ツアーで、「青森県の4つの美術館を訪ねて」というのに参加してきました。
本来なら、青森県立美術館を含む5館を訪ねる予定だったらしいのだが、出発日は、開館しておらず、急遽4つの美術館とねぶたの家「ワ・ラッセ」を訪ねる旅になった。
ねぶたは、祭りも見たことがあるし、昔「ねぶたの館」とやらの展示場も見たことがあるのであまり興味はなかったが仕方がない。
東京発は、5つの美術館で出発催行されていたのだが、キャンセル待ちとなっていたのであきらめる。
車がないと、複数の美術館を効率よく回るのは難しいのだ。
18人で出発。機内からの眺め。
梅雨の最中にしては、見通しが効いた。
多分、御嶽山。

多分、乗鞍岳。

多分、焼岳

青森市上空、陸奥湾が見えている。

青森空港の天井。3年ぶりくらいなのだが、こんなのあったっけ?

迎えのバスに乗って、青森市内に向かう。青森県の駅の付近の海辺は、整備がされて美しくなっていました。
ベイブリッジ。

ワ・ラッセの建物。アートしています。

外側の通路。

ベイブリッジ。

ワ・ラッセの建物。アートしています。

外側の通路。

隣接する、西の広場。

入ります。2階に向かう。
ねぶたのタイムトンネルには、金魚ねぶたが展示されていた。

賞をとった大型ねぶたが展示されている。ここでは、時間が来れば、お祭り体験ができる。囃子や太鼓の生演奏に合わせてはねとになれるよ。
名人のねぶたの展示。

大型ねぶた


触ることができるねぶたもあり、感触を楽しんだり、仕組みが分かるようになっていました。昔は、骨組みが竹でできていたので、カーブが難しかったのですが、現在は金属なので自由に曲げることができる。

手。

ねぶた面、現在活躍しているねぶた製作者の作品。師匠から受け継いだ技術、作風の違いがあるらしいが・・・。

集合時間まで間があったので、近くに展示されている、青函連絡船「八甲田丸」を見に行くことにした。
人口の砂浜ができていた。

青函連絡船は、1908年の運用以来、1988年、青函トンネルができるまでの80年間活躍した。船への鉄道車両搭載のため移動させる可動橋が作られ、現在も残っていました。
八甲田丸


入ります。2階に向かう。
ねぶたのタイムトンネルには、金魚ねぶたが展示されていた。

賞をとった大型ねぶたが展示されている。ここでは、時間が来れば、お祭り体験ができる。囃子や太鼓の生演奏に合わせてはねとになれるよ。
名人のねぶたの展示。

大型ねぶた


触ることができるねぶたもあり、感触を楽しんだり、仕組みが分かるようになっていました。昔は、骨組みが竹でできていたので、カーブが難しかったのですが、現在は金属なので自由に曲げることができる。

手。

ねぶた面、現在活躍しているねぶた製作者の作品。師匠から受け継いだ技術、作風の違いがあるらしいが・・・。

集合時間まで間があったので、近くに展示されている、青函連絡船「八甲田丸」を見に行くことにした。
人口の砂浜ができていた。

青函連絡船は、1908年の運用以来、1988年、青函トンネルができるまでの80年間活躍した。船への鉄道車両搭載のため移動させる可動橋が作られ、現在も残っていました。
八甲田丸

可動橋。

連絡船は、第2次大戦のとき、空襲をうけたという。知りませんでした。

戦時中に、連絡船は北海道で産出された石炭を本州に運ぶために利用されていたからだ。石炭は、兵器を製造するための戦略物資だったのだ。
昭和20年の7月14日から15日にかけて攻撃を受けてしまった。終戦の、一か月前の事でした。
八甲田丸の全容。前面で見るより大きく感じる。長いのだ。

全長132m、全幅17.9m、貨物車両が48両搭載できました。
一度乗ってみたかった。
この後は、弘前のれんが倉庫美術館にむかう。

連絡船は、第2次大戦のとき、空襲をうけたという。知りませんでした。

戦時中に、連絡船は北海道で産出された石炭を本州に運ぶために利用されていたからだ。石炭は、兵器を製造するための戦略物資だったのだ。
昭和20年の7月14日から15日にかけて攻撃を受けてしまった。終戦の、一か月前の事でした。
八甲田丸の全容。前面で見るより大きく感じる。長いのだ。

全長132m、全幅17.9m、貨物車両が48両搭載できました。
一度乗ってみたかった。
この後は、弘前のれんが倉庫美術館にむかう。
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