好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:北アフリカの国々 > リビア

 
 ドバイでは、例のトランジット客のためのフリーのレストランにて時間を過ごす。
 
ここで、成田組と関空組に別れるのだ。今回メンバーは、良い人ばかりで楽しく過ごせた。ハプニングは、それなりにあったのだが、みなゆったりと待つことができる人ばかりでした。
 
 ここで大好きなデ―ツを大量に仕入れる。やはりドバイのものは、質がいいように思える。
 
 離陸の時、雷が発生したとかで、少し遅れて飛び立ったが、順調な飛行で定刻より少し遅れただけで関空に着いた。
 
 エミレーツの無料バスの発車時間までかなり時間があったので、よほど新幹線で帰ろうかと思ったが、急いで帰ってもどうせ今日はやること無いのだからと、3時間近くを空港で過ごした。
 
 結局家に帰ったのは、夜の10時を回っていたかな・・・・。
 
 長い間お付き合いくださってありがとうございました。リビアはこれでおしまい。
猫のコーナーに、リビアで出会ったの猫の写真あります。よかったらこちらも見てください。
 
 
 今年はこれで、海外旅行は終わりです。
来年も、何とかでかけられるといいな。
 
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 レプティス・マグナの凱旋門を飾っていたレリーフです。
4つあり、そのうち2つは、「皇帝の勝利の行進」残りの2つが、「生贄」と「セウェルス帝の家族」となっている。
 
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他にも、勝利の女神のレリーフや、マイルストーンもありました。
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 自由時間は、ほとんど無くて駆け足で回ることに・・・。
アラブの時代の女性の衣装です。
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博物館の窓からは、港がよく見えました。
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 これですべての観光が終わってしまった・・・。やはりあっという間だったという感はぬぐえない。
空港に向かう途中、ちょっとだけスーパーに寄ります。
オリーブオイルを買う人、ナツメヤシクッキーを買う人、それぞれです。私は、はちみつとクッキーを買いました。
 
 液体物を買ったので、空港で荷物をスーツケースの中に入れてからチェックイン。
 
 そのあと、空港ビルの2階にあるレストランで食事をとる。といっても種類はなくてなんだか定食の感じでした。
 
 ここでお世話になったガイドさんとお別れです。
「シュクラン!!!」
 
 免税店は何もないので、乗り継ぎのドバイでお土産を買うことにする。
 
 飛行機に乗り込み、安定飛行になった。アテンダントのサービスが始まった。
「うれしいな!ワインが飲める・・・♪」
赤ワインを2本あけて、ちょっと寝たら、もうドバイの上空に来ていた。
 
 旅もいよいよ終わりが近づいてきました。
 
 

 
 現地最終日である。相変わらずの朝食を食べた後、バスにてジャマヒリーヤ博物館に向かう。
 
本来なら犠牲祭に当たるので休館日だったのだが、各国のツアーのガイドや添乗員が交渉した結果、開館だけはOKになったそうだ。
 
 でも、普段は9時が開館時間なのだが少し遅れてオープンとなってしまった。おかげで、本来ならゆっくり見られるはずだったのに、駆け足での見学になってしまったのが少し残念だ。
 
 お城の中で唯一公開されている場所である。4階建ての建物。
 
エントランス部分をはいるとすぐ飛び込んでくる変わった形をしたものは、ギルザ墳墓だ。4世紀の墓だという。
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展示物は、先史時代から革命後のリビアまでだ。カダフィ大佐に関係するものも多いが、それらはあまり興味がない。
 
見所は、やはりローマ時代の彫像やモザイクだ。
 
これは大理石とモザイクがデザインされたもの。じっくり観察して作ってある。
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こちらは、剣闘士のモザイク。
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エジプトが支配していた時期があるせいか、こんなものも。ミイラです。
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お供え物をささげる台
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セイリーンのローマ浴場で発見されたカリス三姉妹像、それぞれ、輝き・喜び・花の盛りを表しているという。思わずさわりたくなってしまう(*^_^*)
 
