好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東南アジアの国々 > ベトナム

 
郵便局の中に入ります。アーチ型の天井が美しい。
ホーおじさんの写真が、飾ってあります。
 
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 外に出たら、この郵便局をバックに、結婚式の前撮りをしているカップルに出会った。12月にはいると、結婚式を挙げるカップルが多いのだ。
 
 民族衣装が素敵です。
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 昼食場所に向かう。今日のお昼は、とても質素です(>_<)
フォー一杯だけ。おかずもなしなんだって・・・・。
 
 有名なお店らしいが、フォーだけでは間が持たない(*^_^*)あっという間に食べてしまった。
 
このあとは、かわいらしい雑貨を売っているお店を4件ほど回ります。クーポン券が渡された。
 
そのうちの1軒のお店で、木綿でできたチュニックブラウスを2枚購入。両方で40ドルほどでした。今は円高なので、なんだかお金持ちになった気分だ。
 
 ここで再び自由行動になる。次の集合時間は、ホテルに6時くらいである。
それまで、また街歩きとしましょうか・・・それにしても暑いな。
 
 ホーチミン市役所の庁舎に当たる人民委員会庁舎です。
白を基調とした美しい建物でフランス様式で建てられている。
 
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 国営デパートで、トイレ休憩。ついでに涼みます。
 
 前回いけなかった戦争証跡博物館を目指す。ところがここは、ちょっと離れているのだ。
かなり歩いた末にようやく到着だ。かなりの人々が入場している。
 
 建物周りには、戦車・飛行機といった武器も展示してある。
 
館内に入ると、ここはちゃんと空調が利いていてホッとする。
 
 ベトナム戦争中やその後の様子を写真で記録展示されている。有名なカメラマンの写真は迫力満点でせまってくる。
 
 広島の原爆資料館も正視するのはつらいが、ここに展示されている数々の写真も正視し続けるのはかなりきついです。
 日本人カメラマンの撮影したものもたくさんある。
戦争というものは、人間の正常心を奪い、かくも残酷になれるものかと・・・・・
 
 表に出てくると、ひときわ太陽の強さを感じる。
 
展示されている武器の数々
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ホテルに戻る途中は、すごいバイクに巻き込まれる。歩道までぎっしりと並んでいる。学校の下校時なので迎えに来た父兄たちが、子供を待っているのだ。
公共交通機関が発達していないので、子供達はこうして親に迎えに来てもらっているのだろう。
 
おまけに歩行者は、どこでも腰をおろしてモノを食べている。それらを見ながら、よけながらホテルに戻ってきた。
 
 ふたたび、ツアーの出発です。
行先は、水上人形劇の劇場である。もともとは、北部のみで行われていたものなのだが、最近は人気があるのか南部でも見られるようになった。でもこの日の席も満員で、予約が取れないこともしばしばあるという。
 
 今回のツアーで楽しみにしていたのがこれなので、わくわくする。
会場
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前から、3列目の真ん中あたりに座れた。中々良い席でホッとする。
 
人形劇は、1000年の歴史を持ち、もともと農民達お祭りで行われていたものだ。舞台にあたるところところに水が張ってあって、仕掛けが見られないようになっている。
 
 素朴でコミカルな動き、時には、花火や水芸みたいなものまで見せてくれるという。現地の言葉で行われるのだが、わからなくても楽しめるそうだ。
 
 歌もセリフも演奏もすべて生である。
舞台はこんな感じです。
 
真ん中の白いところに水が張ってある。人形遣いは下半身が水の中にあり、建物の後ろに隠れている。両脇に演奏家たちが並ぶ。
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 さあいよいよ始まります。
お話は、ベトナムが中国・明に支配されていた15世紀のこと。後の皇帝になった男が、宝剣を授かり明を退治する。ある日、皇帝となったその男が、湖のほとりで亀に会う。大亀は、宝剣を返すように告げ、剣をくわえて湖に帰って行きましたとさ・・・。
 
 人形達は、宙返りした、時にはヤシを登ったり、泳ぎ、田植えをし、踊り、戦いと舞台を動き回る。
見ている方は、「どうしてあんな動きができるのか」と疑問符が頭の中に浮かんで来てしまうほどだ。
 
 動きが激しくなってくると、舞台の水が客席に飛んでくるほどだ。
楽しくてあっという間の時間でした。
 
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最後、演者たちも姿を見せてくれました。拍手!
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 楽しかったねえと言い合いながら、最後の夕食場所へといどうだ。夕食は、違うグループの日おTも2人入っての8人でいただきます。
 
 夕食のあとは、また解散でそれぞれのホテルに戻り、空港への迎えのバスを待つ。
 
ホテルで、預けておいた荷物を受け取り、洋服を変えたり顔を洗ったりして、バスを待つ。
やってきたバスを見てびっくり!
 
