好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 大洋州の島々


最終日です。フライトは、日付の変わった夜中なので、ホテルは23時30分までつかえるという。

 今日は、1日自由時間になっています。

 私は、空からきれいな海を見てみたいなあと思い、少々値段は張るが、55分のセスナの遊覧飛行を申し込んだ。


 送迎付きなので、朝食の終わった8時半頃迎えの車で空港へ向かった。 


  空港へは、30分ほどで到着。誓約書に署名を行い、コースの案内を受け、フライト中の注意事項なども聞き、9時半出発。

  
20260223_081717


  右側のドアはついていないので、ちょっと冒険気分を味わえます。じゃんけんで勝った私は、迷わず前列右側のその席を選択。
  手を出すと持っていかれるので、気を付けてとのこと。

  セスナ機。

片窓はありません


  パイロット氏は、日本人で、本格的にガイドを始めてから1か月という新人さんです。でも説明はわかりやすかったです。

  離陸。すぐ海に出ます。
離陸


 眼下には、濃い青と薄い青のコントラストがきれいな海が広がっている。スマホを落としたらそれっきりなのでちょっと緊張する。

  
DSC04052


  昨日行ったミルキーウェイの上空に来たが、よくわからない。ただただきれいな海が広がっている。

  干潮時のみに現れるというロングビーチ

20260223_084903


  内海と外洋を結ぶためにドイツが人工的に作った、ジャーマンチャネル。マンタの通り道になっているそうです。
20260223_084851


 身をちょっと乗り出すと、手を持っていかれそうになる。
20260223_085207


 クジラ島。
クジラ島


 
https://youtube.com/shorts/cJluNpHjKLs


 蒼すぎる。

めちゃサンゴ礁



  
1000034705


  あんまり青いので、ルール違反のような気がしてきた。

1000034716



  昨日訪れたペリリュー島が見えてきた。
船の着いた北波止場
  
北波止場


  全体像

ペリリュー島全体



  十字滑走路の名残

十字滑走路の名残


  平和記念公園のあったオムルウム岬

オムルウム岬


  滑走路

滑走路


  住居地区

住民の住んでいる場所


  そして海からは近づけないというセブンティアイランド上空へ

サンゴ礁


セブンティアイランド


 
 
  
  ゆっくりゆっくり回ってくれます。

20260223_091313



 
20260223_091401


  船だ。

DSC04101


  ここは日本人が経営する、イルカの繁殖場らしい。

イルカの繁殖場


  町に戻ってきました。

コロール市内 (2)




コロール市内 (1)



  日本とパラオの友好のあかし、KBブリッジ。

KBブリッジ (3)



KBブリッジ (2)


  空港が見えてきました。

コロール空港が見えてきた


  着陸。楽しかったね。
着陸


  ホテルまで送ってもらい、少しカフェで休む。こんなにきれいな海ってあるんですね。空から見ることができて良かったです。

  お昼は、ビールとカップ麺で済ませ、少し昼寝。

アサヒビールは人気



  目を覚まし、スーツケースを作って、近所のスーパーに出かけました。

  たくさん、日本のものが並んでいるのに驚き。バッタもんではなくて正規品です。

  
20260223_104331



  
20260223_103858


  
20260223_104614



  夕食は、希望者だけで近くのレストランでいただきました。

  刺身。お造りにはなっている。

お刺身



  アジのたたき。身は締まっていないが、味は悪くはない。

アジのたたきというけれど


  ホテルに戻り、シャワーを浴びて、23時半予定通りに空港へ向かう。出発が遅れたが、グアムに向けて離陸です。

  今回は、余裕をもってグアムの到着。ラウンジもゆっくりつかえた。

  シュノーケリングやダイヴィングの好きな方にはお勧めのミクロネシアの旅でした。

  


 日本軍の戦車も残っているという。かなり鉄板が薄く感じる。スピードは出るかもしれないが、砲弾があたったら持たないだろう。 
日本軍戦車


 1944年9月、連戦連勝で意気揚々と、米軍は日本軍基地や船舶に攻撃を開始し、オレンジビーチから上陸を開始し3日で終わらせる予定だった戦闘は、日本軍守備隊のすさまじい抵抗にあい、3か月にも及んだ。

