2025年03月28日 蜀の道で出会った猫達 多分飼われていた猫。飼い主一家が、新しい家を建てて出ていき残された感じ。人恋しいし、お腹はすくしで、声を掛けたら一目散にとんできた。ご飯をねだるが、何もあげられるものがない。 土壁の家が残っている田舎道で。 志公寺というお寺の敷地で出会った猫。何となく幼い感じがする。 古い街の方の剣門関の通りで出会った猫。子供たちにいじられていました。珍しく首輪をしています。 普安の街で出会った猫。マットの下にご飯になるものがあるのでしょうか?懸命に顔を突っ込んでいる。
2025年03月27日 蜀の道で出会った猫達 昭化古城・雲台山の猫 昭化古城の夜の散策で、この敷居から一歩も外には出ませんと言わんばかりのにゃんこ。隣のワンコとは兄弟姉妹か親子のように育ったのだろうなあと思ってしまった。 何をじっと見ているのかというと道路に投影されている模様と思われる。 今風の猫っていう感じはしなくて、昭和の猫という雰囲気がする。 雲台山のふもとで、お弁当をいただいたのですが、そこに居た猫2匹。ご飯をねだるのですが、手元にあるのはお菓子ばかり・・・・。 黒の方が、若いので当然白黒の方が強い。 野良なのか飼い猫なのか判然としない。お土産屋さんの女性は追い出すことはしないが、ご飯をあげている風でもない。よって、おなかは空いているみたい。 何かちょうだーい。って感じですかね。
2025年03月26日 蜀の道を歩く 普安~涼山郷・そして成都にもどる 夜中から降り始めた雨は、未明になってようやく小降りになり、出発の8時半ころには止んだ。 今日は、ホテルから歩き始めた。 街の中を進む。雨上がりなので何となくすっきりした感じがする。 郊外に出ると、土壁の家も残っていました。 ここにも毛主席の石碑が残っていた。先日見たものより地味かな・・・。 コノテガシワの並木が現れた。南に向かって数が増えていく。この木が1番の札をつけていました。 農村風景の中を歩いてゆきます。広い菜の花畑。 これだけ数があると、かなり花の香りがします。なんだかおひたしを食べている気分だ。 清涼橋とある。結構古いです。 並木が続きます。葉の生い茂ったところは、太陽の光が届いていないので地面が乾いておらず、油断すると滑ってしまう。これは確かに日よけになるなあと実感。 不思議な形の柏には、「腸のような木」と名前がついていた。なるほど! 中心に小さな幹を抱いたカシワは、妊娠という意味らしい。 整然と並べられた石は、転落防止だという。それくらいこの道は往来も多く大事だったという事か。 今日のお昼は、少し遅くなりましたが、村の小さな食堂でいただきました。ご夫婦、娘さん、近所の女性まで総勢でもてなしてくれました。 食堂の向かいのホテルからの眺め。 ここからはバスで、新しく建設された鉄道駅のある剣門関の街に向かい、高速鉄道に乗り換えて成都に戻ります。 1時間半ほどで、成都に戻ってきました。ホテルに寄らずに、そのまま旧市街にある四川料理の有名なレストランに向かった。 バスの中から見ていて気になったナンバープレート。この緑のものは電気自動車なのだという。半数近くが電気自動車になっている気がした。 成都は冷えるので、バイクはこのような布団みたいなものをかぶせて走っています。 旧市街。この一角にレストランがある。 最後なので、奮発して紹興酒を頼みました。 今日のホテルは、成都の帝国ホテルともいわれる立派なホテル。湯舟に使って酷使した足を労わった。 明日の9時半過ぎの飛行機で帰国します。 歩くのってやはり楽しい。
2025年03月25日 蜀の道を歩く 漢陽~普安まで 自動車道から少し進むと、石畳の道に・・・。 菜の花もきれいに咲いている。これらは、菜種油をとるためのもので、日本のそれより少し背が高い。それそれの家で使用する分が栽培されているそうで、出荷などはしないという。 コノテガシワの大木と一緒に。 松の木のように見えるコノテガシワが描かれた案内板。 枝ぶりがちょっと変わっている木。 でかいサイコロのような石。 今はまだ残っているが、そのうちに無くなってしまうと思われる石碑。毛沢東の語録だろうか? なんとも奇怪な形の柏。