大型バスである。私達が最後だったようで、客席は大勢の人で埋まっていた。
関西・成田・名古屋、3方向の飛行機便が、30分以内に飛び立つのだそうだ。
 
 空港に着くと、ホテルのグレードアップ組の人達は、もう先に来ていた。
 
 離陸するのは、夜中の0時20分なので、後1時間ちょっとある。待合室は、満席状態である。関西便は満席で、乗れなかった人は、名古屋周りに振り替えられたようだ。
 
 ちなみに、名古屋行きはすいています・・・。
 
 帰りは、行きよりも早くつく。フライトの時間も、5時間もかからないので本当に楽ちん!(^^)!
 
 翌朝、7時半セントレアに到着。仲間にお礼を言って、私達は、4階のお風呂へ向かいます。
ここは8時から開いているのだ。割引券を使えば、800円くらいで入れます。
 
 ここで体を洗い、洋服も冬服に着替えて家路に着きました。
 
 あっという間のベトナムでしたが、どんな旅でもやはり楽しい(^^♪
 

 
ホテルのレストランからの眺め。サイゴン川が見える。
 
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近いように思えるので、チェックアウト前に朝の散歩で行ってみようということに
 
ところが、これがなかなか一筋縄ではいかない。
道路を渡るのが、冗談でなく命がけなのだ。
以前にもましてバイクの数は増えている。しかもスピードアップしているから、渡るのが本当に怖い。
ルールなんてあってないようなものだからだ。
 
 絶対戻ってはいけない、走ってはいけない。
やっと渡れた!振り返ると、新しいホテルがたくさんできている。それだけ観光客が来ているということだよね。
 
何度も道路を渡っていると、コツらしきものがわかって来て、最初ほど難しくなくなってくる。
 
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ホテルに戻り、チェックアウトする。荷物は、夜の空港送迎が来るまで預かってもらう。
 
地図を見ながら、市民劇場へ向かう。
瀟洒な建物で、オペラなどが上映される。
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市民劇場から、真っすぐ伸びている広い通りが、レロイ通りだ。
 
この道を、歩いていくとベンタン市場のあるロータリーに突き当たる。
 
市場は後回しにして、美術館へ行く。
美術館は、フランス植民地時代の建物をそのまま利用している。
 
外観は、おしゃれで素敵だが、エアコンがない!
30度を超す暑さの中、締め切った部屋の中を扇風機がかったるそうに回っている。
 
展示されているのは、ベトナムの作家だけですが。独特の雰囲気があり楽しめる。
フランスコロニアル様式・・・
 
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正面からの外観
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この後は、ベンタン市場を目指して、ぶらぶら街歩きだ。
こういうぶらぶらが一番好きだ!(^^)!
 
駄菓子屋
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天秤棒の女性
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お葬式に遭遇。ちっとも暗い感じがしません。
 
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ベンタン市場外観
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彼はここで、靴を購入する。裏がはがれてしまったのだ。新しい靴に履き替えます。
 
市場の裏手にHISのオフィスがある。集合時間が迫ってきたので行ってみます。
 
12時、6人でかんたんな市内観光に出発。最初は、統一会堂だ。
南ベトナム政権時代の大統領官邸のあったところ。地下には、浅草寺の司令室もある。大小100以上の部屋があり、現在は迎賓館として使われている。
 
続いて、サイゴン大教会へ。ここはちっとも変っていない。19世紀松の建造。
 
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道路を渡ったところにあるのが、クラシックな郵便局だ。24時間開いているそうだ。
これも植民地時代の建物をそのまま使っている。
 