 
レプティス・マグナのローマ劇場で発見されたアテナ像。胸のところに斜めについているものは、ヤギ皮でできた防具。
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世界でも有数の細かさを誇るモザイク画。表面も滑らかに磨かれていてとてもきれい。
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牛の睾丸を付けたアルテミス像。小アジアやオリエントによく見られる豊穣多産を願う地母信仰と関係しているとみられる
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こちらは普段われわれが想像するヴィーナス
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一番初めに訪れたトルメイタの博物館でも見たフォーシーズンモザイク。こちらの方が圧倒的にできがいい。1世紀。上から時計まわりに、冬・春・夏・秋を象徴した女性が描かれている。
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他の博物館でもよく見るローマ時代の彫像群
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生き生きとした当時の生活が描かれたモザイク。釣り。
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船に乗って
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こちらは、ニケ像。
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レプティス・マグナの凱旋門関係の出土品は上階にあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 ローマ劇場は、コモドゥス帝によって建設された、堂々たる建築物だ。
イタリアによる修復が進みすぎたという声もあるが、それでも中に入ると圧巻されてしまう。
 
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 観客席は5000人を収容でき、舞台は幅37m、奥行き7mにもわたり、3層構造の楽屋を背後にもっている。
   舞台下には、VIPのための部屋や、着替え室などがあった。
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 ここでは、仮面をつけた男優がギリシャ神話や様々な悲劇、又、パントマイムなども演じていた。
舞台正面の基部には、ヘラクレスや哲学者の彫像が描かれている。目を引くのは、この劇場で最も多く上演されたというサテュロス劇のワンシーンを描いたものは、とても生き生きとしていて素晴らしい。
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  遅い昼食は、犠牲祭で休みの所を無理を言って開けてもらったという。焼き魚がメインのとてもおいしい料理でした。
 帰りにスーパーによってお買い物をするはずでしたが、こちらもやはり祝日のため閉まっていて残念!
 
 そこでいったんホテルに戻り、小休止の後、市内をぐるっと見せてくれるという。
 
われわれは、最初のほうの自由時間に見て回っていたのだが、もう一度いくことにしました。
 
 ホテル近くの遊園地、家族連れでにぎわっています。観覧車、メリーゴーランドなど・・・。
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 そこに遊びに来ていた子供です。綿菓子ってどこにもあるんですね
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 市の中心部
 
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 ここで、ドライバーさんとガイドさんはどうしてもお祈りしたいので時間をくれないかと希望していると添乗員から話があった。犠牲祭のお祈りは特別なので、どうしてもしたいという。
 
 われわれは、急いでいるわけでもないので「どうぞ。どうぞ。」という感じ。待っている間、モスクにでいりする人々を観察する。
 戻ってきた2人は、目に涙をためていた。聞けば、イタリア人などのヨーロッパからのお客は、時間をくれないのですって・・・。「日本人は本当にやさしい。このことは忘れません。」とのことでした。
 
 夕食は、この国で食べる最後の晩餐なのでちょっと高級なところに連れて行ってくれました。ホテルの雑な食事とは違って雰囲気のあるレストランで大満足だった。ワイン飲みたいよー!
 
 明日はいよいよお別れです。
 
 

 古代、人々が行き交った東西・南北の交差点。デクマヌスとカルド
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 そして広大なアプレイウスのバジリカ。ここの地下には巨大な貯水槽がつくられていて、今ものぞくと大きな空間が広がっています。貯水槽からは水路があちこちに伸びていた。
 エジプトの花崗岩も建材に使用されており、この地がエジプトと関係が深かったことを想像できる。
 
 バジリカの裏手には、聖水をためておく石をくりぬいたものがある。変わった形をしています。
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  広場にある頭の無い大理石の彫像がある。ここには、噴水があった場所だ。4体の彫像があったというが残っているのは1つだけである。
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 彫像に向かって右側にあるのが、アントニヌスの神殿だ。26段の階段が残っている。たった26段でも、平らなここではかなり見晴らしが利きます。
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 アントニヌス神殿から見た、ディオニュソス神殿の本殿跡。 
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 ディオニュソスとは、ギリシアの(バッカス)で、古代イタリアでは、りベル・パルテと呼ばれ豊穣の神。贅沢で広大な建物だったらしいが、365年の大地震で倒れた後は再建されることはなかった。
 
 元老院の後ろに広がっているのが、セラピス神殿。ギリシアのゼウス神とエジプトのイシス神を習合させた医療と豊穣の神だ。サブラータで最も古い神殿とされているが、現在は列柱のみが残っている。今も使われるセラピーの語源となった。ここではいろいろな文化が入り混じっていたこのがよくわかる。
 