幹なのか根っこなのか こちらは巨大なこぶを抱えてる。樹齢は2000年とあった。 ここからは巨木が続く。石で盆栽のようになっているのは、根っこの保護の為だそうです。 これも2000年を超えています。 まだかろうじて古い家が残ってた。 わんこが守っているのかな。 普安の街が見えてきた。久しぶりにビルを見た気がする。 そして、北から南に向かうルートのコノテガシワの案内板が1番のコノテガシワ発見。 下4桁の番号が0001となっている。樹齢は1000年です。 普安を起点に北・南・西に道が伸びており、それぞれ1番のナンバーを付けたコノテガシワがあるという。 明日は、南に向かうので、違う1番をつけたカシワを探さねば・・・。 途中からは、迎えに来てくれたバスで、ホテルに向かった。 夕食の後、少し夜の街を散策。 たくさんの果物が売られており、今旬なのがデコポンです。日本円で200円くらいなので、かなり安い。食べるとみずみずしくてとてもおいしかった。 城壁も少し残っています。 明日は、最後の歩きの後、出発地点である成都に戻ります。
2025年03月24日 蜀の道を歩く コノテガシワの並木道が続く翆雲廊へ 今日の午前中は、2000年以上も前に植えられたコノテガシワの木が残っている翆雲廊を歩く。 コノテガシワのレリーフ。 ここは習近平氏も訪れたとかで、トイレなどの設備がきれいになったそうです。 まずは、少し高いところから並木の遠望。奥の方に連なっている緑がコノテガシワだ。 ここは成都から西安迄を結ぶ幹線上に位置し古来から人々の往来が有った。又、三国時代には昨日訪れた剣門関から中原へのルートに当たり、暑さ寒さから兵士たちを守るために大規模な植樹が行われた。古道に植えられた「張飛柏」・「皇柏」と称されるもので、樹齢2000年を超えるものは始皇帝によって、1800年を超えるものは張飛によって植えられたと伝わっている。 並木の入り口には、張飛の像があった。 石に張飛柏と書かれている。 道は整備されており、気持ちよく歩ける。 夫婦柏 習近平氏の写真があった柏の大木。 ちょっと種類が違うようです。 説明板には。 なんと2300年前のもの。年輪を見ないでどうやって測定するのだろう。 この後は、バスで漢陽むかい、あまり人が訪れない石畳の道を普安まで6時間以上歩きます。
2025年03月22日 蜀の道を歩く 関所・剣門関を歩く ホテルのある剣門関古鎮を出発前にちょっとだけ散策。 中心辺り 宿泊しているホテル 木製の3階建ての家々が軒を連ねていて、1階が店舗、上階が住まいになっているようです。 門がありました。 これは歩道橋。 ここの名物は豆腐料理で、朝早くから売られていた。昔の日本の豆腐みたいにでかい。 厚揚げも有ります。おいしい! バスで15分ほどで、入場券売り場に到着。パスポートチェックもある。 ロープウェイも有りますが、我々は歩くとのこと。かなりきつそうに見えますが・・・。 壁の様にそそり立つ岩山。 このような壁に囲まれていて、剣門関以外の道が無いので、「剣門関を得れば四川を得る」といわれるほどの要害でした。 2000年以上の歴史の中で100回以上も戦いの場となり、魏軍との戦いで蜀が滅亡するまで蜀の名姜維が死守した関としても知られている。 古い道 大きな岩がごろごろしている。大雨が降るとこれらは動いたのだろう。 黙々と歩いていたのだが、ここで思わぬことが起きた。予定していた道が、崩れて通れなくなっていたのだ。開通するまで3時間ほどかかるという。待っていては予定を消化できないので、急遽ロープウェイを利用することになり、一同大喜び。誰でも楽したいもの。しかもロープウェイを使わない場合、同じ道を往復する予定だったというのだからなおさらだ。 というわけで、乗り場まで歩いてゆきそこからはあっという間に展望台に到着。中国人にとってはおなじみのガラスの展望台からの眺め。 サクラと菜の花がきれいです。足元が透けて見えるのは、曇っているせいか全然気にならない。 横を向くと絶壁でした。 ここからはほとんど下り。途中、剣門関の建物が下の方にみえた。あそこ迄下っていかなければならない。 大穴洞、この上を歩いてきた。 そして、一気に桟道を下ってゆきます。 反対側に渡らないとならない。下りきったところに橋があった。 そして今度は登り。自分たちの通ってきた桟道を確かめました。 うーんよく降りてきたなあ。 そしてしばらく下ったり登ったりすると、剣門関の建物が見えてきた。 ずっと遠くから見ていた建物。代々この地を治めた国々は、楼を建設したが戦いで焼失したりし現在の建物は、四川大地震の後の2009年に再建されたものだ。 入ってみましたが、特別な感じはなかった。 反対側から見たところ。 ここからホテルまでは、ゆっくりあるいて1時間もかからなかった。
