好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:南米の国々 > アルゼンチン・チリ・ボリビア

 
 のべでいうと、17日間という旅でしたが、今回は秀逸でした。
 
 地球という美術館に飾れられた、数々の名画を見たような感動を覚えました。
 
 私の住んでいる星は、これほどにもダイナミックでかつ繊細な星だったのだと、あらためて思いました。
 
 また、南米の方々の厳しい環境でもたくましく生活されておられる姿には、感心するとともに自分は無理だと思いました(+_+)
 
 デモや選挙、インディヘナの方々と特権階級の格差なども、随所に体験することができ、それも自分にとっては貴重な体験でした。
 
 たくさんの地下資源を持ったそれらの国々が、搾取されることなく自分達の国家にちゃんと還元されると事を。日本から祈りたい気持ちです。
 
 最後に、旅先でいただいたお食事や、容量の関係で紹介できなかったものをアップしてみました。
 
 まずは、世界一牛肉を食べるアルゼンチンのステーキです。分厚いですが意外と軟らかい。いけます。私は、お肉は好まないのですが、これはおいしかったです。
 
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エンパナーダと呼ばれる、郷土料理。餃子みたいです。焼いたものや、これみたいにあげたものがあり、個人的には、焼いたものがあっさりしていて好きです。
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キヌアのスープ。キヌアは、こちらの人は主食のようによく食べます。高地3000m以上でないと育たないそうです。キヌア、大好きです。日本でも売っているので食べることができるけれど、本場で食べると、なんだかおいしい。
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ちょっとおしゃれに、キヌアのミルフィーユ仕立てです。これは、かなりおいしく、一流レストランの味でした。
 
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キヌアのプディング、おいしいがかなり甘い。
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タマレス。トウモロコシの皮の中にひき肉などを詰めたもの。
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トウモロコシのスープ。辛いチリソースをかけていただきます。粒粒がよい感じ。
 
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リャマの煮込み。私は、食べていないのですが、聞けば、ちょっと硬いそうです。
 
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村の食堂の子供、ここでトイレを借りました。
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村のお土産屋さんの女性。珍しくポーズをとってくれました。
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アカタマ塩湖で・・・お姉ちゃんは、風から妹を守ろうと必死です。
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おいしかったアカタマのレストランのお兄さん。かっこよかったです。
 
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これは、プカラ遺跡のもので、この穴の中に相手を倒して切り落とした首を保管しておくそうです。
遺跡の中で、ただ一か所にあるそうです。
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ポトシの修道院の台所で使われていたもの。くりぬいたところから、野菜などを入れ冷蔵庫代わりに使っていたという。
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こちらは、機動隊の方です。暇そうにしていたので、声をかけたら起立してくれました。ポトシで・・。
 
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イリマニ山。標高6402mです。
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ジュース売りの女性。車が停まるとこうして売りにきます。手に持っているのは、モモのジュースといっていたと思う。日本円で15円くらいです。ガイドは早速買っておいしそうに飲んでいました。
 
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ボリビアの年輩の方の平均的なファッションです。ペチコートをたくさんつけてスカートをふくらませる。
 
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長い間、お付き合いくださってありがとうございました。
次はベトナムです。

 
 カラササーヤへの入り口、以前は通ることができたのですが、今は通れなくなっていました。
 
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 半地下神殿は仮面神殿ともいう。
一段低くなった壁には、180個もの顔が石で刻まれ、はめ込まれている。全部違った顔であることから、他民族との交流があったことがうかがえる。
 
 ここで、遠足の子供達と一緒になってしまい、なかなか進まない。
親御さんも民族衣装で付き添っています。
 
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母親、カラフルです。
 
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 人の顔がずらっと
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真ん中に立っている大きな石像は、コンティキの神
 
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これですべて終わりました。
 
敷地内にある唯一のレストランでお昼ご飯をいただきます。
 
メニューはリャマのステーキ・・・すべてガイドさんに食べていただきました。
 
やはり食べる気にはなれないです(+_+)
 
 この後は、直接空港に向かいます。
 
 ラパスの空港は、市内よりもっと高い位置にある。空港としては世界で最も高い位置にあるのではないだろうか?
 