 その上陸の地オレンジビーチの近くにアメリカ軍の慰霊モニュメントが有ります。

米軍慰霊モニュメント

米軍墓地

 当時の写真。今はもうここには遺骨はないそうです。12月の写真はこんな感じだったのに。モニュメントだけは変わりません。
20260222_115836


 ビーチへ向かう途中、ぐちゃぐちゃになっていて、何が何だかわからないゼロ戦が有りました。攻撃することだけを考えて造られているので、攻撃されるとひとたまりもなかったそうです。
ゼロ戦 (4)


 オレンジビーチ。美しくて平和そのもの。 いつまでもこの平和が続きますように。

20260222_120121


 この後ようやくランチです。屋根が有り、泳げるようにもなっている場所が有り、そこでいただきました。
 
お弁当 (1)


 小休止し、午後一番で向かったのは、2015年当時の天皇両陛下が慰霊に訪れたというペリリュー平和記念公園でした。
 島の最南端に面しており、同じく激戦地だったアンガウル島を望むことができます。両陛下は、その島の方向に向かい、頭を下げられました。

平和記念公園


 どなたかがささげられたのでしょうか?
酒が供えられていた


敵も味方も


 アンガウル島
アンガウル島


 続いて米軍の水陸両用戦車をまじかで見る。
米軍の水陸両用タンク (3)


米軍の水陸両用タンク (2)

  鉄の厚さが違う。前の部分がぱかっと開いて兵隊が上陸する。

  再びアメリカ軍が整備をし始めたという滑走路、今は自由に通れるが、そのうち許可がいるようになるかもと、ガイド氏。
 
米軍が滑走路を作っています (1)


 日本軍の高射砲が残されているというのでそちらに向かう。岩穴のような場所に隠れるように設置してある。
日本軍高射砲 (1)


 ペリリュー神社。仏塔も有ります。
ペリリュー神社


仏塔


 最後は、山を少し登って、中川大佐たちが最後を迎えた場所の近くに向かいました。この山全体に洞窟が掘られ、敵はどこから飛び出してくるかわからない日本兵に疲弊したという。

  結局1944年、11月24日「サクラ、サクラ」の暗号を打電し自決された。

 当時の写真
中川大佐自決の地近くの洞窟


 現在。今でもこのようにたくさんの洞窟が残っています。
上空から見えない洞窟がたくさんある

 鎮魂碑。大佐たちのいた場所は、もう少し奥になるが、立ち入りが許されていませんので、ここで皆の冥福をお祈りしました。
鎮魂の碑

 港に戻ってくると10人位村民の方たちがいて、思い思いに日本語で話しかけてくれる。わかるものも有ればわからないものもあるが、ともかくうれしい。

 この文字に送られて、ペリリュー島を後にしました。
看板


  海は穏やかで、松島のような多島美を楽しめました。
今日は松島を楽しめた (4)

今日は松島を楽しめた (3)


今日は松島を楽しめた (2)


 ホテルに戻り、バーで1杯と思ったのに、なんと開いていない。仕方がないので隣のホテルまで歩いていくことに、飲みたかったのだ。

 パラオ製のビールですって!

バーで地-ㇽを飲む

 生きていることに乾杯。


 統治時代、住民が暮らしていた場所は、現在も、学校などが有り現在は700人程の人々が暮らしています。

統治時代民家のあった場所



周りには普通の墓地が並んでいます。
墓地にやって来た


 たくさんの慰霊碑が並んでいる。それぞれの思いが詰まっている。ガイド氏の方の持って来られたお線香をあげさせてもらいました。
いろいろな慰霊碑が




様々な方たち


 亡くなった方の中には沖縄の方も多かったとか。

泳ぎの得意な沖縄の方たちも多かった



 戦車隊の方。

戦車隊 (1)



 以前は博物館だったが、老朽化に伴い使われなくなってしまったという日本軍の燃料貯蔵庫

だったといいう建物。艦砲射撃で攻撃された跡が生々しく残っています。でも丈夫いもんですねえ。

弾薬庫だった建物、博物館として使われていた


 説明板には、重厚な戦車の後ろに攻撃された建物が写っています。

20260222_112659



  鉄筋がむき出しになっているものの、
艦砲射撃で攻撃された (1)


