好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 南太平洋の島々


 ブリスベン川にはたくさんの橋が架かっている。 

  普通の自動車も走れる橋。

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  こちらは歩行者専用の橋。ネビルボナーブリッジ。ブリスベン中央ビジネス地区のクインズワーフ地区と南ブリスベンのサウスバンクパークランドを結んでいる。

  2024年8月28日に一般公開されたばかりのピカピカの橋です。

ネビルボナーブリッジ歩行者専用



 シティキャットと呼ばれるフェリーに乗ります。

シティキャット



  
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 クインズワーフ地区を振り返ると、


高層ビル群



 林立するビル群が見えてきた。

林立するビル群



  



  船から見たビル群とストーリー・ブリッジ

ストーリーブリッジとシティの高層ビル群



 下船して、ハワードスミス・ワーフから見るとこんな感じ。

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 ご飯の間中、こいつがずっと狙っていました。日本でいえば嫌われ者のカラスといったところでしょうか?

狙っている (1)




 人気のレストランで、お昼をいただき、エレベーターに乗ってストーリーブリッジの近くまで行ってみました。


 ストーリーブリッジは、世界でも珍しい登れる橋でもあります。

 こんな感じ。
 時間があれば登ってみたかった。

ここから登っていきます (2)




ハーネス点けて登れます (1)



   もちろん普通にわたることもできますが・・・。

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 帰るころになると、天気が怪しくなってきた。降り出すかも・・・。

  帰りは、サウスバンクで下船。

  視界は効かなかったけれどせっかくなので観覧車に乗ってみました。

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 グルグルと結構なスピードで、4周ほどする。対岸のスタービル群。

観覧車から




 この竹かごのようなビルは、高級マンションらしい。

セキスイ開発



観覧車乗ってみました




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  最後は、ネビルボナーブリッジを渡って、スタービルに入り、展望台へ。これが無料なんてうれしい。展望台には。レストランがありたくさんの人が食事をしていた。

  でもスコールに遭遇。残念。早々に引き返す羽目になってしまった。

 サウスバンクが一望。

スタービルから見たサウスバンク



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 足元がガラスになっている部分。車しか見えない。

上から



 帰りもタクシーでホテルへ。

  明日の朝は、予定通り帰国です。

  ブリスベンの空港は、大きくは無いけれど使い勝手がよくスムーズに進み、9時間ちょっとで成田に到着でした。荷物がなかなか出てこなくて心配したけれど・・・。

  今から80年以上も前に、遠い南太平洋まで攻めていった日本軍。犠牲になった島の人達、軍人さん達の足跡をたどり、いろいろ考えました。

  現在は、戦争ではなくて経済面において、大国から侵略されているかの島々、複雑な気持ちで旅をしました。


 ホテルは、空港に隣接しているが、観光で市内に出るのにはちょっと遠い 。

  旅行社の手配がうまく伝わらなかったのか、30分待っても迎えのタクシーは来ず、結局参加者の1人の方のウーバータクシーを使って市内に移動した。

  高速を使っても30分ちょっとはかかった。ブリスベンは、オーストラリアで3番目に大きな都市で、2032年夏季オリンピックの開催都市に決定している。なので街は活気にあふれているきがした。




  ガイドさんとの待ち合わせの、ローマ・ストリート・パークでタクシーを降りたのだが、とても広大な公園なので、待ち合わせ場所を細かく指定しないと、ちょっと面倒な事になるかも・・・。

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 バーベキュー施設、子供の遊具や乗り物などもすべて無料というからうらやましい。広さ16haという広大な公園の中には、芝生や熱帯植物園などが美しく配置されてる。


 芝生広場から見たブリスベンの街。

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 広場を回っている小さな列車。
可愛い乗り物



 緑いっぱい。

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 美しい花々も。
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 オーストラリア原産のグレビレア。
オーストラリア原産グレビレア



  小さなトカゲ

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 お花畑
手入れされている (1)



手入れされている (3)