 おまけに排気ガスが規制されていないので、空気が悪い。他のところよりも、息をするのが苦しいと訴える人が出てくる。
空港には、酸素ボンベがあり医者が、看護師か医者が常駐している。
 
 日本に帰る直接の便はないので、途中でリマ・ロスアンゼルスト2回の乗り換えをしなければならない。
 
 乗っている時間だけで、22時間以上、待ち時間を加えると28時間以上にもなってしまう。
 
まだまだ先は長い・・・・。
 
 ラパスの空港の周りには、飛べるのか飛べないのか、ちょっと考えてしまうよう飛行機が置いてある。
 
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 17時15分、ラン航空でリマに向けて飛び立ちます。
 
 リマまでは、近いです。2時間ほどで到着。
ロス行きは、6時間後だ・・・・(>_<)
 
 何もすることもなく、ショップを覗いたり、眠ったり、おしゃべりしたり、ご飯をいただいたりして時間を過ごす。
外に出て観光をという話もあったのだが、空港税・車のチャーター代などを含めるとかなりの金額になるというので、やめになった。
 
 でも、空港のレストランはかなりおいしかった。ペルー沖は、世界3大漁場の1つでとても魚のおいしいところだ。
 マリネにしたものやフライ日本のそうめんに似たものをいただいた。
 
 日付が変わった24時20分、ようやくロスに向かって離陸したのだった。
 
 ロスまでの飛行時間は、約9時間です(+_+)

 
 観光最終日。
窓を開けると、こんな感じです。
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 ホテルは、市街地の真ん中です。通勤時間、散歩に出てみました。
ホテルの横の階段に出ている駄菓子屋さん。
 
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前の道路では、昨日の日記にも書いたように、横断歩道を渡る運動「シマウマ運動」のパーフォーマーであるシマウマの着ぐるみが軽やかに踊っていました。
 
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 通学する子供達。
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 さてホテルを出発。
1時間ほどかけてティワナク遺跡に向かいます。
郊外に出ると、雪をかぶったレアル山脈が見えます。
 
ティワナク遺跡は、世界遺産にも指定されています。
400年ころから800年ころまで続き、インカの次に大きな文化を誇った。
 ピラコチャの神をはじめとする多くの神々を崇拝する宗教都市だったといわれている。
標高3800mの高地に誰が何の目的で、巨石を使ったこの壮大な都市を造ったのか、また、人間の形をした巨大なモノリート(立像)は、何を意味するのかまだはっきりしたことは、解明されていない。
 
 遺跡は、すべての建造物が巨大な石で造られているが、その石は少なくとも70km以上はなれた所からはこばれたそうだ。
 
 また、モノリートを始め、どれをとってもインカに劣ることはなく、見事な石造技術である。
 
 ここも、2回目の訪問となる。前回はまだ、整備が進んでいなかったのだが・・・。
 
最初は博物館に入場だ。写真は撮ってないけないという。前はよかったのにな(+_+)
 
発掘品や、一番大きなモノリートを見ます。
 
 遺跡の想像模型
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ピラミッド部分
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遺跡の中心部分カラササーヤの基礎部分。ここにモノリートや太陽の門がある。
広場の大きさは。135×130m。配水設備も整っています。
 
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 エル・フライレと呼ばれているモノリート。名前は、発見者の名前がつけられている。たくさんのモノリートが、発見されたがここに立っているのは2体だけである。
 
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 祭壇からまっすぐに巨石がならんでいる。
 
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ポンセと呼ばれる
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最も大事な太陽の門、見事なレリーフ。スパッと切ったように加工されている。重さ5トンともいわれ、巨石文化の象徴である。
 門の上部には、ピラコチャの神と神を囲む48の鳥人が刻まれている。ひびは、1908年の地震で、入ったものだ。
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ピラコチャと48の鳥人
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裏側
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暑くなってきました。日陰になるものは何もないです。日傘が唯一の味方です(^O^)
 
 
 
 

 
ムリリョ広場から見た国会議事堂。 西側に大統領官邸やカテドラルがあります。
 
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韓国の要人が訪問しているとかで警備と交通が規制されていました。
 
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旧市街には、老人ホームもあります。お年寄り達が、表に出て、のんびりしていました。
 
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ふたたびバスに乗って、キリキリ展望台に向かいます。
イリマニ山が美しい。この山は機嫌を損ねると中々顔を見せてくれません。
今日は機嫌がいいようです。
 
