好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:西ヨーロッパの国々 > ギリシア


 今日は、2週間ぶりにアテネに戻ります。

 空港までは15分ほどで到着。大勢の人でフロアは一杯になっていました。並んでチェックインを受け荷物を預けて、というコースものろのろと進んでいたのだが、何故か途中で荷物の人がいなくなってしまった。

 周りを見ればフロアにいるのは我々のグループぐらいになってしまった。時間も迫ってきているので、荷物の預け入れがまだの人を残して先に進むことにしました。

 機内に入リ自分の席に向かうと太った男性がすでに座っている。「うん?違ってないよな」すると男性が席を立とうとした。私は別に窓際でなくてもよかったし、島の風景はこの間見ているし、乗っている時間も短いので「ノープロブレム。プリーズ」というとその男性は、何と自分の名前を名乗って、私の両手を握り「サンキュー。サンキュー!サンキュー」こちらの方が恐縮するくらい喜んでくださいました。よほど外を眺めたかったのだなあと私までなんだかうれしくなってしまったのでした。

 遅れていた人たちも何とか間に合い、全員でアテネの空港に無事着いたのが10時くらいかな。荷物を受け取りバスに乗り込み、まずはお昼のレストランに向かった。

 
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 路地が続くのでバスは入れないのだ。

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 すると目の前でダンスが始まった。横切っていくのも何なのでしばし見物です。

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 レストランはパルテノン神殿の下あたりにあるようです。国旗が青い空に映えて美しいこと。

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 食事を終え、5年前にオープンした“新アクロポリス博物館”に入る。お勉強してからアクロポリスの丘に向かうようです。

 
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 エントランスはガラスの床でできていて遺跡の発掘現場がみられるようになっている。

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 中に入ってもガラスの床が続く。なんとなく落ち着きません。

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 エレクティオンまでは撮影禁止でした。アクロポリスにあるエレクティオンの6人の少女像のオリジナルがここにありました。5体しかないのは、残りの1体は大英博物館にあるからです。

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 髪の毛を多くしているのは建築上強度を増すための手段になっているとのことです。

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 さらに上階に進むと、パルテノン神殿の破風の部分のレリーフを復元したものなどがありました。

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 こんな具合に神殿をレリーフが取り囲んでいたのだろうか?

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 大きなガラス窓の向こうにはアクロポリスの丘があり神殿が臨めます。

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 アクロポリスのディオニソス劇場までやって来た。酒と演劇の神ディオニソスの神域に造られたギリシャ最古の劇場で紀元前4世紀の建造である。

 
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 15000人収容できる大きなもので最前列は背もたれ付きの貴賓席になっていた。

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 坂道をさらに登っていくと、アティコス音楽堂がある。161年に建設されたもので、観客席は最近修復され夏の間様々な演劇やオペラなどが繰り広げられるという。

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 この音楽堂と先ほどのディオニソスの間は、エウメネスの柱廊でつながっていた。

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 向かいにあるフィロパポスの丘にあるローマ人の記念碑がよく見えている。

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 アグリッパの台座までやって来た。この奥のプロピレアをくぐるとパルテノン神殿が見えてくる。
アウグストゥス帝の婿アグリッパの像が置かれていた。右手の建物は、ピナコテクといい、その昔参拝者の奉納品や絵画などの財宝の保管所として使われていた。

 
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  通路を挟み反対側にあるのが、アテナ・ニケ神殿だ。紀元前424年の完成。常に戦いの勝利を祈るアテネ市民が勝利の女神がどこにも行けないようにと翼を切り落としこの神殿に祀ったといわれている。

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 プロピレア。中央の柱はドリア式。

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 暑さもピークで汗が噴き出してくる。日傘も役に立たない気がする。緩やかに昇ってる道を歩いていきます。


 自由時間にバスでもう一度フィラやティアの町まで行かれた人もいたが、私はカマリビーチを散策したり、バスで15分ほどのところにあるワイン博物館に行ってみた。

 朝のカマリビーチ。ティアで夕日はみられなかったけれど、朝日も素敵で30分くらい見入っていました。

 ホテルのプール。8時からしか泳げません。ただいま朝の5時55分くらいです。

 
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 ビーチは目の前。左手の山の向こう側がベリッサビーチになります。