 昼食場所までは、フェリーで向かうのだが、チケットは前もって買っておかなければならないというので、券売機の置いてある鉄道駅まで向かう。

 オリンピックに向かって整備が整った駅の改札。
ちなみに、料金は一律50セントだそうです。うらやましい。
 
カラフルな改札



 ホーム
鉄道ホーム (2)



 
 アートなエスカレーター。

アートなエスカレーター



  ちょっと上の通りから見た駅と列車。
驛



行き交う列車



 まずは市庁舎に向かう。整備された道は歩きやすいが、歩行者用の信号は短い。

 時計台のある市庁舎。1920年代の建設。
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 広場には、モニュメントがあります。

モニュメント


 少し離れたところにある教会は、ビルに囲まれてちょっと窮屈そう。

ビルに挟まれた教会 (1)



 市庁舎の中に入ります。音楽堂があった。
 
音楽堂




 市庁舎を出て右手に進んでいくと、目抜き通りのクイーンストリート・モールに行ける。
クイーンズストリートモール


 アートな路地。
アートな壁



 右折して、フェリー乗り場のある方向に向かっていく。

 お土産屋さんをのぞいたらこんなものがありました。カンガルーの手の孫の手です。日本円で5千円ほどだった気がする。

カンガルーの孫の手



 このちょっと古い建物は、旧財務省で、1889年に建設されたもので、ゴシックリバイナル様式というそうです。

 今はカジノとして使われている。

1889年、歴史的建造物



 川に面して建っているちょっと変わった建物が無料の展望台のあるスタービルです。

スタービル



 川岸に移動しフェリーに乗ります。


 朝、ホテルの方から見た風景ですが、昼間だとちょっと感じが違う。 

昼間のアニバレ湾 (2)




  そしてここから見るとホテルはこんな感じ。遠くから見るとなかなかいいですが・・・。

ホテルが見えた



  もう一度内陸に向かい、現在のリン鉱石採掘場の見学。

リン鉱石採掘場 (4)



 トラックで運ばれた鉱石は、ここで粉砕され不純物なども取り除かれていく。


 日曜日なのでお休み。

日曜日だったのでお休み (2)



  大型の車もたくさんあった。

大型機械 (3)


  今はトラックで港まで運ぶが、以前はトロッコで運んでいたそうです。

  線路が残っていた。

線路が残っている


  ひっくり返ってるトロッコ

昔のトロッコ



  そして、町に戻る手前の所で、再びジャングルに入っていくと、そこには、旧日本軍の刑務所と指令室が残っていました。

  そういう施設はもう少し大きいのかなと思っていたのですが、かなりこじんまりしていて意外な感じを受けた。当時はもう少し規模が大きかったかもしれませんが・・・。

  
門がある。

旧日本軍の刑務所と指令室跡への道 (2)





 進んでいくと、岩にへばりつくようにしてあったのが刑務所。刑務所というより牢屋といった雰囲気だ。

刑務所跡小さい


  中

中



  こちらが指令室

指令室跡 (2)




  中をのぞくと

指令室跡 (1)





 官庁街に向かう前に中華レストランでランチ。クーラーはあるのだが、冷やしておいてくれなかったので、部屋は外より暑い。
  しかも日曜日は、アルコール類の販売が無いので冷たいビールも飲めず。

  観光の最後は、空港そばの官庁街です。

  途中、海に目を向けると、釣りをしている人達。観光客でしょうか?


釣りする人



  その奥には、中国のリン鉱石運搬船が見えています。本国までどれくらい時間がかかるのかしら?

リン鉱石を運ぶ




 警察署とパトカー。

警察署とパトカー (2)




警察署とパトカー (3)



  消防車。日本からの寄付。神奈川県伊勢原市からのものだとか。

日本から寄付された消防車



 隣が、国会議事堂。

国会議事堂



  共和制、1院制で任期は3年。議員数は19議席。

  国章。
上部の文字はナウル語で島、下部の文字は、国の標語が書かれている。盾の中左半分下の鳥は、オオグンカンドリ、右側の花は、シソーラスの枝。セレモニーの際に酋長がつけるヤシのロープとオオグンカンドリの羽毛に囲まれています

