好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 西アフリカの国々


 朝食は、今回初めてのビュッフェ、時間通りに開店。

 さすが首都。


 ホテルを後にして、まず、昨日行けなかったスーパーに立ち寄りました。

 ジャビ湖という湖に隣接している大きなモールです。
特産のカシューナッツを買いました。

 ジャビ湖は、住民の水源確保のために造られた人口湖でしたが、人口爆発の現在、到底足りないので今は、釣りと観光の場になっているそうです。



 湖には白い蓮が咲いていた。
蓮の花


  

  遊覧船でしょうか?デートスポットなのかも・・・。

湖



 湖畔の木に生っていた実。ガイド氏は、アーモンドだという。でも我々の見知っているアーモンドとはどう見ても違う。疑わしい顔をしていたら割って中を見せてくれた。食べてみると確かにアーモンドです。

アーモンド





  モールの中で出会った少女。小さな赤ちゃんを抱っこしていました。

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 モールの入り口には、こんなポスターが貼ってありました。日本のアニメ文化はナイジェリア迄わたっているようです。
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 空港に向かう途中、車窓から官庁街を見学とのことでしたが、後方の席だったのでほとんど見えず。残念。

 政府系の建物。
政府の機関



 緑のドームが国会議事堂で、後ろの岩山は、アソロック。見えている部分は、昨日見たズマロックより高いそうです。

国会議事堂



 ここからは空港に向かったのだが、ともかく遠い。途中までは順調に走っていたが空港に入る手前の料金所で大渋滞にはまってしまい、チェックイン時間に間に合うか怪しくなってきた。


 しかも、バスの駐車場が見つからず、さらに忙しくなってしまった。おかげで、ガイドさんとアシスタントさんにゆっくり別れを告げることもできず、急いで建物内に進む羽目に・・・。


 荷物のセキュリティを受け、なんだかよくわからないカウンターでパスポートチェックを受け、ようやくチェックインカウンターに並ぶ。

 ここでも、大荷物の波で、時間のかかること。最初から重量オーバーの申告を済ませてくれば問題ないのにカウンターでぐちゃぐちゃいうので、らちが明かない。

 結局、違う場所で重量オーバーの支払いを済ませてもどってくる。その人たちが割り込むのでめんどくさい。


 でも、結果的に遅れての離陸だったので、急いで損した気分になってしまった。


 今回も、なんだかんだでエアーのトラブルは続くも、決定的な事にならず無事に成田に戻ってくることができて良かったです。


 トラブルの多かった今年の旅。終わり良ければ総て良しとしましょう。

  
  今年の海外の旅はこれでおしまい。訪ねてくれててありがとうございました。


 今日は、国内線にて首都のアブジャに向かう。ここまで我々をサポートしてくれたドライバーさん・アシスタントのアブさん、ポリスの2人とはここでお別れです。

  ありがとうございました。
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 イロリンの空港へ向かう。

イロリンの空港



 団体チェックインを済ませ、待合室へ。

待合室

  


  ところが、機体の不具合とかで我々の乗る予定の飛行機がいつ来られるかわからないという。
  お昼が近くなるし、のども乾く。

  途中で、水とソフトドリンク・クッキーが配られた。

  違う会社の飛行機は、我々の目の前でアブジャに向けて離陸していく。


 3時間以上たったところで、めどが立ったらしく、一旦外へ出て昼食を食べに行くという。
保安検査を抜け、空港関係者の車に分乗して、ファストフード店へと向かう。

 ハンバーガー、ピザ、いつものセットなどを頼み急いで食べ、空港へと引き返す。そして再び保安検査を受けゲート前へ。


 結局、5時間遅れでの離陸となりました。機体を見た時には、思わず万歳をしてしまったわ。
前回の、ヒマラヤ街道の大幅な遅延の二の舞だけは嫌だと思っていたからだ。

これならよかったのに

  
  イロリン・アブジャ間は1時間ほどで到着。迎えのバスに乗り込む。
首都アブジャは、1976年ラゴスからの遷都が決定され、1991年正式にナイジェリアの首都となった。市街地の中心部分のマスタープランは、かの丹下健三氏によるものだが、観光はかなわなかった。