 元老院跡。花崗岩・柱には雲母大理石の使われている。長方形に議場が広がっており、左右の階段は参加者が多い時には腰かけ変わりにされたという。
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すぐそばには海がせまっている。大地震の際沈んでしまった建物が、まだ眠っている・・・。
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 庶民の行き交った道沿いには、たくさんのオリーブ圧搾所が残されている。いくつかの小さな仕切りがあり、絞った油の質によって分けられていた。この通りには、ワインやオリーブの貯蔵庫もあります。
 
 
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 海に面した浴場では、日本でも人気のある、「海の見える露天風呂」なんてものを想像してしまった。床のモザイクがきれいです。
 
 
 本来のツアーはここから、ローマ劇場に向かって終わりになるらしいのだが、添乗員の一言で奥の方のイシス神殿まで向かうことになった。ガイド氏いわく「初めて日本人を案内します」
 
 オケアノスの浴場では、当時ローマではやっていたというモノクロのモザイクもたくさん残っています。踏んで歩く格好になるので、痛まないか心配になってくる。模様のほうも、幾何学模様でかなり斬新なものだ。
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 博物館でも見た、草履とあかすりマークのモザイクもありました。ここから奥は、サウナなので「床が熱くなっていますよ」という注意喚起のためもあるという。
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ここオケアノスの浴場は、かなり大きなもので、いくつもの浴室に分かれている。
ここでは、地中海を見ながら太陽と星の運行を眺めることができた。
素晴らしい風景を眺めながら古代の人々も、ここでおしゃべりに余念がなかったのだろうなあ・・・。
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 この東側に位置している神殿が、イシス神殿だ。エジプトのイシス神殿をモデルに、10年の歳月をかけて1世紀後半に完成した。海を望む神殿は、船乗りの守護神であったイシス神にふさわしいと言えるだろう。
 
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 この後は、「直しすぎた」と一部には批判もある、ローマ劇場に向かいます。
 
 
 
 

 
 朝食は、例のフランス人ツアー客を避けて、ちょっと遅めに食堂へ向かった。
 
 人間には遭遇しなかったが、彼らの食べ散らかしのすごいこと!中国人も顔負けだ。これからはフランス人がマナーについて何か言って来ても、無視してやろうかしら・・・(笑)
 
 昨日遅かったので、今日はちょっとだけ遅めの9時半出発。サブラータ遺跡へと向かう。
1時間ほど走ったところで到着。先に博物館を見学した。
 
 圧巻は、1925年、イタリア人に寄って発見されたバジリカのモザイクだ。床に敷かれたいたものをそのまま再現したもので、左右の壁も元々は、側廊の床だったものだ。
 
 かなり大きいので、上から眺めないとピンとこない。中央にフェニックス、籠の中の鶏、ブドウと鳥、クジャクが描かれており、それぞれ不死・魂・自由・天国を表しているという。
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側廊のモザイクも素晴らしい
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こんな感じで発見されてこういう具合に展示されている
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他の部屋にも素晴らしいモザイクが残っています。
ローマ風呂の必需品のあかすりとサンダル
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恋する2人とキューピット
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 当時の食べ物も
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 浴場を飾っていたという
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 広大な遺跡は、まだ全体の3割ほどしか調査発掘が終わっていないというが、それでもかなり広大な感じを受ける。
ビザンチンウォールと呼ばれる壁の手前には、フェニキア時代の遺跡が広がっている。紀元前12席ころに築かれたようだ。その後カルタゴの衛星都市となる。紀元前2世紀になるとギリシア人も入ってきて新しい技術を持ち込んだ。
 カルタゴが滅びると、ここもローマの支配下にはいり、ローマの穀倉と呼ばれる。
 
 2世紀から3世紀にかけて、最盛期を迎えたが、5人の皇帝が支配したのちは、陰りが見え始め、365年の例の大地震でここも壊滅的な被害を受ける。
 
 ビザンチン時代に都市を壁で覆うなどして再建されたが、7世紀のイスラムの台頭襲来によって歴史に終わりをつげ、時代の中に埋もれていってしまった。
 
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 これ何でしょうね。色違いの花が咲いていました。
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 ビザンチンウオールの向こうに・・・
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 フェニキア時代の遺物、ベスの塔。役割ははっきりしていない。高さ25mほど。
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 ウオールを超えて中心部分に入っていく。最初に目に飛び込んでくるのはこんな光景。
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 ロッジのすぐ後ろまで砂漠が迫ってきています。
 
