これが三反帆です。

川船に使用する木材は、スギ・ヒノキ・ケヤキ・カシの4種類で、すべてを熊野川流域の森林から調達している。
船体・床板などは、軽くて腐りにくく粘りがあるなどの理由で、スギが多く、船縁や船内の一部には、ヒノキとケヤキ、船底の補強にはカシといった具合に使い分けられているという。
熊野川中下流域の新宮・本宮間は9里8丁と呼ばれ、平安・鎌倉期には、参詣道として川船が大いに利用された。
その後も。土地の人々の渡しや生活用品の運搬に使用されたが、次第に陸上輸送へと移り変わり、昭和30年代には、その役割を終えた。
写真の三反帆の川船は、全長8.6m、幅約1.6mで、5mの帆を3枚帆柱にあげ風をとらえて走る。
では出発です。いったん河口まで走って行き、戻って神様が神幸船に乗られる場所に船を止め、速玉大社に向かいます。
速玉大社で、神事などを見学した後は、再び川岸に戻って来て、早船競漕の準備の様子や神様の神輿への乗り継ぎなどを見た後、再び三反帆に乗って、早船と並走しながら上流へ向かうという予定になっている。
最初は帆無し。

畳石。

風が出てきたので、帆を上げてみました。

行く手にJRや国道の橋が見えている。

亀島。亀には見えない気がする。

御船祭りの諸戸船と神幸船がとまっています。

その下流には、早船競漕の船が陸に上がっているのがみえた。

これは新宮城の川港跡。洪水に備え、6mもの石垣が築かれている。また隣接して、見つかった建物は、備長炭を専売していた領主水野公の炭納小屋跡とかんがえられている。

橋をくぐります。城山の下を列車のトンネルが貫いているのはここだけだ。列車は、トンネルを抜け橋を渡ると三重県に入る。

あ!列車だ。


河口まで行って、Uターン。

先ほど、諸戸船の停泊していたところで下船。速玉大社へと向かいます。
ここへお参りするのは、昨年の3月以来だ。
神馬がいたので、一緒に写真などを撮らせてもらう。

神馬の上に乗っているのは、「一ツ物人形」と呼ばれ、熊野権現の神霊の憑座とされていて、神馬渡御式では、この人形が行列の先頭を進む。

速玉大社本殿。

神様を運ぶ神輿。


先ほど、諸戸船の停泊していたところで下船。速玉大社へと向かいます。
ここへお参りするのは、昨年の3月以来だ。
神馬がいたので、一緒に写真などを撮らせてもらう。

神馬の上に乗っているのは、「一ツ物人形」と呼ばれ、熊野権現の神霊の憑座とされていて、神馬渡御式では、この人形が行列の先頭を進む。

速玉大社本殿。

神様を運ぶ神輿。

神様を、神輿に移す行事が行われた。
そして、巫女による舞の奉納が行われ、
神様をのせた神輿は、町中に向かいます。

鳥居をくぐったところで、先ほどの神馬と遭遇。人形はかなりそっくり返ってしまっていました。

さて、我々は、河原に向かい、早船競漕の漕ぎ手達の様子を見せてもらう。
氏子地区9地区による競争で、神様の船より先に出発します。すでに乗る船や位置も決まっている。スタート位置で、ほぼ順位が決まってしまうとか・・・。
あ、漕ぎ手の人達が集まってきました。

これから、準備をしてゆきます。
そして、巫女による舞の奉納が行われ、

神様をのせた神輿は、町中に向かいます。

鳥居をくぐったところで、先ほどの神馬と遭遇。人形はかなりそっくり返ってしまっていました。

さて、我々は、河原に向かい、早船競漕の漕ぎ手達の様子を見せてもらう。
氏子地区9地区による競争で、神様の船より先に出発します。すでに乗る船や位置も決まっている。スタート位置で、ほぼ順位が決まってしまうとか・・・。
あ、漕ぎ手の人達が集まってきました。

これから、準備をしてゆきます。
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