好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2025年04月


 夜中のチェックインだったので、ホテルの全容が全く分からなかったのだが、明るくなってびっくり。小島にあるリゾートホテルで全室オーシャンビューでした。

  
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 サモア諸島は、1889年にアメリカ・ドイツ・イギリスの共同保護領となり、1899年、ドイツが西サモアをアメリカが東サモアを領有した。
  1962年に西サモアは独立し、1997年には国名を「サモア独立国」に変更した。東サモアは、現在もアメリカ領サモアとして続いており独立国とアメリカ領の2つのサモアが存在している。


  サモア独立国は、ポリネシア系の住民が90%以上を占めているポリネシアの国だ。人口は、2022年現在で、222380人で、キリスト教徒が97%を占めている。

  面積は、2830㎢で東京都の約1.3倍だという。ウポル島・サバイイ島の2つの火山島が主な島で、他に7つの小島からなっている。
  やはりイギリス連邦の加盟国の1つである。


  サモアの「サ」は、ポリネシア語の場所を示す接頭語で、「モア」は創造神タンガロアの息子モアに由来しサモア語で「モア神の聖地」という意味があるらしい。


  国旗。

サモア国旗



 青と赤、白の色は、青が愛国心、赤が忠誠と勇気、白は純潔を現しており、独立当時は、南十字星は星4つだったが現在は5つに増やされている。


  国章

サモア国章


  オリーブの葉、盾とキリスト教国の象徴として十字架が描かれている。
盾には南十字星とココヤシが描かれており、リボンの文字は、サモア語で「神がサモアにあらんことを」と記されている。

 今日は、首都アピアのあるウポル島を観光します。

 まずは、遠くからでもとっても目立つカトリックの大聖堂である、イマキュレート・コンセプション大聖堂に向かう。


 
イマキュート・コンセプション大聖堂



 2009年の地震により被害を受け、2014年に修復公開されている。


 特徴的な天井。

祭壇


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ドーム天井



 パイプオルガンのあるステンドグラス。

パイプオルガンのある窓



  ロータリーのある広場の時計台。

時計台



 政府庁舎の建物。国会議事堂がただいま修理中なので、議会も開催されています。

政府庁舎



  すぐ近くにある財務省の建物。ナショナルバンクもある。

サモアナショナルバンク



 市内には、やたらとお墓のようなモニュメントがある。これもそのうちの一つ。

お墓?



  「宝島」や「ジキルとハイド氏」で有名な作家スティーブンソン博物館にやってきました。植物園が隣接されている。

  彼が暮らしていた当時の暮らしを再現したものだが、当時のものも少し残っていた。

  
スティーブンソン博物館外観



 2階部分のバルコニー。

作家スティーブンソンの博物館 (4)



  こんな南国では、必要ないであろうに暖炉もあったようです。生まれた土地が懐かしかったのでしょうか?


作家スティーブンソンの博物館 (3)


 1階のダイニングに置かれていた金庫。これは実際に使われていたそうです。

作家スティーブンソンの博物館 (1)



 この日は、夕方から結婚式と披露宴が行われるようで、準備が進んでいました。

結婚式の準備




 私たちはここで、お弁当をいただきます。なぜかパンばっかりが入っている。

パンばかりのお弁当





 続いて、初めて聞く名前のバハイー教という宗教の寺院を見学。
19世紀にイランで生まれた一神教で、世界に500万人程の信者がいるとされている。男女平等、すべての宗教の本質的一致、信仰と理性の調和などを掲げている。

  
バハイー教寺院外観 (2)




 この建物の形にも意味があるようです。中に入ることも許されましたが、撮影は禁止です。


バハイー教寺院外観 (1)


 近くにある、アート・ギャラリーを訪ねたのですが、この日はグループの集会が行われており、作品は片付けられているし、製作過程の見学もできなかった。後日ともいわれたが、それほどのこともなさそうでしたので、次の場所に移動。


  アピアの住民の足であるバス。とても可愛い。トラックの上に客席を乗せ改造したもののようです。

  
乗り合いバス



  
客席


  運転席。


運転席


  このバスには、後日乗車体験をしました。


  少し早いが、ホテルに戻ります。疲れた方は昼寝をという事でしょう。昨夜というか今日の未明のチェックインだったので、少し眠い。


 
  










 午前中は、引き続きホニアラ市内の博物館や国会議事堂を見学した。 

  議会が開催されていなければ内部も見学できるのだが、あいにく開催中で外観のみの見学になってしまった国会議事堂。

  
議事堂正面



  立憲君主制で国王は、現イギリス国王のチャールズ3世。国内のトップは、総督である。1院制で、任期は4年、議員数は、50名。

  国章。1978年に制定されたソロモン諸島の紋章。上部に太陽を戴く兜を飾った盾の左右にワニとサメが寄り添っている。


国章



  国旗。5つの星は、南十字星と独立時の主要な島(ガダルカナル・マキラ・マレータ・サンタイサベル・チョイスル島)を示している。青色は海、緑は美しい自然と国土、黄色の線は太陽の光を現している。
  垂れ下がってしまっていて、定かではないが・・・・。