ナウル国章



 議事堂の左手にある建物は、司法省です。

ナウル司法省



  これらの建物の対面には滑走路を挟んで空港の建物が見えます。

滑走路の向こうにみえる空港の建物



  そして空港からは、こんな具合に国会議事堂が見えました。

空港から見た国会議事堂



  ナウル発17時5分、定刻よりやや早く離陸。明日から休航のせいなのか、お客はまばら。

滑走路明日から修理に入るそうです




  空から見た島。

上空から見たナウル (1)



  ブリスベン迄の飛行時間は、4時間半ほど。機内食も出ました。

機内食



  サービスのコーヒーのカップには、アニバレ湾の隆起珊瑚がデザインされていました。

アニバレ湾の写真がカップに



  ブリスベンの上空は、ひかりにあふれ久しぶりに都会に戻って来たなあという感じでした。入国もスマートゲートなのであっという間に通過。税関も私は止められませんでした。


  ブリスベンでは、本来なら1泊だけだったのですが、急遽2泊することになったので、明日は市内観光に出かけることになりました。


  


 このジャングルみたいなところから入ってゆきます。 

高射砲が残されている場所へ向かいます




 高射砲が設置されている場所は、かつてのリン鉱石の採掘現場でもあったので、道を切り開いた跡が残っています。
  
リン鉱石の採掘場への道でもあった


  切通し

切通し



  トンネルが続く。

掘られたトンネル




 海の底だったので、サンゴや貝の化石が見られます。


巻貝に化石



サンゴの化石かな




これらも (2)




これらも (1)



 視界が広がって、見上げると。

見えてきた





  もう少し上ります。

 残されていた高射砲。ここまで分解して運んだのだろうか?

残された高射砲 (2)

 


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 この穴は、高射砲の発射スペースに入るためのものだそうです。でも今は埋まっている。

射撃するスペースに入るための穴 (1)


 登ってみました。
登ってみました



 周辺は、かつてのリン鉱石の採掘場が広がっています。

昔の採掘現場



 海の方を見ると、リンの積出場が見えた。

積みだし施設が見えた




  同じ道を戻り、ナウル最後の酋長を記念した教会の外観を見学。

ナウル最後の酋長を記念する教会



  ここでも、イースターミサの影響か車の渋滞が発生していた。

主要道路は最高速度決められている



  標識

標識



  墓地。ちょっと小さめです。

墓地



 美しいビーチが広がるEWAへ。こんな標識がありました。

可愛い看板



 このかわいらしいピンクの小さな家、のぞくと何かのバブルでした。

、バルブがあった



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 本来ならナウルには、2泊の予定だったのだが、滑走路の修理が始まるとかで、今日のフライトが最後とのこと。

 急遽、今日1日で2日分の観光をこなすことになりました。でも、かび臭い愛想の無いホテルでの宿泊よりは、ブリスベンでのホテルの方が絶対いいので、 結果的には良かった。

  出発前ホテルが海に面していることがわかったので、散歩してみました。昨晩は、真っ暗だったし、部屋も変わったので、オーシャンビューではなくなっていたのだ。

  
ホテル



  このホテル立地はいいのだが、ともかく古くて設備がよろしくない。働いている方々も、やる気なし。

  夜明けの海。

  
ナウルの夜明け (1)




ナウルの夜明け (3)



  



  ナウル共和国は、島の大半がグアノと呼ばれる海鳥の糞が堆積して化石化したリン鉱石でできている。
  国土面積は、バチカン市国、モナコに次いで世界で3番目に小さい、21.1㎢これは品川区とほぼ同じ面積です。
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人口は、12760人、キリスト教徒が大半を占める。
  通貨は、オーストラリアドル。

  1968年独立。リン鉱石は、世界中に輸出され世界で最もお金持ちの国ともいわれた。日本との間にも、国営航空が定期便を飛ばしていたこともある。医療費、学費、水道光熱費は勿論、税金まで無料で、国民に生活費を支給するくらいだったそうだ。しかし、リン鉱石が枯渇すると生活は一変してしまった。