2025年03月21日 蜀の道を歩く 鉄門小橋~剣渓橋まで ダムができたので、川の流れが無くなり枯れ川のようになってしまった が、橋は健在です。 石がくさびで留められている。 この辺り石橋が続きます。 望夫橋。ワンフ橋と読みます。 ソンネイ橋 コノテガシワと同じように、松にも標識が取りつけられていました。樹齢320年とある。 元々はここに住んでいたが、町に出て住人のいなくなった家が点在する。 お墓も、 緩やかな石畳が続きます。 この家も廃屋のようです。 お堂ですかね。荒れ果てていて誰もお参りに来なくなってしまったのかも・・・。 木に点滴のようにして栄養を与えている。 この辺りには、かつて50戸ほどの家が建ち並んでいたという。 この大きな建物は、清時代の宿泊所だったようだ。 新しい家に移り住んだ家族でしょうか?手を振ってくれました。 石を積んで作られていることが分かる。 そして今日のゴール剣渓橋に到着です。結構歩きました。この橋は、500年以上経っているという。 ここから今日のホテルのある検門関の町まではバスで向かいます。 近くに大きな石碑が立っていました。 ホテルまでは、バスで15分ほどでした。なぜか傘のアーケードが・・・。中国の人って、何かを飾らないと落ち着かないのだろうか?日本人はどちらかというとマイナスの文化だが、こちらの文化はプラスなのかも。 夕食は、名物の豆腐料理を町の小さなレストランでいただきました。四川といえば山椒の辛さで有名ですが、加減をしてくれたのかおいしくいただけました。
2025年03月20日 蜀の道を歩く 昭化古城~雲台山 朝8時半ころ。結構、人出がある。 まずは、古城の中にある孔子廟と科挙の試験が行われた場所を見学。 これも旧正月の飾りの残り。福を呼ぶものだろう。 この建物は、官僚になるための試験「科挙」が行われた場所だという。制度は、587年に始まり、1905年に廃止された。 とても難しく、1カ所でも書き間違えたりしたらアウトなんですって。 中には、机や、ベットのようなものが置かれていた。 隣には、おなじみの孔子廟がありました。日本の中華街にも必ずある。 中国では学校のそばには必ず廟があるそうです。 朝の城内は、夜のそれとは違って落ち着いた感じがする。城内と言っても、城があるわけではない。 夜の様子とは違う城門。 登ってみました。 城内の通り。 城外の通り。 城壁の上。 このように残っているのはここだけです。 歩いているとどこからともなく楽器の音が聞こえてきた。 15、6人の人が集まっているので、訪ねてみるとこの家で結婚式が行われるのだという。花嫁は見たいが、ここで待っているわけにもいかない。残念。 ホテルへ戻り、改めてバスで出発。昨日ちらっと姿を見た雲台山に向かいます。標高は1235mだというが途中までバスで向かいます。 途中、ちょっと高い場所で、景色を楽しみました。曇っていて見通しが悪いのが残念。 菜の花とコノテガシワ。 蛇行する川。 ようやく晴れてきた。雲台山を見上げる。 登ります。途中にいくつかのお堂のようなものがある。 頂上に到着。道教の寺がありました。 中は撮影禁止。線香と黄色い紙をいただいた。 線香は6本、左右3本づつお供えします。 黄色の紙は、お金を現し、何故か燃やします。ここで燃やす。 頂上からの眺めはこんな感じ。 下ってきたところで、お昼ごはん。食堂も無いのでお弁当ですが・・・・。こちらではお弁当という習慣がないのか、こんなものを手渡されました。遠足のおやつじゃん! カップ麺はおいしかったかな。お湯はあるんだよね。 バスでふもとまで降りてきて、剣渓橋まで歩きます。