好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 東南アジアの国々



 夜中から降り始めた雨は、未明になってようやく小降りになり、出発の8時半ころには止んだ。 

  今日は、ホテルから歩き始めた。

  街の中を進む。雨上がりなので何となくすっきりした感じがする。


普安の街の中を歩く



 郊外に出ると、土壁の家も残っていました。

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  ここにも毛主席の石碑が残っていた。先日見たものより地味かな・・・。


ここにも毛主席の碑が




  コノテガシワの並木が現れた。南に向かって数が増えていく。この木が1番の札をつけていました。
  
コノテガシワの並木、普安から南へ向かう1番目




  農村風景の中を歩いてゆきます。広い菜の花畑。

ここも菜の花がきれいです




  これだけ数があると、かなり花の香りがします。なんだかおひたしを食べている気分だ。

 清涼橋とある。結構古いです。

清涼橋 (1)

  

清涼橋 (2)



  並木が続きます。葉の生い茂ったところは、太陽の光が届いていないので地面が乾いておらず、油断すると滑ってしまう。これは確かに日よけになるなあと実感。

  
涼山郷へ




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 不思議な形の柏には、「腸のような木」と名前がついていた。なるほど!

腸の様な木とある

 

 中心に小さな幹を抱いたカシワは、妊娠という意味らしい。

真ん中に違った色の幹が





 整然と並べられた石は、転落防止だという。それくらいこの道は往来も多く大事だったという事か。

説明




転落防止の石が並べてある



  今日のお昼は、少し遅くなりましたが、村の小さな食堂でいただきました。ご夫婦、娘さん、近所の女性まで総勢でもてなしてくれました。

  
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  食堂の向かいのホテルからの眺め。


奇麗 (1)




奇麗 (2)


  ここからはバスで、新しく建設された鉄道駅のある剣門関の街に向かい、高速鉄道に乗り換えて成都に戻ります。

 1時間半ほどで、成都に戻ってきました。ホテルに寄らずに、そのまま旧市街にある四川料理の有名なレストランに向かった。


 バスの中から見ていて気になったナンバープレート。この緑のものは電気自動車なのだという。半数近くが電気自動車になっている気がした。

 
電気自動車はこのプレート



 成都は冷えるので、バイクはこのような布団みたいなものをかぶせて走っています。
バイク乗るときの防寒グッズ (1)



バイク乗るときの防寒グッズ (2)




 旧市街。この一角にレストランがある。

成都の歴史地区の近く



 最後なので、奮発して紹興酒を頼みました。

 
紹興酒



 今日のホテルは、成都の帝国ホテルともいわれる立派なホテル。湯舟に使って酷使した足を労わった。


 明日の9時半過ぎの飛行機で帰国します。


 歩くのってやはり楽しい。
  


 自動車道から少し進むと、石畳の道に・・・。


 菜の花もきれいに咲いている。これらは、菜種油をとるためのもので、日本のそれより少し背が高い。それそれの家で使用する分が栽培されているそうで、出荷などはしないという。


 コノテガシワの大木と一緒に。

菜の花を見ながら (1)
 


  
菜の花を見ながら (2)




  
大木




  松の木のように見えるコノテガシワが描かれた案内板。

標識




  枝ぶりがちょっと変わっている木。


変わった枝の木 (1)



  でかいサイコロのような石。

でかいサイコロのような形




  今はまだ残っているが、そのうちに無くなってしまうと思われる石碑。毛沢東の語録だろうか?

