好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2026年03月


 今日は、バスでアマルフィ海岸をドライブして、アマルフィに向かいます。 

  9時頃ホテルを出発。途中、海岸沿いの白い町ポジターノが一望できる展望台にて写真ストップ。

  
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 山の上の方までへばりつくように家がある。

山肌にへばりつくように

  
 リゾート地。小説や映画の舞台になっているそうです。

ポジターノにて



白い建物


 売店に置かれていた巨大なレモン。うそのようですが、ザボンくらいのレモンも結構多いのだ。

巨大なレモン


  1時間半ほど進むと、有名観光地アマルフィに到着。地元のガイドさんとまずは市内を歩きます。
 アマルフィは、海洋共和国として地中海に君臨したアマルフィ共和国の中心だった場所。広場の階段の上に町を見下ろすように建っている大聖堂が、我々を迎えてくれる。

 
大聖堂外観


 かわいらしい噴水も有ります。
可愛い噴水 (1)


 建物の壁には、聖人アンドレががはめ込まれている。
街の壁にもアンドレア

どこも狭い

 海洋国だったことを示すような海を描いたタイル。

アマルフィーに到着


 緩やかな坂道の両側には、たくさんのお土産屋さんが並んでいます。


昼食前に散策

 梁で向かいの建物とつながっています
建物同士が梁でつながっている


 
お土産屋さん


 大聖堂の向かって右側にはトンネルが有り、秘密の道路のようです。住民の生活道路になっていた。
聖堂の右側は地下が通り抜けられる (1)


 昼食も街中のレストランでいただきました。

 えびとレモンのリゾット。かなり芯があるのがこちらふう。
蝦とレモンのリゾット


 えびとイカのフリット
イカと蝦のフリット


 お昼ご飯を頂いた後、再び大聖堂に向かった。聖堂内は、修理が行われていて公開はしていませんでしたが、隣接する天国の回廊と博物館、地下聖堂などは見学できました。

 

  


 イタリア半島から、小さく突き出しているソレント半島を西に進みます。 

 ソレントは海のすぐそばにあるけれど、海まで遠い。背後には山が迫っています。
海辺沿いだが、海から遠い


 カプリ島への観光船が出ているそうで、行ってみたかったです。

 びっしり建物が並んでいる。
ソレントを見下ろす


  3時頃には、ソレントに到着。大型バスではホテルに行けないので、荷物と人間別々にホテルに向かいます。

  車と人1人がすれ違えないほど狭い道も有り、なんだか怖い。こっちの人は慣れているんだろうけど・・・。

  ホテルは小さいが清潔な感じがし、なんといっても眺めが抜群でした!目の前に広がる海と対岸のヴェスビオ山が一望できるのだ。

 
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  荷物を置き早速街に繰り出す。じっとしてなんかいられない。

  この美しいベンチは、ソレントなど南イタリアで見られる精巧な絵付けタイルが特徴的なソレンティーネ・ベンチですって。装飾用の高級な屋外家具として人気があるという。この日は晴れていたので、屋外に設置されていましたが、夜や雨降りは置かれていませんでした。

椅子



 旧市街の散策はどこでも楽しいが、何となく似ている雰囲気がする。特産はレモンやオレンジで、いたるところに植えられている。

  
レモンがあふれてい居る (1)


  庭には、こんなモザイクタイルの飾りも・・・。素敵です。

タイルモザイク


  坂道の路地を登っていくと、城壁が有った。

城壁がある


  再び戻って、大聖堂まで行ってみましょう。
  地味な外観とは違い中はバロック様式の豪華な天井画などで飾られている。

  起源は、11世紀だというが、現在のものは新しい。

大聖堂外観


  
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バロック様式 (4)


 これでもかこれでもかという感じで迫ってくる。見ていると少し疲れてきたので移動。

 鐘楼
鐘楼

  歩行者専用道路を移動し、途中から小路に入ってみました。お土産屋さんや食べ物屋さんが軒を連ねている。
  
路地にはお土産屋さん (2)


路地にはお土産屋さん (1)


  特産のレモン製品が並んでいます。

路地にはお土産屋さん (3)


  街には、大聖堂の他にいくつもの教会が有り、夕方のミサの前でドアが開いていたので入ってみました。
  マリアが見えるドア
入り口





天井



いろいろな教会がある (3)