艦砲射撃で攻撃された (2)


 中をのぞくと思ったよりきれいでした。博物館として使っていたので修理したのでしょう。

建物内

 建物の裏手に回ると、アメリカ軍の500ポンド爆弾や魚雷が置かれている。

米軍の500ポンド爆弾


魚雷 (1)



 これは機雷。

アメリカ軍の機雷


  次に訪れたのは、司令部だった建物。
ちょっと高床式になっています。

DSC03970



  無残な姿になっていますが、明るいモルタル塗りで仕上げられた天井。

天井


 戦後80年も経つとさすがにコンクリートもやせてきていますが・・・。

DSC03971


 2階部分への階段。以前は登って見学できたそうですが、さすがに危険だという事で登れなくなっています。

2階へ今はいけません


  ここには、爆弾が落とされています。

こんな感じ



 穴の下に立つと

穴は開いても壊れない



 実は、この裏にもう1つ部屋があるのですが、そちらは全く被害を受けていないのだ。島民の方たちは、10年に一度くらいの台風の時には、この壊れなかった部屋に避難するそうです。


  トイレとお風呂。

トイレ (2)


  風呂は立ち湯。

風呂は立ち湯


 格納庫

こんな感じで


  ガジュマロにおおわれている。

ガジュマルに覆いつくされている



ぼろぼろ


 建物の隣には防空壕も有ります。

防空壕


  コンクリートが突き出しているのが空気穴。

空気穴


  


 今回の旅で、最も行ってみたかった場所がペリリュー島だ。第2次世界大戦において激しい戦闘が繰り広げられ、戦跡も数多く残されている。


 現在の我々の安寧が、先人の苦しみの中生まれたものだという事を記憶にとどめておきたいと思った。


 コロール島から南西に約40㎞、スピードボートで約 1時間25分ほどかかりました。今日は天気も良く、濡れることもなく無事到着。

こういう船で向かいます

  ペリリュー島は、南北に長く、北の港は遠浅なので上陸に向いていない。その港に我々は到着しました。潮が満ちている時間だったのでマングローブは沈んでいたが、帰るころには根っこの部分までむき出しになっていました。

 カラフルな港の建物。

北波止場の建物


 突堤から海を見るとこんな感じ。

北側は遠浅で大型船は接近できない



 今日のガイド氏は、元習志野の空挺部隊におられたという自衛隊員方でしたので、説明がよくわかった。

  桟橋をかけようとしてままならずにコンクリートの柱だけが残っている場所。

戦争時に桟橋をかけた


  道路端にある洞窟は、千人洞窟で中は迷路のようになっているという。一部入れます。島には至る所に洞窟が掘られていて、そこに隠れて待ち構え攻撃をしたという。どこから敵の攻撃が行われるかわからないアメリカ軍は、恐怖だった。
  こういうゲリラ戦は、後のベトナム戦争などでもアメリカ軍は苦しんでいます。

  岩山に掘られた洞窟はジャングルの中なので上から見ても全く分からないのだ。

  
洞窟 (2)


  中にはいくつかの小部屋があり、出口もあちこちにあった。

1000人洞窟


 キリンビールなどの空き瓶も残っていてなんとも言えない気持ちになる。

軍人さんたちが使ったもの


  これは鍋かな。

鍋



 外から火炎放射器で、焼かれた跡。黒くなっています。

火炎放射器で焼いた跡が残っている


  車で移動して、博物館に向かいます。
途中見かけた常陸太田市から寄贈された救急車。ここに派遣されていた方の中には、茨城県の方がいらしており、生き延びた34名も水戸の方だったことから茨城県とは交流があるそうです。

  
常陸太田市からの寄贈


  博物館展示物。

博物館


  地下足袋はいていたのか?