毛語録か




  なんとも奇怪な形の柏。幹なのか根っこなのか

幹か根っこか





 こちらは巨大なこぶを抱えてる。樹齢は2000年とあった。


こぶのある2000年の木



  ここからは巨木が続く。石で盆栽のようになっているのは、根っこの保護の為だそうです。


巨木が続きます




  これも2000年を超えています。


2000年のコノテガシワ




  まだかろうじて古い家が残ってた。

古い民家




  わんこが守っているのかな。

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  普安の街が見えてきた。久しぶりにビルを見た気がする。
普安の町が見えてきた




 そして、北から南に向かうルートのコノテガシワの案内板が1番のコノテガシワ発見。

ナンバー1のコノテガシワ



 下4桁の番号が0001となっている。樹齢は1000年です。
 
北へ向かう1番プレート



 普安を起点に北・南・西に道が伸びており、それぞれ1番のナンバーを付けたコノテガシワがあるという。

  明日は、南に向かうので、違う1番をつけたカシワを探さねば・・・。



 途中からは、迎えに来てくれたバスで、ホテルに向かった。

  夕食の後、少し夜の街を散策。


  たくさんの果物が売られており、今旬なのがデコポンです。日本円で200円くらいなので、かなり安い。食べるとみずみずしくてとてもおいしかった。

  
デコポンが旬でした



  城壁も少し残っています。


城門



  明日は、最後の歩きの後、出発地点である成都に戻ります。



 今日の午前中は、2000年以上も前に植えられたコノテガシワの木が残っている翆雲廊を歩く。 

  コノテガシワのレリーフ。

コノテガシワのレリーフ




  ここは習近平氏も訪れたとかで、トイレなどの設備がきれいになったそうです。

  まずは、少し高いところから並木の遠望。奥の方に連なっている緑がコノテガシワだ。


新芽



  ここは成都から西安迄を結ぶ幹線上に位置し古来から人々の往来が有った。又、三国時代には昨日訪れた剣門関から中原へのルートに当たり、暑さ寒さから兵士たちを守るために大規模な植樹が行われた。古道に植えられた「張飛柏」・「皇柏」と称されるもので、樹齢2000年を超えるものは始皇帝によって、1800年を超えるものは張飛によって植えられたと伝わっている。

  並木の入り口には、張飛の像があった。


張飛の像




  
説明




  石に張飛柏と書かれている。


張飛柏とある




  道は整備されており、気持ちよく歩ける。

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 夫婦柏

夫婦柏





巨木が次々



  習近平氏の写真があった柏の大木。


習近平も来た (1)



 ちょっと種類が違うようです。


特別な柏




  説明板には。
習近平も来た (2)





 なんと2300年前のもの。年輪を見ないでどうやって測定するのだろう。

2300年




 この後は、バスで漢陽むかい、あまり人が訪れない石畳の道を普安まで6時間以上歩きます。


 ホテルのある剣門関古鎮を出発前にちょっとだけ散策。 
中心辺り

剣門関の町





 宿泊しているホテル

宿泊したホテル



  木製の3階建ての家々が軒を連ねていて、1階が店舗、上階が住まいになっているようです。

住居兼お店 (2)



古い建物が並ぶ



  門がありました。


検問関の町の門



  これは歩道橋。

歩道橋



  ここの名物は豆腐料理で、朝早くから売られていた。昔の日本の豆腐みたいにでかい。

名物の豆腐 (2)



 厚揚げも有ります。おいしい!

名物の豆腐 (1)





 バスで15分ほどで、入場券売り場に到着。パスポートチェックもある。
  
剣門関に入ります



  ロープウェイも有りますが、我々は歩くとのこと。かなりきつそうに見えますが・・・。


  壁の様にそそり立つ岩山。

壁の様な岩山



  このような壁に囲まれていて、剣門関以外の道が無いので、「剣門関を得れば四川を得る」といわれるほどの要害でした。

  2000年以上の歴史の中で100回以上も戦いの場となり、魏軍との戦いで蜀が滅亡するまで蜀の名姜維が死守した関としても知られている。

  
剣門関付近の全体図




  古い道

旧道



  大きな岩がごろごろしている。大雨が降るとこれらは動いたのだろう。

石も転がる



  黙々と歩いていたのだが、ここで思わぬことが起きた。予定していた道が、崩れて通れなくなっていたのだ。開通するまで3時間ほどかかるという。待っていては予定を消化できないので、急遽ロープウェイを利用することになり、一同大喜び。誰でも楽したいもの。しかもロープウェイを使わない場合、同じ道を往復する予定だったというのだからなおさらだ。