  
  まずは、郊外にあるズマロックへ向かう。途中、こんなおかしな2人も・・・。
無理だと思うのですが




 結局抜けることはできず、後ろの男性はバイクを降りて荷物をもって反対側に歩いて行ったのでした。

 ズマロックは、平地の町中に突如現れる巨大な岩である。高さ400m、周囲3,1㎞で、現地語でホロホロ鳥を意味している。

 展望台なんてものはあるはずもなく、道路の脇に車を止め、そこから写真撮影。

 
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 近くに廃墟があるのだが、5つ星ホテルになるはずだったが建設途中で投げ出されてしまったものだという。建設中に事故が相次ぎ、ズマロックの怒りをかったといわれ建設中止になってしまった。昔からズマロックに近くには、住んではいけないと言い伝えられていたとのこと。


 我々が岩にカメラを向けていたら、撮ってほしいといってきた女性。
ポーズをとってくれました



 雰囲気のある人たち。

地元の人 (1)




  この後、市街地にある国立モスクへ向かった。

  岩を横から見ると

横から見たところ



  国立モスク
ナショナルモスクのミナレット




ここから入る




モスク正面




 お祈りの時間ではなかったので中にも入れました。

  ミフラブ。収容人数15000人、1984年の建設。1991年以降、祈りの時間以外は非イスラム教徒も入ることができるようになった。
内部



 ドームはシンプルでした。

ドーム




 横になっている人達も、皆それぞれのんびりと過ごしています。

それぞれに



  続いて、クラフトショップへ。木彫りやバック・衣類などのお土産が売られています。

クラフトショップ




 さらにスーパーに向かったのだが、閉店になっていた。

 ホテルのチェックインはものすごく時間がかかった。最近はスムーズになって来たなあと思っていたが、そうでないホテルもあるようです。


  荷物を部屋に置きそのままレストランへ向かう。ここの中華レストランは、てきぱきしているし、おいしかった。
  さすが首都!

  
今夜は中華



  明日は、帰国日です。


 北部になると、街の雰囲気も変化してイスラム的な感じが濃くなる。


  街に入って先ずは、織物や焼き物などが行われている一角を訪ねた。

 学校ですって。

学校

  


  子供達の格好もイスラムの格好に・・・。

子どもたち



  ここでは子供達も立派な労働力となる。

子供達も労働力



  長い経糸

経糸



  
機



  小さな子は糸車を回す。学校に行っていないわけではなくて、授業の終わった後にお手伝いをしているという。

小さな子は糸車を回す



 食事中でした。失礼しました。

食事中でした

  


 土をこねて粘土状にする。
砂混じりの土をこねる




 型にはめて成型する。やらせてもらいましたが、コツがいります。

成型



 野焼きのようにして焼成する。
原始的



焼く




 出来上がった織物が干してあった。

出来上がった布

  


  帰り際、子供たちが集まって来た。甲高い声が響き渡る。
それにしても本当に子どもが多い。これから伸びていく国と日本のように沈まないようにするのが精一杯の国との熱量の差を感じる。

  
集まった子供達




  子供たちと別れ、商店が立ち並んでいるところに行ってみた。
埃っぽくてにぎやかだ。

  
商店街を歩く



  様々なものが積み重なって売られている。下の方の物や高いところのものは取り出すのが大変そう。
  
ものがたくさん




  ゴミもその辺に固めておくだけ?後で収集されるのかな?