地下足袋で戦ったのだろうか



DSC03932


島には十字の形に滑走路が走っていた。今でもそのうち1本は残っています。左奥の小山が激戦地だった場所です。

十字滑走路

  
 機関銃
  
機関銃



 これは沖縄海兵隊のエンブレムです。実際に戦ったわけではないが、1944年の攻防戦にいて中心になって戦ったのが、米海兵隊第一師団でした。現在沖縄にある「キャンプバトラー」は、海兵隊の拠点でありことから、かつての激戦地パラオに展示されたのでしょう。
 中央の鳥居は、戦後、海兵隊の司令部が沖縄(日本)に置かれたことを象徴している。

 沖縄海兵隊のエンブレム



 天皇陛下と思えと当時は言われたという旭日旗。

旭日旗



 たくさんの薬莢や砲弾が使われた。

つかわれた砲弾や薬莢など


  日本軍は全滅したかと思っていたら34名の方が、生存されていたそうです。でも、にわかには戦争が終わったことを信じることができず、・・・


34名が残った


  三十四会(みとし)という親睦会が作られていたそうです。

  最近はアニメや漫画で紹介されるようになり、様々な世代の方が興味を持つようになってきたという。
  
最近人気の漫画


  


 道路端から見えたこのコンクリートの塊。トーチカです。島内には、500カ所ほど残っているそうだ。 半分ほど埋まってしまっているが、下の方に四角窓が見えている。

町の中のトーチカ




 島のあちこちに、台湾の援助を知らせる看板がたっていました。これは消火栓の改修プロジェクトある。
台湾の援助が入っている消火栓改修プロジェクト

 パラオの国旗は、青地に黄色い丸のデザインだが位置が少し左に寄っているのが特徴です。
青は太平洋と主権、黄色の丸は満月をあらわし、独立・繁栄・平和・愛の象徴だ。


  裁判所の建物。日本時代の物です。

裁判所


  この燈篭のようなものも、日本時代の残り物。


日本時代の物



こちらも


  当時はこの奥に、日本の重要な建物があったのだろうか?

  パラオには、南洋庁が置かれていたので、そのトップが住んでいたらしい場所。現在はこの門柱みたいなものだけが残っています。
  
DSC03844



  博物館に到着。見学します。

博物館


  先ほど見ていた燈篭のような建物の写真。上の部分がちょっと違うがこんな感じだったのだろう。

DSC03850



 こちらも裁判所の説明

DSC03848


  こちらで暮らしていらした方のお店。戦後80年。ご子孫の方は、どうしていらっしゃるのだろうか?

統治時代



 興味深い建物が屋外展示でありました。

 パラオの伝統的な建物「バイ」です。

パラオの人の集会所


  男性の集会場で共同体の中心的な建物で、壁面や破風には、パラオの歴史や神話を示す色鮮やかな彫刻や絵が描かれている。

 漁の様子、不貞を働いた女性、カツオなどの獲物、力の象徴サメ、人々の暮らしなどが描かれています。
それぞれに意味がある


 側面。鶏の絵

横の部分



 中はこんな感じです。

中はこんな感じ


  建物のそばには、石が寄せ集めたようなスペースがあるのだが、女性達には聞かせないようにしてここで会議の打ち合わせをするそうです。長い時間かかるようで背もたれまでついている。

  
前もってここで打ち合わせをする



 車の中から見たパトカーと消防車と救急車。ちなみに刑務所はあるそうですが、死刑囚はいないとのこと。
  
パトカー



消防と救急車



  水陸両用の戦車が残っているというので行ってみました。かなりボロボロです。厚さもペラペラで頼りない。
  
水陸両用戦車



上から見たところ



  出征する軍人さんが、お参りをしたという南洋神社の鳥居。参道はもう残っていません。

南洋神社の鳥居 (1)



  海岸線に戻って来て、海の満ち引きでたまるというプールを見学。大小あるのは子供用も併設されているからだ。引き潮で水がない。

大小のプール

  

  ここはちょっとした公園のようになっているのですが、海に目をやると、水陸両用の飛行機飛行艇の発着場が残っているのが見えた。斜めになっているところから離発着した。
  
水上飛行機の飛行場


 朝のものすごい雨が嘘の様です。ここのところ雨雲がとどまっていて毎日スコールが来るとのこと。明日はペリリュー島なので晴れて欲しい。

  