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 ズームしてみると、こんな感じです。日干しレンガの家々が積み木のようです。
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高層ビルは一応高さ規制があるそうですが・・・。
高所の動物園の動物は、ここになれるために、低地から順番に高度を上げてからやって来るそうです。
一か所で、3か月ほど過ごすという。
 
 犬や猫は、よそから旅行で来ることはできないという。高所に対応できずなくなってしまうという。
 
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続いて、今回3度目の月の谷。長いコースと短いコースがあるのですが、今回は短い方でした。山の下を地下水が通っているので、時々陥没するそうです。
 
入口には民族旗や国旗が美しくはためいていました。
 
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帰りは、サンタ・クルス・セミナレスで下車して、魔女市場と呼ばれる一角を歩く。
 
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何やら怪しげなものが並んでいたりもするが、楽器や民族衣装などのお土産を売るお店もたくさんあります。
 
パチャママと呼ばれる、お守りのようなもの。
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ゆっくり歩いていたらすっかり日が暮れてしまった。
すり鉢の底の真ん中に位置するといってもいいサンフランシスコ寺院のある広場でも、スクレでも見かけたアマゾンの道路建設に反対する集会が開かれていました。
 
 たくさんの人が集まっています。前回宿泊したホテルはこの近くだったので、朝の散歩で、ここは訪れていましたが、夜の光景はまた違った雰囲気です。
 
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 ホテルに戻ります。部屋から見た夜景。奇麗でした。
闇はすべてを飲み込み、灯りは、美しさだけを表しています。
 
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 最後の晩餐です。長いようでしたが、過ぎてしまうとなんだかあっけいない。
ワインをゆっくり飲みます。(^O^)
 
 明日は、ティクワナ遺跡を観光した後、空港に向かい、日本へと飛び立つ予定です。

 
市場は、どこでも活気があるが、汚い。
 
お肉や魚をさばいたにおいと、石鹸や果物チーズの香りが混ざり合って独特のにおいがする。
 
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 大きなマンゴやパパイヤ・スイカが積み上げられている。
今日が最後の夕食になるので、デザートにと添乗員さんが、パパイヤを買ってくれた。
 
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市場にはこんな人もいます。アコーディオン弾きのおじさん。
 
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籠が崩れたら、埋まってしまいそうです。絶妙な積み方。
 
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自家製のヤギのチーズ
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乾燥ジャガイモ。インカの人々の命綱。乾燥の技術があったから、食料に困らなかったという
 
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こちらは、珍しいジャガイモ達です。
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公園には、ジャガランタノ花が咲いていました。旅が始まったころは、まだ咲いていなかったのですが・・・。
 
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 これで観光のほうは終わり。空港へと向かう。ドライバーにチップを渡す場面を見ていたら、ちゃんと訳を話して5ドルしか渡しませんでした。
 
 でも彼、別にがっかりした様子もなかった気がする。
 
スクレを11:15分の飛行機で、ラパスへ向かう。ラパスは、首都としては世界で一番高所に位置している。
標高3650mに位置し、周りをイリマニなどの山々に囲まれた、すり鉢状の盆地である。
 
 飛び立って、しばらくすると飛行機の中から、雪を抱いた山々が見えた。水たまりのように湖がある。
 
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空港に到着です。1時間ちょっとのフライトでした。
 
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ラパスは、2回目の訪問です。なつかしい気持がわいてきた。
以前工事中だったターミナルも、きれいになっています。
 
すごい勢いで人口は増えているようだ。人口の半分は、インディヘナの人々である。
都会に人口が集中しているのだろう。相変わらずの無秩序は車の数。
 
町に入る前に、街の様子を高いところから見下ろす。そう言えば前回もここで写真を撮ったなあとおもう。当時より明らかにビルの数が増えている。
 
山の斜面までびっしりと家が立ち並んでいる。ここでは、貧しい人が高いところに住み、お金持ちが低いところに住んでいます。
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すり鉢の底に降りてきました。
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無秩序な交通を少しでも良くするために、シマウマ運動というのが行われているそうだ。耳で聞いた時にはなんの事かわからなかったが、翌朝判明。横断歩道の横線をシマウマの模様になぞらえ、そこを渡るようによいう運動ですって!
 