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フエは、1802年から1945年まで、13代にわたって栄えたグエン王朝の都がおかれたところである。
最後の皇帝の居城である王宮を中心に、1993年、ベトナム初の世界遺産として登録された。
 
今でも、この街には悠然とした独特の雰囲気が感じられる。
 
とても大きなベトナム国旗、王宮に対峙するように掲げられている。
 
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王宮門、2階部分も見学できます。
 
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2階部分、
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橋を渡って王宮に入る。結構にぎわいです。
 
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城門から王宮を望む
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王宮内は、写真禁止です。前はそんな事無かったのですが・・・王座があります。
 
 王宮を見た後は、ティエンム寺院へ向かう。
1603年、建立された街のシンボル的なお寺だ。
フエ川を見下ろす位置に、建てられている。高さ21mの「慈悲」塔がひときわ目立つ。
 
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フエ川
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門と塔
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拝殿、中に入れるのでお参りします
 
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この建物の裏手に、立派な盆栽がたくさんある。日本の影響です。おなじみの松などのほかに、南国独特の木もあります。
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何を売っているのでしょうか?
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 これで、ベトナム中央部の観光は終わりです。飛行機で、南部の中心地、ホーチミンまで飛行機で移動します。
 
 フライトは1時間20分。
 
 迎えに来てくれていたガイドと合流したのは、夜の7時くらいでした。
ここで、今までずーっと一緒に行動してきた12人は、二手にわかれます。ホテルグレードアップ組とスタンダード組、それぞれのマイクロバスで市内へ向かった。
 
 夕食は、中心地ドンコイ通りに面した中華料理屋さんです。ベトナム風の中華料理とか・・・。
店内は、たくさんの日本人でにぎわっている。楽器の演奏の音が大きくて、普通の声でしゃっても全然聞きとれない。
 
 料理は、おいしかったが早々に退散です。
 
 この後のホテルは、三組とも全く違うホテルとのこと。私達のホテルは、歩いた方が早いのでここでお別れしました。
 
 部屋に入って最初に目についたのが、このスリッパでした。ペラペラで鼻緒の部分をひっかけてあるだけという代物です。でもなぜか面白い。
 
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明日の午前中は、自由時間である。12時には、午後の観光のため集合なので、2人で訪れるところを相談してから眠りにつきました。
 
飛行機の中から見たホーチミンの夜景・・・うまくとれませんでしたが(>_<)
 
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日本橋とは、1593年にホイアン在住日本人によって架けられた木造の橋である。
 
橋をはさんで、日本人町と中華街が向き合っていた。そのせいかどうかはわかりませんが、橋の両側には、猿と犬の石像が向きあっている。
 
 日本橋
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渡ります。
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橋の真ん中には、船の安全を祈願したお堂がある。そこにお参りしてから橋を渡って。日本人町に入る。
 
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渡ってすぐのところにある家は、フーンフンの家という。約200年前に建てられた木造家屋である。中国・日本両方の様式が取り入れられている。洪水に備えて、荷揚げ用の窓など独特の作り方がしてある。現在も、8代目が住んでいるという。洪水のときには、何十人もがここに避難するという。
 
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このおばあちゃんは、ここではとても有名な人で、84歳くらいだとか・・・。この穏やかなお顔を見ていると拝みたくなってくる(^O^)
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お土産屋さんもとても風情がある。
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名産の提灯を作る女性
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さあ、次は古都フエに移動です。
 
途中で天気があやしくなってきた。雨が降ったりやんだり、時にはざーっと大雨になったりする。
 
新しくトンネルができたので、峠越えをしなくてもよくなったので、ずいぶん楽になったという。
このトンネルも日本の援助でできたもので、東南アジアで一番長いのだそうだ。
 
 バイクに乗ってこのトンネルを抜けるのは、禁止されているので、手前でバイクを降りて専用のトラックに乗せて運ぶ。人間はバスに乗って移動して向こう側で再びバイクに乗って行くというおかしなシステムになっている。
これは、景色がいいのでバイクを降りて景色を眺めていた人が、山賊に襲われるということが続いたのでこうなったそうだ。冗談の好きなガイドの説明故、どこまでが本当かなあ・・・。
 