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 太陽が顔を出し始めました。私以外誰もいなかった。

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 カップルの影が・・・。あいさつしたら中国人の方でした。テレビでニュースになっていますが、本当にギリシャは中国人旅行者が多いです。

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 午後に訪れたワイン博物館。ここにしかない古いワイン作りの機械やこの島独特の製法など、ワイナリーの歴史が人形を使ってわかりやすく展示されている。ガイディングも日本語があるのでよかったです。

 島で、17世紀から続くワイナリーヴォルカン・ワインが運営しています。

 
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 地下約6m、全長やく300mの及ぶ醸造所の跡を利用している。

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 展示の様子。

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 戻ってきたらお楽しみのティスティングが待っています。
ブドウを干してから絞るというこの島独特のデザートワイン、3種類のブドウをブレンドし1年寝かせた赤ワイン、アシリティコという島にしかないブドウから作った白ワインなど4種類を楽しめます。

 普通のワイナリーだと試飲は、紙容器だったりしますが、ちゃんとしたグラスで提供されるので香りをちゃんと味わえるのもうれしい。

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 夕食もビーチに面したレストランでいただきました。4人だったのでいくつかをシェアします。初めて、旅先でのんびりと食事ができた気がした。

 レストランなどが並ぶメインストリートですが、フィラやティアと違って閑散としている。夕方になってもそれほど混みませんでした。

 
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 昼間のビーチもこんな感じ。大型客船のお客がいないとこんな感じなのかなあ?

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 明日は、そばの空港から飛行機でアテネに戻ります。この旅もアテネが最後の訪問地になりました。


 駐車場に到着してまずはメインストリートへと向かう。帰りは自由行動の後、この駐車場に集合なので場所を覚えておかなくては・・・。

 青いドームの教会の前の広場に面した細い道がメイン道路です。ものすごい人で、狭い道はすれ違う時斜めに体の向きを変えなければならないほどだ。

 それにしてもこの混雑は何事だろう。5年ほど前に来た時は誰もいなくて閑散としていたそうだが・・・。デフォルトの恐れが出てきたので今のうちにと思っている人が多いのだろうか。

 崖の向こうの町は、本当に雪をかぶったように見える。

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 観光客の行き交う道。玉石は乾いていても滑りそうになる。添乗員さん曰く、「みんなで歩いて磨きますからね」納得である。

 
 
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看板犬がお店番していました。

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 夕日の名所要塞です。時間になるとごった返すので早めに場所を確保している人もいるとか。私は直接目にしなかったのですが、ロマンティックな風景の中でプロポーズをした人もいたそうです。いい思い出になるのでしょうね。ウェディングドレスを着て撮影をしているカップルもいたりで、若いカップルにとってはここは聖地なのかも・・・・。

 
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 何しているのかな?

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 お店もどこも素敵ですが、少々値段が高い気がします。

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 やっと要塞の上にやってきました。ここからの眺めは素晴らしい!

 むかしは、この辺の人々は洞窟にすんでいたそうで今も少し残っています。人の家の天井が自分の家の床や通路といった感じでぎっしりと建ち並んでいる。

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 風車は粉を引くためのものでしょうか?

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 見下ろすと小さな船着き場がありました。降りていくのが大変そう。

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 もう一つのビューポイントに移動です。
このお店はオリーブの木で作ったものを売っているようだ。

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 絵はがきなどでおなじみの青いドームがみられる場所にやって来ました。こちらもカップルが自撮りに懸命だ。あまり必死なのでなんだかおかしくなってきてしまう。でもちょっとだけ私にも場所を貸してほしいなあと・・・。

 
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こんな小島にも教会があるようです。どんな人がお参りに行くのだろうか?