 ホテルにチェックイン。私は、今日の観光で回るところは、前回行っているので、博物館か美術館に行きたいと申し出た。現地ガイドが、閉まっているかもしれないからとわざわざ見に行ってくれた。結果、今日は月曜日なのでやはり閉まっているとのこと。残念!
 
 このガイドさん、マスクをしている。南米でマスク???さては、福島のニュースで、日本人を怖がったのかと勘繰ってしまった、南米でマスクなんて考えられないからだ。
 
 実際は、喉をやられてしまい、ここは空気が悪いのでこれ以上悪くしないために、マスク着用となったようだ。ラパス市内は、すり鉢状の底にたまった、汚い排気ガスに汚れた空気が充満しているから、のどが痛くなるのだ。
 
 ロビーに、ビジネススーツを着た、知的な女性がいた。何やら添乗員と話をしている。彼女は、こちらのエージェントでポトシでの不手際のお詫びに来たのだという。
 
 マスクといい、お詫びといい、時代を感じてしまった。
 
 その結果、明日の昼食は、自由食になっていたのだが、旅行社が負担してくれるという。ラッキー!
 
 観光に出かけます。まずは旧市街から。
 
 スペイン時代の雰囲気がよく残っている地域です。
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時間が戻ったのかと思ってしまいます。ここではゆっくり時間が流れている。
 
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ここから、歩いてカテドラルや国会議事堂のあるムリリョ広場に向かいます。
ここには、独立戦争で活躍したムリリョの銅像が建っており、市民の憩いの場となっている。
 

 
素晴らしい天気だ。
これはもう朝の散歩にぴったりではないか。  
 
明るい中で、ホテルのパティオをあらためてみると、本当に素敵だ。
表の雰囲気からは想像もつかないほど開放的だ。
 
入口を狭くそっけなくしてあるのは、防犯上の理由だろうか?
 
ホテル外観
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 重いドアをかけて中に入ると、フロントがあります。格天井がいかにもといった感じです。
 
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素晴らしいパティオ
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屋上からの眺めも中々です。いすやテーブルが置いてあるので、ここでお酒でも飲めたら最高だったなあと、やはり残念でした。
 
隣が大学なので、これらの屋根は大学のものです。音楽科があるのか、早朝から楽器の音が聞こえていました。早朝練習かしら?
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スクレの町は、とても教会が多い。そのせいか町全体に落ち着いた雰囲気が感じられる。
反面近代ボリビアの歴史が始まった場所でもあるのだ。
 
1825年、スペインからの独立宣言の調印が行われたのだ。
そして1839年、首都に制定された。なので白い壁の官公庁の建物も目立つ。
 
初代大統領の名前にちなみスクレと名付けられたこの町は、1900年代に中枢機関がラパスに移るまで、ボリビアの政治の中心だった。
 
ここで、クーデターも何度となく起こっているのは、そういう背景もあるのかもしれない。
 
この町が開かれたのは、ポトシに銀山が発見されてからの事だ。銀を管理するためにスペイン人によって造られたラ・プラタ市が前身だ。この町の過ごしやすさもあいまって、徐々にここに重要な機関がおかれるようになって行った。
 
銀でもうけたお金で贅を尽くして造り上げた建築物は、今も輝きを放っている。壁を白くぬるのが、町の条例で義務付けられているので、歩いていると本当にまぶしい!
 
 朝の散歩で・・・ホテルの近所です
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ホテルと同じ名前のメルセー教会、祭壇の美しさはボリビア一番といわれているが、まだ開いていない。
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こんな気の利いた壁も、偶然犬が座っていました。
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 チェックアウトするも、今日もバスは遅刻です。
観光のあとは、飛行機でラパスに向かう予定なのでそうのんびりとは待っていられません。
 
 そこで添乗員、「歩いて回りましょう」
そして、歩きながらこんなことを話してくれました。「いつもいつも遅れてくる。今日は、10ドル渡すチップを半分の5ドルにして渡します。そして、遅れてこなかったら、ちゃんと全部もらえるのよ。と言うつもりです」と・・・。
 
 いい考えだとは思うのですが、果たして効き目があるのでしょうか?こちらの人は多分チップ満額よりも。自分のペースで動くことを優先すると思うからだ。彼らにとってそれが幸せだから!
 経済発展するためには、マイナスだろうけれど、彼らの幸せがそこに無いのだとしたら、チップが減らせれても多分・・・・・。
 
 中心である5月25日広場に向かいます。
カテドラル。堂々とした建物だ。1580年から1633年までかかって造られたそうです。金・銀の箔でできた祭壇があり、そこにダイヤモンドをはじめとする宝石の衣装を着たマリアが収められているとか・・・時間の都合で外観のみ。うーん残念!
 