 いつものように朝日の登るのを見てから朝食へ。茜色に染まった小屋。
 
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今日、1月16日は、犠牲祭当日。イスラム教徒にとって大切な日です。3日間ほどは、商店も休んだり、公共の場なども閉まってしまいます。観光にかなり影響があるので、ガイドも添乗員もいの痛くなるような思いをしていたのだが、そんなことはわれわれは知るはずもなく・・・。
 
 「今日は、飛行機が飛ばないかもしれません。今の所何とも言えないのですが、時間どおりに飛び立たないのは確実です。本来ならトリポリに一足先に向かったはずのスーツケースは、そのままセブハのバスの中にドライバーさん・ポリスと一緒にキープしてあります。最悪、バスでトリポリに向かうことになるので、ずっと2人には、待機してもらっていました」、と明かされた。
 
 観光の最中にも、ガイドは携帯を片手に何度も話す姿が見受けられました。お疲れ様です。
 
ウバリ砂漠に点在するいくつかの湖を見ながら、砂漠のドライブを楽しむ。これらの湖の水源は地下水ということだ。陸封された地下の海水ということかなあ?よって塩分を含んでいるので、人間も浮かぶことができる湖もありました。
 
 裏手の砂山から見たキャンプの全容です。
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 車は、アップダウンの激しい砂漠の地を進んで行きます。平らなところでは。スピードもかなり出ている。助手席に座っていたので、スピードメーターを見ると120kmくらいになることも!!!
 昨日空気圧を抜いていたので快適に進みます。
こういうところも下ってゆく。スリル満点だ。
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 砂の色がとてもナイーブなのには驚いた。光線の加減もあるかもしれないが、カプチーノ色に見える。
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 ラクダに乗って旅をする勇気のある観光客もいるそうです。リビアでは、必ずガイドをつけなければならないので、お供するガイドも大変だろう・3泊4日以上はかかるらしい。
 ウバリは、面積約8万キロにも及ぶという。その乾燥し切った大地を歩いていると。突然奇跡のように青く輝く湖が出現するのだ。
 かっては20以上の湖が点在していたらしいが、ほとんど干上がってしまい、残っている主なものは4つ。
朝・昼・晩と微妙に色を変えるという。不思議なことに蒸発によるわずかな水位の変化以外に、これらの水位はほとんど変わらないそうだ。
 先に記した、地下水説のほかに、雨季にふった水が砂漠中に溜まりわきだしているという説もあり詳しいことはわかっていないという。
 
 ナツメヤシが群生しているところもあるので、そういうところにはわずかでも地下水があるのかも。それとも干上がってしまった湖の名残か?
 
最初に寄った湖は、マフォ湖。 大きさはそれほどでもない。土産物屋が1軒あるだけだ。
 
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  さらに進んで行くと今度は、もう少し大きな湖が現れた。4つの中では一番大きいという。深さも相当あるのではといわれており、泳ぐこともできる。何もしなくてもぷかぷか浮いてしまうというからかなりの塩分濃度なのだろう。背後には砂山が迫ってきている。
 土産物屋もここには何軒かあり、飲食のできる場所も提供されていた。
 
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 かってこの湖岸には、人々が住んでいた。しかし、政府の政策によって幹線道路沿いの町に強制的に移住させられた。モスクや学校が打ち捨てられたままになっているのをみると、なんとなく切ない気がしてしまう。
 湖の背後に迫る砂山はかなり急こう配なのだが、ここから見る景色が素晴らしいというので、登ってみることにした。最初は靴を履いていたのだが、なんとも歩きにくい。砂がどんどん入ってきてしまい、重い。
いっそ脱いだ方が、楽に登れそうなので、途中からは裸足になる。
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 ティータイムの後、3つ目の湖に向かった。「母の湖」ともいわれる、オンマル・マー湖だ。湖面に映るヤシや砂山が美しい。日本なら逆さ●●といったところか(*^_^*)
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 最後は、干上がってしまった湖マンダラ湖だ。かってはウバリ湖軍の中でも最も美しい姿を見せていてくれていたというが・・・。この湖の周辺にもかって村があった。1991年に廃村になってしまったが、その中の1人が、いつか村に帰ってこようと何度もここに戻っては、ヤシを植え続けたという。
 そのせいか、たくさんのヤシが干上がってしまった湖の周りに生い茂っている。
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 帰りも、どんどんとばしていく。途中で、2号車の調子が悪くなってしまった。圧の調整ミスらしい。携帯用の空気入れで応急処置をする。
 ふもとの町まで行けば、修理屋があるのでそれまで持てばいいが・・・・。
 