 フエに着いたところで、すぐにお昼ごはんです。個室を用意してくれたのでゆっくりいただけました。
フエの郷土料理が並びます。
 
 おなかが満足した後は、観光の始まりだ。雨が、強くなってきた。
カイディエン帝廟は、1920年に建てられたコンクリート製の建物です。
当時は、コンクリートは、珍しかったという。随所に西欧式の建物が見られる。
 
兵馬俑
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廟のある建物
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中に入ると、目を奪われるのは、ガラスや磁器を砕いてモザイクにした装飾だ。
天井には、竜が描かれている。
ガラスの中には、日本のビール会社のビール瓶の砕いたものも使われている。
 
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このころになると、雨脚が強くなってきた。ちょっと雨宿り。
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 この後は、王宮に向かいます。以前訪れたときは、まだ未発掘の部分があったのだが・・・。

 
快適な目覚めを迎えた。ホテルの脇を川が通っていて、窓からの眺めは情緒がある。
 
朝食前の散歩に、付近をちょっと歩いてみた。
 
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 辺りは農村の風景が広がっている。早い時間なのに人々はもう動き出している。ベトナムの朝は本当に早い。
農家の庭先には、アヒルが飼われており、犬達が侵入者に向かって盛んに吠える。
「われわれは、不審者じゃあないですよう!」
 
 
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広くはない、農道を・・・
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子供はまだ眠くて仕方がないと行ったところかな
 
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 どこでも田舎の風景は本当にほっとする。
 
田んぼの水を手作業で、移している。日本でも、江戸時代とかの資料で見たことがあるが、実際にここではまだ行われている。日が暮れてしまうんでは?
 
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早い時間から、もう泳いでいる人がいました。ホテルの建物もちょっと変わっています。
 
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 ホテルのフロントに、ガイドから連絡が入り、少し遅れるとのこと。
すこしどころか、30分以上待たされた。理由は、車の不整備が見つかったので、新しい車を手配していたからだという。本当かなあ( 一一)
 
 ともかく、旧市街に向かって出発です。
ホイアンの町は、古くは、チャンパ王国と言われた時代から、東西を結ぶ国際貿易港として栄え、海のシルクロードといわれている。
 
 大型船が増えるにつれて、ここの海の深さでは対応できなくなってしまい、主役の座を隣のダナン港に奪われてしまった。
 
 17世紀には、江戸幕府と朱印船貿易が盛んにおこなわれるようになり、日本人が1000人以上住んでいたとされる。
 
 年に何回かは、洪水がやって来て町を浸水の被害にさらすので、それらの対策も家々には施されている。
 
 のんびりとした感覚が、漂っていてなんとも居心地のいい町であった。個人でゆっくり訪れていたらもっと、楽しめたのではと、ちょっぴり残念でした。
 
 1999年、ここも世界遺産に登録されている。
この町では、シクロ体験もします。最近のベトナムでは、都会では交通渋滞を助長させるということで、シクロがどんどん減って来ている。空気の悪い都会では乗りたくないが、ここでは気持ちがよかったです。
 
 こういった細い道もシクロだと平気です。
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 シクロにのった感じで街並みを見ていくと、
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 川越市、小江戸みたいだ。
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入口のあわせ戸は、日本ではあまり見かけない
 
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通りには提灯が掲げられている。ここホイアンは提灯生産の町としても有名です。
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海のシルクロード館に着きました。中に入ります。2階建てになっていて、貿易に関係したことや、取引されていた焼き物などが展示されている。
 
 2階から通りを眺めると、こんな感じです。
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次は、日本橋に向かいます。
 
 
 

 
 筏にはたくさんの人が集まって来ていて、自分の食べたいものを注文している。
 
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われわれのコースには、お昼はついているのだが、ここで買ったものを船の中で調理してもらって食べることはできる。
 
 クエは、こちらでも高級魚ということで、1匹100ドルもする。
エビ・蟹大好きの相方は、ワタリガニを購入した。10ドルである。いくらか安いのかしら?
 
