目が覚めたら3時だった。ところが荷物出しの時間が判らない。メモが見つからないし記憶もあいまい。
隣の部屋が仲間だった事を思い出して電話して事なきを得る。
スーツケースを作って荷物を出し、目覚ましを再びかけてもう一度寝なおす。ともかく眠い・・・・。
4時45分ホテルを出発空港まではすぐの距離だ。
空港の建物の外でお世話になった2人に別れを告げる。本当にいい時間をくださってありがとうございました。
早朝故人影もまばら、スムーズに手続きは進み、出国する。
待合室はこんな感じです。清潔ですが、ショップが無い・・・・。隅に1軒あるだけだ。

早く来たのでかなり待ってようやく機内へと案内された。ダッカまでは、1時間20分のフライトだ。
空港建物。

これにのります。 国際線とはいえ、ものすごく小さい。

飛び立つとすぐ遠くに美しい山々が見えて来た。ヒマラヤ山脈だ。エベレストも見えているらしいが私には識別ができませんでした。


ダッカに降り立つと、人の洪水が待っていた。メッカからの巡礼の帰りだという人々でごった返している。
やっとの事で外に出ると、押し返すような熱気がおそってくる。うーん厳しい・・・・。
懐かしい、アクタルさんモドライバーさんもアシスタントの男の子もきれいな格好で出迎えてくれました。「今日はきれいな格好だねえ」との声に「旅の最中は中々きれいにできなかったので、今日は最後なのでちゃんとしてきました」との事。有難うございます。
街に出ると、喧騒は一層激しくなりひっきりなしにクラクションが鳴らされている。渋滞にはまり遅々としてすすまない。目指しているのは、古都ショナルガオンだ。1時間ほどで行ける所なのだが・・・・。
スムーズに進まないのにいらいらしているのは、ガイドさんで我々は、それほど気にもならない。
川のそばに位置し水運の中心だったショナルガオンは、ヒンドゥー語で「黄金の都」と呼ばれ、かつてのベンガルの首都だった。
しかしムガル帝国が支配すると政府の一部となってしまい、首都がダッカに移されると急速に衰えてしまった。
これらの通りは、『パナム・ナガール」、今は住む人も居なくて廃墟と化している。インド人が住んでいたが、政情不安で帰国してしまい豪華な建物だけが残された。



これなんぞ、屋根もない。

それにしても暑い。暑さは人間からやる気を奪ってゆく。
ここからは、リキシャに乗ってもう一つの見どころである、「ゴアルディ・マスジット」すなわちモスクに移動します。沢山のリキシャがやってきましたが、それぞれの状態は、20点くらいから80点くらいのものまでまちまちだ。1台に2人が乗るのだが、20点のに当たるとお尻が入りきらない。おまけにクッションが無いのでがたがた道では痛くて仕方が無い。
私達は、行きは20点のに当たってしまったので、帰りは何としても60点くらいのリキシャに乗りたいとひそかに話し合ったのでした。(*^^)v
ゴアルデイ・マスジット、1519年の建設。それまでのスルタン式のモスクと比較するとより美しさが際立つ。アーチ部分のテラコッタの装飾も美しい。今は保護のため中に入ることはできませんでした。



日本人が珍しくてここでも人が集まってきました。

再びバスに乗って渋滞の中ダッカに戻ります。渋滞の原因はトラックの横転で道をふさいでいたからでした。
途中お昼ご飯をいただいて、市内の民芸品などを売るお店へ案内されました。ここはキックバックもなくNPOが運営しているとの事。さっきまでぐったりしていたのも忘れて時間オーバーしての買い物となりました。
この後は、初日に利用したホテルにチェックインをし、深夜まで休みます。
ふんだんに出るお湯に心からほっとしたのでした。
夕食の後、22時半に再び空港へと向かう。長い様な気がしていたが、あっという間です。
香港乗り換えでそれぞれ最寄りの空港へと帰って行くのだ。
今回もとても楽しい旅となった事を感謝です。