  というわけで、乗り場まで歩いてゆきそこからはあっという間に展望台に到着。
中国人にとってはおなじみのガラスの展望台からの眺め。

  
遠くは霞んで見える


 サクラと菜の花がきれいです。足元が透けて見えるのは、曇っているせいか全然気にならない。

山桜




集落と菜の花




 横を向くと絶壁でした。


展望台から横を見ると




  ここからはほとんど下り。
途中、剣門関の建物が下の方にみえた。あそこ迄下っていかなければならない。

  
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  大穴洞、この上を歩いてきた。

大穴洞



  そして、一気に桟道を下ってゆきます。
底迄下って登っていかなければならない



  反対側に渡らないとならない。下りきったところに橋があった。

ここで橋を渡る



  そして今度は登り。自分たちの通ってきた桟道を確かめました。

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 うーんよく降りてきたなあ。

  そしてしばらく下ったり登ったりすると、剣門関の建物が見えてきた。
  
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2000年以上の歴史がある要害の地


 ずっと遠くから見ていた建物。代々この地を治めた国々は、楼を建設したが戦いで焼失したりし現在の建物は、四川大地震の後の2009年に再建されたものだ。


2009年の再建


 入ってみましたが、特別な感じはなかった。


 反対側から見たところ。


反対側から見た剣門関の建物 (1)



  ここからホテルまでは、ゆっくりあるいて1時間もかからなかった。


 ダムができたので、川の流れが無くなり枯れ川のようになってしまった が、橋は健在です。

  石がくさびで留められている。

  
鉄門子橋



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  この辺り石橋が続きます。


  望夫橋。ワンフ橋と読みます。

ワンフ橋から出発


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 ソンネイ橋


ソンネイ橋の碑





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ソンネイ橋




 コノテガシワと同じように、松にも標識が取りつけられていました。樹齢320年とある。

コノテガシワの説明板



 
  元々はここに住んでいたが、町に出て住人のいなくなった家が点在する。
住人のいなくなった家



 お墓も、

お墓です




 緩やかな石畳が続きます。

緩やかに登る



 この家も廃屋のようです。
廃屋がたくさん



 お堂ですかね。荒れ果てていて誰もお参りに来なくなってしまったのかも・・・。
お堂



 木に点滴のようにして栄養を与えている。
木に与える点滴



 この辺りには、かつて50戸ほどの家が建ち並んでいたという。

残っている民家 (1)



 この大きな建物は、清時代の宿泊所だったようだ。
清時代の宿泊所 (1)



   新しい家に移り住んだ家族でしょうか?手を振ってくれました。
手を振ってくれました




 石を積んで作られていることが分かる。
ちゃんと作られた道



 
 そして今日のゴール剣渓橋に到着です。結構歩きました。この橋は、500年以上経っているという。

今日のゴール剣渓橋



 ここから今日のホテルのある検門関の町まではバスで向かいます。

 近くに大きな石碑が立っていました。
剣門関




 ホテルまでは、バスで15分ほどでした。なぜか傘のアーケードが・・・。中国の人って、何かを飾らないと落ち着かないのだろうか?日本人はどちらかというとマイナスの文化だが、こちらの文化はプラスなのかも。

剣門関のホテルへ




 夕食は、名物の豆腐料理を町の小さなレストランでいただきました。四川といえば山椒の辛さで有名ですが、加減をしてくれたのかおいしくいただけました。
  



 朝8時半ころ。結構、人出がある。

朝の昭化古城の通り (2)



朝の昭化古城の通り (1)




 まずは、古城の中にある孔子廟と科挙の試験が行われた場所を見学。 

 これも旧正月の飾りの残り。福を呼ぶものだろう。

  
旧正月の飾り



 この建物は、官僚になるための試験「科挙」が行われた場所だという。
制度は、587年に始まり、1905年に廃止された。
 とても難しく、1カ所でも書き間違えたりしたらアウトなんですって。
  