 クエ
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ワタリガニ
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昼食は、海鮮づくし。エビをゆでたものや、すり身を唐揚げにしたもの、イカ、生春巻、貝の蒸し物、トウモロコシのごはん、野菜と海鮮を炒めたものなど何種類もテーブルの上に並んだ。
 
 おなかも満腹になったところで、港に帰ると、乗ってきたバスがない。聞けば、調子が悪くて取り換えたのだそうだ。乗っているうちでなくてよかったね。
 
 ハノイまでは、昨日と全く同じ道である。ただ昨日は、後半日が沈んでしまっていたので、暗くて景色が見えなかった。だから同じ道でも退屈はしない。
 
 ハノイに入ると、すごいバイクの量である。傍若無人といった感じで、走り回る。
 
そんななか、タンロン遺跡に到着。まだ発掘途中であるが、世界遺産にも指定されている貴重なものだ。
 
瑞門といわれる門の前で、学生達が写真を撮りあっている。卒業の記念写真なのだそうだ。皆せい一杯おしゃれをしてきているといった感じだ。
 
以前訪れたときには、アオザイ姿の女性を結構見かけたのだが、今回は、本当に見かけない・・・。日本の着物と同じ運命をたどるのだろうか?
 
 タンロン遺跡瑞門
 
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竜が乗っている。
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女子学生達
 
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若い女性が、カメラを好きなのはどこでも一緒だ。ポーズをとって(^^♪
 
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続いて一柱寺に向かう。1049年、李王朝時代に建てられたお寺である。ハスの花をイメージして造られたといい、1本の柱の上にお堂が乗っている珍しいものだ。子宝祈願のお寺としても有名で、お祈りにおとずれる人が絶えない。線香は、無料で誰でもお参りしていいというので、早速お参りします。
 
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 ここから5分ほど歩くと、ホーチミン廟がある。
ベトナム建国の父、ホーチミンが安置されているのだ。生涯をベトナムの民族解放にささげた彼は、今なおベトナムの人々に敬愛されているようだ。1969年、79歳で亡くなったが、廟は、ベトナム戦争終結後の1975年9月2日の建国記念日に建てられた。
 
 外観から見るだけなのだが、建物の前に白線が引いてあり、そこからちょっとでもはみ出すと、衛兵がピーっと笛を鳴らして警告する。
 
 ちょうど衛兵の交代時間だったのでその様子も見る。1時間ごとに交代するそうだ。廟の前には、大きなベトナム国旗が掲げられており、廟を静かに見おろしているといった感じである。
 
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廟の前、とても広いです。
 
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この後はまた、トイレ休憩を兼ねたお土産屋さんに連れていかれます。私と彼は、買いたいものはないのでトイレを済ませた後、集合時間まで近くをぶらぶらしてみる。
 
すると、少数民族の方がお土産屋さんの前で座っているのに会いました。笑いかけると、そのまま笑みが帰ってくる。たぶん自分達の作った刺繍や縫物工芸品をおさめに来たのでしょう。
 
ベトナムは、小物や雑貨がとてもかわいらしく、美しい。女性だったら絶対欲しくなってしまうようなものがずらっと並んでいる。中でもこうした少数民族の方の作ったものはとても細やかで美しい。
 
 最近は、旅をしても買わないことが続いていたのですが、今回は例外で、いろいろ買ってしまいました(^^♪
 
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彼女らの身につけているものは、村に寄って模様が違うという。
 
バイクの波、まだましな方です。今日は日曜なので通勤しないから・・・。
 
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今日中に、ダナン行きの飛行機に乗り、そこからホイアンまで向かいます。
フライトは、1時間くらいですが、今回の旅は、毎日移動だったので、毎日飛行機に乗っていました。
4日連続で乗ったのは、生まれて初めての事です。
 
その前にこちらで夕食を済ませていくというので、おしゃれなレストランに連れていかれました。ここは、かなりオシャレな感じで、お店のスタッフ洗練されている感じです。
 
 ワインをいただきながら、ベトナム料理に舌鼓。ワインは、フランスの植民地だったから、フランスワインと思いきや、最近はどこへ行ってもチリワインが出てくるのだ・・・。
 
21時30分、ガイドと離れてダナンへ向かう。
22時45分、ダナンに到着。迎えに来ていたガイドと共に、ホイアンのホテルへ向かいます。
 
遅いせいか、人っ子ひとりいない・・・・。ガイドいわく、ダナンは、ベトナムで一番治安がいいので、皆出歩かないというのだが
・・・なんか反対のような気も・・・。
 
ダナンは、大きな港町だ。貿易で栄えた町で、日本ともかかわりが深い。
 
40分ほどでホテルに到着。われわれはなぜか今日は、グレードアップのホテルに連れて行かれ、なんだか得した気分です。他の2組は、スタンダードだったのになんでだろう?
 