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先ほどの教会にいってみようかな。同じ道を引き返します。何だか天気が良くなくてぼんやりしてきている。これだと夕日は多分見られないだろう。

普通の家でも景観に気を使っているのがわかる。毎年この壁の白さを保つためにペンキを塗り替えるのだとか聞きました。景観条例みたいなものがあるのかもしれないね。

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 教会に入ってみました。風が通らないので暑い。でも人ごみから解放されるのでうれしい。
この道をまっすぐ行くとレストランに行けます。少し早いけどテーブルを用意してもらってみんなを待っていることにしました。



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 食事をすませても天気は回復しない。こんな様子では、あきらめるより仕方がないようなので、バスまで戻ることにした。途中のお土産屋さんで名物のピスタチオを買い、人気のアイスクリーム屋さんでアイスクリームを買う。

 我々のホテルは、島の南東にあるカマリビーチというところにある。ここからだと小一時間はかかるかもしれない。太陽も沈んでしまい暗くなった道をバスは走っていきます。

 ホテルに到着したものの、入り口が判然としない。このホテルコンドミニアムと本館があり、レセプションが道路に面していないのだ。添乗員さんも初めて泊まるとのことで迷ってしまったのだ。

 ここには2泊するので、いい部屋にあたるといいのだが、どの部屋にあたっても海はみられないとの事でくじ引きになりました。

 私は、端っこの部屋ですがともかく狭い。シャワールームも仕切りがないのでちょっとやばいかな・・・。ベランダがあるのはうれしい。さっそく窓を開け放す。

 明日は自由行動の日で午前中は近くの遺跡を見に行く予定です。


 夕食はホテルでのバイキングでしたので、自由時間も食事の前後になった。
マーケットで、試食やお買い物をした後いったんホテルに戻り荷物を置いて再び街歩きに・・・。

 オールドハーバーの辺り

 
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 ヴェネチア時代の要塞

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 再び訪れた聖ティトス教会。ここには、聖ティトスの骨が納められています。

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 僧侶が何かをしている。この後、門外漢にはわからないのですが、入り口の辺りで儀式のようなことが始まってしまい、
中に入っていた私は、30分ほど外に出ることができなくなり、神妙な顔をして僧侶が発する号令のような言葉や仏教でいうところの声明(しょうみょう)のような音楽に似た言葉をじっと聞いてました。
 集まっていた人々は、喪服のような黒い恰好の人が多かったが、人数は多くなく20人ほどです。
僧侶の声は素晴らしく、うっとりしてしまう。

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入り口の横には、小部屋があります。後ろの洞窟が、私にはイスラムのミフラブのようにも見えてしまう。

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近くにある14世紀に建てられた聖マルコ大会堂。イタリア様式です。現在は、美術館として使われている。
地元の作家の絵が展示してありました。何と無料で入れます。(^^♪

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夕食の後、夜の街をちょっとだけツアーの仲間3人で歩いてみました。
もっと賑わっていると思ったのですが、閑散としていました。時間は、9時ころかな、こちらの人にしたらまだ早いのかもしれません。観光客は多分いない。

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アメリカタイプのバーや、ビール専門の飲み屋さんなども並んでいるのだが・・。

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街頭テレビのように外にテレビが置いてあって外の席でもお酒を飲みながらテレビ観戦ができるようになっているお店が多かった。

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通りのはずれまで行くと、もう普通の住宅街になっている。犬がなぜか身を乗りだしている。近づいて行っても鳴かないので多分番犬にはならないな(^_-)-☆

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これ以上歩いても面白そうなことは起きそうにないのでホテルに引き上げることにする。
明日は船でサントリーニ島へ渡ります。


 イラクリオンの街まで戻ってきて、見てきたばかりのクノッソス宮殿からの発掘品を含むミノア文明の出土品を見ていく。
 アテネの国立博物館には、ギリシャ全土からの出土品が展示されているのだが、ミノア文明に関したものはここでしか見られないのだという。

 金や石を細工して見事な宝飾品を作り上げている。印章などもどれも素晴らしい。

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 これは目玉が付いている。ギリシャ語が読めないので、鉢巻を連想してしまう。死者の目隠しかも・・・。」

 
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 精巧に作られた蜂。とても小さなもので本物と同じ位の大きさです。

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 ミノア文明は焼き物もとてもすてきだ。薄作りに仕上げてあるのに驚く。


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 これはちょっとアフリカ的な雰囲気もする太鼓の上の部分。何かを祈ると同じ様な模様になるのだろうか。

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 祭司用のリュトンとそれを持っている壁画。

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 これブランコにしか見えないのですが・・・。

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 牛の上のアクロバットと名付けられた壁画。宮殿で見つかったものです。当時もこういう見世物的なものは人気があったのだろうか?