  
科挙の試験場



  中には、机や、ベットのようなものが置かれていた。

机が



  隣には、おなじみの孔子廟がありました。日本の中華街にも必ずある。

孔子廟


  中国では学校のそばには必ず廟があるそうです。


  朝の城内は、夜のそれとは違って落ち着いた感じがする。城内と言っても、城があるわけではない。

 
城壁





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 夜の様子とは違う城門。


朝みると



  登ってみました。

  城内の通り。

門内の通り



  城外の通り。


門外の通り



  城壁の上。

壁の上



  このように残っているのはここだけです。

  
 歩いているとどこからともなく楽器の音が聞こえてきた。

結婚式の鳴り物




 15、6人の人が集まっているので、訪ねてみるとこの家で結婚式が行われるのだという。花嫁は見たいが、ここで待っているわけにもいかない。残念。

 
結婚式の家



  ホテルへ戻り、改めてバスで出発。昨日ちらっと姿を見た雲台山に向かいます。標高は1235mだというが途中までバスで向かいます。

  途中、ちょっと高い場所で、景色を楽しみました。曇っていて見通しが悪いのが残念。

  菜の花とコノテガシワ。

菜の花とコノテガシワ




 蛇行する川。

蛇行する嘉陵江




  ようやく晴れてきた。雲台山を見上げる。

雲台山



  登ります。途中にいくつかのお堂のようなものがある。


登ります




  頂上に到着。道教の寺がありました。

道教の寺





  中は撮影禁止。線香と黄色い紙をいただいた。
  線香は6本、左右3本づつお供えします。


お線香をささげ





 黄色の紙は、お金を現し、何故か燃やします。
ここで燃やす。
ここでお金に見立てた紙を燃やす



燃えている



  頂上からの眺めはこんな感じ。
頂上からの眺め



 下ってきたところで、お昼ごはん。食堂も無いのでお弁当ですが・・・・。こちらではお弁当という習慣がないのか、こんなものを手渡されました。遠足のおやつじゃん!
今日のお弁当


 カップ麺はおいしかったかな。お湯はあるんだよね。


 バスでふもとまで降りてきて、剣渓橋まで歩きます。

 
 


 相変わらず気温は低く、部屋の温度を30度にしてもぜんぜん温まらなかった。 


  おかゆの朝食を食べ、野菜市を見ながら駐車場まで向かった。

  
昭化古城の朝の野菜市 (2)



  ちょっと変わった野菜も

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  バスで、古道の入り口まで向かう。

  ここから登ります。

  小雨が降り始めた。大降りにならなければいいのだが・・・。天気が悪いとせっかくの菜の花や桜がきれいに見えないものね。

 
ここから登ります



 1時間半ほどで、峠の天雄関に到着。

天雄関


 
 門と道教のお寺がありました。

門



天雄関 (2)



  
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 トイレを済ませ、尾根づたいにすすみます。
ルートマップがありました。左に下って行き大樹驛と書かれたところがゴールです。

ルートマップ




 道に沿って、結構長い距離石積が残っていた。いつの時代の物かわからないそうだ。


道路脇の石積み



 こんな感じの中を歩く。

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  突然の山桜。色があるってうれしい。

山桜



  下りきったところに菜の花が咲いていた。

菜の花の季節 (2)



 今日のお昼は牛頭という村の小さなレストランでいただきました。寒いので鍋がうれしい。
すこし休憩し、バスで移動。古道の入り口で再び歩き始める。

 大きなコノテガシワの木が現れた。この先この木が並木になっている場所を歩くのが楽しみだ。この木は、暑さ寒さから兵士を守るために街道沿いに植えられたもので、古いものは2000年以上前のものも残っているそうだ。

 
コノテガシワ



 再び登ります。
古道



 諸葛菜の花。花大根ともいうそうだ。
諸葛菜



 枇杷の畑が続く。この辺りは、柿も名物ですって。

琵琶

 


  磨崖石刻。文化財に指定されている。

磨崖石刻


  ゆるやかな石畳が続く。
並木




 街道の途中にあった建物。ここからは下りになっている。

山の中に



 そして目的地の大朝驛に到着。

大朝驛に到着



 ここの集落を通っている道を少し歩く。

 
集落



 家の入り口には

蜀道路とある



 野菜は、葉っぱも茎も根っこも全部干してある。保存食にするのだろうか?

