お昼をいただいたイタリアンレストランを後にして向かったのは、ハダッサ病院である。
ここにはシャガールのステンドグラスがあるのだ。
そこは、シナゴークにもなっていて写真撮影は禁じられていました。
せっかくだからこちらの待合室の様子も見て行きましょうかということで、ちょっとだけ小児科の病棟にお邪魔しました。病院とは思えないほど光にあふれた室内でびっくり。清潔だし、医療先進国なのだろうなあと思う。
シャガールはユダヤ系なので自分のルーツということで寄贈したのだろう。画題は、イスラエル12部族の物語で、1962年に収められた。その5年後の6日間戦争で4枚が打撃を受けたが、そのことを聞いたシャガールは、後にさらに美しいステンドグラスを寄贈したという。
ヘブライ大学附属ハダッサ病院の入り口。

エルサレム最後の観光はあの死海写本が収蔵されているイスラエル博物館の見学です。広大なので写本と屋外展示の第2神殿時代の模型だけしか見ることができない。とてもとても残念だが仕方がない。どこで渋滞にはまるかわからないのと出国審査にとても時間がかかるので普通の国より余裕をもって空港に到着しなければならないからだ。
イスラエル博物館

屋外展示の模型は、日本の日光東武ワールドを連想してしまいました。が、神殿はかなりの精密さでびっくり。実際の50分の1で、製作者は考古学者のアビ・ヨナという教授です。模型製作が始まったころは、資料もなく、創作部分も多く、発掘が進むに従い手を加えられたことも多々あったという。
第2神殿時代の紀元後66年、ローマに滅ぼされる4年前のエルサレムで、実物と同じエルサレム石を使ってリアルに仕上げてある。
この大きさに圧倒されます。


続いて死海写本館に向かう。玉ねぎのような形の建物は、写本が発見された時入っていた壺のふたの形をもとに、アメリカの建築家がデザインしたものだ。照明を落とし薄暗くした内部は洞窟をイメージしている。

ここからは国会議事堂もちらっと見えました。ロスチャイルドの寄付により1966年に完成したものだ。改めてユダヤ人は成功者が多く金持が多いのだなあと感じる。外に出て成功した方々が自分の母国にいろいろな寄付をしている。

近代的な新市街を通り抜け丘を下ってテルアビブへと進みます。

途中テルアビブ郊外のヤッフォーの町をすこしあるいてみた。
テルアビブから海岸沿いを歩いて1時間もかからないで到着できるし、旧市街もこじんまりと小さい。
海岸沿いからテルアビブ市街が望めます。

オスマン時代の時計塔。町のシンボルですが動いていないようだ。

この建物の横から階段を下ってゆきます。

細い通りには12星座にちなんだ名前が付いている。

サソリに、射手にふたご座。



通りはとても狭くてこんな感じです。

お目当てのシモンの家は、アルメニア人が管理しているが見学は出来ません。入り口部分だけみてひきかえしました。
ペテロがこの皮なめし職人の家に滞在したと記されている。

その聖ペテロ教会もありました。

ケドミウム広場の噴水。

テルアビブ市内に入りました。パンフレットにホワイトタウンの観光と記されていたが、バスの中からみるだけだったのでがっかり。ガラスが光るし説明されても建物がどれかわからないうちに過ぎてしまうし・・・・。
1920年から50年代にかけて白や明るい色の建物が多く建てられた。様式はバウハウス様式やインタ-ナショナル様式が用いられている。テルアビブではいまだにたくさんのそうした建物が残っており、20世紀の都市計画を考えるうえで重要だということで世界遺産に登録された。

さて、空港に到着です。まずは航空券を発券しそれをもって係官の前に進む。係官は、いくつかの質問をするのでそれにこたえて行く。イエスかノーで答えればいいのだが、イエスというべきところをノーなどと答えるとめんどくさい。しつこく質問が繰り返される。
それが終わると、チェックインカウンターで荷物を預けます。預ける荷物は鍵をかけることは出来ません。バックヤードでオープンチェックするからだ。「どうせ開けるならさっきの質問などいらないのにな」
我々のグループは、1組だけが長めの質問を受けただけでスムーズに進めました。
関空に着いたら到着ロビーには旅行社の人が待っていて自分で荷物を送らずに済みました。ここまで親切な旅行社は初めてだ。こんな旅行を続けていたらナマケモノになってしまうし旅の感が鈍るだろうなあ。最近は本当に楽ちん街道まっしぐらという感じになってきていてやばいのだ(#^^#)