なる木立」を歩きます。
オショグボ市の郊外には、オシュン川によって形成された森が残っており、そこには、ヨルバ人の神の1人であるオシュン神が住んでいるとされている。
古くから聖域として大切にされており、オブジェのような祭壇や20世紀になって修復や建造された彫刻など、ヨルバ人のアイディンティティが残る場所である。
オシュン州の州都オショグボは、ナイジェリア最大の民族ヨルバ人の暮らす地で、郊外には今でも森が残っていて現在でも崇拝されてる。
ここには、オシュン神だけでなく他の神々を崇拝するための5つの聖域や9つの礼拝所、宮殿などが築かれた。
森の聖域には、40もの祭壇が残っているが、樹木や鉄、石、泥などを利用して作られたオブジェのようなものだ。
しかし、20世紀後半の一時期信仰が衰退放置され、荒れてしまった。
が、オーストリア人の女性により、40年かけて修復、新たな製作が行われ、やがて世界中のヨルバ人のよりどころとなっていった。
今では、7月~8月、世界中のヨルバ人が集まり祭りが開催され、他地域ですたれてしまった伝統が今でも維持されているという。
ここでバスを降りました。

歩いていく道中、様々な彫刻を見ることができる。

祈祷の場。生贄や油をささげる。

不思議な世界観。

この門の奥からが、聖域です。

宮殿の1つ。


野生動物の中でも猿は、頻繁に姿を現す。

不思議な彫刻。

オシュン神を現したもの。


宮殿の1つ。


野生動物の中でも猿は、頻繁に姿を現す。

不思議な彫刻。

オシュン神を現したもの。

多産の神様。

ここにも祈りの場があった。

途中オシュン神を信じている女性に出会った。占いも行うそうです。

さらに進んでいくと、お供えをするときに入っていくという亀のような彫刻があった。

オシュン神そのものといわれるオシュン川。

一番古い宮殿らしい。遠くから見るとボロボロです。

近づくとびっくり。


双子の神様。ヨルバ人は双子の生まれる確率が高いらしい。そして昔は尊いもののされた。
背中にもう1人子供がいます。

祭壇の1つかしら。東北のおシラスさまみたいだ。


川のそばには、オシュン神が立っていて、毎年夏にはここでお祭りが行われるそうだ。

ここからUターンして、もう1カ所彫刻が集まっている場所へ移動した。
正直、よくわかりませんでしたが、病気が治るように祈ったりしているらしい。


太陽の塔のようなクモのような・・・。

この森には、トイレがなかったので、途中トイレを使わせてもらったファストフード店。ナイジェリアで使ったどこのトイレよりもきれいでした。

どこのお店にも、入り口には警備員が配置されていて治安の良くないことがわかる。
ちなみに今日のお昼はこれ。
いいただいたのはここではなくて違うお店でしたが、停電中だったので、暗い中あちこち連れまわされた。計画停電が行われることもあるようです。
手前のオレンジぽいものは、ポテトをカレー味で煮込んだもので、ナイジェリア料理の中で一番気に入った。

ここにも祈りの場があった。

途中オシュン神を信じている女性に出会った。占いも行うそうです。

さらに進んでいくと、お供えをするときに入っていくという亀のような彫刻があった。

オシュン神そのものといわれるオシュン川。

一番古い宮殿らしい。遠くから見るとボロボロです。

近づくとびっくり。


双子の神様。ヨルバ人は双子の生まれる確率が高いらしい。そして昔は尊いもののされた。
背中にもう1人子供がいます。

祭壇の1つかしら。東北のおシラスさまみたいだ。

ちょっと不気味な感じがする。

川のそばには、オシュン神が立っていて、毎年夏にはここでお祭りが行われるそうだ。

ここからUターンして、もう1カ所彫刻が集まっている場所へ移動した。
正直、よくわかりませんでしたが、病気が治るように祈ったりしているらしい。


太陽の塔のようなクモのような・・・。

この森には、トイレがなかったので、途中トイレを使わせてもらったファストフード店。ナイジェリアで使ったどこのトイレよりもきれいでした。

どこのお店にも、入り口には警備員が配置されていて治安の良くないことがわかる。
ちなみに今日のお昼はこれ。
いいただいたのはここではなくて違うお店でしたが、停電中だったので、暗い中あちこち連れまわされた。計画停電が行われることもあるようです。
手前のオレンジぽいものは、ポテトをカレー味で煮込んだもので、ナイジェリア料理の中で一番気に入った。