ゴミもたくさん



  押し出されるようにして歩いていくと、ミナレットが見えてきた。セントラルモスクのミナレットだ。

モスクの近くまで



  ここの中を見学させてもらうのだが、時間が決められているそうで、少し待ちます。

  
イロリンのモスクへ


  
 セントラルモスク。ここには入れませんでした。
立派である



 スルタンなどをお迎えする迎賓館には入れてもらえました。

迎賓館みたいな場所



  敷地内には、病院や学校、運営に関わっている人達の家々、馬の厩舎、など様々な建物が集まっている。

  住民の家。鶏が飼われています。
敷地内に住む人々




 迎賓館の中は、

 偉い人の座る椅子。カバーを特別にはがしてみせてもらいました。

指導者の座る椅子





 美しい天井。

美しい天井



 応接セット、座らせていただきました。

応接セット



 騎馬兵、馬に関係した様々なものが集まっている場所。馬に関することや、馬具の付け方などを伝えていく場所。

馬に使う武具など



  この日も馬を操る練習をしている人がいた。

馬の調教をしていました


  

  手綱を持っている方が、案内をしてくれました。警備の最高責任者だそうです。目つきが鋭くハンサムでちょっと怖い。

 
モスクの警備の責任者



 ホテルに帰り、夕食は外のレストランに行ったのですが、見かけは中々素敵なのですが、お料理が全然出てこない。


 結局、サラダ・メインの2品が全員分出て来るのに、2時間半以上かかりました。

 11人分ですが、お客は我々だけでした。


 サラダ。美味しかった。こういうところだと中々サラダを食べる機会がない。千切りキャベツくらいかな。

 
外のレストランへ



 メインは、魚かパスタのチョイス。私は魚のトマトソースを選びました。

 マッシュポテト添え。

魚のムニエルマッシュポテト添えトマトソース




 パスタは、トマトとクリームの2種類からのチョイスです。クリームは一番最後まで出てこなかった。

クリームソース和え



  昨年もここで同じ現象が起きたそうですが、1年たっても全然変わっていないのだ。他のお店に変えればいいのにと言ったら、外国人が行けるようなレストランはないとのこと。

  ホテルでいいのにね・・・。

  でもお味は良かったですよ。

  明日は最終日、首都のアブジャまで国内線で移動します。


 今日はさらに北上して、イロリンへ向かう。

 途中、ソープストーンの彫刻で有名なエシエの博物館を見学します。

 今朝の朝食は、いつもとはちょっと違う1品が提供されました。豆の粉を蒸したもので、中にはゆで卵とコーンが入っています。
 他はいつもと同じアフリカンオムレツ
 
豆の粉のプディングとアフリカンオムレツ

 

  途中の町は、5日ごとに開かれる市場の日で、とてもにぎわっていた。
5日に一度の市場



 エシエに到着したのは、11時頃。思ったより遠かった。至る所で、警察官が立っていて、我々も連邦警察官が同乗していなかったら、何回も止められたのかもしれない。


 エシエの博物館は、ナイジェリア連邦政府によって設立された最初の博物館です。

ナイジェリア政府による最初の博物館



 2つの建物があり、最初は、ソープストーンの彫刻だけが展示されている方に案内された。
エシエの博物館



 エシエは、イフェの北東部に位置しアフリカ全土を見渡してもこれほどの石造彫刻の産地はない。1500体以上のソープストーンの彫刻が発見されていて、それらの人物は、ひげを伸ばし、多くはビーズの装飾品を身にまとい、様々に凝った髪形をしている。なぜか、皆座った格好をしている。

 4月に、盛大なお祭りが行われる場所は、これらの像が発見された場所である。


 ヤシの周りに、埋められたり半分地上に出ていたりという形で発見された。今はこのヤシは枯れてしまっている。

石像が発見された場所

 

 これらの像の中心にあったこの像は、支配者ではないかと考えられている。

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 様々な装飾品や様々な被り物。
エシエのソープストーン



 ひげもはっきりわかる。

ビーズの装身具を身に着けひげを生やしている




座っているものばかり



 手に何か持っている人物。

手を挙げている

  


  もう1つの建物の方は、停電の時間が迫っているということでかなり急がされました。


 すっかりとりこになってしまったベニン青銅器の人物。
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 目の大きい彫刻。

目が大きい



  洋服の一部が残っている彫刻。

洋服を着ている



  トーテムポール?