 裕福な生活に慣れてしまった国民だが、働くこともままならず、リン鉱石の採掘で居住、耕作が不可能になっているので、食料はほとんど輸入に頼っている。

 現在では、再びリン鉱石の採掘がはじまって、再建途中にある様だが・・・。


 フロントに掲げられていたこれは、国歌だそうです。国営ホテルだからといったところでしょうか。

ナウルの国歌らしい


 国旗のデザインは、ナウルの地理的位置を示していて、黄色の線は赤道を、青地は太平洋を現している。横線の下の白い星がナウルを現していて、星の12本の光は、国の原住民族を象徴し、白色は採掘されるリンを現している。


 なんと、ハイトラックが3台やってきました。冷房もちゃんと効いてうれしい。荷台にスーツケースを乗せての観光だ。

この車3台で回ります

 
 
  途中お店によって、水を買う。

お店



  教会がある。プロテスタントの方が多いそうだ。

教会




 
 海岸線に、リン鉱石の積出場がありました。あまりに古そうなので、稼働していないのかと思ったら、ちゃんと現役ですって。
  
リン鉱石積出場



  ナウルは、遠浅で大型船は近くにこられないので、延長ブリッジが設置されているという。

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延長ブリッジ。 (1)



 積出場の手前には、第2次世界大戦の慰霊碑がある。

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 太平洋戦争勃発直後の1941年12月より旧日本軍はナウルを攻撃し、翌年8月には占領した。そして島民1200人をトラック諸島に強制移住をさせ、多くの島民を死なせた。


 
 この碑は、海上で日本軍に射殺されたハンセン病患者の氏名が書かれているという。

海上で日本軍に射殺されたハンセン病患者の名前

 

  その日本軍が設置した山の上の高射砲が残っているというので向かいます。




  この施設は、発電所。

発電所



 リン鉱石関係の工場。

リン関係の工場


  この建物横の道を登っていくと、真水のラグーンがある。魚も獲れるそうだ。


真水のラグーン


  さらに登ってゆきます。少し登った場所からの眺め。

少し高いところから


  この辺りは、ヨーロッパ人が多く住んでいた場所だという。何となく開放的だ。

山へ

 
 


  日本のODAで建設されたベティオ港へ向かう。入れない場合もあると聞いたけれど、ガイドさんの顔で入ることができました。

 
ベティオ港桟橋



  入り口部分に

碑



 この道路を渡って

日本の援助で出来ました




  岸壁

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 こちら側から見ると、たくさんのコンテナが積んであるのがよく見えた。

たくさんのコンテナが




 ここから見る海は素晴らしかった。

海の色見本みたい




 ターコイズブルーというのでしょうか。

 島に近くなると海の色が変化している。


 沈んだ船がそのままになっています。
そのまま (2)


そのまま (1)


動く船と動かない船



 ホテルに戻り、ランチをいただきます。

 私はまたまた鮪ステーキをチョイス。味も付け合わせも違いました。パンの木の実をフライにしてある。これはおいしい。

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 ココナッツジュースは、ガイドさんの差し入れです。

ココナッツジュース


 ホテルの女性がつけていたキリバス土産。かわいいが、私は穴をあけていないのだ。

キリバスのお土産

 
 

 再びホテルを出発して空港に向かいます。



 途中、ジャパンコーズウェイで再びストップ。美しい海をじっくり味わう。

  



  空港には何にもないのでひたすら待つ。キリバス航空ってあるんですね。

エアーキリバス



  これが機体。

キリバスの飛行機



  島と島を結んでいるのだろう。

  こちらがナウル航空。思ったよりでかい機体でびっくりです。ナウルへは、1時間15分とある。

ナウル航空 (1)



 機内で提供された軽食。思いのほかおいしい。ワインもいただきました。

機内で配られたお菓子


  
 6か国目のナウル共和国に到着です。
 順調に入国できたし、荷物もスムーズに出てきたのに、迎えの車がいない。ようやくホテルに到着するも、予約しておいた夕食が用意されておらず、添乗員が慌てて注文したものの、閉店間際ということで、酢豚かチャーハンしかないという。