国旗



  ここからの眺めは、


議事堂のある丘からの眺め (3)




議事堂のある丘からの眺め (1)


  

  丘を下って、国立博物館に向かった。
昔ながらの建物には、展示されていない。
  
博物館



  展示物は、原則撮影禁止。
入り口前にあった石像。

  
博物館へ



  石を割って中を見せている。これらがうまく変化していくと、宝石となるらしい。

岩石の中身




 なんだかよくわからない置物。サメらしい。


サメ




  お土産屋さんも併設されている。


お土産の木彫り



 最近、ここで、カカオの栽培が成功し、少ないながらも国産のチョコレートが生産されるようになった。買ってみたかったが、この気候では、もたない。
  
島唯一のチョコレート工房



  お昼は、ホテルに戻っていただき、改めて空港に向かう。

  サモアへの直行便はなく、フィジーのナンディ経由なので、サモアの首都アピアには、翌日の1時過ぎに到着。入国審査を受けたりすると、ホテルにチェックインできるのは、深夜3時ころになりそうである。



 国旗がデザインされた、ソロモン航空の飛行機。国内便専用かもしれない。

ソロモン航空

  


 こちらが、フィジー航空の機体。日本にも乗り入れているので、知っている方も多いのではないだろうか。

フィジー航空でサモアへ





 夕方近い、16時25分離陸。ナンディに到着したら時計を1時間進める。そしてサモアではさらに1時間進めなければならない。日本とサモアの時差は、4時間となる。


  ホテル到着は、やはり3時近くになり、シャワーを浴びてベッドに入ったのは4時を回っていた。もう朝だわ!


 ツラギ島から帰って来てホテルに戻らず そのまま伝統的な暮らしを続けている人々の村を訪ねた。我々がソロモン諸島に到着した少し前まで、豪雨だったそうで、村への道が通れなくなってしまったので、途中から歩きで向かいました。

  大木のある村の広場で待っていると若い男性と女性がやって来た。


村の広場



  結婚したばかりのカップルだそうです。女性はとても恥ずかしがり屋さん。



新婚さん




 メラネシアの人々は、ポリネシアやミクロネシアの方々と比べると、髪が金髪に近く、肌の色が黒い人が多い。

  小屋の中には、客人をもてなすときに出されるという、サトウキビと柑橘類が置かれている。サトウキビをかじる自信が無いので柑橘類の方だけ頂きました。

  
おもてなしの食べ物




  先に立って案内してくれます。周りは、サトウキビやカボチャ、トマトなどの野菜が植えられている。

案内してくれます



 この小屋は、農作業などで疲れた時に休んだりするためだそうです。手前の男性は、ガイド氏。

休憩場所



 同じようなつくりのこの小屋では、簡単な煮炊きもするようです。
 
簡単な調理をする




 パパイヤ。幹にこのような印がしてあると、使う予定のある木なので、勝手に実をとったりしてはいけないのだという。

収穫禁止



 伝統的な家屋。キッチン、寝室などに分かれている。
古い建て方で



 屋根かざり。
屋根飾り



 中はこんな感じ。

家の中 (1)



家の中 (2)



 台所かな。

キッチンのようです



 家の前で、並んでもらいました。

家の前で



  トイレ。
トイレ (1)



  ホテルに戻り、夕食は、宿泊しているホテルより、グレードの高いホテルのレストランでいただきました。鮪の刺身やすき焼きも有りびっくり。

  ショーを見ながらの夕食となりました。


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  明日は、午後までアピア市内の観光をした後、夕方の便でフィジーのナンディ経由、サモア独立国のウポル島にある首都アピアに向かいます。


  夜中の雨は、朝にはすっきりと止んで今日も素晴らしい天気。


夜明け




  それにしても、島の朝と夕方はなぜこんなに美しいのだろう。


  今日は、チャーター船で、植民地時代の首都でもあり、現在は中央州の州都でもあるツラギ島に渡る。この島も、太平洋戦争の折に一時日本軍が占領していた。

 
 朝8時すぎ、ガダルカナル島を後にした。

ガダルカナル島を出発




 1時間ほどで、島が見えてきた。

ツラギ島が見えてきた



 船着き場に到着。面積約2㎢、周囲約2.8km、最高標高100mの小さな島で、人口は2019年時点で1431人とある。

 
1時間ほどかかった



 乗ってきた船。日本製の新しい船でした。

乗ってきたボート



 島内は、歩いて回る予定でしたが、この暑さの中それはしんどいというので、トヨタのハイラックスを1台準備してくれていた。3人位は、クーラーの効いた席に座れるが、あとは荷台での移動。