大根




  古道は、この先も続くが我々は駐車場まで戻り、バスで昭化古城のホテルまで戻ります。

旧正月の飾り




道の続きです





 昨日泊まったホテルは、成都の駅の隣。


 今回の旅は、めまぐるしく近代化が進む中国において、今なお残る2千年来の古道の一部を歩きます。
紀元前300年頃から、1950年代に自動車道が開通するまでつかわれていた古道で、古い石畳や桟道、三国志の舞台など、四川省に残る古道140㎞の内、ハイライトとも言える約85㎞を歩く予定だ。

 
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 とはいってもずっと歩きっぱなしではなくて、大事なところは歩くが、そうではないところはバスで移動だし、大きな荷物は、車に積んでおけるので、小さなザックを背負うだけ。


 今日は、高速鉄道で広元まで向かい、そこからバスで朝天に移動。昼食をいただいた後、嘉陵江の断崖に残っている蜀の時代の桟道を歩き、その後、古い時代の街並みが残っている、昭化古城へバスで向かい、城内のホテルで宿泊するという。


 成都駅。乗車するにはパスポートチェックと荷物検査を受けなければなりません。

 
成都鉄道駅




  コンコース。こんなに近代的に見えるが、トイレは紙無しで、和式便座です。

コンコース



  日本の新幹線にそっくりな列車。色は、他の色もある。車販もあるので利用できる。

高速鉄道




  2時間ほどで広元に到着。1時間ほどバス移動。頂点のホテルで昼食をいただきました。


  明月峡は、蜀の桟道の中でも最大の難所といわれ、嘉陵江の断崖の築かれており、春秋戦国時代より蜀に入る重要な道でした。

  入り口、やはりパスポートを見せなければなりません。

明月峡入り口




  入ってすぐはこんな感じ。

公園内



  三国時代、劉備が駐屯し、諸葛孔明が北伐を行った際のルートでもあった。

  その諸葛孔明の像。

  
諸葛孔明の像



  発明家でもあった孔明は発明したという伝説の、流馬。

諸葛孔明が発明した木製の牛と流馬 (2)




 嘉陵江の左側に桟道、さらに上部には旧国道が見えた。

国道・桟道・嘉陵江




  屋根のある部分。


屋根付き



  断崖の穴を掘り、穴に杭を指し、その上に板を並べて道を作った。足場はどうしたのだろうか?


2か所に穴が掘ってある (2)





どうやって穴を掘ったのだろう




  これは細い。怖い。

杭が細い



  杭を打ち込んだ穴。サイズは、深さ約75センチ、幅約45センチ四方、内側に斜めに下がっている。

古桟道の穴



  嘉陵江を挟んで反対側の山の中にトンネルが掘られていて、鉄道が走っています。時々車両を見ることができる。


対岸を走る鉄道 (2)




  途中にあった門。この奥に博物館が有った。


門



  この門の脇から階段を登っていくと旧国道に行ける。帰りは、そちらを歩く。

せり出している旧国道




 道の脇には、レリーフや詩などが描かれている。

レリーフ (1)



  金の糞をするという牛を探すために秦の恵文王が蜀の王をだまして敷かせたという話が残っている。

  
金の糞を出す牛



  再びバスに乗って移動。山桜やすももがきれいでした。


集落



  昭化古城に到着。城内のホテルに連泊です。サトウキビが売られていた。

サトウキビ





 中国でも増えてきたコーヒーショップ。

カフェ



  ホテルの門。

ホテルの門




  少し休憩し、夕食をとったあと、古城の中を散歩。

  四方に門がある。

4つの門の1つ




昭化古城の門




門の外から



  くぐってみます。


門をくぐる



  誰もいない通り。
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道に投影された模様。福と書かれている。

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