スタッフの見送りを受けて下船します。
彼らは、我々と入れ替わりのお客を乗せてまた航海に出るようだ。
講座の先生や、日本から同行してくれたカメラマン・板前さんは私達と一緒に帰国します。
帰りの便も、往路と同様航空会社が別れていますが、さらに2つのコースが増えている。
イグアスとウユニ塩湖の向かうチームが有るからだ。それぞれ追加料金を払って寄り道をして帰る。
私は、幸いどちらも訪問済みでしたのでパス・・・。
大勢が一度に向かうと混乱するので、回る場所の順番を調整しているようで、我々のグループは、最初に世界最南端を走る列車に乗るという。
別名「世界の果て号」といい、1909年の開業し、ウシュアイアにあった刑務所の人員移動や木材運搬を行った。
この過酷な地で、囚人たちは、材木を切りだす任務を担った。軌道は、600mmで25kmの営業距離、最盛期には町まで伸びていたというが、現在は約7kmの営業となっている。
しかし、1949年のフエゴ島の噴火により被害を受け、1952年一旦廃業された。
その後、1994年「世界最南端の列車」として営業を再開、軌道500mm、非電化路線として最後の約7km区間を、蒸気もしくはディーゼルで動いている。
列車大好き人間なので、かねてから乗ってみたいと思ってたのでテンション上がります。
中心地を抜けると住宅地に変わる。

その名も「世界の果て駅」ですって。

中に入ります。

我々の列車は、チャーターなのでほかの乗客はいません。
出発前の短い時間を楽しむ。
機関車は、3種類ほどあるようだ。
これは、L・D・ポルタ号。1994年製造とある。

こちらが我々ののるH・R・スビエタ号だ。2006年の10月運行の一番新しい列車だという。

駅に展示してあるこれや、ウシュアイアの博物館にあったものは、もっと古い。

この建物は、指令室かしら?

マーク。

客席はかなり小さく狭い。4人掛けになっているがそれは、小さな我々でもちと苦しいくらいだ。
こんな感じで、ゆっくり走っていく。アナウンスは、日本語。

途中で一か所止まる。「マカレナの滝」駅だ。この辺りには先住民が住んでいたようです。
車掌がホイッスルを吹くまでは、降りていても大丈夫。

ここでは囚人服を着たスタッフが出迎えてくれた。

滝を見に行きましたが、滝という程のものではなくてがっかり。
上から見下ろすと

ここからさきは、世界的にも貴重な森に入っていくのだ。
国立公園との境界を越えて、進んでゆく。
手前はピポ川。

公墓樹木という説明。囚人たちが切り倒した大木の切り株が延々と続く。見ていると空恐ろしくさえなってくる。ほとんど燃料として燃やされたのだ。

ここは、有機生物とミネラルが密集してできた泥炭地帯でもある。それはフエゴ特有のものでもあるらしい。
しばらくすると、今度は森の中に入って行き土も赤くなった。
あ!馬だ。

終点の国立公園駅で、先に行って待っていてくれたバスに乗り換え公園内を少し見て回ります。
我々も通ったビーグル水道をみる。
看板


これは世界最南端にあるポスト。投函もできますが、すごい人でかなり時間を費やし、回るはずだった所がカットされた。興味のないものには、ちょっと残念でした。

バスの中で見た、チケットに描かれている鳥。名前も聞いたのだが…うーん思い出せません。

これは国道3号線の終点を表したもの。
アラスカからの距離が描いてある。ビーグル水道のもっとも北にあるラパタイア湾から近いところにありました。

アンデスの山々に囲まれたラパタイア湾。遠くには、チリの山々も見えていたりする。
ビーグル水道の真ん中に国境があるようです。そもそも地図を見るとフエゴ島自体が、チリとアルゼンチンに別れているのだ。しかもその境界線は、直線になっている。湾は、長い間両国間の領土問題になっていたが、1984年にアルゼンチン領ということで決着がついた。


これで本当にすべての観光がおわり、ウシュアイアの空港へと向かう。
ここはスムーズにいったのだが、ブエノスアイレスでものすごく時間がかかった。ユナイテッドのチェックインに長蛇の列。南米から、アメリカに入る時には必ず幾つかの質問にこたえなければならない。
その後にようやくチェックインができる。
チェックインが終わってからも、まだまだ油断はできない。
出国にものすごく手間がかかるのだ。どうしてこれほど時間がかかるのかわからないのだが、ともかくずらっと並ぶ。
それでも、私は早い方だったのだが、ツアーの中には、待たされているうちに気分が悪くなってしまった人もいたらしい。多分船のダメージが残っていたのかも・・・。
ヒューストンまで10時間ちょっと、ヒューストンから成田まで14時間ちょっと。やはり遠いわあ!
でもこれで、アルゼンチンはもう訪ねることも無いと思う。
南極は、本当にきれいでした。