ホテルは、ムード満点のリゾートホテルだ。小腹がすいたので、ウエルカムフードとドリンクをいただきました。

 
朝食に向かう前、部屋の窓から外を見ると大きな橋がかかっている。
これは割と新しくできた橋で、日本の大成建設が造った。
ベトナムの政府間援助の割合は、日本が一番多いそうで、あちこちで日本の会社が関係して建設したものを見ることができる。
 
 この橋ができるまでは、人々は船で行き来をしていたのだ。
 
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 レストランは、韓国人・中国人の姿が多い。ガイドいわく、「ベトナムは、韓国に乗っ取られます」
あながち冗談ともいえないほど、ハングル文字が氾濫、ヒュンダイの車が走っている。
 
 食事のあと、近くを散歩して見る。
このあたりはいつも霧が出て、ぼやっとしているのだ。それがまるで墨絵の世界のようにも見えて、独特の雰囲気を醸し出している。
 
 
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 岸壁では、釣りをしている人たち。水上生活者でしょうか。ベトナムでは水上生活者が、多分最下層に位置しているのだと思う。
 以前行った時には、学校にいけない子供達もたくさんいるということだったが、今は多分改善されていると思う。
 
水上生活者の船
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 不思議なものを発見!
屋根を突き破って何本もの大木が生えている。1本くらいは、見ないでもないが、こんなにたくさんあると、爽快です。近寄って見ると、こんな感じ。多分紫檀の木だということでした。
 
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7時45分、時間きっちりにお迎えがやってきました。
船着き場のある、リゾート港に移動します。
 
 海を埋め立ててつないだという道路を渡ってゆきます。このあたり一帯を開発したのは。元軍人の方だそうで、今回の日本の震災に伴う福島へ、1億円もの寄付を送ってくれたということです。
 
 福島の原発問題の後、そこで働いていた中国人達はいっせいに本国へ逃げ帰りました。
ガイドさんは、福島で中国人を400人雇っていた経営者を、最近案内したという。
 
 人手不足に陥ってしまったので、変わりの労働者をベトナムに求めに来たのだという。その時に、一緒に行動していろいろ聞いたそうだ。結局。40人ほどを新しく雇うことができたという。
 
 確かに、原発の事故の時、いっせいに外国人が逃げ出したというはなしは、あちこちで聞いたし、自分でも見聞きしている。
 
 あまり関係ないと思っていたこの地でも、関係してくるのだから、世界は狭くなっているということかなあ・・。
 
 船は、われわれ12人の貸切だ。お昼は、船の中でいただきます。
こんな感じの船で、観光してゆきます。
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気持ちがいいので、船室の中では無くてデッキにでて見ます。
 
行く手に広がるのは、こんな風景です。
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たくさんの観光船が、出ています。これらは、みな水上生活者の船で観光しています。3泊4日くらいかけてゆっくり回る人もいる。それらは、もう少し大きな船です。
 
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 近づいてくると、なんだか襲われそうな、海賊船の襲来のように思えます。
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それらの船は、いっせいに鍾乳洞のある港へと向かっていく。
船のラッシュうというものを初めてみた。へしあい押し合いというのは、ああいうことを言うのだろうなあ!
我先にと、一つしかない桟橋を目指す。われわれの船は実際にぶつかってしまったが。どちらも何も言わない。怖いのは乗っている我々だけだ。
 
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 鍾乳洞は、雨季になると雨が上から降ってくるそうで、傘を差さなければならないそうだが、乾季の始まりの今はそんなこともなく普通に歩ける。
 
 けれども、中はすごい混雑だ。しかも日本人ばかり!タイ・北アフリカ・中東方面がツアーがなかなか出にくくなっているので、集中しているのだろうか?
 