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 牛は神聖視されていたので関係した発掘品も多いようです。
 
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 彼らは文字も持ってました。解読されているものと未解読のものがあり、それぞれ「線文字B」「線文字A」とされてます。Aの方が広く見つかっているのでくれた共通の文字とされているが、いまだ解読に至っていない。

 線文字B

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 人間と神の2重の権力の象徴は両刃の斧でした。その聖域である王の住まいは、「両刃の斧の家(ラビュリントス)」と呼ばれた。
 ミノスの王宮は、この両刃の斧を家紋としていた。

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 誰がつけたの?といいたくなるような見事なアクセサリー。

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 当時の人のお棺は、屈葬が行われていた。棺は焼き物で美しい模様が描かれたものもあった。

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こちらは、棺ではなくてバスタブです。そこにはちゃんと穴が開いていました。小さいように思えますが、当時の人は成年男子でも大きくなかったそうです。

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最後は、パリジェンヌと名付けられた壁画。赤く塗られた唇など生き生きとした感じが伝わってくる。

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ここからは新市街に移動して、ようやくお昼をいただきます。予約が入ったときだけお店を開けるというレストランでした。そのあとは自由時間になります。クレタ名産のオリーブオイルやはちみつを購入する予定だ。


 エーゲ海の最南端に位置するギリシャ最大の島クレタは、紀元前7000年頃から人が住み始め、ヨーロッパ最古の文明発祥地である。
 古代よりその地理的な条件の為東西世界を結ぶ要衝の地であった。
紀元前18世紀にはミノア文明が開花する。中でも迷宮と呼ばれるクノッソス宮殿は有名だ。宮殿の装飾に携わった画家や陶芸家たちの高度な技術や芸術性は、現在も見ることができる。

 しかし、偉大なミノア文明も紀元前1450年に起こったサントリーニ島の火山の噴火による地震で終焉を迎えることとなってしまう。
 その後、フェニキア人・シリア人・エジプト人などによって新たな文明が築かれていく。
またアカイア人・ドーリス人の侵略により新しい都市が建設され、ローマ占領時代にはゴルティスが首都として栄えた。キリスト教は古くから伝えられ、聖パウロは全土に布教のための使節を送っている。
 ビザンチン時代になると、教会の床はモザイクで飾られるようになり、後の16世紀にはビザンチン時代の伝統を取り入れた素晴らしいイコンが生み出された。
 
 アラブ人に支配された時代にイラクリオンが建設された。その後、1220年ヴェネチア人の手に落ちると古城h砦に改修され、入り組んだ路地、小さく区切られた住宅街、広場や噴水、教会などは今も当時の面影を残している。

 1669年、トルコがクレタ島全土を支配したが、1913年、ギリシャ本土に統合された。

 歴史あるイラクリオンの旧市街にあり、博物館にも近いホテルですが、何せ部屋が狭い。小テーブルさえなく、スーツケースの置場にも困るほどである。連泊なのだが、窓の外に見えるのは向かいの部屋の窓といった具合で部屋にいても何となく落ち着かない。

 というわけでこの日も早朝からの散歩となりました。
ところがこの街自体も迷宮だったのだ。いざホテルに戻ろうとしたのだが、自分の考えている方向が違う気がするのだ。ホテルの近くまでは来ている気がするのだが、たどり着けない(+_+)
 3人ほどに訪ねたのだが、らちが明かない。最後の男性に聞いたときは、ホテルの近くまで来ていました。
「そこだよ!」「あーよかったあああ・・・。」

 地図を読むことに自信があったのに・・・。今こうして改めて地図を見てもどうして変な方に歩いて行ってしまったのかわからないのだ。

 絶対行ってみたかった聖ミナス大聖堂。これは大きな方で、隣の一段下がったところには小さなミナス教会もあります。

 
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 中に入ります。

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 朝の教会は本当に好きです。この日も1人だけ信者さんがいらしただけでした。