  まずは歩いて近くにある、占領時代の刑務所跡に向かう。
1942年、5月3日に占領し、8月7日には、ガダルカナル島同様日本軍守備隊は玉砕してしまう。


 
旧日本軍の刑務所

 

  近くには、伝統的な建物が建っている。

昔ながらの建物




  島を、ぐるっと1周している道があるので、そこを歩いていく。汗が噴き出してきてつらい。

  ツラギ島の地図がありました。


ツラギ島の地図 (1)



  使われなくなった漁師小屋。

朽ちた小屋




  海は透明度が高くとてもきれいだ。
周囲には小さな島々が点在していて、沈没し放置された駆逐艦「菊月」や航空機が散在し、スキューバダイビングの絶好の場所になっているという。本当は、沈没した菊月を見たかったのだが、どこの村の物かがはっきりしないのでもめ事になるので近づかないでくれと言われてしまった。残念。

 
名もなき島々が点在する




 この洞窟は、ツラギ島での激しい戦闘中に敵に対する防御陣地として日本の第3呉特別海軍歩兵隊によって掘られたものだ。

日本軍が建設した防御陣地の洞窟



  この穴は、当初からあったようだが、何のためかわからない。

洞窟のそばの穴 (1)





 小さな漁港を過ぎ、

入江



  開かれた切通しを見て、


切通し (1)



  丘の上にある、かつて、植民地時代の政庁の建物のあった場所に向かう。建物は、修繕に入っていたが、中を見学することはできた。

  
植民地政府の政庁の建物



  ここからの眺め。


セントラル州の州都だった (2)



  そして、米軍が上陸したといわれる海岸に向かった。
海岸には、小学校や幼稚園などの建物があり、ちょうど休み時間だった子供達で賑わっていた。

 
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これは幼稚園


 米軍上陸の地。女子生徒たちが、話し込んでいます。

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 ここから、車で、船着き場に戻り、お弁当をいただいた後、ガダルカナル島へ戻ります。

 お弁当。美味しかったです。

お弁当


  ホニアラに戻ったら、今でも伝統的な暮らしを続けている人達の村を訪ねます。


 ソロモン諸島の大まかな島の位置はこんな感じです。 


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  ガダルカナル島では、第2次世界大戦において、1942年8月以降日本軍とアメリカなど連合軍がこの島をめぐって壮絶な戦いを繰り広げ、ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における戦況の攻守の転換点となった。
  日本側は、激しい消耗戦により、食べ物などの供給も滞り、戦死者だけでなく、多数の餓死者も発生させた上に、輸送船・民間人の乗務員・軍艦・飛行機・燃料・武器等たくさんのものを失った。


  亡くなった人々の鎮魂碑のうちまずは、アメリカのモニュメントを訪ねた。

  
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 アメリカとソロモン諸島の国旗。

アメリカとソロモン諸島の国旗



 日本軍は、米豪分断作戦を図り、前進航空基地を建設しようと考え、アメリカ上陸の直前の8月5日には、滑走路の一期工事完了していた。

  しかし、連合軍側は8月7日、10900名の海兵隊が上陸を開始、奇襲攻撃をおこなう。




  連合軍が上陸してきただろう海が望める。

あの海から米軍は上陸してきた




 丘から山の方をのぞむ。

記念碑の丘から見た



 続いて、日本が建設した平和慰霊公苑に移動。こちらも海を望む丘の上に建設されています。途中、多くの死傷者がでた部隊一木支隊の鎮魂碑を見学。

全滅した一木支隊の鎮魂碑



 平和慰霊公苑では、連合軍側の死者も慰霊されていた。

ソロモン平和慰霊公苑 (1)



 
碑文



  ここからの眺め。


公苑からの眺め



  ここから島の西側に移動してランチなのだが、ともかく時間がかかる。道が舗装されていないので、スピードが出せないのだ。

  1時間以上かかってようやく到着。おなかすいた。

  今日のランチ

今日のランチ




  コテージも有り、ビーチで泳げるようになっていました。

ムネボゲビーチ



 昼食後、近くにあるビル戦争博物館を見学。ここは個人博物館で、旧日本軍と連合軍の大砲や飛行機の残骸などが展示されていた。


  
戦争博物館




 戦闘機の翼。攻撃を受けた跡が生々しい。

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 元の状態が分からない。

打ち落とされた




  
第2次大戦で使われた武器 (3)




第2次大戦で使われた武器 (4)





第2次大戦で使われた武器 (6)





第2次大戦で使われた武器 (7)



 攻撃砲も。

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 最後に、貨物船鬼怒川丸が、補給物資の運搬中に沈没した現場に向かった。