ナイジェリア・ヨルバランドの旅 ヨルバ人の聖地アベオクタへ
ナイジェリアでの朝食は、どこのホテルでもほとんど同じでした。
薄い全粒粉の食パンと、アフリカンオムレツとコーヒーだ。

アフリカンオムレツ。スペインオムレツとの違いは、具の少なさ。

部屋から外をのぞいたら、昨日は何もなかったのに、ご飯屋さんができていました。テイクアウトする人は、自分でタッパーを持参しそこに入れてもらい持ち帰る。

今日は、ヨルバ人発祥の地で聖地でもあるアベオクタを観光し、世界遺産のあるオショグボに移動する。
その前に、空港に行き4人の荷物を引き取ってこなければならない。なかなか戻ってこなかったので心配したが、無事戻って来てほっとした。
アベオクタは、ラゴスから103km程の所に位置するオグン州の州都だ。巨大な岩の下に町が発展していて、アベオクタとはヨルバ語で「岩の下」という意味だ。
まずは、その巨大な岩「オルモ・ロック」にむかった。
以前は、エレベーターで上まで行けたらしいが、現在は動いていない。

高低差は、140mほどあるそうだが、登りましょう。
岩にへばりつくようにトカゲがいた。

岩山全体にいくつかの祠がありいろいろな神が祀られている。

最初にこの岩を発見したのは、ダホメ王国やイバダン王国などによる奴隷狩りから逃げ出した人々でした。岩に大きくあいた隙間などを聖地として利用し、しばらくするとこの岩自体を聖地とするようになる。
そして、集まって来た人々で急速に発展し国家を名乗るほどに成長してゆく。
1851年頃ダホメによる奴隷狩りアベオクタに向けて出撃。その時、伝説のアクトゥは、兵民とともにこの岩山に立てこもった。そして勝利。
岩山の途中には、隙間があり人々が暮らせるようなスペースがあった。

祈祷所のような場所もあり、今でも人々の祈りの場となっているようです。


バオバブの木。

頂上まではもうひと踏ん張りです。
その後、1864年にも、ダホメ王国を破ったアベオクタの人々は、1893年、イギリスの支配下にはいる。
岩山のトップから町を見ると、
真ん中にみえる教会のような建物は、モスクだそうです。
下に戻って来て、街の中を少し歩いてみました。
歩道橋です。

部屋から外をのぞいたら、昨日は何もなかったのに、ご飯屋さんができていました。テイクアウトする人は、自分でタッパーを持参しそこに入れてもらい持ち帰る。

今日は、ヨルバ人発祥の地で聖地でもあるアベオクタを観光し、世界遺産のあるオショグボに移動する。
その前に、空港に行き4人の荷物を引き取ってこなければならない。なかなか戻ってこなかったので心配したが、無事戻って来てほっとした。
アベオクタは、ラゴスから103km程の所に位置するオグン州の州都だ。巨大な岩の下に町が発展していて、アベオクタとはヨルバ語で「岩の下」という意味だ。
まずは、その巨大な岩「オルモ・ロック」にむかった。
以前は、エレベーターで上まで行けたらしいが、現在は動いていない。

高低差は、140mほどあるそうだが、登りましょう。
岩にへばりつくようにトカゲがいた。

岩山全体にいくつかの祠がありいろいろな神が祀られている。

最初にこの岩を発見したのは、ダホメ王国やイバダン王国などによる奴隷狩りから逃げ出した人々でした。岩に大きくあいた隙間などを聖地として利用し、しばらくするとこの岩自体を聖地とするようになる。
そして、集まって来た人々で急速に発展し国家を名乗るほどに成長してゆく。
1851年頃ダホメによる奴隷狩りアベオクタに向けて出撃。その時、伝説のアクトゥは、兵民とともにこの岩山に立てこもった。そして勝利。
岩山の途中には、隙間があり人々が暮らせるようなスペースがあった。