細かい


 祭礼用の衣装。

祭礼の衣装



  いそがしかったけれど、楽しかった。

 道路端で見たトラックの荷物。何?

何?



 オンポという町に入りました。

イロリンではない (2)


 サトウキビのようだ。

イロリンではない (4)



 セントラルモスク。

セントラルモスク




  今日のお昼は、ショッピングセンターの中のお店。私はもう並ぶのが嫌だったので、ガイドさんにお任せしました。

 イスラム教徒の方が多い地区なので、店員さんも髪を隠しています。

フードコート




 ゆで卵のソースは、かなり辛い。後は、ポテトのスパイ煮込みとサバ。骨付きチキンのから揚げ。
今日はお任せ




 午後3時過ぎ、ようやくイロリンに入りました。イロリンは、クワラ州の州都で、ヨルバ人の都市国家の1つでした。
  
トゥクトゥクのたまり場


 まずは、織物や焼き物などが行われている旧市街地に向かった。

  


 午後は、イフェの王宮と博物館に向かった。 


 途中、かつてカカオ豆の輸出などで栄えた人が建てたコロニアル建築に似た建物が並んでいた。

 
カカオの取引で



 旧王宮の一角では、裁判のようなことが行われていました。市民の訴えを調停するのでしょうか?

  
イフェの王宮の中へ




  あまりに暑いので、私は傘をさそうとしたのですが、イフェ王国では、傘を差してもいいのは王様だけなので遠慮してくださいうといわれた。現在でも、王様はいるのだ。でもどういう立ち位置なのだろうか?現在の王様は、どういう役目をしているのだろうか?
    

 イフェ王国は、ヨルバ人が建国した王国の1つで、西アフリカ最古の町である。イフェ王は、ヨルバの国々のすべての祭祀権を持ち、諸国の王達は、即位時にイフェ王を訪ねて承認を得ていた。
  王国は、1100年から1700年頃まで栄えたがやがて西のオヨ王国に押され、勢力を縮小していった。
  しかし、聖権は握っており、イフェ(聖権)オヨ(軍権)という2重体制が確立された。

  文字を持たなかったらしく、口承や絵を使ったという。

  ガイドさんと王宮を仕切っているみたいな人が説明をしてくれました。

文字の代わりの画



 中央のドアには、様々な事柄が描かれている。

  ちなみにこの顔の頭の線や顔の入れ墨などは、それぞれ違っているが、地位や職業によって違うのだそうだ。

  
違った顔が


 現在でも、これは伝わっていて、左側の緑の人物の頭にもくっきりと線がありました。


  歴代の王の1人の像。

イフェの王様





  歴代の王の墓の1つ。王宮内にいくつかありました。

これも墓



 現在の王宮。

イフェはヨルバ人最初の都市だった



  関連した建物の中で、集まっていた女性達。この建物には入れました。

王宮でお掃除をしていた女性達





 隣接する博物館に向かう。エアコンがほとんど効いておらずともかく暑い。

  
イフェの博物館



  イフェは、高度な彫刻技術で知られており、テラコッタやブロンズの人物像は、西アフリカ美術の傑作として世界的に評価されているそうです。
 それらの技術や様式は、その後の西アフリカ美術に大きな影響を与えている。

顔に筋の入った女性の頭像 (1)


  
  
当時は顔に筋が入れられた



  
ヨルバ人は双子が多い




貝が埋められている



  イフェの王様は、普段はこのような格好をしていて顔を見せないそうだ。

普段王様は顔を見せなかった



  大事な行事の時のみに顔を見せるのだという。


  祭祀の格好。

儀式の衣装か




  続いて、近くにある女王モレミの像を見学。彼女は、12世紀のヨルバの女王で、戦争の折に国民が奴隷として連れていかれるのを悲しみ、自らわざと敵国につかまり、自分の美貌を武器に情報を引き出し自国のヨルバ人にもたらした。
  しかし、そこには自分の息子を聖霊に差し出すという約束があったのだ。