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隣の豪華な建物は、裁判所。
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 今回ボリビア各地で見かけた集会です。ここではテントが張ってある。アマゾンに道路をつくることに対して反対しています。大アマゾンは、上流がの一部がボリビアにあります。
 
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独立の調印が制定された自由の家
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やっと出勤してきたミニバスに乗って(今日は路線では無かった。ドライバーも若いです)、見晴らしのいいラ・レコレーター修道院へ向かう。
ここから町が一望できるそうです。
 
 確かによく見えます。
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スクレは坂も多いのです。
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町に戻って、市場に行きます。

 
 市場は休みですが、屋台で賑わっていました。
市場の建物
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この裏手に、バロック建築の傑作といわれる教会、サン・ロレンソ教会がある。屋根の十字架と5体の聖人像が特徴です。1728年創建、44年まで使われたがその後なぜか閉鎖。今でも司祭様はいらっしゃらないのでは?
 
 でも見事な彫刻です。電線がどうやっても入ってしまうのが残念!(>_<)
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個人の邸宅。見事なバロック彫刻です。
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昼食はホテルです。
シェフが交通規制で来られないとかで、女性が1人奮闘していました。
 
このときはまさか夕食もここで食べることになるとは、想像していませんでした。ポトシを出られなくても、外に出かけると思っていたので・・・ここのレストランは、よくないのです。
 
 2時までは、部屋を使っていいとはいうので、少しのんびりと部屋で過ごします。
 
 2時になったところで、ロビーに移動です。私は、街歩きに出かけることにしたのですが、みなさんは歩くとつらいのでここで、待機しているという。
 
 ならばということで、地図を片手に今回初めての、単独街歩きです。
羽根が生えたように身軽に歩ける。
 
 どこへ行ってもだれにも遠慮いらないのだもの・・・(^^♪
 
サント・ドミンゴ教会
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壁の飾りや色がいかにもスペイン
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猫の看板に目が行く
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この街の象徴鉱脈のある山
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サン・べルナルド教会
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休日の午後、みんなのんびりと
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小さな広場
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ベンチに腰掛けていたら話しかけてくれた、目も見えなくなってきたし、耳も聞こえなくなってきたと、・・・・
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街歩きの時見つけた、雨水管のふた。かわいいのでとってみました。
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ふんいきのある通り
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 ホテルにいったん戻る。車の状況を確かめるために一度戻ってくださいと言われていたからだ。
ロビーでは、本読んでる人、眠っている人、それぞれなのだが、なぜか険悪な雰囲気がする・・・・。
 
 部屋を使わしてくれるように交渉してほしい人達と、お金のかかることはかってにできない添乗員の間で、ひと悶着あったようだ。
 
 全員というわけではなく、2・3人だけのようだが・・・・。
確かに椅子に座ってじっと本を読んでいるのもつらいだろうし、かといって街を歩けばしんどいし・・・。
 
出発のめどは全然ついていないし・・・
 
 私は、時間をつぶしてきたので、全然まだ退屈はしていないが、それでも、見通しがつかないのはちょっとね。
 
インターネットがただで使えて、日本のサイトにもつながるので、1時間ほどそうやって遊ぶ。
 
そうこうしているうちに、ますます皆のイライラが大きくなっていく。
そこで添乗員、「私と一緒に出かけませんか?」といってきた。
が、誰も手を上げない。「私は一緒に行ってもいいですが」と私。
 
 結局、出かけたのは、私と添乗員のほかには、2人だけでした。
すこしぶらぶらして、ホテルに戻る。
 
 広くはない旧市街のこと、何度もあるいたので、すっかり覚えてしまいました(^^♪
 
交通規制解除の予定である6時になったが、変化なし。
 
「みなさん、夕食もこちらで食べていただくことにしました。スクレについたらすぐお休みいただけるように、そうしたいと思います」
 
 ところが1時間たっても一向に、用意ができない。
そもそもシェフが、出てこられないのだから、さっさと用意しろというのも無理がある。
 
空腹・退屈・見通しのつかないことなどが重なって、皆の疲れはピークです。
 
やっと夕食が始まり、急いでも解除にならないからワインを飲もうと頼んだ。いっぱしのメニューブックを持ってきたのに、注文すると「これもない。これも駄目」という。最初から、そう言えばいいのにねえ・・・。
 
