2009年02月21日 イエメン紀行 14日から15日目 ドバイで、天麩羅なんてばかにしていたのだが、これが日本で食べるよりおいしくてびっくり。 漬物や、豆腐、ぬたなんてものまでありました。たぶん、会社員が接待に使ったりするのかも。 この後は、タクシーを使って、ドバイのバブルの結晶をみにいくことに。 TVを見ていたら、バブルもはじけ気味だといっていたが、街を見ている限りでは、そんな感じは全くしなかった。 添乗員も、後学のためにと付き合ってくれた。 25分くらい走ると、青い街灯に照らされた、まるで映画のセットのような光景が・・・・。 「なに、これー!」 このあたりは、リゾート用のマンションや、戸建がたっているのだが、家の灯りはほとんどついていない。やはり不況の影響は出ているみたいだ。 7つ星ホテルも、入れました。船の帆の形をした方は、ダメでしたが。まるで美術館みたいでした。 あまりのんびりしていたので、ホテルに帰る時間が遅くなってしまい。シャワーを浴びるのが精一杯でした。ベットも使わずじまいでした。 私のみ、中部なので皆より一足先に、出発する。少し遅れたが、無事到着。 ところが、関西組は霧のために、ドバイで4時間も足止めを食らい、羽田・福岡・仙台に乗り継げず、大阪で1泊することになってしまったそうだ。 私は次の日には、バイトが入っていたので危ないところでした。 旅行記はこれで終わりですが、写真はもう少しのせたいので、よろしくお願いします。 タグ :#練習用
2009年02月20日 イエメン紀行 14日目 最後の朝の散歩に出かけた。 自分でも、あきれるのだけれど、好きなんだから仕方がない。空気が全く違うのが、たまらない。 トウモロコシ焼きのおじさん、いいにおいだね。 空港で、スルーガイドと別れたのち、結局1時間半ほど遅れてドバイに向かった。 ドバイでは、いったん入国する。入国係官に宿泊するホテルを聞かれたのだが、度忘れしてしまい「リビエラホテル」と、いいかげんな名前を口走ってしまった。でも追及されることなく、すんなり通されホットする。 タクシーに分乗して都心へ向かう。こちらのタクシーメーターは、GPSで管理されているので、ぼったくりの心配はないとのこと。大回りされたら、それまでだけど、安心は安心だよね。 チェックインしたのち、観光開始までの1時間ほどを、街の散策に行ってくると、相部屋の人に告げたら、心底呆れた顔をされてしまった。でも暇なんだもの・・・・。 ショッピングセンターは、今セールの最中で赤札がたくさん表示されていたが、換金率がわからないので見て回るだけ。 5時位から、希望者のみ、バスタキヤ地区・クリーク沿いを歩いて、オールドスーク地区を見学、水上タクシー(アブラ)で、対岸のディラ地区に渡り、ゴ-ルドスークを見て回った。どうせ買えないのだからと、関心はなかったのだが、いざ行ってみると目の保養には楽しく、面白かった。 再び、アブラに乗って戻ってきたのち、スーパーに。 私達4人は、レストランに向かい、ほかの人達は、ホテルに戻ることになり、ここで解散となった。 写真は、上の2枚のみ、朝のサナアです。後は、ドバイのものです。 タグ :#練習用
2009年02月19日 イエメン紀行 13日目 今日は、イエメンでの出発点でもあるサナアに戻る。 ムッカラは、空軍の飛行場も兼ねているので、軍用機も発着している。 9時45分離陸。サナアでは、おなじみのドライバーさんの出迎えを受けた。 アリさんの車も、ヘッドランプはきれいに治っていた。よかったね(*^_^*) 車に乗り込み、マナハに向かって出発したのだが、道も混んでいるし、登りなので大幅に遅れての到着となってしまった。 まず昼食である。食事の後は、ジャンビアダンスを披露してくれた。以前結婚式で、見たダンスとはかなり雰囲気が違う。ここでも誘われて、一緒に踊ってしまった。 高地にあるハッジャ村へは、ここからすぐである。 段々畑のある一角に、かたまって高層建築が立ち並んでいる。 ここも、中へはいるのは1つの門しかない。子供達が、自分で作った人形を売りに来る。 ヤギの糞だらけの中、落し物を踏まないように慎重に歩かなくては・・・。 このあたりでは、コーヒー豆の栽培もおこなわれていて、赤い実がきれいに実っていました。もっとも今は、収益の良いカート栽培に転向する農家も、増えているそうです。 どうやっていくのだろうと思えるような高い所にあるモスクには、びっくりだ。 港から荷物を積んだ大きなトラックも行きかうので、帰りも遅遅として進まない。結局サナアの街に戻ってこれたのは、7時半頃だった。途中の夜景がとてもきれいでした。 最後の晩餐は、ドリンクが1杯フリーなので、私は、ワインをいただきました。 この後は、スーパーに繰り出しての、残り金を使っての買い物タイムです。 買い物に来ているのもほとんどが男性で、何だが不思議な感じだ。 これで、イエメンとはお別れで、明日はドバイに向けて出発だな。あっという間の旅でした。 写真の中に、汚いごみが散乱しているものもいrてみました。イエメンはどこへ行っても、地面にはこういうものが散乱しています。これはまだましな方です。 ゴミ収集が、インフラとして根付いていない気がしたな。 タグ :#練習用