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 シャンデリアにも聖人やマリア様の肖像画が・・・

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 小さなミナス教会。

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 内部。

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 この裏手にあった教会。こちらは開館時間が決まっているので外観だけ。

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 この町の出身である画家の名前が付いたエルグレコ公園の近くまで来た。
こんな落書きがしてありました。

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 ベニゼル広場にあるこの噴水はモロシニの噴水という。朝なので水が止めてあるのかなと思ったのだが、1日中止まっているようでした。節約かな?

 
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 昔のタウンホール。

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 裏手にある教会は、聖ティトス教会。そろそろ戻った方がいいようなので、後でもう一度来ることにしよう。
とここまでは迷っていないと思っている。

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 が、ここから正しい道に戻れなくなったのだ。地図で見るより道路が狭いのでどれがメイン道路なのか脇道なのか区別がつかなくなってしまった。
 で自分の勘だけを頼りに歩いていくのだが、港の方に行ってしまう。

 やっと戻ってこれてほっとしたところで城壁をカメラに収める。この城壁の上が旧市街だ。

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 クノッソス宮殿までは、30分くらいでしょうか。到着した時はそれほどの混雑でもない。西の入り口から入ります東西南北に入り口があるのだ。


 エーゲ海南東に位置していて、トルコまでわずか20kmというドデカ二サ諸島の中心の島である。
ドデカ二サ諸島は約54の島があるが人が住んでいるのは14の島で、約20万人ほどだ。

 有史以前から人が住んでいたとされるが、やがて地中海の経済の中心地となっていく。

 40以上のビーチがあり、ロドスタウンの旧市街は世界遺産にも指定されていて、自然と文化どちらも魅力的な島である。

 窓を開けるとこんな光景が眼下にありました。これは散歩しなくては・・・。昨日は暗闇て風景が何も見えなかったのだ。

 
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 降りていくと小さな教会があった。閉まっているようだが、まるで絵本の世界のようなかわいらしさだ。

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 道路の下のトンネルを通ってビーチに向かう。

風がないので鏡のようなのったりとした海面だ。

 
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 しばらく歩いて今度はホテルの敷地内を散策してみることにした。レンタカーやさん、コンビニ、コンドミニアム、流れるプールに温水プールと設備が整っている。
 なるほどこれでは、我々のように半日も滞在しないのにここに泊まるのは奇異に映るだろうなと妙に納得したのだった。

 バギー。ロドスではこれに乗って移動する人たちは案外多かった。
 
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 コンドミニアムには、小さいながらも専用プールがあり、中央にこのプールがありました。
 
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 こちらは音楽の演奏も行われる温室プール。太陽のおかげで屋根が綺麗だ・・・。

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 なんてしているうちにチェックアウトです。忘れないようにパスポートを受け取りました。
最初は、ロドスタウンから55㎞程離れた場所にあるリンドスの村に行きます。
 古代ロドスの三大都市、イアリソス、リンドス、カミロスは、紀元前408年に統合されたがリンドスは今でも機能している。

 ロドスは太陽を崇拝し、大いに栄え有名なギリシャ人やローマ人たちをひきつけたというが、紀元前2世紀になるとローマの同盟国となり、弱体化していく。57年に聖パウロが、キリスト教の布教のためにこの島に上陸した。
 395年にローマ帝国が分裂、ロドスを含む島々はビザンティン帝国の支配下にはいる。
そして、1309年に、聖ヨハネ騎士団は、「ロドス島騎士団」として設立されて、ロドス市に城壁を建設した。

 村の入り口にバスを止めて歩いて村まで向かう。長城にアクロポリスがあり、その下に真っ白な家々とモザイクの道が美しい景観を作り上げている。
 石段を登るのが嫌という人のためにロバがたくさんいました。

 出番を待つロバたちの家で、
 
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 リンドスは、レースが有名だそうです。キプロスでもマルタでもそうでしたが製品は皆微妙に違う。できた商品は地面にそのまま並べてある。
 