  その勇気と犠牲をたたえて建造された像で、モレミの自由の女神ともいわれる。

ヨルバの女王モレミ



  自分が知った情報をヨルバ人に耳打ちしている様子が描かれたレリーフ。


スパイのようにして集めた情報を伝えている



  この日は、パームヤシの畑にもよりました。ヤシの実は、なかったけれど・・・。
畑の持ち主夫婦とガイドさん。

パームヤシの畑で




 そして最後は、藍染工房に立ち寄った。

  糊をおいて防染しているところ。

染物工房で



  出来上がった布を干している。

藍染



  藍が入った甕。
藍の甕




 糊を落としているところ。

糊を落として洗う



 今日は盛りだくさんの1日でした。

 


 今日はナイジェリアにある2つの世界遺産の1つ、「オシュン・オショグボの聖なる木立」を歩きます。


 オショグボ市の郊外には、オシュン川によって形成された森が残っており、そこには、ヨルバ人の神の1人であるオシュン神が住んでいるとされている。
 古くから聖域として大切にされており、オブジェのような祭壇や20世紀になって修復や建造された彫刻など、ヨルバ人のアイディンティティが残る場所である。


 オシュン州の州都オショグボは、ナイジェリア最大の民族ヨルバ人の暮らす地で、郊外には今でも森が残っていて現在でも崇拝されてる。

 ここには、オシュン神だけでなく他の神々を崇拝するための5つの聖域や9つの礼拝所、宮殿などが築かれた。

 森の聖域には、40もの祭壇が残っているが、樹木や鉄、石、泥などを利用して作られたオブジェのようなものだ。
 しかし、20世紀後半の一時期信仰が衰退放置され、荒れてしまった。


 が、オーストリア人の女性により、40年かけて修復、新たな製作が行われ、やがて世界中のヨルバ人のよりどころとなっていった。

 今では、7月~8月、世界中のヨルバ人が集まり祭りが開催され、他地域ですたれてしまった伝統が今でも維持されているという。

 ここでバスを降りました。
世界遺産のオシュン・オショグボへ



 歩いていく道中、様々な彫刻を見ることができる。

オーストリアの芸術家の家だった



 祈祷の場。生贄や油をささげる。

祈禱の場


  
 不思議な世界観。

彫刻を修復製作した




 この門の奥からが、聖域です。


ここからが聖域



  宮殿の1つ。

オシュン女神の神殿




  
森へ入っていきます




  野生動物の中でも猿は、頻繁に姿を現す。


猿がいる




  不思議な彫刻。

こうした彫刻が連なっている




  オシュン神を現したもの。

オシュン川の女神





 多産の神様。

子だくさんの女神




 ここにも祈りの場があった。

祈りの場



  途中オシュン神を信じている女性に出会った。占いも行うそうです。

オシュン神を信じている女性



  さらに進んでいくと、お供えをするときに入っていくという亀のような彫刻があった。

捧げものをする入り口



  オシュン神そのものといわれるオシュン川。

森の横に流れているオシュン川




 一番古い宮殿らしい。遠くから見るとボロボロです。

神殿の1つ



 近づくとびっくり。

9つの礼拝所がある




不思議な模様



 双子の神様。ヨルバ人は双子の生まれる確率が高いらしい。そして昔は尊いもののされた。
背中にもう1人子供がいます。
双子の女神

  


  祭壇の1つかしら。東北のおシラスさまみたいだ。

素朴





  ちょっと不気味な感じがする。

礼拝所




 川のそばには、オシュン神が立っていて、毎年夏にはここでお祭りが行われるそうだ。

ヨルバ人の心のよりどころ (1)