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町の教会

 案外意外だったことに、多肉植物が多いという事。こちらのホテルの庭には大きなサボテンが有りました。
多肉植物も多い




いろいろな教会がある (2)


 市民公園には展望台も有り下をのぞくと、船着き場が見えました。カプリ行きの船が出る場所だ。
展望台


 街にはもう1つ有名な場所がある。外観は修理中でしたがサン・フランチェスコ教会です。
14世紀建造のバロック様式の教会・修道院だ。隣接する回廊が美しい。
  
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  回廊へも行ってみます。

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  明日は、有名なアマルフィ海岸をドライブし、街の散策を楽しみます。天気がいいといいのだけれど。南イタリアは今のところ寒い。


  今回のツアーには、普通のツアーには含まれていない秘儀荘の見学が含まれていた。
現在いるところからは少々距離が有ります。

 モダンな意匠の壁

奇麗な壁

 
 湧き水のある分かれ道。左に向かうと秘儀荘に行けます。動物と人間の水を飲む場所はちゃんと分かれていました。
  
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 右側には、パン屋さんが有った。大きな窯と粉を作る道具が残っています。

パン屋さん、釜と粉ひき


  また分かれ道、左に進む。

秘儀荘へ向かいます


 家の床に残っていた美しいモザイク。
美しいモザイクの床


  貴族のお墓がいくつも並んでいました。家族単位で入ります。

貴族の墓 (1)


  ようやく秘儀荘の屋根が見えてきた。

秘儀荘のエントランスへ



  秘儀荘とは、秘密の別荘という意味で、90もの部屋が有ったそうだ。どんな秘密を抱えていたのでしょうか?

  
こんな感じ (1)


  美しい壁画が描かれてる部屋がいくつも有り、
美しい壁画が残っている


  
隣接する部屋の壁画


  黒も素敵です。

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 ここは、当時弾圧されていたディオニソス教の信仰のための建物で、大広間の壁面に描かれているのもディオニソス教の信仰を描いたものです。ディオニソスはギリシャ神話のバッカスでである。

  弾圧から逃れながら、この家の主人は、ひっそりと信仰を進めていたのだ。


  壁画には、29人の人物が描かれていて、信仰への入信の場面の連続画といわれているらしい。

  ポンペイレッドと呼ばれる赤で描かれていて、画面の左側から始まる。描かれた当時は、黄色だったものが、火山の噴火と火山ガスによって赤色に変色したものだと考えられている。

  
こんな感じ (2)




こんな感じ (4)



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 このフレスコ画は、紀元前70~60年頃、地元の画家によって描かれたとされているが、実際わかってないそうです。


 素晴らしいフレスコ画を堪能した後は、少し歩いてレストランに向かいランチをいただいた・


 海鮮のサラダとボンゴレスパ、デザートですが、甘いものが苦手なので、私はパス。

 イカと蛸の海鮮サラダはとてもおいしかった。日本はいま、いか・蛸がとても高いのでおいしくいただきました。

海鮮のサラダ


 
ボンゴレ


 バスは、この後、ソレント半島に入りソレントを目指す。

 ヴェスビオ山が遠くなっていく。
ナポリ湾の向こうにヴェスビオ山

 


 元々行きたかった旅が、人数が集まらず流れてしまったので、急遽どこかないかなあと調べたところ、イタリアの南って行ったことがないなと思い、シチリア島も興味あるので参加する事にしました。 

  選んだ旅行会社は、お高いツアーをたくさん出している会社だったので、もしかしたらエコノミーは私だけかなあと思っていたのだが、もう1人いらしてなんだか嬉しかった。

  ビジネス15人、エコノミー2人、総勢17人とちょっと人数も多く、しかもご夫婦が6組と私にとって未経験のツアーでしたが、結果とても楽しい旅になりました。

  イスタンブール乗り換え、ナポリへ。バスに乗り換えポンペイに向かった。ポンペイは、21年ぶりくらいでしょうか。ここより南は初めての領域となる。

  ところがあいにくの雨。遺跡は雨が降ると石が滑るので少々怖い。

  傘を差しながら歩きます。

  
石畳の道路


  自分の中で、覚えているのは、轍のついた石畳と浴場、道路を横切る横断歩道の石だけという記憶力の無さ。

 横断歩道用の石。

横断歩道


  轍のついた石畳。記憶の中ではもっと深かった気がするが・・・。

えぐれているのは轍


 石畳みの中ところどころ白いかけらが見えているがこれは大理石。夜い道を歩く時の目印だそうです。白い貝殻を目印にしているの知っているが、大理石とは豪華なこと。


白いのは大理石、夜明りに光る


  ポンペイは、紀元前9世紀からオスク人やギリシア人、エトルリア人によって栄えた都市だ。古代ローマ時代になると、劇場や水道も完備され、当時としては設備の整った街で、貴族たちは商業活動を繰り広げていたとされる。