 日本人にも人気の国パラオ。青い海よ青い空が印象的な、ダイビングやシュノーケリングの島や、第2次大戦の激戦地だったペリュリュー島 などがある。

 屋久島とほぼ同じ面積の島に約1.8万人が暮らしています。おもな産業は観光業で、街を歩いていても飲食店や土産物屋さんが目立ちます。

 他の2島と同様、スペイン人がやって来て支配、そののちにドイツに売却され、第1次大戦後は、日本の統治下にはいった。

 1922年、南洋庁本庁がここコロールに置かれた。第2次大戦後はアメリカの支配下に置かれ、1981年、自治政府が発足。

 1994年。正式に独立を果たした。

 町のあちこちに日本時代の名残が残っていているのは他の2島より濃い気がしました。

 きょうの午前中は、ロックアイランドに向かい世界遺産の石灰岩の美しい小島を楽しむことになっているのだが、天気が芳しくない。どよーんとしていて、今にも振り出しそうな感じ。

 港に停泊していた大型クルーザー。
お金持ちの船



 狭い水道を通ります。大型船では無理なところも小さな船だと抜けられる。

狭いので通れないこともある

  

  横を見ると、日本語が描いてある。水道の文字しか見えない。右から左へと書いてあるので日本時代のものだとわかる。

漢字で水道の文字




 水道を抜けるとコロールの町が見えてきた。このころになると、雨はますます強くなり、正面を向いていられないほどになって来た。


大雨なのでこんな人も



松島のような多島美を楽しむはずだったのに



  もう拷問としか思えないほどの降りになってきました。

https://youtu.be/UaCeWeVhc7o

  再び狭い場所を通り抜ける。上の方にみえているコンクリートは、戦争中のトーチカだそうです。


上にトーチカがある


  とここに来て奇跡的に雨が止んだ。ミルキーウェイに到着したのだ。
なんという水の色、自然界にもこういう色って存在するのですね、まるで絵の具で作ったようないろだ。

20260221_111151



 ツアーでやってきた方たちでしょうか。筏の上で体に泥をぬっています。ここの海底の泥をパックするとお肌にいいとかで人気のアトラクションの1つ。

ツアーが有ります

https://youtube.com/shorts/GjXBkKvbzj



泥パックをしている



 と私たちの船のアシスタントさんが海に潜り、泥を持ってきてくれました。


アシスタントの人が泥を取って来てくれた



  なめらかな泥は、かすかに硫黄のにおいがした。確かに肌によさそうだ。

  いったん止んだかにみえた雨でしたが、再び強く振り出し、下着迄濡れてしまったようなので、予定を繰り上げホテルに戻ることにします。

  最後に紹介してくれたのが、岩絵でした。

 この島のどこかに赤い染料で描かれているのですが・・・。

岩絵のある島 (1)



赤い顔料で何か描かれています。時代や意味などは何も解っていないそうです 。

岩絵のある島 (2)



 ホテルに戻って手短に着替える。思ったより濡れていてびっくり。この後は、お昼ご飯です。
怪しげな日本風レストランで変な海鮮丼をいただきました。ビールが9.5ドルもしたのには驚き。ぼったくりです。ホテルより高いわ!缶ビールだよ。

 
昼ごはんのレストラン

  
海鮮丼


  食事の後は、島内を観光します。


 今日は完全に移動日。

 朝食をいただき空港へと向かう。

 ホテル前のかつての中国大使館の建物。 


かつての中国大使館


  ホノルルからやって来たUA機は、マジュロ~(55分」)クエジェリン(軍の関係者しか乗り降りできません)~(1H15分)コスエラ~(1H10分)ポンペイ~(1H20分)チューク~(1H35分)グアムとのりつぎ、グアムで入国出国を繰り返し、UA193便にてパラオに向かいます。パラオまでは2H10分。到着時間は、夜の9時過ぎになってしまう。

  乗っている時間だけでも8時間以上、機内待機している時間も合わせると、なんと半日以上かかってしまう長旅だ。

  しかも、マジュロに到着した時点でもう30分以上遅れているので、下手をするとグアムで乗り継ぎに間に合わない可能性だってある。まあ同じ飛行機会社だし、向こうの都合で遅れてくるわけだからたぶん大丈夫だとは思うが・・・・。