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 お昼は、キャンプのテントでいただく。これがキッチンカ―の料理人に寄る最後の食事になる。毎回、おいしいごちそうをありがとうございました。
 
 とちゅうで、お世話になった4WDのドライバーさんとも別れ、待機していたバスとの約束の場に向かった。
3泊4日も、何をして過ごしていたのだろうか?都会ならともかくこんな田舎では、やることもなかったろうにね・・・。それとも何もしなくても日当を払ってもらえたのだから、ラッキーと思ったのだろうか?
 
 待ち合わせの場所に飼われていた砂漠のリス。
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 ともかく、バスの中から自分のスーツケースを出して、荷造りのやり直しだ。この時点の情報では、まだ飛行場まで行ってみないと情勢がわからないという。この辺もどうして予定が立たないのか不思議で仕方がない・・・。
 先のことを見通して予定を立てるというのは、こちらの人の最も苦手をすることだ。一度に2つの事を並行して行うことも苦手だ。問題が目の前に来るまでどういうことをしていいか考えられず、目前になってからやっとことが進むという図式だから仕方がないのだろうな・・・。
 明日の朝までにトリポリに戻ればいいのだから、焦っても仕方がない。
 
 空港でバスのドライバーと別れた。彼を返したということは、何時になるかわからなくても飛行機は飛ぶのは間違いないようだ。
 
 チェックインをした後、近くのレストランで食事をする。ここで2時間以上待ったのち、空港内の待合室に移動。このあたりになってやっと、クルーの姿を見かけるようになった。「あ!これで間違いなく飛ぶな」
 
 問題の飛行機は、22時何とか離陸したのだった。トリポリまではあっという間。
機内は自由席、同乗したフランス人のうるさいこと!聞けば同じホテルに泊まるという。36人の大所帯なので、ガイドは焦ったようで、「早く降りてください。彼らの後になると何時に部屋に入れるかわからないね・・・」とのたもうた。
 
 いつもより、機敏に動いたガイドのおかげで、われわれはフランス人のツアー一行より先にチェックインできたのでした。
 
 時計は、午前零時を回っています。今日は、いろんなことがあって楽しかったような疲れたような・・・・。

 
 あっという間にサハラとお別れです。
 
 昨日きれいな朝日が見られなかったので、今日はパスしたらなんとこんなに晴れていました。
間が悪いこと・・・。(+_+)
 
 
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 食事の後、近くの岩山に登ってみた。ロッジが一望です。
 
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 勢ぞろいした車。
 
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 出発して、オフロードからオンロードに出たとたん、またまた3号車がパンクしてしまった。
 
 応急処置ではだめだったのか。明日は砂地をたくさん走るので、今日は修理屋でちゃんとするということでしばらく待たされる。中国製のものは本当によく故障する。そういうことはこちらでもよくわかっているので、みな日本のものを使いたがるのだが・・・・。
 売る気があるのかないのか・・・お土産屋さん達です。
 
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 今日のランチも、木陰でいつもの大皿料理に舌鼓です。
 
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 ジェルマの手前で、お墓だろうという遺跡をちょっとだけ見学した。ここには古代ガラマンテス人が住んでいて、その遺跡が残っているというが、今日見たのはそれとは違っているようだ。
 サハラ交易の中心地として栄えていたようだ。
 
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 4時前には今日の宿泊地のテケルキーパにあるツーリストキャンプに到着した。
いかにもアフリカという雰囲気のバンガローがたくさん並んでいる。
 
ここでは、他の国の人たちもたくさん見かけた。ヨーロッパから車を運転した来ている人々も結構いるんですねえ!遅くまで歌を歌っていたのはイタリア人でした。
 
 蚊が多いので蚊取り線香は欠かせません。トイレとシャワーは別棟にあり、両方が一緒になっているので、便器の縁が濡れているので、使用するときにはちょっとコツが要ります(*^_^*)
 
 あまりに汚いので私は今日は、ウェットティッシュで体をふくだけにして、後は顔と足を洗っただけで休むことにした。一晩くらい入らなくてもどうってことないもの。
 
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