  しかし西暦62年2月5日大地震がこの街を襲う。寺院や行政の中心だった建物が崩壊し、富裕層たちはここを見捨て、街の経済力は著しく低下してしまう。ネロ帝やヴェスパシアヌス帝は、援助を行っていたのだが、まだ復興しきっていない西暦70年8月24日から翌日にかけて、起こったのがヴェスビオ火山の噴火だった。

  この噴火は、雨のように灰が降り、5時間で1mも積もったという。翌日には火山灰は2mに達し、7時から8時にかけて再び噴火が起こり、生き残っていた人々も逃れることができず全滅してしまったとされる。

  当時のポンペイの人口は、6千人から2万人程であったといわれているが、灰の下から見つかった遺体は、約1150体。

  見つかった遺体の骨格に石膏を流し込んだ遺体が展示されています。

  
埋もれていた人達の骨をかたどって石膏を流してかたどった (2)



  当時のローマ皇帝も救助の使者を送ったもののなすすべがなかったという。

  この大噴火でヴェスビオ山の形が変わったという。

  18世紀の半ばに、好古学者とエンジニア達によって発掘が始まるまで、1700年間、ポンペイの街は火山灰に埋もれたままだった。

  ポンペイは広く遺跡もたくさんあり、我々は、ほんの一部を見ていくことになる。

 バジリカ

バジリカ


 背後に、ヴェスビオ山が見えています。

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 広場、
広場


 白い大理石の柱。
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70年の噴火によっ埋没したポンペイ


 入り口がアーチになっている建物。
アーチの構え


 
 中には壁画が残っている。
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 馬車止めでしょうか?
馬車止め


 整然と並んでいる建物跡。
並んでいる家々


 猛犬注意のモザイク
猛犬注意のモザイク (2)


 バーや商店もあった。
お店


 浴場にも入ってみます。天井には穴が開いていて、雨が降ると下の水槽に水がたまる仕組み。
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 ベンチのある部屋。
ベンチ


 天井のレリーフ
レリーフ


 
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 マッチョな男性な像。

マッチョな男性たち


 まだまだ続きます。



  


 今日の夜、ターキッシュエアーでイスタンブール経由ナポリ 着というルート。


 イラン攻撃が始まり、中東やイスラム圏が何となく不安になっていますが・・・・。


 そしてこれからはますます海外旅行が行きづらくなると思う。価格の高騰もそうだが、紛争や戦争が拡大していく気がする。


 普通に旅行ができる世の中がいいな。


  


 今回も、カードをいただきうれしいです。 

  丸山ダム

丸山ダムカード


  新丸山ダム

新丸山ダムカード


  ダムカレーカード、始めていただきました。こんなのがあるとは知らなかった。

ダムカレーカード (2)



ダムカレーカード (1)


  おまけのダムシール

ダムシール


 クイズ大会で、成績が良かったのでいただきました。バスカード。国鉄時代の袋に入っていてびっくり。バスカードがあるとは知らなかった、見比べてもどこが違うかわかりません。

景品のバスカード


  猫に小判とはこのことですかね。


 八百津へ、今ある丸山ダムと建設が始まったばかりの新丸山ダム、それらの材料がどのようにして作られるのかを教えてくれる川辺町にある生コン会社さんを訪ねるツアーに参加してきました。 

  8時半過ぎ、JR名古屋駅を出発して、岐阜県川辺町に向かう。渋滞が有ったので、中央道周りで向かったのだが、2時間ほどで到着。

  ざっと会社の話を聞き、セメントを使ったマグネットづくりに参加。これがなかなか難しく、四苦八苦してしまいました。

  そして、敷地内を見学させていただきました。

  まずは、骨材のストックヤードから。ここには、大きさの違う砂利や、色の違う砂が常備されていて、地下に落とされたそれらは、あのおなじみのベルトコンベアを使ってサイロの中に運ばれてゆきます。
  
骨材ストックヤード (1)