祈祷所のような場所もあり、今でも人々の祈りの場となっているようです。


バオバブの木。

頂上まではもうひと踏ん張りです。
その後、1864年にも、ダホメ王国を破ったアベオクタの人々は、1893年、イギリスの支配下にはいる。
岩山のトップから町を見ると、
真ん中にみえる教会のような建物は、モスクだそうです。
下に戻って来て、街の中を少し歩いてみました。
歩道橋です。

2階建ての商店街には、布や洋服を扱っているお店が目立つ、ここは、「アディーレ」と呼ばれる藍染が盛んなのだという。

古着に集まる人々。


ナイジェリアの大半は、イスラム教徒かプロテスタントを信じているが、2%ほどは、土着の宗教を信じているし、日常的に祈祷は行っている。
その時に使う油や動物を売っているお店がある。異様な臭いがするので、不気味だし慣れないと気持ち悪くなりそうだ。



これは食用のカタツムリ。ふつうにお店で食べられる。

そしてお昼ごはん。夜のレストランはあるのだが、昼間、観光客が食べられるような店はなく、毎回ファストフードの定食屋さんみたいな場所でいただいたのですが、ともかく時間がかかる。
ショーケース越しに食べたいものを伝え、プレートの上に乗せてもらうのだが、量の調整ということができない。半分、3分の1という概念が伝わらない。いるかいらないかの2択。

すったもんだの後にようやく席に着いても、ナイフかスプーンかフオークのどれか1本しかついていない。取りに行っても、すぐには対応してくれないので、結局どれか1本でいただくことになる。
今回の旅で、この昼の作業が苦痛で仕方がなかった。
それでも何とか修羅場のお昼ご飯を頂き、目的のオショグボまでは、道もよくなかったので時間がかかりました。
前行く車の荷台。こちらの人の荷物の積み方は天才的だ。ただ一旦降ろすと大変でしょうね。

夕方、6時過ぎ。ようやくホテルに到着。すっかりクリスマスモードになっています。

夕食時、道中の売り子さんから購入した2品が試食として出てきた。
黒いほうはバナナで、プランテンを香辛料で味付けし、空揚げした後焼いたもの。白いほうは、チーズ。まずくは無いけれど、複雑な味がした。チーズの方は、モッツァレラチーズににているかな。


古着に集まる人々。


ナイジェリアの大半は、イスラム教徒かプロテスタントを信じているが、2%ほどは、土着の宗教を信じているし、日常的に祈祷は行っている。
その時に使う油や動物を売っているお店がある。異様な臭いがするので、不気味だし慣れないと気持ち悪くなりそうだ。



これは食用のカタツムリ。ふつうにお店で食べられる。

そしてお昼ごはん。夜のレストランはあるのだが、昼間、観光客が食べられるような店はなく、毎回ファストフードの定食屋さんみたいな場所でいただいたのですが、ともかく時間がかかる。
ショーケース越しに食べたいものを伝え、プレートの上に乗せてもらうのだが、量の調整ということができない。半分、3分の1という概念が伝わらない。いるかいらないかの2択。

すったもんだの後にようやく席に着いても、ナイフかスプーンかフオークのどれか1本しかついていない。取りに行っても、すぐには対応してくれないので、結局どれか1本でいただくことになる。
今回の旅で、この昼の作業が苦痛で仕方がなかった。
それでも何とか修羅場のお昼ご飯を頂き、目的のオショグボまでは、道もよくなかったので時間がかかりました。
前行く車の荷台。こちらの人の荷物の積み方は天才的だ。ただ一旦降ろすと大変でしょうね。

夕方、6時過ぎ。ようやくホテルに到着。すっかりクリスマスモードになっています。

夕食時、道中の売り子さんから購入した2品が試食として出てきた。
黒いほうはバナナで、プランテンを香辛料で味付けし、空揚げした後焼いたもの。白いほうは、チーズ。まずくは無いけれど、複雑な味がした。チーズの方は、モッツァレラチーズににているかな。