貨物船鬼怒川丸補給物資の運搬中に沈没 (3)



貨物船鬼怒川丸補給物資の運搬中に沈没 (2)



 なぜこの船が、鬼怒川丸と判ったかというと、最初のころはまだこんな状態だった。


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 今日の予定はこれで終了。ホテルに戻ります。
 


 今年は雨期明けが遅れているらしく、未明にも雨が降っていたようだが、朝にはすっきり晴れていた。訪れた島々は、どこも雨期明けが遅れていて、天候異変はもう当たり前になってきているのかもしれない。

 その分、空気が洗われて緑が美しく見える。 


  お出かけもケーブルカーで・・・。呼ぶとトコトコと登ってくる。待っている間に、1階に着いてしまうほどゆっくりです。

  
ジャングルみたい



  ホテル外観


ホテル外観




  まず、中央市場に向かう。

セントラルマーケット


  果物から魚や衣料・雑貨まで幅広く売られています。


  主食の1つ。キャッサバ芋。

キャッサバ




  茄子

茄子



  葉物類はこのようにまとめられている。なるほどと感心。

器用に



  農業国なので野菜はたくさん売られている。

  落花生は、1塊が日本円で100円ほど。

ピーナッツ。日本円で100円くらい



  すぐ横が海です。


海に面している




  焼き魚を追っ払う道具日本のはたきに似ている。

ハエを追い払う道具



  焼き魚とタロイモのお弁当。バナナの葉っぱに包まれている。

バナナの皮に包んだ焼き魚とタロイモ



  すぐそばの海では漁がおこなわれていた。

魚が上がる




 鮪かしら?

鮪かな



  自給する人も


こちらは釣り



 港で出会った女性達。屈託なく笑い、日本から来たというとウェルカムといわれました。

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  薪も売られています。煮炊きに使うのかしら?

薪も売られていた



 市場に面した通りは、車や人の往来も多く、メインストリートといった感じ。舗装が壊れていたりするので、スピードは出せません。

市場の前の通り



 この後は、ガダルカナル島の戦いで犠牲になったアメリカ兵のモニュメントに向かいます。



 成田発21時20分発、カンタス航空のブリスベン経由 でソロモン諸島に向かう。飛行時間も10時間以下だし、時差も1時間とストレスがない。


 ブリスベンとソロモン諸島のガダルカナル島のホニアラまでは、3時間ちょっと。時差は、ソロモンの方が1時間進むので、日本との差は2時間となる。


 窓の外に、島影が見えてきた。

ソロモンに近づいてきた



 首都ホニアラのある島、そして第2次大戦における日本軍の激戦地でもあったガダルカナル島の上空に到達。

 
ガダルカナル島へ



 私の中で、今回の一番の目的は、日本軍の戦跡をめぐることだ。こんなに遠く日本から離れた島で、彼らはどのように戦い、敗れたのか知りたかった。

 点在する民家。想像より緑が深い。

民家が点在する




 大きな川だ。
川だ



 午後3時過ぎ、ホニアラ空港に到着。

ホニアラ空港



 空港で、ソロモン諸島ドルに両替する。
ソロモン諸島のお金に両替 (2)


ソロモン諸島のお金に両替 (1)



 迎えに来てくれた車に乗り込みホテルへと向かう。日はまだあるが、今日は、このままホテルにチェックインして、観光は明日からだという。

 街
ホテルへ



 ソロモンは、イギリス連邦王国の一員の国であり、6つの大きな島と、1000ほどの火山島・珊瑚島からなっている。首都は、ホニアラ。

 人口は、2022年の段階でおおよそ72万5000人程、そのうちメラネシア系の人が約94%を占めている。

 公用語は、英語。キリスト教徒が95%以上。

  

  1893年イギリスの植民地となり、1900年にはドイツ領ニューギニアの一部となる。1976年、自治権を獲得し、1978年に英連邦の加盟国として独立を果たした。


  そうこうしているうちに、ホテルに到着。このホテル斜面に沿って建てられているので。客室に行くには、階段を上るかこのケーブルカーで向かわなければならない。

  
ケーブルカーのあるホテルです



  この暑い中、登っていくのは嫌なので、ケーブルカーを待ちます。

  
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  今日の夕食は、ホテルのレストランでいただきます。

 冷房が無いので、汗をかかきかきの食事となりました。

  
ホテルのレストラン



  今回の旅は、ソロモン諸島を皮切りに、サモア・フィジー・トンガ・キリバス・ナウルの6か国を訪ねます。

  位置関係はこんな感じです。左にある黄色の色のオーストラリアが一番近いかな。


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  明日は、ガダルカナル島を1日かけて回る予定だ。




 今日、南太平洋の旅から帰ってきました。


そちらとは関係ないですが、成田空港でマンホールのデザイン蓋を見つけましたので、アップします。 


  
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