2009年02月18日 イエメン紀行 12日目 ② このあたりは、ナツメヤシの広がる、いかにも中東といった感じがする風景がひろがっている。 イスラムのラマダン空けに、最初に口にする食べ物が、ナツメヤシなんだって。 私も好きなので、今回も買ってきたよ。 卓上台地の続く道は、見ていて見飽きることがない。 途中で、ブクシャーン村というところのホテルを見学させてもらう。この建物は、もともとは出稼ぎで大もうけしたお金持ちの家だったそうだ。彼は、成功したお金をこの村に惜しみなく寄付したそうである。 いまは、下の階は、ホテルに、上の方はプライヴェートの別荘に使われているそうです。 ライオンの飾りがとても可愛く、色のないこの台地にとても映える建物でした。 結局、ムッカラノホテルの着いたのは、8時過ぎでせっかくの海辺の景色も、眺めることができずじまいだ。 明日の朝にでも、散歩しよーっと! 捨身の地図で、青い部分がワディです。雨季には、川になることも。昨年の洪水では、この部分を超えて、水が出たようです。 タグ :#練習用
2009年02月17日 イエメン紀行 12日目 ① 今日は楽しみにしていた、シバームを訪れる。 昨年の、大洪水でかなり被害が出ていたと聞いたが、幸い観光に支障が出ることはないようだ。 それでも、ここへ来る途中の道路はかなり壊れていた。 まずは学問の都市、タリムにむかった。アルカフ宮殿に行ったのだが、鍵番のおじさんは鍵を持っておらず、後で再び来ることにして、ミナレットの美しいアルムフダールモスクへ。 ここのミナレットはイエメンで一番美しいといわれているそうです。信者ではない人は、入れないのでそ中庭まででした。 戻って、アルカフ宮殿へ。この宮殿は当時としては、かなり豪華な造りで色ガラスや、鏡などもふんだんに使われている。南イエメンのころには、政府に没収されていた。 サユーンでは、宮殿やスークの散策を楽しむ。ここの名物は、はちみつ・ゴマ煎餅・岩塩など。 私は、いつものようにはちみつを買った。 ホテルに戻って、昼食の後シバームへと向かった。 砂漠の真ん中に城壁で覆われた高層建築の街、シバーム。 この街の建設は、紀元800年ころからといわれている。今も1万人近くの人が暮らしている。1か所しかない門から入ると、王宮広場となっている。 日干しレンガで造られた、5階から8階建のビルがびっしりと立ち並んでいる。トイレが、高い所にあり、ぼっとん便所なので気をつけないと、かかることがあると聞いたので、なるべく隅っこは歩かないように・・・。 ヤギが、かたまって昼寝をしている。高い建物が日陰を作ってくれるので。案外涼しく感じる。砂漠で暮らす人々の知恵に感服。 ただ、ここにも文明の波は押し寄せてきており、便利に暮したい住民と、街を保存したいお役所との間でもめており、ここは危機に立っているそうである。 タグ :#練習用
2009年02月16日 イエメン紀行 11日目 本土へ戻る 今日は、本土へ戻る日だ。 最初の予定では、9時だったのだが、それが10時に変更になり、最終的に飛び立ったのが、13時過ぎであった。 ムッカラに着いてから、レストランで昼食ということだったが、その時間もなくなり、結局車の中で、ジャムパンと、チキンというまことに質素な昼食になってしまった。 今日中に、サユーンまで行かなければならないのに、ムッカラの街を出た時には、すでに3時を回っていた。今日は遅くなりそうだ。 車は、新しい運転手さん達の、車に代わっているので、かなり性能アップしているのが救いか。 カーナビや、CDレコーダーもついているし、ラジオも入る。日本語放送を聞かせてもらった号車もありました。 車は、雄大な卓上台地の上を走っていく。本当にイエメンという国は、地形が変化に富んでいるよね。 途中で、2か所ほどの写真ストップがあっただけで、今日はひたすら乗り物に乗っていたな。 結局ホテルに到着したのが、夜の8時過ぎだった。 ソコトラの、食事やトイレから解放されて、ゆっくり休むことができました。 タグ :#練習用