  砂は、むかしは100%川砂でしたが、近年は、砕石砂利も使われているとのこと。砕石砂は、人工的に岩を砕いて作るので、つぶがとんがっていて、安いからとそればっかりを使うと、スカスカなコンクリートになってしまうそうです。川砂利は丸くて良いのですが高価なので、それらの配合も考えなければならないという。

  コンクリートは、ミキサー車に乗せられてから90分以内に、現場で打たなければならないとのこと。近いところでコンクリートを調達しなければならず、大量に使う場合は、現場にコンクリート工場を作ってしまうことも有ります。今回のダムも、そうした現場で、現地にプラントができていました。

  ミキサー車は、ほおっておくとコンクリートが固まってしまうので、都度、洗わなければならず、こうしたことに使う水も膨大なものだそうで、水槽みたいな場所に、使った水がためられていた。コンクリートは、アルカリなのでそれが抜けるまでここに置いておくとのこと。

  
水もリサイクル


  最後は、前からあの中はどうなっているのかと気になっていたコンクリートサイロの中に入ります。エレベーターなどは無いので階段を使います。7階建てくらいあるのかしら。

  コンクリートサイロ。

セメントサイロ


  一番てっぺんからの眺め。

41号線と高山本線


  
サイロのてっぺんで (2)


  大きさの違うサイロが有り、それらにセメントなどが入れてあります。

サイロのてっぺんで (3)


  骨材がわけて入っています。

骨材の砂


  一階下で、これらとセメント、水が混ぜられます。
セメント水骨材を混ぜる


 そして、ここから、ミキサー車に提供される。量は、調整できるそうです。
ここからコンクリートが出てきます



 こんな具合に、ミキサー車とドッキング。
ミキサー車がドッキング


 先ほど作った、クマのマグネットはまだ少し柔らかかったのでお持ち帰り。セメントの量が多かったようです。


 八百津町に入って、まずはお昼をいただきます。ダムといえばお約束のダムカレー。
ダムカレー


 町で見かけたタクシー。杉原千畝氏の顔が描かれていました。
八百津のタクシー


 午後一で、工事事務所により、ダムの説明を受けた。古いダムは、ダム湖に沈むそうです。

 ダムのある場所は、木曽川。
ダムの場所


 古いダムの横に新しいダムを建設し、水の流れを変え、古いダムは壊さず、その前に新しいダムを造るとのこと。
 新しい工法なんだそうです。
説明板


 左岸側に洪水を迂回させる、トンネルを作り、本体は放流に影響のない左岸側から工事を始める。現在はこの段階でしょうか。
削った部分だけの土が近くに山になっていました


 左岸側が完成したら、放流も左岸側から行い、ダムの中央部と右岸川の工事を始めます。

 現在の右岸はこんな感じ。一番下のテラス迄削っていくそうです。
テラス部分まで削ります


 すべてが完成したら、ダムに水をため完成です。現在のダムは、ダム湖の中に沈んでしまう。

 定礎式に使われたものが展示してありました。
始まり


 
朱印


 この後は、ダムまで向かいました。ふつうの日でしたので、工事は進め圧れています。

 事務所の屋上に登って、全体図をつかみます。

 コンクリートサイロもばっちりできています。骨材はかなり遠くから運んで来ていました。

セメントサイロを作った


 今回初との説明が有ったクレーン。
ここがすごい


 そのクレーンがこれ。現在は人が動かしていますが、ゆくゆくは自動になるとのこと。
はじめての移動式クレーン


 このあとは、いよいよダムに向かいます。

 木曽川は、渇水が心配されている地域とは違って、たくさんの水を貯えています。

 
水量が少ないが稼働している

 遠くに見える赤い橋は変わった工法でできていて、世界でも希少だそうですが、沈んでしまいます。

 旅底橋。
旅底橋 (1)


 最初は堰堤の部分を歩き、後半は、キャットウオークを歩きました。

見上げると


 水門。造船所が作ったんだ。約70年前です。
日立造船製作

 
 放水路をのぞく
キャットウオークから


 管理事務所の皆さんの説明はわかりやすく楽しかった。

 


 新丸山ダムの工事見学の際に探してみました。


 汚水ふた、町の花ささゆりがデザインされています。 

  
八百津汚水町の花ささゆり



  消火栓は、いたって普通です。
八百津消火栓



 規格品の汚水ふた。八百津町の町章いり

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