 おまけに中々提供されない。

 ようやく食べ終わって、部屋に入ったのだが、トイレの水が流せない。もう寝たいのに、部屋を変わる羽目になった。

 水回りは良くなったが、変な部屋だった。大きなキッチンセットはあるが、ハンガーをかける場所がない。トースターはあるが、冷蔵庫はない。古いのでカビっぽく枕カバーも臭い。

 寝るだけなので我慢かな。


  


  1943年11月20日、タラワ島(現在のベティオ島)にアメリカ第2海兵師団5000人が上陸。水際で、第3特別根拠地隊司令官柴崎恵次海軍少将を指揮官とする約4700人の日本守備隊の激しい抵抗にあい、戦いは4日間続いた。

  途中、柴崎少将の戦死もあったが、日本軍は23日最後の突撃を行い、翌日アメリカ軍は残存兵を掃討する。

  タラワ島をはじめ他の島々の戦闘、および航空戦が数次にわたって行われ、日本軍はギルバート諸島の全島を失った。この戦いで、日本軍は、捕虜となった人をのぞいて約4500人が亡くなっている。アメリカ軍も、海兵隊の死者1000人、負傷者2300人にのぼった。


 次に訪ねた場所は、墓地の近くでした。ハンモックで昼寝する島民の方。

  
お墓のそばにも残されていた



  連合国側の慰霊碑でしょうか。

タラワの戦いのメモリアル碑





 バラバラになってしまったものもった。


バラバラになったものも



  こちらは、ちゃんと残っている。

こちらにも





横から見ると




 土台部分だけが砂浜に残されている。いずれ海に運ばれるのだろうか?

台座は砂浜に転がっている




 さらに移動して、ガイドさんも何の跡だかわからないというものも。

なんだろうな (1)



 遠くの方では、子供達らしき姿も・・・。

近くでは子供たちが泳いでいた



  




  戦跡の最後は、当時の司令本部の建物を訪ねた。


  外観。隣はバスケットコートになっています。


司令本部の建物


 鉄筋が曲がっている。

鉄筋がひん曲がっている




  中に入ります。


ドア



  ここから登ってきました。


ここから登ってきました



  ずいぶん丈夫な建物なのでしょう。崩れることなく外観を保っている。

暗闇の中を (1)



暗闇の中を (2)


崩れ落ちている (2)


崩れ落ちている (1)



 この階段を登っていくと屋上に行ける。

屋上へ通じる階段



 屋上とは思えない。ジャングルだ。

これ屋上です (1)



これ屋上です (3)



 なんだか心がざわつきます。80年以上前、たくさんの方がここでなくなったのだということをしっかり心にとどめる。

  


 今日は、太平洋戦争における日本軍の戦いの跡をたどります。

 1941年12月10日には、占領布告書が発布され、日本軍が駐留してきましたが、1943年11月、壮烈な日米の戦闘があった。

  それは、「タラワの戦い」と呼ばれ、勝利した米軍にとっても、名高い激戦地となった。


  海岸線は、相変わらず美しい。この美しい海で、壮絶な戦いがあったとは想像ができない。

海



 いくつかコンクリートの建物が残っています。
これはバンカーと呼ばれる半地下式の強固な建物で、爆撃などから身を守ることができる。


バンカー (2)




バンカー (1)



  この建物は何かしら?

これは何だろう


  
入り口 (1)



のぞくと



  高射砲の土台がひっくり返ったまま海に放置されている。この海の沖から、米軍はアムトラックで攻めてきたようです。サンゴ礁の遠浅なので、思うように進めず、日本軍の攻撃を受け苦労した。

  
ひっくり返って海に沈んでいる高射砲の台



  高射砲。2機残されていた。

海に向けられている高射砲 (3)



 
正面から




海に向けられている高射砲 (1)




後ろから



  登ってみました。

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登ってみました (1)


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 下から見ると、

太い (2)



 もう1つのバンカーは、中に入れました。

もう1つのバンカーの中



  これも何かわからない。

これは台か



  中に入ります。

中はこんな感じ




 近くには、慰霊碑がありました。

平和のモニュメント



  

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