 
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 このあたりの入り江に聖パウロが上陸したといわれている。

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 城壁までやってきました。この上にさらに城があります。町の散策を選んだ私は行かなかったのですが、行けばよかったかなとちょっと後悔している。

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 リンドスの村を眺めたところ。

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 ひときわ目立つのは教会だ。後で行ってみましょう。

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 下まで降りてきて、美しいモザイクの道をあちこちと散策です。

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 先ほど上から見た教会にも行ってみます。短パンの人はスカートを貸してくれる。

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 想像していたよりも素敵な教会で、しばらくじっと見入っていました。

 ロドスタウンに戻る途中、リンドスの全景が見える場所でバスストップです。

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一年のうち300日が快晴といわれるこの島。暑くなってきました。ロドスタウンへ向かいます。


 参道を登ってゆきます。半円形のこの建物には、20体ものアルゴス王の記念碑が飾られていたという。

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 進んでいくと曲がり角にへそが置いてある。ここを右手に登ってゆく。

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 アテネ人の宝庫と呼ばれる建物。20世紀の初頭に復元されたものだ。
ド-リア式の柱が美しいこの建物は、紀元前5世紀にアテネが先勝を祝い戦利品で建てたと言われていて、周りの壁にはアポロン神への献辞が彫りこまれている。

 
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 復元想像図と上から見たところ。

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  左手に博物館で見たナクソス人のスフィンクスが置かれていた場所を見ながら進んでいくとアテネ人の柱廊と呼ばれる場所がある。元々は、7本の円柱が屋根を支えていたが残っているのは3本だけです。ここに、サラミス島の海戦でペルシアに圧勝した時の戦利品が並べられていたらしい。

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 90度回るとアポロン神殿に向かう階段がある。

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 長さ60m、幅23m、38本のドリア式列柱が前室、内室、外室を取り囲んでいる。内室にはアポロン像が立っており、前室の地下にあるオンファロスの上で神託が行われた。
 遺跡は、柱と土台部分しか残っていないが、紀元前370年頃のものだといわれている。

 
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 神託を受ける祈願者は、テロノと呼ばれた祈願料を払うとアポロンの祭壇に近づくことが許される。そして、ヤギやイノシシといった生贄をささげる。
 カスタリアの泉で身を清めた巫女は「大地のへそ、オンファロス」に身を屈める。
神託は、地下中央の岩の裂け目の上の三脚台の上に座った巫女が、月桂樹の葉をかみながら予言を待つ。
 やがて霊気を帯びた蒸気が立ち込め、それを吸った巫女失神状態になりながら予言を口走る。
その言葉を巫女の横にいた神官が記録して依頼者に伝えたという。

 最初巫女は、若い女性だったのだが、後には50歳以上の女性が選ばれるようになったというが、神殿も火災や戦乱に何度も破壊されているので確実なところはわかっていないようだ。

 ここから入っていったのだろうか?

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 神殿の近くにある柱。この上にも何か彫刻が置かれていたのだろう。

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 神殿の脇を通ってさらに登っていくと劇場に出る。
紀元前4世紀、岩盤を削って造られたもので、観客5000人を収容できた。ギリシャ内でも保存所帯がいいものの一つです。

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 デルフィでは、「ピュティア祭」と呼ばれるオリンピックと同様4年に一度開かれる競技大会が開催されていた。音楽、文芸の神アポロンにちなんで詩、演劇、演説、音楽がこの劇場で開催されていましたが、やがて陸上競技、戦車競走なども盛んになっていった。
 こうしてデルフィは、文化、体育を通じて都市間の交流の場となっていった。

さらに登っていくと競技場がありました。

 
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 昼食の後には、アテナ・プロナイアン神域もたずねました。円形の建物を20本の柱が取り囲んでいるトロスは、紀元前380年に建てられたといわれているが、目的と用途はわかっていません。

 
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アポロンの聖域を参詣する人たちはまずここに立ち寄り、カスタリアの泉に身を清めに行ったといわれている。


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この後は、アテネに向かってバスは走る。その距離200km。

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