 結局ほとんどのワインがそろってないのだ。このやり取りを見ていたガイドは、「これはヤバい」と思ったのか。自分用にに持っていて、まだ未開封だったワインを提供してくれたのだった。
 
 「サービスです。」
 
とはいうものの、翌朝、チップとして、ちゃんとお礼は致しましたが。
 
 9時ころになってようやく、交通の規制が取れたと連絡が入った。
 
やれやれやっと脱出できる!(^^)!
 
 昨日の路線バスに乗ってスクレの町に向かう。
 
スクレは、ボリビアの憲法上の首都である。標高もぐっと低くなり2900mほどである。
 
 真っ暗やみの中を走ること、2時間余り。
何とか日付の変わらないうちにホテルに到着できたのだった。
 このホテルの素敵なこと。ポトシとは大違いです。大金持ちの邸宅をホテルに改装したとかで、雰囲気はあるしきれいだし、ここでゆっくりしたかったなあと心から思ったのでした。
 本当に長い長い1日でした。脱出できてよかったな。

 
ボリビアの国は、独特の雰囲気がある。
道行く女性が、民族衣装を着ている人が多いせいかもしれない。
 
若い女性の2人連れ。三つ編みにした髪とおしりのボンボンが可愛い。
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こちらの2人連れは親子だそうです。
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見事な髪の女性です
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この日、唯一われわれを受け入れてくれたサンタ・テレサ修道院に着きました。
 
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 ガイドの女性の説明で、中を見学していきます。
17世紀の面影が残っていて、ポトシの町が鉱山でさかえていたころを反映して大きな外観である。
中庭も当時は4つあったというが、現在では2つのみ。
 
 教会・食堂・個室・図書館など細かく見ていく。こんなにじっくり修道院を見学したのは初めてです。
スペインのお金持ちの二女や三女の方々がここ入れられた。そういうお金持ちの援助でたいそう栄えたそうだ。
 
 当時は、お金持ちの子女が修道院に入ることは当たり前であったようだ。でもいったんはいってしまうと、面会は叶わず、窓越し、金網越しでしか会えなかったという。
 
 中庭のひとつ
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食堂
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個室。当時の様子が再現されています
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ここで亡くなった修道女たちは、ここに埋められました。足元に何体も埋まっているのかと思うとちょっと足がすくみます。
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教会です。格天井が美しい。スペインの古い教会もこういう感じですよね。
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選挙の投票所になっているのは、学校のようです。興味があったので、「入れますか」とガイドに聞くと、「大丈夫」という。
じゃあということで中に入って行くと、お巡りさんや投票に来た人をチェックする係りの人などがいる。念のためお巡りさんに写真を撮っていいかと聞くと、投票の様子を撮らなければいいという。
 
 投票箱のある部屋の入り口部分に紙が貼ってあり、そこに自分の名前があるか確かめるのだという。
 
投票所の入り口
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中に入ると・・・投票の順番を待つ人たち
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裁判官の選挙だが、現大統領派とアンチ大統領派に別れての争いだという。後日結果を聞いたら、アンチの勝利で終わったそうです。ガイドも本当は、選挙に行かなければいけないのですが、仕事なのでいけません。そういう場合は、お役所に出向いて許可をもらうのだそうです。
 
広場に戻ってきました。先ほどよりは人出が増えているみたいだ。
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 籠の中のものは売り物です。
 
ここからすぐのところにポトシを代表する教会がある。サンフランシスコ教会といい、ここの屋上からの眺めはとてもいいそうだが、こちらも今日は休みではいれません。
 
堂々たる建物を外から見学します。
 
 教会の鐘楼
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教会正面
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16世紀の創建で、18世紀初めに修復された。花崗岩で造られた建物の上に煉瓦のドームがのっている。
これは、側面ですがねじねじの柱が見事です。
こうしたねじねじバロックも、当時よくつかわれた様式のようです。
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 この後は市場の方へ向かいます。
 
 
 
 

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