 ここからUターンして、もう1カ所彫刻が集まっている場所へ移動した。


 正直、よくわかりませんでしたが、病気が治るように祈ったりしているらしい。
修理された彫刻達



様々な材料でできているオブジェ



 太陽の塔のようなクモのような・・・。

クモのようでもある



  この森には、トイレがなかったので、途中トイレを使わせてもらったファストフード店。ナイジェリアで使ったどこのトイレよりもきれいでした。


ここでトイレを借りました


  どこのお店にも、入り口には警備員が配置されていて治安の良くないことがわかる。

  ちなみに今日のお昼はこれ。
いいただいたのはここではなくて違うお店でしたが、停電中だったので、暗い中あちこち連れまわされた。計画停電が行われることもあるようです。

 手前のオレンジぽいものは、ポテトをカレー味で煮込んだもので、ナイジェリア料理の中で一番気に入った。
今日のお昼



  



 ナイジェリアでの朝食は、どこのホテルでもほとんど同じでした。 

  薄い全粒粉の食パンと、アフリカンオムレツとコーヒーだ。

バターかわいい





 アフリカンオムレツ。スペインオムレツとの違いは、具の少なさ。

アフリカンオムレツ



  部屋から外をのぞいたら、昨日は何もなかったのに、ご飯屋さんができていました。テイクアウトする人は、自分でタッパーを持参しそこに入れてもらい持ち帰る。

 
露店の食堂




  今日は、ヨルバ人発祥の地で聖地でもあるアベオクタを観光し、世界遺産のあるオショグボに移動する。


  その前に、空港に行き4人の荷物を引き取ってこなければならない。なかなか戻ってこなかったので心配したが、無事戻って来てほっとした。


  アベオクタは、ラゴスから103km程の所に位置するオグン州の州都だ。巨大な岩の下に町が発展していて、アベオクタとはヨルバ語で「岩の下」という意味だ。

  まずは、その巨大な岩「オルモ・ロック」にむかった。


 以前は、エレベーターで上まで行けたらしいが、現在は動いていない。

オルモ・ロック



 高低差は、140mほどあるそうだが、登りましょう。

 岩にへばりつくようにトカゲがいた。
トカゲ (1)



 岩山全体にいくつかの祠がありいろいろな神が祀られている。

 
祈りの場




 最初にこの岩を発見したのは、ダホメ王国やイバダン王国などによる奴隷狩りから逃げ出した人々でした。岩に大きくあいた隙間などを聖地として利用し、しばらくするとこの岩自体を聖地とするようになる。
 そして、集まって来た人々で急速に発展し国家を名乗るほどに成長してゆく。

 1851年頃ダホメによる奴隷狩りアベオクタに向けて出撃。その時、伝説のアクトゥは、兵民とともにこの岩山に立てこもった。そして勝利。

 岩山の途中には、隙間があり人々が暮らせるようなスペースがあった。
ここで避難暮らしていた



 祈祷所のような場所もあり、今でも人々の祈りの場となっているようです。
女神の家


モーゼスに話してください



 バオバブの木。
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 頂上まではもうひと踏ん張りです。

 その後、1864年にも、ダホメ王国を破ったアベオクタの人々は、1893年、イギリスの支配下にはいる。

 岩山のトップから町を見ると、
 真ん中にみえる教会のような建物は、モスクだそうです。
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  下に戻って来て、街の中を少し歩いてみました。

  歩道橋です。
歩道橋




 2階建ての商店街には、布や洋服を扱っているお店が目立つ、ここは、「アディーレ」と呼ばれる藍染が盛んなのだという。


店先 (1)



  古着に集まる人々。

古着に



アベオクタは織物や染色


  ナイジェリアの大半は、イスラム教徒かプロテスタントを信じているが、2%ほどは、土着の宗教を信じているし、日常的に祈祷は行っている。

  その時に使う油や動物を売っているお店がある。異様な臭いがするので、不気味だし慣れないと気持ち悪くなりそうだ。
  
呪術用 (1)