  というわけで、昼食も夕食も飛行機の中なのだが、あいにく食事サービスはなく、最後のフライトで軽食が出るのみ。

  なので、現地会社にお弁当を手配してもらい、機内でいただくことにしました。

  空港にあったこのマークは、海洋資源当局のマークですって。ちょっとかっこいい。

海洋資源当局のロゴ



  途中、コスラエ島でも理由がわからないが大幅に遅れが生じた。
  地上係員は、こんな感じです。

  
コスエラ島の待機中の一コマ (2)




コスエラ島の待機中の一コマ (1)



  ようやく飛び立ったよ。タンクが見える。

たくさんのタンクが見えるコスラエ島



 機体はぐるっと回って再び海に出た。海岸線にみえている青い四角は、砂浜が侵食されないように物体を埋め込んでいるものらしい。大洋州の国々はどこでも、国土が侵食したり沈んでしまうことが大問題になっているのだ。


海岸線の浸食を防ぐもの、人工物を埋めてある


  チューク諸島上空では、海に伸びている環礁がみえた。

20260220_174909


  後少しでグアムというところまでやって来た。ふつうにしていたら間に合わない時間になってしまっているが、地上と連絡を取り、待たせることになったとのこと。ほっとする。

  
グアムが近づいてきた


  滑走路上で、シートベルトサインが消えたと同時に通路を駆け抜ける。その後も走ります。何せ、入国審査、関税の申告、出国を繰り返さねばならないのだから忙しい。

  走りましたよ、我々を呼ぶアナウンスが響いている。しかも搭乗口が変更になっていた。そんなこと聞いてないよう!

  でも何とか滑り込み無事パラオに向けて離陸できたのでした。

  明日は、船から見える島めぐりと島内観光です。


 お昼ご飯は、マーシャル料理も出てきました。

 おなじみのパンの木の実を使ったスープ。薄味でおいしかった。

パンのみのスープ


  ミクロネシア地域ではよく飲まれているビール。バドワイザーのライト版。アルコール分は、ほとんど感じない。
  
アサヒの現地版



 
  ご飯のプレート。たくあんがのっています。ミクロネシア連邦ではほとんど出てこなかった野菜も結構食することができてうれしい。

たくあんがのっている




 メインはこちら。白身のお魚を素揚げにして、ちょっと甘いソースをかけたもの。個人的にはお醤油の方が合うなあと思った。魚はうまいよ。
 
お魚のから揚げ



  ガイドさんの会社がやっているショップの前に置かれていたリヤカー。結構高い。

リヤカーは高い



  一本道路を西へ西へとはしっていきます。


  太平洋戦争の慰霊碑がのある平和公園。

平和公園


  背後には、アーチストの作品。ふつうのブロックかなと思ったら違うのですって。

アート作品


  さらに西に進んでココナッツを使った石鹸を作っている工場に立ちよる。家内工業みたいな感じで、作られていました。
  
石鹸工場


  切れ端がたくさん。お土産にいただきましたよ。

切れ端。何個かお土産にいただきました




  そして、マジュロ島に最西端に到着。小さなビーチが有り、風が弱ければ泳げるのだろうが、あいにくこの日は、びゅうびゅう吹いていたので誰も泳がず。

  
最西端のローラビーチ


  陸地が削られていくのがよくわかる。

かつては巨木だったのかしら


  海に沈めようと持ってきたもののそのままになっている飛行機。

置かれたままの飛行機



  そしてものすごい巨木。テリハ木だろうがともかくでかい。樹齢はわからないが、圧倒される大きさだ。

  
巨木



テリハ木らしい


  ビーチよりも巨木の方が私には、感動でした。

  ホテルに戻ってきたのは、4時過ぎくらい。シャワーを浴びて、明日の用意をざっとしておく。明日は、アイランドホッピング便で、パラオに向かうのだ。


  夕食は、ホテルのレストランでいただきました。
チキンとポテトサラダとご飯。

夕食

このページのトップヘ