 なんだか、秋芳洞を回っているみたい(+_+)
 
けれでも、このライトアップは、やはりアジア人の考えである。日本人は、絶対にしない。まぶしくて本来の鍾乳洞の色がよくわからなくなってしまっている。
 
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船着き場で、売り物のサトウキビの皮をむく女性。
 
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 ふたたび船に乗り込み、筏のある場所へと向かう。
 
 乗り込むとすぐ、水上生活者の船が近寄ってきた。彼女達は、果物を売っている。旦那さんが船を操り、奥さんが果物を売っている。
器用に船の上に立ちあがり、」われわれの船と同じスピードでぴったりついてくる。
 
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 1ドルで、ライチに似た果物が10個ほど買えました。おいしくて、あっという間食べてしまった。
 
 船は、狭い場所へと向かっていく。ますます墨絵の世界のようになってきた。
 
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 筏に着きました。上陸(?)してみましょう。
 
 
 
 
 

 
 休みは取れたものの、行く場所がアセアン会議でだめになってしまい、急きょ決めたのがベトナムだ。
 
15年ほど前に、フエ・ホーチミン市は行ったことがあるのだが、北の方は行ったことがなかったし、あそこは食べ物が本当においしいので「まあいいか」という乗りである。
 
 2人催行なので、出発は確定しているし、空港はセントレアなので、気楽なものだ。期間も機中泊を含む4泊5日なので、荷物もさほどなく、2人で1つのスーツケースでも十分すぎるほどである。
 
 セントレアを、10時55分に離陸。ハノイには、現地時間の2時45分到着である。時差は2時間だ。アジアの良さは、なんといっても近いこと!ひと眠りする間もなくついてしまった。
 
 手続きを済ませて集合場所へ出向いたら、なんと12人もいた。申込自体は2人・3人なのだが、これからホーチミン市までは、まとまって行動するという。ちょっとしたツアーのようだ。
 でも知らない人が、入れ替わり立ち替わりというよりも、同じ顔で動いた方が楽しいかもしれない。
 
 ハノイ空港からハロン湾までは、3時間以上かかる。スピードが出せないのが最大の時間のかかる理由かも・・・。
ともかく交通ルールが全くなっていないので、怖くて仕方がない。バイクの数も、半端でなく多い。それらが、2人乗り3人乗りは当たり前、中には5人乗りなんて曲芸まがいのものまで走っているのだから・・・・。
 
 交通インフラが整備されていないせいもあるだろうが、ベトナムが発展するためにはこの交通状態を何とかしないと先には進めないだろうなあと思う。
 
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 ベトナムは、南部では2期作ができるが、北部では無理である。道の両側には、穂だけを刈り取った稲田が広がり、牛達がその中ご飯を食べている。
 
 途中で、トイレ休憩と言いながら2か所ほどお土産屋に立ち寄る。格安ツアーでは、お約束なのだが、観光を削ってこういうところで時間をつぶすというのがどうにも嫌である。
 
 今回は、ホテル・エアー・観光・食事が全部ついて、燃油込みで95000円ほどなのだから、まあ仕方がないかと、あきらめて入るのだが・・・・。
 
 ベトナムの民家は、間口が狭くて奥に長い。これはどうも税金対策のようで、昔の京都の町屋のようだ。
 
いろんな様式がまじりあった建て方なのか、よくわからない。
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 港が近くなってくると、火力発電所も現れる。石炭火力である。日本の企業も参加して建設したという。
 
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 やっと今日の宿泊地である、ハロン湾に到着した。チェックインの前に先にお食事をいただく。
まずは、ハノイビールで乾杯だ。
 
 今日のメニューは、海鮮鍋。これがとてもおいしい。貝・エビ・イカ・すり身などが入っている。淡白で日本人の口にとてもよく会う。
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 支払いは、ドンでもドルでもいいというが、ドルで払うとすこし損かな。相変わらず、ドンはすごいインフレで、2万ドンでやっと1ドルという勘定である。
 
 ここまでケタが違うとしばしば、混乱する。
 
 食事の後は、軽くナイトマーケットを散策する。ここのは、それほどの規模では無く、テントの中におさまってしまうくらいだ。
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 ホテルは、2か所に分かれての宿泊となる。グレードアップ組とスタンダード組である。われわれは、もちろん、眠れればいいのでスタンダードです。
 
 

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