呪術用 (3)



呪術用 (4)




  これは食用のカタツムリ。ふつうにお店で食べられる。

食用カタツムリ



  そしてお昼ごはん。夜のレストランはあるのだが、昼間、観光客が食べられるような店はなく、毎回ファストフードの定食屋さんみたいな場所でいただいたのですが、ともかく時間がかかる。

  ショーケース越しに食べたいものを伝え、プレートの上に乗せてもらうのだが、量の調整ということができない。半分、3分の1という概念が伝わらない。いるかいらないかの2択。

  
昼はいつもこんな感じ



  すったもんだの後にようやく席に着いても、ナイフかスプーンかフオークのどれか1本しかついていない。取りに行っても、すぐには対応してくれないので、結局どれか1本でいただくことになる。  
 今回の旅で、この昼の作業が苦痛で仕方がなかった。

  それでも何とか修羅場のお昼ご飯を頂き、目的のオショグボまでは、道もよくなかったので時間がかかりました。

  前行く車の荷台。こちらの人の荷物の積み方は天才的だ。ただ一旦降ろすと大変でしょうね。

ともかく積むのが上手




  夕方、6時過ぎ。ようやくホテルに到着。すっかりクリスマスモードになっています。

ホテル




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  夕食時、道中の売り子さんから購入した2品が試食として出てきた。


  黒いほうはバナナで、プランテンを香辛料で味付けし、空揚げした後焼いたもの。白いほうは、チーズ。まずくは無いけれど、複雑な味がした。チーズの方は、モッツァレラチーズににているかな。

左はバナナ、右はチーズ



  


 広場は、少し尿のにおいがする場所だった。

 椅子が並べてありそこに座って見させてもらう。 

  
仲良く並んで (1)




 精霊はザンベドといい村を守っているのだが、時々悪さをするので、棒を持った村人がコントロールをする様子を現しているらしい。

  
精霊と話す





  




  精霊の衣装は植物でできていて軽やかに動くので面白い。

 三角の妖精が止まり、中をめくるとなんと誰もいない。中に入っていた人はどこへ?

  
消えてしまった



 代わりに贈り物が・・・・。贈り物は、場合によって変わる。

  
精霊が生んだ



  シンプルな衣装の妖精の動きは激しく、アクロバティックである。

暴れる



暴れる!



 こちらも、ぺちゃんこになってしまいどこへ?

ペッちゃんこに




 楽しかったが、大幅に帰りの時間をオーバーしてしまったようです。


  我々も精霊も会場を後にする。彼らも歩いて帰るんだね。

精霊も帰る




颯爽と帰る




  船着き場で、網の手入れをする人がいた。どんな魚が獲れるのだろう?

網の手入れ



 そういえば、町の中にこんな漁師の像があったな。

漁師の像




 遅くなったので、ボートはスピードを上げていく。水面をたたくように走っていくのでそのたびに我々は飛上がってしまう。



 岸ぎりぎりに建てらているのだが、水につかることはないのかしら?

洪水に会わないかしら





 沈んでそのままになっている船。

捨てられた船




 水上スラム街が近くにみえる。

水上生活者の家 (2)



  ホテルに戻ってきたのが、予定時間よりかなり遅くなってしまい、空港に昨日届かなかった人の荷物を引き取りに行くのがおくれてしまった。

  再集合の時間を決めて4名は急いで空港に向かった。


  けれども、すでに係官は、帰ってしまったという。ふつうは、鍵を持って帰るような事はしないと思うのだが、ここは外国なので、日本の常識は通じない。


  おかげで明日の早朝に、もう一度空港に行かなければならなくなってしまった。1日くらいなら、予備の着替えを持っているが、2日になるとさすがにつらいだろうな。

  夕食も何となく暗い雰囲気で、4名の方々は早々に部屋に引き上げてしまった。


  明日は8時ころに空港に再度向かうことになったので、待機組の出発も遅れます。

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